平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

民江さんは、ありがたいことに足腰だけでなく内臓も元気なので、食事の量はいまだに若い人に負けません。先日もお昼に二人でうどん屋さんへ行き、私は五目うどんの単品を、民江さんはうどんと天丼のセットを注文しました。

民江さんの前に運ばれてきたお盆には、普通サイズのお丼が二つ。山の形に盛られたエビの天ぷらは、数えると五尾もありました。民江さんは店員さんを見上げてにっこり微笑んだかと思うとエビをパクリ。続けてパクリ、パクリ。そして、二杯のお丼をきれいに食べ切りました。昔から魚よりも肉が好きで、揚げ物が大好きで、食卓にいつもたくさんのお料理を並べてくれて、ご飯はお茶碗三杯食べていた民江さん、あっぱれです。

さて、気になるのは食事のマナーです。私たちは民江さんに厳しく躾けてもらったおかげで、人前でも恥ずかしくないマナーが身についたと感謝しているわけですが、その民江さんが幼い子供のような食べ方になってしまうとは、思ってもいませんでした。

まず何を食べに行こうかと聞けば、必ず「好き嫌いはないから、何でも食べる」と嬉しそうに言います。それでも気を遣って好みのお店に行き、席に着きます。メニューを見せると、「わからない」と言います。「それじゃあ……」と、二つか三つの候補をあげて、その中から選んでもらいます。

私は用心をして、民江さんが食べやすそうな別のお料理を自分用にオーダーします。お食事が運ばれてきます。店員さんが全部並べ終わらないうちに、手を伸ばして食べ始めます。右肘がテーブルについています。左手はテーブルの下にあります。
私のお料理を羨ましそうに見つめることもあり、そのような時は「こっちがいいの?」と聞くと、頷きながら手が伸びてきます。噛みにくい物は、口から出してお皿の上に落とします。お手拭きで鼻をかみます。食後のコーヒーにコップの氷を入れて冷ましたかと思うと、一気に飲み干します。そして、一呼吸することもなく鞄を斜めに掛けて立ち上がります。「待ってよ、私まだコーヒー飲んでるんだけど」となります。

ゆっくり味わっているようでもなく、美味しいとか不味いとか言うでもなく、お行儀の「お」の字も見当たりません。好きなものをむしゃむしゃ食べて、そして自分が食べ終わったら帰るだけ、そんな感じです。

まるで子供のような姿は、他の場面でも見受けられます。

突然「肩が痛い~」と畳に倒れ込んで叫んだことがありました。私が掃除機をかけていたので、大きな声で叫んだのでしょうけれど、演技じみていました。掃除の手を止めて、「よしよし、どこがどんなふうに痛いの?」となだめて、その日は病院のはしごをすることになりました。

アイスクリームが美味しいと思ったら、1日に10個でも食べますし、お寿司が食べたいと思ったら、何が何でも今すぐお寿司を買いに行かなくては気が済みません。私がどんなに困った様子を見せても、どうにかして買いに行かせようとします。「だって、食べたいんだもん」、「自分では買いに行けないんだから」、「行ってくれてもいいじゃない」、「私が買いに行ったら転ぶわよ」、「転んでもいいの?」と。

わかりやすいその場しのぎの言い訳や作り話(本人は全く悪気のない「作話」なのかもしれませんが)、嫌いな人の悪口の連発……ああ、勘弁してほしいと反射的に思います。

年を取ると子供に返っていくようだと聞いていましたが、目の前で自分の親が子供のようになっている姿を見た時は、笑うことなどできるわけがなく、なんとも言えない寂しさで胸が痛みました。

人は、子どもから大人になるにしたがって、他者を思いやる心を養うと同時に、体裁や常識を気にする心を備えて成長していきます。でも、さらに年を重ねると、良くも悪くも、子どもに戻っていくのでしょうか。こんなにストレートに感情を表現できるなんて、長く生きた人に与えられたご褒美なのかもしれません。

 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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