2005年12月に栃木県今市市(現在の日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が失踪し、刺殺体で見つかった「今市事件」。殺人罪に問われた勝又拓哉被告(37)は、裁判で無実を訴えながら一、二審共に無期懲役判決を受け、現在は最高裁に上告中だ。

この事件は冤罪を疑う声が非常に多いが、勝又被告の自白調書の内容を改めて検証したところ、自白が嘘であることを示す形跡が新たに色々見つかった。そのことを3回に渡って報告する。今回はその2回目。

◆20キロ程度の女の子を抱きかかえて運んだ!?

勝又被告の自白調書には、被害者の吉田有希ちゃんを車で鹿沼市の自宅アパートに連れ込み、様々なワイセツ行為をしたように供述した内容のものもある。その調書にも、自白が嘘だと示す大きな形跡があるのだが、ここで内容を詳しく紹介するのは適切ではないと判断した。

そこで今回は、勝又被告が有希ちゃんにワイセツ行為をした“後”のことを供述している2014年6月21日付けの自白調書(作成者は宇都宮地検の阿部健一検事)の検証結果を報告したい。

この調書によると、勝又被告は自宅アパートで有希ちゃんへのワイセツ行為を終えた後、60キロ以上離れた茨城県常陸大宮市の山中まで車で連れて行き、殺害したことになっている。

だが、有希ちゃんをアパートの部屋から連れ出し、出発するところの供述内容からして、早くも嘘っぽい。

というのも、この調書では、勝又被告が全裸の有希ちゃんの目、口にガムテープを貼り、さらに手首と足首にもガムテープを巻いたうえ、白色のフード付きジャンパーを頭からかぶせると、次のようなやり方で車に乗せたことになっているのだが・・・。

《私は、有希ちゃんを抱きかかえ、部屋から出て、駐車場に止めてあるカリーナEDの助手席に座らせました》

さらりと「抱きかかえ」などと書かれているが、有希ちゃんは当時、20キロ程度の体重があったのだ。そして、勝又被告の自宅アパートは、後掲の写真のような作りで、勝又被告が住んでいたのは2階の奥の部屋だった。

この部屋から体重20キロ程度の女の子を裸のまま抱きかかえ、外廊下や外階段を通って地上の駐車場まで運ぶことができるだろうか? 少なくとも、決して簡単ではないだろう。そもそも、仮に有希ちゃんを抱きかかえて運べるとしても、有希ちゃんに服を着せ、駐車場まで一緒に歩いて行かせたほうがはるかに自然であるはずだ。

勝又被告が事件当時に住んでいたアパート

◆現場の林道までの道のりの供述内容があやふやで・・・

さて、調書によると、勝又被告は午前0時を過ぎてから家を車で出発したように供述している。そして、茨城県常陸大宮市の山中にある殺害現場の林道で午前4時頃に有希ちゃんを殺害したことになっている。

ここで不可解なのは、自宅から殺害現場まで60キロ以上ある道のりについて、勝又被告の供述内容があやふやで、「国道123号線」を通ったこと以外では、何一つ具体的な道順を説明できていないことだ。実際にその供述を見てみよう。

《私は、地図でAと書いたあたりまで来たことは憶えていますが、その先のことはよく憶えていません。運転している最中に色々考えちゃって、わけわかんない道に入ったから、それで、とりあえず、どっか止められるところがないかと探して、今回の場所に行き着きました。そこが、私が有希ちゃんを殺害した場所です。アスファルトで舗装されていない、林道の途中のようなところでした。

私は、「ここだったら誰も来ない。ゆっくり考えられる」と思って、その場所に来ると、車を止めました》

この供述では、勝又被告は途中で道がわからなくなり、やみくもに車を走らせていたら、いつのまにか、現場の林道に到着したようになっている。しかし、この現場に一度でも行けば、この供述は嘘であることがわかる。

それは、現場の林道近辺の写真を見て頂けばわかりやすい。現場の林道は、車通りも人通りもほとんどない山奥の道路からさらに脇道に入り、坂を上ったところにある。その脇道の入り口は次の写真のような状態なのだ。

殺害現場の林道に続く脇道の入り口

このような草木の生い茂った道に、わけもわからないまま車で入っていく人間がいるだろうか?

さらにこの先の上り坂は、下の写真の通りだ。車1台通るのがやっとの狭い道は、落ち葉で埋め尽くされている。どんな場所かを事前に知らず、この道を車で上っていく人間はなかなか存在しないだろう。

何も知らずにこの道を車で上る人間がいるだろうか・・・

◆1000ミリリットルの出血がほとんど採取されていない・・・

調書によると、勝又被告は有希ちゃんを自宅から連れ出した当初、「遠くに連れて行き、そこで解放しよう」と思っていたが、現場の林道に到着後、次のように考えが変わったことになっている。

《このまま、有希ちゃんを解放したら、万が一、私のことなどをしゃべられたら、姉と母とか、妹たちが困ることになる。もうこのまま、殺すしかないと思いました》

調書では、このように考えた勝又被告が、車の助手席に裸のまま乗せていた有希ちゃんを林道に立たせ、胸をサバイバルナイフで10回刺し、殺害した――ということになっているのだが、どんな供述内容だったかを実際に見てみよう。

《私は、両手を使って、バタフライナイフの刃を出しました。私は、左手で有希ちゃんの右肩を押さえると、右手に持ったバタフライナイフで有希ちゃんの胸のあたりを刺し続けました。10回くらい刺し続けました。有希ちゃんが早く楽にならないか、何回か刺せばすぐに死んでくれるんじゃないか、苦しませないように。そう思って、刺し続けました》

勝又被告が犯人か否かはさておき、有希ちゃんの遺体が胸部などを刃物で10回くらい刺されていたのは、この調書の通りだ。

だが、遺体からは1000ミリリットルの出血があったと推定されるにも関わらず、林道では有希ちゃんの血液はほとんど採取されていない。勝又被告の自白の大部分を否定した控訴審判決では、殺害の場所に関する供述も信用性を否定されているが、それも当然のことだ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』(山田浩二=著/片岡健=編/KATAOKA 2019年6月 Kindle版)。

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