忘却と記憶 ── 8月15日 何を忘れ 何を記憶し続けるか 

わたしたちは 忘れる能力と 覚える能力を 持っている 
『忘却と記憶』 何を忘れ 何を記憶し続けるか 
それによって生き方が 決まっていくように思うのです

書家、龍一郎先生の手になる、鹿砦社カレンダー8月の言葉だ。

書=龍一郎

8月は、6日、9日そして15日と戦争にまつわる「記憶されるべき」日が続く。「何を忘れ」、「何を記憶」できているだろうか。時代は、社会は、そしてわたしたちは、あなたは、わたしは。「記憶」は能動的な脳の活動で、「このことを覚えておこう」と決めれば、それを忘れないように「記憶」の刻む方法は様々ある。記憶力に自信がなければ大切なことばを紙に書いて、机の前に貼っておけばいやでも目に入るから、なかなか忘れにくいだろう。

他方「忘れる」ことは意識せずとも起こりうる現象だ。その対象に興味や関心、執着せねばいられない事情があれば「忘却」は起きないけれども、自分とあまり関係が深くないと(潜在的にでも)認識していると「忘却」はすぐにやってくる。そしてある種の心の傷に対しては、時間経過による「忘却」が、心理的な防御作用として機能もする。

いつだったか、知人と「戦争」のありさまについて話をしたことがあった。正義感の塊のようであった知人は「戦争」を概念としても、その細部も批判の対象とし、頭の固いわたしよりも、相当注意深く「戦争」を警戒しているようだった。しかしわたしの感覚はやや異なっていた。戦争映画や戦闘場面を記録した、あるいは演じた映画や映像は、戦闘のリアリティーをわたしたちに教えてくれていることは間違いない。けれども今日のハイテク化された戦争は別にして、前時の戦争は毎日、24時間が緊張の連続ではなかったのではないか。とわたしは反論した。

もちろん、1943年以降、国内でも日常が、急激に「戦争」めいたであろうことは知っている。空襲を受け、児童は疎開し、学徒動員まで至れば日々戦争の諸相に彩られていたことだろう。

だがその前、すでに日本が中国で戦争を始めていた1930年代はどうだったであろうか。あるいは真珠湾攻撃を受けた以後、終戦まで米国本国での「戦争」の日常とはどのようなものであったであろうか。おなじ「戦中」にあっても1943-45年の日本と、日本の1930年代や米国の終戦までの日常は大きく異なるのではないか。

遠くの戦場で兵隊は戦争をしているが、本国の市民は戦況を伝えるニュースに、一喜一憂することはあっても、大規模な徴用があるわけではなく、日々食べるものに困るわけではない(凶作による飢饉を除く)。街では夜遅くまで酒場が賑わい、娯楽もある。空襲などは想像もしないし、農民は日々耕作に精を出し、都市の給与労働者は毎日会社に通う。そんな日常だって「戦争中」の一断面である。一見戦争の悲惨さと無関係で、非対称のようなこのような「戦争中の日常」も、わたしは「忘れてはいけないこと」ではないかと感じる。なぜならば、70余年前の話としてではなく、今日時代は1930年代に極めて似た様相を、描き出していると感じるからだ。

もちろん日本はいまどの国とも戦争をしてはいない。けれどもあたかも「次に戦争」が待っているか(あるいは準備しているか)のように、法律も軍備も世論も根拠なく交戦的な方向へと移ろっているからだ。諸法制の戦争準備化については、あらためて述べるまでもないだろう。毎年5兆円を超える軍事費の高止まりも同様だ。世論はどうか?大きな書店に入って『紙の爆弾』が並べられている周辺の月刊誌を見まわしてほしい。どうしてここまで狂信的になりたがるのか、と宗教の匂いすらする右翼系の月刊誌が山積されている。

 
2018年8月8日付け弁護士ドットコム

そしてついに文科省は2020東京オリンピック期間中に「授業を避けてボランティアに参加しやすくするように」大学などに「通知」を出すまでに至っている。(2018年8月8日付け弁護士ドットコム

東京オリンピックでは、11万人のボランティアという名のタダ働きが酷使されることがようやく批判の的になってきたが、文科省が大学などに直接「授業はやめてボランティアを」と働きかけるのだ。形式は「通知」ではあるが、実質的には「命令」に等しい。ここに戦争へつながる「総動員」の事前訓練を見る、と感じるわたしは極端にすぎるだろうか。

小学生から、大学生、そしてもちろんスポンサー企業に関連のある労働者は、きょうも真面目に会社で自分に与えられた仕事をこなす。あなたの会社はなにを作っていますか?あなたの会社はどんなサービスを売りものにしていますか?あなたの勤務する東京都は都民の福利を重視していますか?オリンピックが至上命題のように仕事の軽重が逆転してはいませんか?そしてなによりもこの光景、どこかおかしいと疑う、気持ちの余裕はありますか?

あれよあれよという間に、中国戦線が泥沼化し、敗戦が必定な太平洋戦争に突入したとき、軍人の中にだって「この戦争2年なら何とか持ちこたえるが、それ以上責任は持ちかねる」と明言した海軍指揮官がいた。庶民一人一人の心の中はどうだったのだろうか。戦争をはじめるのは国家だけれども、戦争を遂行するのは庶民である。「何を記憶し続けるか」は人によって重要性が異なろう。わたしは「みんなで○○しよう」というのが嫌いだから、わたしの主観を読者に押し付けたくはない。ひとりひとりが考えよう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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