◆持って帰って来た黄衣

汗染みで臭くなってはいけないから洗っておきたい。しかし、アナンさん宅でこの黄衣をドーンと干していいものか。そんなの一般家庭で見たこと無い。黄衣は広げれば横幅250センチ、縦170センチある大風呂敷のようなもの。シャツやパンツを干すのとは違い毛布を干すほどの場所を奪う。上衣、下衣でかなりの場所を使ったが、かなり目立つ。

「まあ仕方無い、今日だけだ」と思うが、こんな黄衣をアナンさんが見つけると「何だ、持って帰って来てたのか?」と語気強く言われた。

私は「自分が使ったものは欲しかったから、また出家する人が居たら纏い方を教えてやろうと思ったんだ!」と素直に応えたが、何とも不可解な表情を浮かべたアナンさんだった。実はこれが後々の大問題だった。

疎い私は、なかなか気付かなかったことだが、その後もアナンさん宅に居て、どうも奥さんの様子がおかしいことに薄々気付いていく。

御飯時に声掛けられない、笑顔が無い、これは常ではなく冗談も言ってくれるから深刻には受け止めなかった。

敬虔な仏教徒のアナンさん。寺との繋がりは長い。1995年1月撮影

◆アナンさんの本音

そんなある日、どうも異様な空気が続くことが気掛かりで、アナンさんに尋ねてみた。

「俺、ここに居て何か間違ったことしているかな?しているならハッキリ言って欲しい!」と言うと、堰を切ったように「ハルキ、何でチーウォン(黄衣)とバーツ(お鉢)を持って帰って来たんだ? これは寺に置いて来るものなんだ。出家の記念品じゃないぞ! これが一般家庭にあるのはバープ(罰当たりなこと)なんだ! それから“もう一度出家したい”なんて言ってるが、出家は何度もやるもんじゃない。皆、社会人として一人前の男になる為に一度は出家するが、それで務めは果たし終えるんだ。二度目をやる者は、一時出家と違って藤川さんみたいに生涯を仏門で過ごす決意がいるんだ!!」

ハンマーで頭を打ちぬかれたようなショックだった。

アナンさんの言葉は正論だろう。黄衣やバーツを堂々と持って帰るなんて、俺は何と愚かなことをやってしまったのか。知らないことは大胆なことを平気でやってしまうものだなあ。記念に欲しいから分かっていても持って来たと思うが、見つからないよう隠して持って来ただろう。

それにしても誰も「それはダメだよ!」とは言ってくれなかった。こういうところはタイ人って他人に無関心なのである。人のやることを詮索しない。「チョークディーナ!」と言った挨拶の裏返しは、「黄衣、持って行っちゃったけど、日本人だからしょうがねえな!」だったかもしれない。

「藤川さん、こういうことを教えておいてくれよ」とまた人のせいにして嘆く。
更にアナンさんは「こういう物があるから、不吉な想いをしているのがオクサン(妻)なんだ。家族が事故にあったり選手が試合で怪我したり、何か悪いことが起きると悩んで元気を無くしている。」

そんなこと気が付かなかった。不機嫌そうに見えたのはそういうことだったのか。奥さんはアナンさんと友人関係にある私には直接言えなかったのだろう。日本人からみれば些細な問題も、生まれた時から敬虔な仏教徒の下で育てばそういう心が育つもの。逆にほぼ無宗教で育った私の方が常識知らずで異常なのかもしれない。
「とりあえず、このチーウォンとバーツは近くの寺に預けに行く!」と言うアナンさん。

それはもう返って来ないと悟った私は、「分かった、これを日本人の友達に預けに行くけどいいか?」と問うと、「この家から無くなればそれでいい」と応えられた。つまり、優しく柔軟に対処してくれたのだ。何が何でも「これは仏門の物、寺に返す」と言った意味ではない。私に逃げ道を作ってくれたのだ。

そしてまず、奥さんに謝った。
「ゴメンね奥さん、俺、何も知らなかったから、とんでもないことをしていた」と言うなり、「マイペンライ!」と笑顔で応える奥さん。大問題だったのに解決すればマイペンライ。こういうところは大らかなタイ人気質。こちらの家庭は上品な家柄だが、一般的なタイ人は時間にルーズだったり、約束守らなかったり、人の物勝手に使っても言い訳したり、イライラすること多いタイ人との付き合いに対し、こちらが間違ったことした際も“マイペンライ”にはずいぶん救われて来たものだ。

◆古き仲間

早速、私は思い当たる友人関係を思い浮かべる。出家前に春原さんと一緒に飯食った、青島さん、薬師寺さん、しかし急には連絡も取れない。いきなり持って現れても迷惑だろう。

次に、10年程前、私が初めてタイに来た頃の、かつてお世話になった空港近くのチャイバダンジム所属の選手が頭を過ぎる。立嶋篤史がタイデビューしたジムだ。比丘として列車に乗って、ノンカイとの行き帰りに空港近くを通った際も思い出した、駄菓子屋の可愛い子がいる集落にある。悩んでいる暇は無い。預かってくれるかどうかも分からないまま、とりあえず黄衣類を持ってアナンさん宅を出た。

日本のリングにも何度か上がったチャンリットさん。1990年5月撮影

チャイバダンジムはすでに閉鎖されているが、このジムに居たチャンリットという選手はほんの20メートル程先に住む女学生と結婚し、その家に住んでいる。何度か試合兼トレーナーで来日経験があり、習志野ジムとチャイバダンジムでは立嶋篤史の兄貴分トレーナーの一人だった。私とも長い付き合いで、お願いするのはこのチャンリットさんしかいなかったのである。

早速訪問すると、ほぼ家に居ること多いはずのチャンリットさんは、やっぱり娘さんと遊んで居た。娘さんは4歳で可愛い盛りだ。ほのぼのした親子の戯れに水を指すように早速、これまでの経緯を話した。

「分かった預かるよ!」。チャンリットさんは悩むことなくそう言ってくれてホッとした。

「確かに持って帰ってはいけない物だけどな!」と付け加えられたことはちょっと心が痛い。このチャンリットさんも敬虔な仏教徒だ。なぜこんな罰当たりな頼みを聞いてくれたかは、長い付き合いの中、持ちつ持たれつ助け合えた仲だったから。私がまだタイに慣れない頃、タクシーに乗る際、日本人と見るなり高値を吹っ掛けて来る運ちゃんに相場の値に抑える値段交渉や、取材の為、遠いジムまで連れて行ってくれたこともあった。また日本では私らが結構お世話をしてあげたから恩を返そうと思ったのだろう。しみじみと感じた恩だった。そして奥さんには内緒にするようお願いした。アナンさん宅にしても奥さんを悩ますことになってはいけなかったのである。そして、還俗直後に買ったカバンに黄衣とバーツを入れてガムテープで雁字搦めに封印し、“ハルキの日本へ持って帰る機材とフィルム”ということにして預かって貰った。

4歳の娘さんと戯れるチャンリットさん、優しいお父さんになった。1995年2月撮影

◆絶たれた一時再出家の今後

藤川さんに「再出家はもう一回やったら、足洗えんようなるぞ」と言われた意味もようやく分かった。鈍感だったなあ。また一時的再出家は絶たれたようなものだが仕方無い。

後日、日本に帰る前にもう一度、ノンカイに行ってみよう。今の私ではなく、将来、藤川さんと同じように、生涯を仏門で過ごす出家を目指すかもしれない。それと新たに日本人出家志願者が現れたら、そこで修行させて貰えるか交流を深めておこう。今後の展開は分からないが、修行ではない今、暫く旅を楽しんでみようと思う。

黄衣を干せるのはお寺の中だけ。一般家庭では見られぬ光景。1994年12月撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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