毎年、大晦日にはその年を回顧して、偏狭ながらわたしなりの総括を行う。ここ数年定例行事になっている。貴重な機会を頂いている光栄に、まず感謝せねばらならない。今年、この原稿は12月の中旬には骨子を完成しておくつもりであった。しかし、なかなか頭の中で〈核〉を見つけることができぬまま、あっというまに年末を迎えてしまった。

つまり、容易に総括が可能な1年ではなかったというのが結論だ。言い訳のようであるが、国内・国際ニュースから鹿砦社がかかわった諸事件やイベント、さらにはわたし個人が直面した出来事までをひとまとまりにして論じることが、ますます困難になってきている。

◆日替わりで登場する「姑息」な連中の跳梁跋扈は例年通りだが、
 どうしてここまで見え透いた、悪辣な嘘を平然と口にできるのか?

小情況に見受けられる、人間の「姑息さ」(狡さ)と、逆に「偉大さ」は相も変わらずである。どうしてここまで見え透いた、悪辣な嘘を平然と口にできるのか、と日替わりで登場する「姑息」な連中の跳梁跋扈は例年通りだ。見えやすいところでは、安倍晋三をはじめとする政権中枢に巣くう政治家どものレベルの低さと悪辣さは、昨年とさして比がない(ということは毎年この国の政治には欺瞞と虚構が堆積され、そこに『利息』としての副作用も上積みされている)。

あえて指摘すれば首相や大臣が明らかな虚偽発言や政治資金に関する不正に手を染めても、辞任や解任をされることがほぼなくなった事実は、特筆されるべきだろう。その背景には迫力の欠如が著しい、野党の体たらくと、権力監視機能をみずから放棄したマスコミの大罪。そして議会制民主主義の制度疲労(小選挙区制の弊害)及び、国民の決定的な政治・社会問題への無関心(その誘因たる、「政治無関心大衆」を作り出そうとした、教育行政、労働行政、マスコミ、腐敗した労組などが設定した「目標の結実」)も度外視はできない。そんな中、今年15名の死刑が執行された、冷厳な事実は忘れられてはならない。

◆末期資本主義に最も相応しい人物 ── ドナルド・トランプと安倍晋三

世界は、有り体な「力学」や政治学では説明がつかない時代に突入したようだ。トランプという大富豪が大統領に就任して、米国の政策立案プロセスは(それに対する評価は別にして)大きな変化を余儀なくされた。長官の去就が相次ぎ名前を覚えるのにも苦労するほどだ。ある意味では末期資本主義(新自由主義や新保守主義とも呼ばれる)に最も相応しい人物が、米国大統領として、米国の利益を口にしながら、その実、企業利益を最も重視して、朝令暮改を繰り返していると見るのが妥当かもしれない(そのような人物評価は安倍晋三にも当てはまるだろう)。

朝鮮の金正恩と急接近したのも、旧来の外交ダイナミクスからは想定され得るアクションではなかった。朝鮮半島の和平などトランプの主眼にはなかろう。どうすれば遅滞なく大企業、なかんずく多国籍企業の収益が最大化できるか。その為に中国が近く直面する国内の大混乱を予見できる人間であれば、朝鮮半島に担保を築いておくことは誰でも思いつくことだろう。

◆中国の矛盾と理性ある欧州という幻想

貧困層までスマートフォン決済が行き渡った中国は、経済的にゆるぎない大国にはなったが、この国では法律が機能しているとは言い難い面を持つ。力ずく、数の勢いで抑え込んでいる貧困問題、わけても農村の疲弊や、民族問題(チベット・ウイグル・内モンゴル)は、沿岸部の富裕層がいかに増えようとも、そんなところに処方箋はない。貧困層でもスマートフォンを持っているのは、中国では政変を多数経験した歴史から、通貨への信頼が薄いのと、国家が国民を管理する手っ取り早い手段である2つの理由からだろう。

間もなく頭打ちになる中国経済が、下降線をたどり始めたら、途端に国内矛盾は爆発するだろう。同国にあっては、この島国のように国民の意思や感情は骨抜きにされ、悪政に不感症ではない。世界はそのことを知っている。

欧州があたかも人類の先進的な理性を持つかのように語るひとびとが多いが、私は違和感を持つ。たしかに歴史的な蓄積により人権意識や、民主主義の概念を強く意識する人々が多いのは事実だろう。しかし、国家とはつまるところ暴力の独占体である。EUから英国が離脱するのは、「国家が国家たり得なければ納得しない」本質の現れであり、国境に出入国管理所を置かないEU諸国にしたところで、国家が包含する本質的な暴力性や、矛盾から自由ではありえないのだ。その証拠に世界の人権大国のように称されるドイツにも2011年まで徴兵制が存在したし、ドイツは現在もNATOに加盟しシリアへの派兵も行っている事実を示すことができる。

世界中のひとびとが、毎日何時間もスマートフォンの液晶を指で撫でる行為によって標準化されたように見える。情報処理速度が向上することへの無警戒さと、通信速度の高速化は、人間から思考・感情・体感を奪う。その成果(弊害)をもう十分すぎるほどわたしたちは目にしている。

◆2019年、あらゆる確かさはますます揺らぐ

2019年、あらゆる確かさはますます揺らぐ。不安定さは膨大な不毛な情報と、これまた不毛な各種イベントで隠し通うそうとされるだろう。

だが抵抗の手段はある。

超高速情報があふれるかのように誤解される日常にあって、立ち止まり、一人になってみるのだ。幻想としての濁流の中で立ち止まり、情報の濁流の川上を眺めてみるのだ。きっと思いがけない何かが見つかるに違いない。散々な時代だ。散々な2018年だった。希望や期待は語るまい。だが断言しよう。可能性はあると。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。来るべき年が、皆様に幸多き年でありますように祈念いたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

新年1月7日発売!月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』