『女は世界を救えるか』(1986年勁草書房)

この人と最初に言葉を交わしたのは、まだ大学生の頃だからもうかなり昔の話だ。

平安女学院短期大学(当時)の教員だった上野千鶴子先生はすでに売れっ子で、わたしの通う大学にも集中講義のような形で教えに来ていた。科目名は記憶にないが、大教室で行われる売れっ子上野先生は講義でどんなお話をされるのか。興味半分にその科目を履修登録はしていなかったけども、数人の友人と聴講に行った。

◆「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」

わたしたちが参加した講義は、既に数回の講義を経たあとだったようで、「家族」についての各論を上野先生は、細かく語っていた。滑らかな弁舌は自信に満ち、滞ることなく黒板にキーワードを書きながら、はっきりと聞き取りやすい語り口でその日の講義は終了し、質問を受け付ける時間となった。300人ほど入る半円形の教室の中で挙手したのは、わたし一人だった。質問をはじめると上野先生は「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」とわたしは教壇の上で質問を続けることを要求された。

講義では、「世代や国境を超えて男性に資産が引き継がれてゆく仕組みが、男性優位社会を形作っている」との解説があった。わたしの質問は「世界は広い。文化も多様だと思うが、世界中でどうして同一形態の男系資産相続が発生したのか。世界の男性どもは、どのようにその謀議を図ったのか」だった。世界各国に当時(現在も)母権主義(女系相続)社会があることを念頭に、その質問を上野先生にうかがった。

 

『女遊び』(1988年学陽書房)

◆「時間があったら研究室に遊びにおいでよ」

上野先生からは「なかなかいい着眼点ですね。なにかの本を読んだのかな?」と逆質問されたが「いいえ、お話をうかがって直感的に疑問に感じました」とわたしは答えた。講義終了時間が迫っていたからだろうか、上野先生は「この質問は議論が深まるので、来週の講義はこの問題から始めます。キミ、来週も来てくれるよね?」と出席を求められたのでわたしは「はい、参ります」と答え講義時間が終わった。

講義終了後「キミ、何の専攻なの?」、「平女(平安女学位短期大学)はバイクで山越えたらすぐだからさ、時間があったら研究室に遊びにおいでよ」と上野先生からのお心配りの言葉もいただいたが、わたしは別に上野先生のファンではなかった。むしろ彼女の発信にはいつも、どこかに曰く言い難い「ズレ」を感じていた。所詮は学部学生のわたしが、上野先生を「論破しよう」などと無茶なことは考えていなかった。彼女との直接のやり取りの中で自分が感じる「ズレ」の本質がなんであるのかを確認したいとは思っていた。

◆「意地悪だね、キミ」

翌週の講義開始時、わたしは教壇に再度呼ばれ、質問内容をもう一度詳しく語るように求められた。5分ほどかけて質問の主旨と、母権主義(女系相続)社会の存在をどう考えるかを聞いた。

 

wikipediaより

そのあと上野先生はわたしの質問に対して、誠実に解説をしてくださった。そう努力してくださったことは間違いない。しかし回答は、私の疑問を解く内容とはなっていない。立て板に水で、ときに難解な単語も織り交ぜながらの論説は、大枠で私の質問を包摂しながら総論を述べているようで、実は核心部分に触れるものではなかった。

わたしは、「お話しいただいた内容は理解しますが、わたしの疑問への直接の回答とはなっていないように理解します。もう少しわかりやすく教えて頂けないでしょうか」と再質問すると「意地悪だね、キミ」と冗談交じりに教室の笑いを誘い、「この問題も重要だけどまだ、話さないといけないことがたくさんあるから、もっと議論したかったら、平女に来てください」と、これまたちょっと笑顔を浮かべてわたしの質問への回答は打ち切られた。

なるほど売れっ子は「かわし方がうまいな」と感じた。一度だけ野次馬根性で覗いてみた上野先生の講義に、2度出ることになったが、「売れっ子見物」以上の興味を持っていなかったわたしにとって、それ以降彼女の名前に興味をもつことはなかった。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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