◆コンピュータは「絶対ではない」と強調──石川達紘被告

11月26日、暴走死亡事故の被告・石川達紘被告(81歳・弁護士・元東京地検特捜部長)の裁判が大詰めを迎え、最終意見陳述が行われた。起訴内容は自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)である。

石川達紘被告

その陳述の中で、石川被告はこう述べた。

「若い頃、ロッキード事件がありまして──」

事件とは無関係のことだが、さらに裁判長に向かって、こうつづけた。

「『新しい飛行機は不具合が生じる』『コンピューターは絶対ではない。最後は人が操作するのだ』と聞いた。釈迦に説法ですが、そのことを申し上げたい」

周知のとおり、ロッキード事件は石川被告が若いころに捜査にかかわった事件である。その「業績」を裁判長におもんぱからせながら、コンピュータは絶対ではないと強調したのである。

石川被告の事件後の言動を再録しておこう。

「はやくここから俺を出せ!」※通行人に向かって、被害者(死亡)を気遣うこともなく、自分の救出を命じたのだ。その上級国民ぶりはすごい。

そして、「車に不具合があり勝手に暴走した。(石川の)過失はなかった」「自分ではなくクルマが悪い(故障した)」と、今日まで明言している。事件の日、石川は若い美女とゴルフに行く途中だった。

◆被害者遺族への謝罪なし──飯塚幸三被告

12月3日、暴走事故で9人を死傷させた(死者2名)被告・飯塚幸三の裁判も、証人調べの段階に入った。この日は現場に居合わせた3人のドライバーが証言台に立ち、飯塚被告のクルマが「加速していった」「ブレーキランプは点いていなかった」と、それぞれ証言した。3人は飯塚被告のすぐ後ろを走っていた証人である。警察の実況検分でも、ブレーキ痕はなかったことが確認されている。

飯塚被告の事件後の言動も再録しておこう。

「アクセルがもどらなかった」「フレンチ(食事の予約時間)に遅れるから急いだ」「メーカーは老人が安全に乗れる自動車を造るよう、心がけてほしい」
であった。

3人の証人の証言が明らかになった公判後、松永真菜さん(当時31)と長女・莉子ちゃん(当時3)を亡くした遺族の松永拓也さんは、報道陣の取材にこう答えている。

「あくまで私の印象ですが。最初は(飯塚被告が)私の方を見ているのかなと感じました。ただ、現場の状況を示す地図がモニターに映った時だけ顔を上げていました。この方は私を見るのではなく、おそらくこの事故が自分に有利になるには(どうすればよいか)ということ、自分の裁判の行方に頭を巡らせていたのではないかと感じました。モニターから地図が消えた時には目を伏せていました」

「前回(10月8日)の初公判では、私の調書が読み上げられた時には一度も顔を上げませんでした。今日は地図が出た時には顔を上げていました」

「この方は私たち遺族のことは頭にないんだなと思いました。(遺族の顔を)見られないというのもあるかもしれませんが」

 と、被告と心が通じないもどかしさを語った。

「私は裁判前からずっと、2人の命と私たち遺族の無念と向き合ってほしいと言い続けていますが、現在もそれは感じられません。私も残念です」

「淡々と自分の裁判をこなしているような印象を受けてしまいます。入廷時、退廷時も目線を合わせることはありませんでした」

そして、証言についてはこう語ったという。

「証言してくださった方々の言葉は非常に重いものでした」

被告の無理な運転で亡くなられた犠牲者、被害者遺族の思いを考えると、暗澹たる気分になる。飯塚被告は、松永さんに正式な謝罪もしていないのだ。自分の責任ではないのだから、当然だと考えているのだろうか。


◎[参考動画]池袋事故裁判 後続ドライバーが語る事故の衝撃(TV東京 2020年12月4日)

◆オートマのミッション故障は起きるのか?

ふたつの裁判の争点は、石川被告と飯塚被告が、ともに「アクセルがもどらず、ブレーキが効かなかった」「オートマチック(コンピュータ)の故障ではないか」と主張しているところにある。それでは、じっさいにギアミッションのコンピュータは故障するものなのだろうか?

踏み間違いではない、オートマギアの故障による事故は起きていない。正確に言えば、これまでに立証されていない。だが、理論的にはありうるという。

ガソリンエンジンの自動車の場合、ブレーキのパワーアシストは吸気ポートの負荷サーボであるという。ブレーキそのものがパワーブレーキなのである。

何らかの原因でエンジンが全開になった場合、この吸気ポートの負荷が発生しなくなるという。したがって、ブレーキの踏み込みがかなり重くなるはずだというのだ。

ここでいう「何らかの原因でエンジンが全開になる」という状態は、どういうケースなのだろうか。この点について、専門家に意見を訊いてみた。

コンピュータ式のギアミッションに可能性があるとすれば、コンピュータに激しい電磁波を当てるとか、クルマが被雷する(ゴムタイヤのクルマは通電しないので、被雷もしない)。ようするにコンピュータを電気的に破壊することでしか生じないというのだ。あるいは、数十万キロ走ったり、完全に機械的に壊れた結果(廃車状態)なら、何が起きても不思議ではないが、そもそも車検に通らないだろうという。それゆりも先に、シフトレバーがスライドしなくなったり、固定できなくなったりするという。そういう例は、わたしも知人のクルマで知っている。経年劣化による部品の故障である。

だが、そもそも一件でも車検OKのクルマで、オートマのギアミッション事故が起きていれば、その車種がリコールされるどころではないだろう。クルマ社会が成立しないはずだ。その意味では、石川被告と飯塚被告の主張が立証された場合、交通史を根底から変えるほどの事件となるはずなのだ。ぎゃくに言えば、かぎりなく立証不可能に近い。

直近のものではないが、関連する事故統計があるので確認しておこう。

警察庁の統計によると、2015年(平成27年)の日本国内でのブレーキとアクセルの踏み間違いによる死亡事故は58件だという。そのうち65歳以上の高齢ドライバーが50件である。

2013年(平成25年)の統計でも、ブレーキペダルとアクセルペダルの踏み間違いによる人身事故は6,448件発生し、死者は54人であったという。いずれもオートマ車による踏み違い事故である。

これに対して、マニュアル車の踏み違い事故はゼロである。したがって死者もゼロである。この統計を見るならば、オートマ車そのものが「踏み間違いを誘引する」不良車ということになるのだろう。

◆自動車社会を変える裁判になるか?

やや論点はちがうが、自動車社会そのものが危険だと、わたしは警鐘を鳴らしてきた。50歳代に自動車運転の危険性を直感し、わたしは自転車に乗り換えた。地球環境と健康という、今世紀の人類が見出した価値観に視点を合わせると、自動車こそ最悪の選択で、自転車こそ時代のニーズにかなっていると考えるからだ。

モータリゼーションそのものが危険きわまりない社会システムであり、ましてや運動能力と判断力の低下した80歳以上がドライブをする危険性を指摘した記事を、お時間がある時に参照してほしい。

『元東京地検特捜部長の石川達紘被告と元通産官僚の飯塚幸三被告 「上級国民」自動車事故裁判で「悪いのは自動車メーカー」か「逮捕されない叙勲者」たちか?』(2020年2月26日)

ふたつの裁判は、自動車資本主義という20世紀の遺物を批判するものでもあると思う。そして同時にそれは、上級国民という日本社会のひずみを暴くものでもある。かたや検察のエリートとして辣腕をふるい、かたや通産官僚として霞が関に君臨してきた。ふたりとも叙勲を受けた選良であり、逮捕すらまぬがれた上級国民なのである。裁判のゆくえに注目したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他