11月11日、同志社大学良心館107号教室で、同志社学友会倶楽部主催、ミュージシャン中川五郎さんによるトーク&ライブ「しっかりしろよ、日本人。」が行われた。同志社大学学友会倶楽部は、学生時代に同志社大学で学友会(自治会)に関わっていたり、関心のあった方々による団体だ。中川さんは同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に合格するも、高校時代からフォークソングの世界では既に名をはせていたので、「同志社大学で鶴見俊輔さんからジャーナリズムを学ぼうと思いましたが、大学に入学したら、大学に行くよりも歌いに行くことの方が多くなって、結局やめてしまいました」とご本人が語られたように、同志社大学を中退されている。

11日は鹿砦社代表もメンバーである、同志社大学学友会倶楽部の面々が午前10時に集合し、会場設営やイベント告知のチラシを学内各所で配布した。この日は同志社大学の「ホームカミングデー」でもあり、キャンパスはOB・OGが多数訪れていた。このイベントは6回目で、私もここ数年お手伝いさせていただき、例年通りチラシを配った。中川さんは有名人でもあり、講演だけではなくライブも聞けるとあって、チラシを受け取った人の感触は良かった。

◆中川五郎さんとボブ・ディラン──つながりの片桐ユズルさん、中山容さん、中尾ハジメさん

会場設営を終え、中川さんが到着し、簡単な打ち合わせ後、一同は学生食堂で早い昼食をとった。中川さんの歌は何度も聞いているし、文章もかなり読んでいたけども、ご本人にお会いするのは初めてであったので、昼食を食べながら、お話をさせて頂いた。

中川さんがボブ・ディランに影響を受け、関連の著作や文章をたくさん書いておられるので、「片桐ユズルさんとはお親しいですか」とお尋ねしたところ、「はいはい、ずーっと親しくして、今でも仲良しですよ」と笑顔が浮かんだ。私が不勉強なだけで、実は中川さんにとって、片桐ユズルさんは英語やフォークソングの先生でもあったことを、ライブのなかで遅まきながら知ることになる。

「中山容さんは?」、「もちろん、仲良しでした」、「中尾ハジメさんもお知り合いですね」、「はいはい」というわけで、私がかつてお世話になった職場に在籍していた、個性的な教員たちはみんな極めて親しいかたばかりであることがわかった。

 

◆語りでもなく抒情的な「歌」だけでもなく

13時開始予定の広い教室には、12時を過ぎると早くも、聴衆が集まり始めた。13時をやや過ぎて、主催者挨拶のあと、さっそくトーク&ライブが始まった。中川さんは「僕はあんまりしゃべるのが得意じゃないので」と切り出したが、前後半に分かれた、前半の1時間余りはほとんどを語りに費やした。中川さんはフォークソングを単なる音楽の1ジャンルとしてではなく、語りでもなく抒情的な「歌」だけでもない、「新しい表現方法」だと感じたといい、それまで主流だった恋愛や風景、望郷をうたうだけではなく、「時代」や「その時に考えること」を伝える魅力を見い出した、と語った。

そして60年代終盤に突然火が付いた「関西フォーク」(この呼び名は「あんまり好きじゃない」と言われていた)は、路上や街角で「時代」を歌う「フォークゲリラ」として、社会現象化し、やがて、東京を中心とする関東にも広がってゆく。「新宿フォークゲリラ」は有名だが、あの発信地は大阪や京都だった。

ところが70年代に入ると、再び抒情的な歌を歌う「歌い手」と、それに気聞きほれる「聞き手」の関係が再現してくる。「お風呂屋さんの前で待っている」(笑)ようなフォークソングが再び主流となり、中川さんら「歌うものと聞くものが一体となり、そこから何かが動き出す」フォークソングは一見下火になる。しかし同時代性を歌うフォークソングは死滅したわけではなく、現に中川さんはこの日、同志社大学に「約40年ぶり」に戻ったにもかかわらず、会場には150名以上の聴衆が詰めかけた。

 

◆女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザ……

前半は高石ともやの作品としてヒットした『受験生ブルース』の原曲(『受験生ブルース』は中川さんがボブ・ディランの楽曲の替え歌として編み出したものを、高石ともやが「拝借」し、歌詞もメロディーもかなり作り変えて世に出ている)、新しいバージョンの日本語による「We shall overcome」など3曲を披露するにとどまった。その代わりに来場者は「日本におけるフォークソング史」を濃密に当事者から聞くことができる貴重な機会を得た。

休憩をはさんで後半は、一転して猛烈なライブとなった。時に現役同志社大学生(といっても20代の学生さんではないが)が奏でるマンドリンとのコラボレーションなどもあり、6曲を歌い上げた。

後半最初の曲紹介は「僕は、当時神戸の短大で先生をしていた片桐ユズルさんという人に社会のことや英語やべ平連のことやフォークを教わって、その片桐さんが書いた詩にメロディーをつけたのがこの曲です」で幕を開けたのが『普通の女の子に』だった。

そのあと女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザなどなど日本中、世界中の矛盾・問題をこれでもか、これでもかと歌い上げる。コード進行が奇抜なわけでも、テクニックに活路を求めてもいない(もちろんテクニックが最上級であることは言うまでもないが)、総体としての「表現」としてのフォークソングは、聴取を圧倒する。

 

ピーター・ノーマン(写真左)。白人ながらも金と銅の黒人選手二人の行動を支持し、同じ表彰台で「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR)」のバッジを着けた

◆圧巻の『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』

中でも圧巻は、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』だ。17分に及ぶこのメキシコオリンピック200m表彰式で米国籍黒人選手2名が拳を突き上げ、黒人公民権運動の象徴であるブラックパワー・サリュートを行い、差別に抵抗する意思を見せた有名な出来事を「ルポルタージュ」方式に歌い上げた楽曲は、1年間高校で「現代社会」を学ぶよりも、多くの真実を詳細に伝えるであろう、まさに「武器」だ。歌詞の内容は敢えてここでは明かさないから、興味をお持ちになった読者諸氏はぜひ、中川さんのCD購入をお勧めする。

ただ、残念ながら、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』はCD未収録だが、中川さんの公式サイトによれば、次のURLから視聴できる。https://youtu.be/6LFg1iU6hjo

中川さんの歌は「みんな」が主語にはならない。だから世界に疑問や、怒りをぶつける楽曲でも「みんなで○○しよう」とはならない。ほぼ主語は「ひとり」、「あなた」、「わたし」要するに「個人」だ。ここがともすると一時の恍惚間に陥りやすい、安易な楽曲との違いだろう。聞き手を震わせるが「みんなで○○しよう」という「逃げ」を許さないから、震えながらも聞き手は、おっとりしていられない。厳しくも優しい、精鋭的でありおおらかな享受することが貴重な世界だ。

この日会場を訪れた人は全員、満足していたに違いない。


◎[参考動画]ピーター・ノーマンを知ってるかい(kazuma kuga 2018/07/24公開)

中川五郎さんHP GORO NAKAGAWA FOLK SINGER 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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