◆人生懸けた取組み!

藤川さんは巣鴨に数日滞在した後、京都の娘さんのところへ行き、巣鴨に戻って来られてからタイへ帰られたが、またまた話題を振り撒いて行ってくれた数日間だった。

滞在目的は昨年と同様だが、テーラワーダ仏教普及に務める関係者との交流と、御自身が仏陀に惚れ込んだ想いを、私のような頭の悪い騙され易い人物?に広める活動の一環であるが、日本人各々が抱える社会問題の悩みに救いの手を差し伸べてやろうという藤川さんの残りの人生を懸けた真面目な取組みがあるのも事実であった。

巣鴨駅前付近を歩く藤川さん

巣鴨の街を歩く藤川さん

◆朝の早くから成田空港へ

6月9日(1995年)は朝早くから起きるも、眠たくて行くのやめようかと思う。しかし飯食わせに行かねば。「俺ってお金無いのに何しに行くんだろ!」と思う。

日暮里から京成電車に乗って成田空港に7時過ぎに1時間以上早く着いた。バングラディッシュ航空便で朝8時10分着と言っても到着ロビーに出てくるのは30分ぐらい後だろうとのんびり待ってたら、出てきました一際目立つ黄色い悪魔が。いや、やっぱり茶色かった。ワット・タムケーウからネイトさんとバンコクに向かわれてから4ヶ月半ぶりの再会。そんな懐かしさを持って藤川さんに近づいていくと、先に女子大学生風の美女二人が藤川さんに近づいて挨拶した。

はあ? 比丘に美女? しかしそれは出家前の藤川さんならありそうな、タイ人水商売風ではない清楚な美女。やがて藤川さんは私に気付き、「おお、お前、顔つき変わったなあ、雰囲気が前と違う、やっぱり成長したんやなあ!」と余計なお世辞から来た。

「そんな訳ないでしょ、髪は伸びたし俺は相変わらず三畳間暮らしの借金抱えた貧乏人に戻りましたよ!」とは応え、改めて「こちらの女性は?」と聞くと、以前、俗人時代にタイで会ったことがあって、昨年泊まった巣鴨のアジア文化会館のロビーのソファーに座っていたら、ここの泰日経済技術振興協会のタイ語学科に通う女子大生姉妹と偶然再会し、こんなタイの坊主の格好している驚きから話が弾んだらしい。

そしてこの縁を逃がすまいと思ったか、「今年も同じアジア文化会館に泊まるから迎えに来てくれへんか!?」と連絡していたようだ。去年は町田さんが待っていたし、「何だ、こんな段取りがあるなら俺、来なくてもよかったじゃないか、2年連続して!」と文句言うと、「まあええやろが、何人かに声掛けとけば誰か来るやろ!」相変わらず勝手な言い分である。

この女子大生姉妹も藤川さんのオモロイ話に惹かれ、食事を捧げに行ってやらねばと思ったのだろう。でも今に分かるだろう、引っ張り回される鬱陶しさを。

とにかく先に朝食をと思ったら、この姉妹、お金持ちなのか、ベンツで迎えに来て居られた。

「食事は朝昼兼用で一回でええよ!」という藤川さん。高速を走り、都内に入ってから営業しているお店を見つけどこかのレストランに入った。店内の「何だこの組み合わせは!」というような視線。親子でも兄妹でも恋人にも見えない我々4名である。食事を捧げる儀式は姉妹に任せてみた。慣れないなりにも藤川さんが広げたパープラケーン(寄進用黄色い布)の上に興味津々に食事のトレーを載せてタンブン。姉妹とオモロイ存在の藤川さんとは相性がいいようだ。

アジア文化会館前から裸足になっての出発前

◆巣鴨で剃髪

この翌日のこと、「今日は満月の前日やさかい頭剃らなイカンのやが、お前剃れるか?」と言う藤川さん。

「どこで剃るんですか? そんな場所無いでしょ、床屋でやってくれるんじゃないですか?」と言うと「ホンナラそこでええわ、行こ!」とこの巣鴨の通りにある床屋さんに入った。すると小奇麗なオバサンがやって来たところで、「ワシ、タイで坊主やっとるんやけど、戒律で女性に触れること出来んのや、男の人に頼めるけ?」

“なんか怪しいオッサン”と思ったかどうか分からないが、嫌な顔はせず、男性店員さんが出て来てくれた。店長風の気品あるオジサン。バリカンで刈った後、シェービングクリームを頭に塗って、眉毛も含めてカミソリで剃り始めた。“速い上手い”である。少々、滲む程度の出血はあったが、メンソレータムをちょいと塗ってくれて終了。ここは藤川さんが自腹で払った。

「ワシらタイの坊主は頭に虫食われるし、ワシは小さい吹き出物傷はあるから切れるのは当然や、でもあの床屋のオッサン上手いわ、剃り味がワシらと全く違う、“ジョリジョリ”やなく“スススーッ”と滑るような剃り味やった。気持ち良かったあ、さすがプロやな!」。毎月タイの寺に来て欲しそうな顔である。

床屋さんで気持ち良さそうに剃髪する藤川さん

巣鴨でサイバーツを受ける藤川さん

◆巣鴨で托鉢

更にその翌朝6時半頃、アジア文化会館に向かうと、藤川さんは托鉢に向かう準備をしていた。これは予定したものだが、これを撮影させて貰う。藤川さんの托鉢を撮影するのは2回目だな、これが日本でのことになるとは。

巣鴨の早朝の街を托鉢して、サイバーツ(寄進)に出会う確率は1パーセント未満だろう。巣鴨住民が見れば、「また頭のおかしいオッサンがおかしいことやってる」としか思わないかもしれない。

でもそんな他人の目など気にする藤川さんではない。そんな托鉢を待ち構える“ヤラセメンバー”は揃っていた。裸足になってアジア文化会館を出て、巣鴨駅周辺まで歩き、戻って来るコース。成田空港まで出迎えた女子大生姉妹の妹さんの方とその友達、そしてもう一人、タイ仏教に関心を持ち、すでにタイで一度出家経験があるオジサンが道端でサイバーツを待ち構えた。最後に私もカメラを置いてサイバーツ。

藤川さんの歩く姿はワット・タムケーウ周辺を托鉢する姿と変わらなかった。やや俯き気味でも足下気にすることなくやや早足で進む。私は道路にガラス片など危険なものが落ちていないか気になった。日本の道路は舗装はキレイだが、細かいガラス片や洗濯挟みの砕けた破片やホッチキスの針など落ちている可能性がある。

タイの道路は汚れがあったり、舗装は徹底されていなくても散乱物は少ない。それはペッブリーでの托鉢で、毎朝掃き掃除しているオジサンや手伝っている子供をよく見かけていた。托鉢する比丘の為、習慣化した配慮があるのだろう。幸い、巣鴨の道もキレイだった。

サイバーツを受ける、通行人から見れば異様な光景

道はキレイだった巣鴨の道

もう少し東南アジア系の外国人が喜んで寄って来ないかなとわずかな期待を掛けたが、このメンバー以外にサイバーツする人はいなかった。これが新大久保だったらまた違った状況になっていたかもしれない。

サイバーツされた食材は、しっかりしたお弁当風の包み。アジア文化会館ロビーに帰って皆を集めて朝食に着いた藤川さん。お得意の説法(雑談)をしながら食事を進めた。その辺が楽しめる会話ではある。

私は帰国直後の4月下旬に、得度式を撮影してくれた春原俊樹さんには電話して帰って来たことを報告し、得度式のフィルムを頂く為に、都内のタイ料理屋で再会していた。そこで、

「春原さん、6月に藤川さんが日本に来ますが、会いますか? 無理しないでね、利用されるだけだから!」と言ったが、「行く行く、オモロイから!」と再会にノリノリであった。

そしてこの托鉢した日の御昼前、昨年と同じ巣鴨駅前で待ち合わることになっていた。私の出家反省会となって、また私のこと笑って盛り上がるのだろう。私は「藤川ジジィを懲らしめる会!」を(冗談だが)立ち上げてやろうかと思うところだった。

振り返る人もいる異様な姿

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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