2011年3・11東日本大震災‐福島第1原発事故から10年が経ちました。長いようで速かった10年でした。

3・11後、私たちは本誌の前に書籍を数点出しましたが、福島の復旧・復興と共に、福島の想いをわがものとして福島現地からの生きた報告を中心に定期的に発行していこうという決意で後先顧みず本誌を創刊しました。3・11から3年半が経った2014年8月のことでした。

これ以前に、震災後の2011年暮れから福島を忘れないという決意で、魂の書家・龍一郎の力を借りて「鹿砦社カレンダー」を制作し、(当社、たんぽぽ舎への)本誌や『紙の爆弾』の定期購読者、ライターや書店の方々らに無料頒布してまいりました。好評で、当初1,000部から始め現在は1,500部、来年版は1,700部の予定です(内容は毎月1日の「デジタル鹿砦社通信」をご覧ください)。

本誌は、まだまだ採算には乗りませんが、何度も繰り返し申し述べているように、たとえ「便所紙」を使ってでも継続する決意です。

この10年にはいろいろなことがありました。私たちにとって最もショックだったのは、本誌の精神的支柱だった納谷正基さんが急逝されたことです。納谷さんは、お連れ合いが広島被爆二世で若くして亡くなり、その遺志を全うするために、生業の高校生進路指導と、この宣伝媒体のFM放送(仙台)を行っておられ、なんとこの場を使い原発問題を語っておられました。少なからずのバッシングがあったということですが、我関せずで持続しておられました。“志の頑固者”です。本誌の趣旨をも理解され2号目から連載を続けてくださり、毎号100冊を買い取り、学校やFM視聴者らに配布しておられました。

その納谷氏も3年近く前に亡くなられ、娘さんが遺志を引き継ぎ、放送枠を半減させたりして頑張ってこられましたが、矢も底を尽き、この2月、3・11から10年を前にして終了となりました。このかん、どんどんスポンサーは離れ、最後まで支えてくれたのは関東学院大学だけだったということです(あえて名を出させていただきました)。本誌は、そうした納谷さんの遺志を継続することを、あらためて誓います。納谷さんの言葉(警鐘)を1つだけ挙げておきます。──

「あなたにはこの国に浮かび上がる地獄絵が、見えますか?」

この10年の活動で、原発なしでも日本の社会や私たちの生活はやっていけることがわかりました。もうひと踏ん張り、ふた踏ん張りし続け、この国から原発がなくなるまで私たちは次の10年に向けて歩み続けなければなりません。本誌は小さな存在ですが、志を持って反(脱)原発運動や地域闘争に頑張っておられる皆様方の、ささやかな精神的拠点となっていければ、と願っています。

2021年3月
NO NUKES voice 編集委員会

『NO NUKES voice』Vol.27

3月11日発売開始 『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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読売新聞が3月7日、ホームページで次のような記事を配信していた。

【独自】米大統領選のデマ発信サイトに大手企業の広告…銀行や車など10社

記事によると、昨年のアメリカ大統領選で「不正があった」というデマが日本のSNS上で拡散したが、多くのデマの発信源となった「まとめサイト」に少なくとも10社の大手企業の広告が表示されていたという。記事では、各企業の反省のコメントも紹介されており、要するに同紙は「大手企業がデマを発信するサイトに広告を表示させるべきではない」と訴えたいようだ。

これは壮大なブーメランではないだろうか。筆者は率直にそう思う。これまで様々な冤罪事件を取材してきた中、読売新聞を含むマスコミ各社の酷いデマ報道を数え切れないほど見てきたからだ。

デマ発信サイトを叩く読売新聞の記事(2021年3月7日付)

◆冤罪の西山美香さんを「殺人犯」と決めつけていた読売新聞

たとえば、滋賀県の元看護助手・西山美香さん(41)が昨年、再審で無罪判決を勝ち取った湖東記念病院事件に関する読売新聞の報道もそうだった。

西山さんは2004年7月、男性患者の人工呼吸器のチューブを外して殺害した容疑で逮捕され、裁判で懲役12年の刑を受けて服役。再審請求後、弁護側の調査により男性が本当は「病死」だったと証明され、逮捕から実に16年で雪冤を果たした。

同紙は2004年、この西山さんが逮捕された際にこう報じている。

滋賀の病院で呼吸器外し患者殺害 容疑の元看護助手を逮捕 待遇に不満
(大阪本社版2004年7月7日朝刊1面 ※「ヨミダス歴史館」より)

実際には、患者の死因は「病死」だったのに、「殺害」と決めつけている。しかも、西山さんが動機について「病院の待遇に不満があった」と虚偽の自白をしていたことについて、「待遇に不満」と地の文章で書いている。これでは、西山さんが本当にそういう動機で患者を殺害したかのようだ。

さらに同紙は翌日に出した続報で、次のように報じている。

患者殺害の西山容疑者「看護師に見下され…」先月、出頭し自供
(東京本社版2004年7月8日朝刊35面 ※「ヨミダス歴史館」より)

「患者殺害の西山容疑者」は、西山さんのことを完全に殺人犯と決めつけた表現だ。この記事を目にした世間の人たちは西山さんがクロだと思い込んだことだろう。

読売新聞が「デマを発信したメディアに、大手企業の広告が表記されるのは問題だ」と考えているのなら、まずはこのような記事を出した自社の紙面を見直し、広告を出している企業にコメントを求めるべきだ。

◆新聞社はネットメディアの不正確さを叩くことが多いが…

おそらく筆者がここで指摘したことは、筆者以外にも気づいた人が多かっただろう。新聞社は重大な冤罪が明るみに出るたび、冤罪を生んだ捜査や裁判を批判するが、実際には新聞社自身、冤罪被害者が逮捕された際に犯人と決めつけた報道をしていることは一般常識だからだ。

新聞社は自分たちの権威を保つため、ネットメディアの不正確さを叩くことが多いが、そんなことをしても権威など保てないからやめたほうがいい。それよりも、重大な冤罪が明るみに出た時などには、捜査や裁判の問題より自社の報道の問題を検証したほうが、よっぽど社会の多くの人から信頼を得られそうだし、長い目で見れば得なのでないだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家の生まれで、上野着の集団就職組。板橋の段ボール工場の工員だった苦労人、実行力の人という菅義偉は、しかし悲しいほどのポンコツ政治家だった。これはもはや、政治に関心のある国民のみならず、自民党内でも後継政権が取りざたされるほどの評判になってしまった。

予想以上のコロナ禍のもと、学術会議任免問題でのつまづき、Go To キャンペーンでの失政(時期尚早と中断の遅れ)など、みずから招いた政治危機とはいえ、事務屋が営業職になった適材性のなさ、あるいは裏の顔がオモテに立たされた悲劇ともいえる。

◆野党連立は実現するか? 小沢一郎の読み

その結果、政権交代の展望までが語られるようになったのだ。いや、9月段階で今日の政権末期症状を読んでいた人物もいたのだ。その人物は総選挙にむけた野党共闘が順調にすすみ、メディア向けの選挙・世論調査データを踏まえたうえで、野党連立として枝野政権が誕生すると予告している。しかもそれは、総理が交代した昨年、9月のことなのだ。

その人物とは、政権交代の請負人を自称し、なおかつ政権の壊し屋の異名をとる小沢一郎にほかならない。

昨年の「週刊朝日」(2020年9月18日号)から、田原総一朗との対談を引用しよう。

「小沢 安倍政権の数々の問題、森友問題も桜を見る会も、そして河井夫妻のスキャンダルも、政権がひっくり返って枝野(幸男・立憲民主党代表)内閣になれば、すべて明るみに出ますよ。」

「田原 玉木さんと会ったら、自民とも維新とも組まないし、枝野さんともけんかする気はないと言っていた。まあ、いいとして、非自民政権はこれまで2回とも小沢さんがつくった。1993年の細川内閣と、2009年の鳩山内閣。多くの国民は3度目を期待している。
 小沢 三度目の正直です。何としても、その期待に応えたいと思っています。」

「田原 小沢さんには全面的に期待がかかっている。小沢さん、連立政権をつくるために何をどうする。
 小沢 連立!?
 田原 立憲・共産。
 小沢 共産党と? 共産党と連立になるかどうかはわかりませんが(笑)。志位さんは連立って言っていましたか?
 田原 もちろん、大賛成だって。志位さんが一番尊敬している政治家は小沢さんだと言っていた。」

◆小沢一郎と志位和夫の「政権奪取宣言」

小選挙区での野党候補一本化は、独自候補を擁立できる共産党との提携がネックである。自公連立に伍するには、立民共+新選が不可欠である。

上記の「志位さんが一番尊敬している政治家は小沢さん」という田原総一朗の言葉をうけて、BS-TBSが、小沢一郎と志位和夫の「政権奪取宣言」を特集した。

すでに臨時国会の首班指名選挙で、志位和夫が立憲民主の枝野幸男に投票するシーンが映像に収められていた。

「松原耕二キャスター 日本共産党にとっては、ある種の歴史的な一票ですね。
 志位 歴史的に初めてです。それから、今回大事なのは、共産党が入れただけではなく、野党が全部入れたことです。国民民主党も社民党も『れいわ』も入れました。碧水会や沖縄の風も入れました。オール野党で一本化しました。」

「小沢 2009年の総選挙で、自民党は280以上から120になった。民主党は120から300以上になったんです。(立憲民主党は)衆院で100以上ですから。(政権をとるための)基礎的な数字としてこの数字は十分な数字なんです。しかもオール野党が一緒になるということ自体が、とてもいいことなんですね。」

「小沢 次の次(の総選挙で政権交代)という人はいますが、野党は『次の総選挙で政権をわれわれはとる』、そして『われわれの主張を実現する』と(言うべきだ)。それが“次の次の選挙でもいい”なんていう野党がいますか。そんなことで、国民は受け入れないですよ。」

「志位 私は、小沢さんの発言は当然だと思っています。やはり野党として、『次の総選挙で政権交代を実現する、政権をとる』。この本気度をバチッと示してこそ国民は真剣に耳を傾けてくれると思います。」

「志位 共産党も含めて野党は力を合わせて連合政権をつくるということです。私たちが閣内に入るか閣外かはどちらでもいいです。しかし連合政権をつくり、この国をよくするというところまで踏み切ってほしい。その政治決断をやってほしい。」


◎[参考動画]【野党共闘キーマン!小沢一郎・志位和夫が語る】報道1930まとめ2020年9月24日放送(BS-TBS公式チャンネル)

◆注目の4月補選とれいわ新選組山本太郎の動き

小沢一郎のお手並み拝見といったところだが、もうひとり、目を離せない人物がいることを、読者諸賢はご存じのことであろう。

何かとそのパフォーマンスが誤解を呼び、あるいは当初は最優先の政策であった原発廃止が後景化されるなど、選挙放心も批判される人物だが、その果敢な積極性がいまなお求心力を増している。

そう、れいわ新選組の山本太郎である。

昨年中には総選挙の立候補予定者19人を発表し、今年に入って都議会選挙立候補者を最小5人、最大10人立てると宣言した。

そして、公選法違反有罪で河井案里が自動的離職となった広島参院選挙区でも、れいわ新選組は立候補者を公募している。のみならず、公募で有力候補が得られなかった場合は、山本太郎がみずから立候補することも排除しないとしているのだ。
4月25日は衆参補選である。

衆院北海道2区は自民党の吉川貴盛元農水相の収賄事件(在宅起訴)を受けての、与野党一騎打ち(現状では野党候補一本化の途上)。参院長野選挙区は、コレラ死した羽田雄一郎の弔い選挙として、実弟の羽田次郎が立候補する。ふたつの選挙は自民敗北が濃厚で、広島参院選挙区が菅政権の正念場ということになる。

すでに1月の北九州市議選では、自民党の現職が6人落選するという惨敗だった。山形県知事選でも立憲系の吉村美栄子が40万票対17万票(自公系)で圧勝している。

4月補選、7月の都議会選挙で自民党が大敗すれば、菅おろしが始まるとこの通信でも何度か力説してきたところだ。泥舟的にでも東京オリンピック・パラリンピックが開催されるとしても、7月の都議選に総選挙を重ねることは、公明党の要請で不可能である。

そして五輪強行のツケが政権運営を破綻させ、菅おろしという党内の醜い抗争が露呈したとき、国民の自公政権離れは必至である。

そこで、三度目の政権交代が実感をもって感じられる。その成否のカギを握っているのが、小沢一郎と山本太郎であることを指摘しておこう。


◎[参考動画]財源は!? 毎月1人10万円給付は可能か?お答えしましょう! 山本太郎(れいわ新選組 2021年2月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

1999年10月、埼玉県上尾市の女子大生・猪野詩織さん(事件当時21)がJR桶川駅前で風俗店店長の男に刺殺された桶川ストーカー殺人事件。大変有名な事件であるにもかかわらず、意外と知られていないことがある。

それは、事件の「首謀者」とされる元消防士の無期懲役囚・小松武史(同33、現在は千葉刑務所で服役中)が一貫して冤罪を訴え、さいたま地裁に再審請求していることだ。

筆者はこれまで、この小松の冤罪主張には信ぴょう性があることを当欄で繰り返しお伝えしてきた。

まず何より、猪野さんに対し、ストーカー化していた風俗店経営者の小松和人(同27、指名手配中に北海道で自死)ならともかく、その兄である武史には、猪野さんを殺害する動機が見当たらない。加えて、捜査段階に「武史に被害者殺害を依頼された」と供述し、武史を有罪に追い込んだ実行犯の風俗店店長・久保田祥史(同34)も実は裁判で「本当は武史から被害者殺害の依頼はなかった」と“告白”しているのだ。

懲役18年の判決を受けた久保田が宮城刑務所に服役中、筆者が久保田と文通し、事実関係を確認したところ、久保田は“事件の真相”について、次のように説明した。

「あの事件は、和人の無念を晴らすため、自分が一人で暴走してやったことです。取り調べに対し、武史から被害者の殺害を依頼されたと供述したのは、犯行後、和人と一緒に風俗店を経営していた武史にトカゲのしっぽ切りのような扱いをうけ、復讐しようと思ったからです」(要旨)

このような事実経過からすると、武史について冤罪を疑う声が聞かれないのはむしろ不思議なくらいだと言っていい。

武史から先日、私のもとに届いた手紙には、捜査と裁判の“内実”が改めて生々しく綴られていた。ここで紹介させて頂きたい。

◆警察の調べは、「オラー、てめー、このヤロー」の連続

武史は警察で受けた取り調べについて、今回の手紙にこう書いている(以下、〈〉内は引用。明らかな誤字、明らかに事実と異なる部分は修正した。また、句読点は読みやすいように改めた)。

〈警察の調べは、デタラメどころでなく、せまい2畳の調べ室に、6人の刑事が来てたり、暴言どころでなく、ずっと「久保田がこう言ってる、てめえが殺しを指示した」や「本当は、弟でなく、てめぇーが女と付き合ってたんだろう~が」や「てめぇは、飯食えてい~よな、死んだ女は、飯も食えねえんだョー」。私が39℃の熱があろうが、抜く歯の痛みがあろうが、30kgやせようが、久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せないの一点張り、、、弟の北海道の逃げてる話や、自殺してしまうとうったえても、ゲラゲラ笑って「今更、てめえの弟が出てきても、面倒なだけだろーが」や「誰も、弟の事など、話してねえよ、テメェーの女だったんだろーが、そんでなきゃ殺す訳ねぇーだろうが」の一点張りでした。調書など、毎日、刑事が作って来てた作文に、印を押せの、デタラメな調べでした。「オラー、てめー、このヤロー」の連続〉

ここで注目して頂きたいのは、武史が刑事から〈久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せない〉と言われたという部分だ。武史がこのようなことを書いているのは、久保田が当初、「武史から被害者の殺害を依頼されたのは、タクシーに乗っていた時だった」と供述していたためだと思われる。

そもそも、武史が久保田に殺害を依頼するなら、運転手のいるタクシーの車内ですること自体が不自然だ。これも筆者が武史の冤罪主張に信ぴょう性を感じている理由の1つだ。

続いて、武史は検事の取り調べについて、こう綴っている。

〈私が、上尾警察署員は弟の店の会員ばかりで、私に話して来てた署員(「弟さんの店、残念でしたね、良い店で我々の内でも、有名だったので、かわりに、どこか他の店を紹介して下さい」)の話を検事にすると、初めは、そんな訳ないと言ってたのが、2日後の護送から、メンバーが全員変わるほどだったのと、検事の調書は一枚も出来あがらず、検事は怒ってたのと、デタラメ調べでした〉

猪野さんが事件前、家族と共に埼玉県警上尾署に対し、和人らからのストーカー被害を訴えていたにもかかわらず、まともに取り合ってもらえなかったことは有名だ。上尾署の動きが鈍かったのは、署員が和人の営む風俗店とズブズブの関係にあったからだという説はかねてより「噂話」レベルで存在していた。

武史がここで書いていることは、必ずしも趣旨が明確ではないが、この「噂話」を裏づけている内容と言える。武史の言うことを鵜呑みにするわけにもいかないが、見過ごしがたい話ではある。

武史から届いた手紙

◆判決を早く出したかった裁判長が「まともな判事」をコウタイした

武史は裁判についても当然不満を抱いており、こんなことを書いてきた。

〈裁判長の川上は、私の裁判が終ると、早稲田大学の法学学術院(母校)の学長に付くのが決まっていたそうで、弁護士の刑事事件専門の荻原先生に言わすと、何十年と見て来た、川上裁判長らしくないと言ってました。判決を早く出したいのと、検事の言う事しか聞かないと言ってたのと、右のバイセキの下山判事だけ、久保田や伊藤の言う事があまりに矛盾してたので、しょっちゅう「信じられないから、伊藤さんに訊きますが、殺人の謀議を、何一ツ覚えてない人が、検事のケイタイ一覧を見せられ、なぜ?一ツ、一ツの会話を覚えているのか?(通常会話を?)信じられない」と言ってた、まともな下山判事を、川上裁判長は、コウタイしてました。判事も、何が何でも、検事と久保田の証言で、有罪にしたいのが見え見えでした〉

ここに出てくる川上(拓一)裁判長は、たしかに武史らの裁判を担当したのち、早稲田大学の法学学術院で教授職に就いている。「学長」を務めていた事実は確認できなかったが、「裁判長は次の仕事が決まっていたから、判決を早く出したがっていた」「そのために、まともな判事をコウタイさせた」という武史の推測は、まったく根拠がないわけでもない。

一方、ここで出てきた伊藤とは、久保田が猪野さんを刺殺した際、現場に同行した共犯者の伊藤嘉孝(同32)のことだ。伊藤も和人の営む風俗店で働いていた男だが、逮捕されると、「被害者への嫌がらせはすべて武史の指示によるものだったので、久保田から被害者を殺害すると聞いた時、今回も当然、武史から久保田に指示があったと分かった」と供述し、「武史=首謀者」だとする久保田の供述を裏づけていた。久保田が裁判で当初の供述を覆したにもかかわらず、武史が有罪とされたのは、伊藤が裁判でもこの供述を維持したことが大きな要因だ。

武史がここで書いていることの趣旨はわかりにくいが、裁判での伊藤の証言内容におかしいところがあったと訴えたいのだろう。無罪への執念は確かに伝わってくる文章だ。

なお、伊藤は懲役15年の判決を受けて服役し、出所後に病死している。

千葉刑務所。武史は現在もここで服役中

◆再審がダメなら、病気になって早く死にたい

さて、ここまで読んでおわかりの通り、武史の書く文章には、趣旨のわかりにくいところが散見される。獄中生活も20年を越し、心身共に疲弊しているためだと思われる。再審にかける思いは強いが、弱気になることもあるようで、現在の思いをこのように綴ってきた。

〈日本の再審は厳しいのは知ってますので、私はダメなら、病気になって早く死にたいです、、、この世に未練は何もないです。早くリセットしたい思いです〉

筆者は今後も武史の再審請求の動向は追い続けるので、何か事態に動きがあれば、適時お伝えしたい。

なお、武史はさいたま地裁への再審請求に際し、久保田が事件の「真相」を綴った手記を電子書籍化した拙編著「桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白 Kindle版」を新規・明白な無罪証拠であるとして提出している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆キックボクシングの衝撃

新日本キック時代の玉川英俊レフェリー(2004年5月30日)

玉川英俊(1968年12月4日東京都葛飾区出身)はプロキックボクシング試合出場の経験は無いが、空手経験が縁でキックボクシングレフェリーを長く務めた経験を持つ大田区議会公明党議員である。

玉川英俊は玩具卸売りを営む両親に育てられた三人兄弟の末っ子で、兄によくプロレス技をかけられていたという遊びから、小学生の頃は漫画タイガーマスク、あしたのジョーが大好きだった。

高校生になって、空手部に所属していたクラスメイトの教室での大人しい姿と、道場での勇ましい姿とのギャップに驚き、玉川自身も空手部に入部。そこから空手バカ一代や四角いジャングルの漫画をはじめ、格闘技雑誌の創刊ブームなど、時代の流れに乗って格闘技にどんどん夢中になっていった。

1987年5月、創価大学一年の時、友人に元・極真空手の竹山晴友の試合を観に行こうと誘われ、後楽園ホールで初めてのキックボクシング生観戦。プロの技の衝撃、興奮が収まらず、どんどんキックボクシングにハマっていく中、大学でフルコンタクト空手のサークルを創設。大丈会(=ますらおかい)として試合出場も果たし、打撃技術を求めて、大学のある八王子市在住のキックボクサーとして、日本ライト級チャンピオンとなる頃の飛鳥信也(目黒)氏に指導者として丈夫会に迎え入れ、目黒ジムに見学や体験入門を果たした。

1990年5月、大学4年の時、第1回全日本新空手道選手権大会では、師である飛鳥信也氏と同門で、後にWKBA世界スーパーライト級チャンピオンとなる新妻聡と対戦していた。結果は「もうやめてくれ!」と言わんばかりの防戦一方のTKO負け。 他にも杉山傑(治政館)に判定勝利、今井武士(治政館)に判定負けと、後のチャンピオンとの対戦は多かった。大学卒業後は目黒ジムに正式入門。1995年頃までプロデビューは目指さず練習生のまま、ミット持ちなどトレーナーも務めた。

NO KICK NO LIFEにて緑川創vsアンディー・サワー戦を裁く(2014年2月11日)

◆レフェリーに転身

1995年頃から、新空手道、学生キックボクシング連盟等でレフェリー(主審・副審)として要請され参加。その後、新日本キックボクシング協会の運営関係者からもレフェリーとしての依頼の声が何度となく掛かり、「アマとプロは違うから」と断り続けていたが、最後は目黒藤本ジムの藤本勲会長から直接お電話でお願いされたことで、それまでたくさんお世話になってきたことへの恩返しとの思いで引き受けることになった。 しかし、プロのレフェリーでは思った以上に厳しい局面に立たされ、苦労が絶えなかった。

「アマチュアの試合では“早めのストップ”が重視され、その癖がプロの試合でも出てしまい、セコンドから罵声を浴びせられることは多々ありました。早く止めてKO負けにしたとき、その選手所属のジムの会長が泣きながら主催者に抗議されていたのを覚えています。またジャッジでも、興行終了後に某ジム会長が審判控室に『この採点したのは誰だ!』と怒鳴り込んで来られたこともありました。」という威圧的な抗議は脳裏から消えないという。

また2006年には「チャンピオンの地元での日本タイトルマッチで、1-2判定で挑戦者が勝った試合がありました。判定結果が出た直後、不服とした関係者がリング上でレフェリーを平手打ちし、会場は暴動寸前となり、その後、審判団は一旦全員解雇。継続したい者は残れと言われたものの復帰の見込みは無く、その後暫くして退くことにしました。」という形で一旦、プロ興行のレフェリーから去ることになった。

その後、アマチュアのみに戻り、学生キックボクシング連盟でのレフェリーを務め、ナイスミドル(キック版オヤジファイト)から声が掛かり、ここでのレフェリーも務めていた。そして2014年2月11日、リニューアル大田区総合体育館として初めてのキックボクシング興行が開催された、小野寺力氏の「NO KICK NO LIFE 2014」で、レフェリーとして依頼され復帰をしたが、2016年6月24日、「KNOCK OUT」移行による「NO KICK NO LIFE~THE FINAL ~」を最後にレフェリーから退くことになった(主に議員活動の多忙と興行が重なる事情有)。

審判を務めた経験の中には失態もありつつ、「2005年のある日本の王座決定戦で、本戦・延長戦共に、私のみ勝者“青コーナー選手”の採点を付けましたが、結果は2-1で赤コーナー選手“の勝ち。赤コーナー陣営から罵声を浴びましたが、あの時の自分の採点は間違っていないと毅然と立ち振る舞った試合もあります。」と言い、これが採点が分かれる場合もレフェリー・ジャッジそれぞれが取るべき大事な姿勢であろう。

ザカリア・ゾウガリーvs水落洋祐戦を裁いた後の勝利者コール(2016年3月12日)

NO KICK NO LIFEでの審判団(提供:玉川英俊氏)

選挙演説に出向いてマイクを握る(提供:玉川英俊氏)

◆大田区議会議員へ挑戦

1991年、格闘技人生とは裏腹に、日常では大学卒業と共にIT関連会社に就職し、後に大田区北千束に移り住むと、26歳で大学時代の同級生と結婚し、一男一女を儲け、後々には大学卒業まで立派に育て上げていた。

2011年には19年間勤めた会社を退職し、大田区議会議員選挙に挑戦していた。在職中の総務部で防災担当として培ってきた経験を活かして、災害に強い街づくりに取り組んでいくことを志していたが、選挙の一ヶ月前に東日本大震災が起こり、その志は更に強く持ち、格闘技に関わって来た忍耐と、どこにでも足を運ぶ行動力が基盤となった活動で同年4月24日、見事当選されている。

議員としての活動は日々忙しく多岐に渡るが、この3期10年間、東北や伊豆大島の被災地支援ボランティアにも参加し、現地で学んだことを大田区の防災強化に活かす為、議会で提案・討論を続けている模様。

また小中学校との交流も重ね、防災教育にも力を注ぐことが、人の命を救うこと、いじめや差別を無くす人間教育にも繋がるという取り組みも行ない、玉川氏が格闘技を通じて身に付いた、人の痛みの分かる指導が今後も活かされるだろう。

PETER AERTS SPIRITイベント開催に際し、ピーター氏表敬訪問にて、右から2番目が松原忠義大田区長、中央がピーター・アーツ、左端は大成敦レフェリー(提供:玉川英俊氏)

選挙演説にてマイクを持って公約、抱負を語る(提供:玉川英俊氏)

◆議員として格闘技界に手助け出来ること

旧・大田区体育館は新日本プロレスが1972年(昭和47年)3月6日に旗揚げ興行を行なった会場として有名だが、2008年3月に老朽化により解体、新たに建設され2012年3月に新・大田区総合体育館として竣工。ここから大晦日にプロボクシングの世界戦が行われる年が多く、玉川英俊氏は「ここで格闘技興行を行ないたい人達が多く居る」ということを議会でも訴え、主催者や選手たちの想いを直接、大田区・松原忠義区長に届ける為に、イベント告知や結果報告などで、小野寺力会長やピーター・アーツ氏、那須川天心選手他、多くの格闘技関係者による区長・区議会への表敬訪問の場をセッティングしてきた。

玉川英俊氏は「大田区には21世紀の“格闘技の聖地”大田区総合体育館があり、この会場でプロレスや格闘技の名勝負が繰り広げられてきたという歴史、伝統を継承し、この格闘技の聖地を世界に知らしめていきたい!」と語り、敷居の低い、使い易い、観戦し易い、格闘技に優しい会場として位置付けようと活動に力を注いでいる。

ここ数年はJR大森駅前ロータリーで開催されるお祭「ウータンフェスタ」で、KICKBOXジム鴇稔之会長のもと、所属選手やチビッコ等による公開スパーリングやアトラクションマッチのレフェリーもしているという(昨年はコロナ禍で中止)。今後、またプロ興行でその姿が見られるとしたら、その玉川議員レフェリーの姿をカメラに収めたいものである。

お祭りイベントにて、女子選手不満爆発のイジメ!?に耐える玉川レフェリー(提供:玉川英俊氏)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

生誕時から病弱だったのは記録にある事実だが、5人の皇子のうち唯一成人したのだから、むしろ逞しかったというべきではないか。大正天皇のことである。皇女も10人中4人しか成人できなかった。感染症が蔓延し、医療は西洋医学がようやく本格的に採り入れられた時期のことだ。

 

大正天皇

幼年期の個人授業の後、学習院初等科に途中入学するが、発達の遅れから中等科1年で中途退学となった。このあたりから、皇嗣としてはダメなのではないかという風評が世間に漏れはじめた。

それでも11歳で皇太子となる。皇太子妃選定における混乱、すなわち大正天皇婚約解消事件を経て、九条節子と結婚した。

この大正天皇婚約解消事件とは、大正天皇と皇族である伏見宮禎子(さちこ)女王との婚約がいったんは成立したものの、のちに華族の九条節子(さだこ)が結婚相手となった事件である。この婚約者の変更は、禎子女王の健康不安によるものだったが、明治天皇が皇族からの入籍を希望していたことが元の原因でもある。明治大帝は臣下からの縁嫁を望んでいなかったのだ。

いっぽう、伊藤博文らの政権中枢は、皇族間の婚姻とそれによる宮家の増加(宮廷費の増加)に反対意見だった。皇族の軍務を奨励する小松宮彰仁親王など、皇族の独断専横もあり、近代天皇制は親政論と立憲君主制、あるいは天皇機関説のあいだをゆれ動いていたのである。

◆政治向きではなかったのか?

その死後には、明治大帝との比較で政治的評価を貶めるものが少なくなかった。典型的なものでは、国会遠眼鏡事件であろう。帝国議会の開院式で勅書をくるくると丸め、遠眼鏡にして議員席を見渡したとされるものだ。

しかしこれは、丸めた状態で勅書の上下を確かめたものであって、天皇が突如として奇行に走ったというのは大げさであろう。不用意な発言を山縣有朋に窘められることはあっても、在位前半の大正天皇はきわめて健康かつ正常に役目をこなしている。その山縣を、天皇はすこぶる嫌っていた。そのいっぽうで、おもしろい話をしてくれる大隈重信を気に入っていた。

そして在世中は、大正デモクラシーと呼ばれるリベラルな時代で、とくに文芸やライフスタイルが刷新され、自由の気風に満ちていた。モダンガール、モダンボーイが闊歩し、女学校ではハイカラさんとよばれる女子たちが自転車に乗って学園生活をエンジョイしていた。

天皇はフランス語を学び、日本酒よりもワインを愛した。運動のために自転車に乗り、三菱財閥から贈られたヨットでクルージングを楽しんだ。

そして、女官制度への疑問を側室を否定することで実践した。すなわち、自身の実母が昭憲皇太后ではなく、柳原愛子だったことに衝撃を受け、女官(側室)を近づけなかったというのだ。この女官否定は、昭和天皇において制度そのものの空洞化にいたる。国家主義的な近代天皇制は大正天皇において、すでに民主化の第一歩を歩み始めていたのである。

◆詩人として

大正10年前後から、体調や言動に異変をともなうようになり、事実上公務ができない状態になった。大正15年にはいよいよ貧血状態を起こし、葉山御用邸に向う原宿駅では「イヤだイヤだ」と駄々をこね、目撃した人々は「狂人になった天皇が葉山に監禁されたと思った」といわれる。

ヘンなところがあると評されただけに、異才の持ち主でもあったようだ。古来、狂気は天賦の才につうじるという。漢詩は三島中洲の指導を受け、和歌より漢詩を好んだ。雅号は昭陽である。生涯に1367首の漢詩を創作し、その数は歴代天皇の中で突出している(宮内庁書陵部所蔵の『大正天皇御集』に収録)。

和歌は生涯で465首を詠んだとされるが、明治大帝の約9万首、昭和天皇の約1万首に比べると極めて少ない。しかし歴史学者の古川隆久は「心の鋭敏さの点では明治・大正・昭和三代の中で一番鋭い感じがする」と評価している

1926年(大正15年=昭和元年)暮れの12月25日、肺炎に伴う心臓麻痺のため、47歳で崩御。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

検察官やヤメ検の弁護士が自分の専門分野である刑事事件の捜査や裁判について、意外と知識が乏しかったり、大きな誤解をしていることがたまにある。この人もそうだったのだろうか……と、ある裁判に関する報道を見て、ふと思った。元東京地検特捜部長の石川達紘被告(81)のことである。

石川被告は2018年2月、都内で誤って車を暴走させ、通行人の男性(当時37)をはねて死亡させたとして、東京地裁で自動車運転死傷処罰法違反の罪に問われた。検察側が「被告人は誤ってアクセルを踏み続けた」と主張したのに対し、石川被告は「アクセルを踏んでおらず、車の不具合の可能性がある」と無罪を主張していたという。

しかし2月15日、石川被告は三上潤裁判長にこの主張を退けられ、禁錮3年・執行猶予5年の判決を受けた。そして即日、東京高裁に控訴したという。

石川被告の裁判の舞台は東京地裁から東京高裁へ移った

◆優秀なヤメ検弁護士ですら知らなかった刑事裁判の現実

ここで、私が10年ほど前に取材した、ある冤罪事件の話をしたい。その事件では、弁護人のヤメ検弁護士が熱心な弁護活動をしており、裁判員裁判だった一審では無罪が出そうな雰囲気もあったが、結果的に被告人は不可解な内容の判決で有罪とされた。その時は私もこのヤメ検弁護士を気の毒に思ったが、控訴審が始まる前にこの人と話した時にいささか驚いた。

こんな楽観的なことを言っていたからだ。

「控訴審の裁判官は、私が検察官になったばかりの頃に色々教えてくれた人で、私の考えもよくわかってくれている。今度は大丈夫だと思う」

日本の刑事裁判官は検察官寄りの判断をする人が大半で、被告人は裁判が始まる前から有罪と決めつけられていることも多い。日本の刑事裁判の有罪率が異様に高いのはそのためだ。そしてそれは今や素人でも知っている常識だ。それにもかかわらず、このヤメ検弁護士は、検察官だった頃の自分の考えを理解してくれた裁判官が、検察官をやめて弁護士になった自分の考えも理解してくれるものだと妄信していたのだ。

果たして控訴審は初公判で即日結審、被告人の控訴が棄却される結果になった。この被告人は明らかな冤罪だったが、その後に最高裁でも上告を棄却され、現在も東日本の某刑務所で服役している。

ちなみにこのヤメ検弁護士は、無罪判決の獲得実績もかなりある優秀な人だ。そういう人ですら、「刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実を知らなかったわけだから、この現実を知らない検察官やヤメ検弁護士は日本全国にかなりいるはずだ。

◆公判中の態度を問題視された元特捜部長

そして再び、石川被告の話である。

週刊文春の報道によると、石川被告は公判中、自ら検察官側証人の警官に尋問を行い、元特捜部長らしくギリギリ追及し、裁判長から「冷静に」とたしなめられたりしたという。また、「私も被害者だ」「私は生かされた」などという言葉を発し、遺族を傷つけたりしたそうだ。

さらにNHKなどの報道によると、三上裁判長は判決宣告後、石川被告に「被害者遺族に対する向き合い方について、今一度考えてほしい」と述べていたとのことである。裁判長にとって、石川被告の法廷での態度は相当酷いと感じられたのだろう。

ただ、そのことから推察するに、石川被告は刑罰を免れようとして無罪を主張したわけではなく、本気で自分のことを冤罪被害者だと考えている可能性もある。そうであるなら、東京地検特捜部長を務め、最終的に名古屋高検の検事長まで出世した石川被告は、81歳にして初めて「日本の刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実に直面したのかもしれない。

果たして、石川被告は気づくことができただろうか。検察官だった頃の自分も刑事裁判官からそのようにひいきされていたからこそ、否認事件でも当たり前のように有罪判決が取れていたのだということに。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「児童虐待」をテーマにした映画「ひとくず」のロングラン上映が各地で続いている。

 

映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

映画は、空き巣を稼業とするカネマサ(金田匡郎)が、空き巣にはいった部屋で、少女鞠(まり)に出会うところから始まる。カギをかけられ、電気も止められ、食べ物もない部屋にうずくまる鞠に、幼いころ母親にトイレに閉じ込められた自分を重ね合わせるカネマサ。鞠を救いたいとの思いは募るが、現在の行政の仕組みではなかなか救えないことを知る。鞠の胸にアイロンを押し付けたのは、鞠の母親凛の愛人。それを止めることのできない凛をカネマサは怒鳴りつける。しかし、その凛の背中にも虐待の跡をみつけてしまう。「虐待の連鎖」。

監督、脚本、編集、プロデューサー、そして主演カネマサを演じた上西雄大さん(56歳、大阪出身)も幼い頃、実父が実母に暴力をふるう場面を見て育ったという。映画を作るきっかけとなったのは、別の企画の取材で話を聞きに行った精神衛生士・楠部知子さんから、虐待の実態を知らされたことからだった。

日本における児童虐待相談の件数は、2016年度で12万2578件、26年間増え続けている。胸などにアイロンを押し付けられ火傷を負う子どもは鞠だけではないこと、性的虐待も多いことなど。「アイロンをあてるとき、熱くなるまで待つ訳じゃないですか?その時の子どもの恐怖を思うと辛くて辛くて……」と監督。その思いをどうにかしたい、鞠のように虐待された子を救ってあげたい、そうした思いから一晩で台本を書き上げたという。そして「この作品を世に出すことが、虐待をなくしていくことにつながるのであれば」との思いで映画を作った。

しかしこの作品は、虐待の実態を知ってもらったり、啓蒙するために作ったのではないという。じつは虐待の加害者もまた虐待の被害者であるケースも多く、そうした「連鎖する虐待」の中に置かれた人たちが、その中で人間の愛、良心、家族の暖かさ、優しさを知り、変わっていけることを描きたかったという。「もし映画を観て感動してもらえるなら、その先に虐待について目を向ける思いが宿ってもらえることを願っている」と、上映後には「児童相談所対応ダイヤル」189(イチハヤク)を印した缶バッチをお客さんに配っている。

映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

◆子どもの愛しかたがわからない親たち

 

上映後に配られた「児童相談相談所対応ダイヤル189」を印した缶バッチ。画像クリックすると公式HPへ

映画を見る前に、杉山春さんの「ネグレクト」を読んでいた。ネグレクト(育児放棄)も虐待の1つだ。10代の若さで親になった雅美と智則は、ともに幼い頃、親から育児放棄されて育ってきた。雅代や智則の母親も雅代や智則が嫌いだったり憎んでいる訳ではない、ぎりぎりに生活する中で、子どもに愛情をかけてあげることが出来なかった親たちだ。そんな親に育てられた雅代も智則もまた、子どもを育てる術をしらない。映画「ひとくず」で、凛が「どうやって子どもと接したらいいか、愛情注いだらいいか、わからないの」と泣き叫んでいたように。

雅代と智則も、子どもの育て方、愛情の注ぎ方を知らず、うまくいかない子育てに悩み、途方に暮れても、親や社会に助けを求めることもできないできた。そして段ボールに入れた3才の娘を餓死させてしまう。杉山さんは、逮捕された二人の裁判を取材する過程で、二人の親や周辺の関係者にも取材を広げ、痛ましい事件の背景を探っていく。

◆虐待が起こる背景

虐待が起こる背景は様々だろうが、カネマサ、凛、鞠、そして雅代、智則を見る限り、経済的環境(貧困)も深く関係していると思われる。以前、関西で貧困問題などに取り組む司法書士の徳武聡子さんが、家庭の経済的状況と子どもの言葉量が比例すると話されていた。経済的に余裕のある家庭では、親が子どもと会話する量も多く、子どもが覚える言葉も増える。一方で、経済的に貧しく、ダブルワークで働く親などは、家に戻っても疲れはて、子どもにかける言葉も少なくなる(もちろん経済的に貧しくても家庭で子どもに十分声をかけてやれる親もいる)。「めし」「早く、寝ろ」「うるさい」…いや、それすら発せられないかもしれない。

 

映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

逮捕された雅代も智則も、真奈ちゃんの言葉を教えることはなかった。幼児は「ご飯よ」と言えば「ゴハン」「いただきます」と言えば「いただきまちゅ」と言葉を覚えていくのではないか。真奈ちゃんが亡くなるまで覚えた言葉はたった1つ、智則の母親が教えた「おいちい」だった。

「ネグレクト」では、雅代と智則が裁判を通じ、徐々に変わっていく様が鮮明に描かれている。とくに智則は、獄中で様々な本を読み、言葉を覚え、自身の内面を見つめ直し、何故わが子を死なせてしまったかを考えていく。一審では、検察官の質問に「ちょっと覚えてないです」と繰り返していた智則が、判決後、どうしても控訴したいと弁護士に訴える。理由は、量刑不当ではなく、無理やり殺意があったとした判決には納得できないからだという。

「裁判上認められなくても、一人でも多くの人に当時の私たちの気持ちを理解してもらいたい」と、二審では、当時の自分の考えを必死で言葉にし、何故真奈を死なせてしまったかを証言していく。「二人にとって裁判は、おそらく生まれて初めて自分自身の心の奥をのぞき込み、考え、他者に向けて言語化していく作業だったはずだ」と杉山さんは書いている。

◆「虐待の連鎖」を断つために

「ひとくず」の主人公カネマサも、「バカやろ」と相手を口汚く罵倒するしかできない男だった。母親の愛人に虐待を受け続けてきたカネマサは、庇ってくれなかった母親に「死ぬまで憎み続けてやる」とつきつける。

「虐待の連鎖」は、どうしたら断ち切っていけるのか?映画「ひとくず」では、かつて母親の愛人を殺したカネマサが、今度は凛の愛人を殺すという、無茶な形で断ち切っていくが……。

「虐待がこんなに酷いと告発したいのではなく、そんななかにもある人間の愛、良心、家族の温かさをみつけてほしい」と監督が願っていたものは、映画でどう描かれたのか。カネマサの実母への憎しみは、鞠、凛親子と出会い、どう変わっていったのか?映画では、描かれていないが、私は、カネマサが刑務所で何を考えていたか、ぜひとも知りたいと思った。

エンドロールの後に描かれる希望、赦し、出所後のカネマサを迎えたのは鞠、凛、そして……。


◎[参考動画]映画『ひとくず』アンコール上映版予告編(2021年1月31日)

◎『ひとくず』公式HP https://hitokuzu.com/

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

◆人事問題で「変化」はあったのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長が橋本聖子に決まり、鬱陶しかった森喜朗支配は形の上では過ぎ去った。とはいえ、その橋本聖子自身が森を「政治の父親」と呼び、森もまた橋本を「娘」と呼ぶ関係であることから、人事による組織の「変化」は鈍いものにしか感じられない。

選考過程がまたしても「密室」であったところに、組織体質の旧態然たるものを感じさせた。いま必要な「国民の共感」をえる求心力は、少なくとも獲得できなかった印象がのこる。

さらには橋本聖子にかんして、ソチ大会でのセクハラ・パワハラ事件にたいする批判がやまない(「週刊文春」最新号)。女性からのセクハラであれば、何となく酒が入ってエッチになる程度の官能小説めいた逸話で終わりそうだが、これを男性がやった場合には世論は沸騰して批判し、その当事者を追放するであろう。ひるがえって男女平等という立場に立てば、橋本聖子の過去の行為もとうてい受け入れられるものではないのだ。本人の厳しい自戒を期待したい。

ただし、マスメディアはいっさい報じないことだが、オリンピアクラスのアスリートの下半身事情は、じつはかなり放縦なものである。これは実際に冬季五輪系の競技者(チーム競技の現役)に訊いた事情である。

ながい期間、若い男女が同じ施設内(いちおう、部屋やフロアの区別はある)で監禁にちかい生活を強いられるのである。男女併設の施設であれば、そこにはおのずと「××部屋」と呼ばれる一角ができて、若い性欲を満たす。いや、食べることとそれ以外には、何も愉しみがないのだから、これはやむを得ないところなのだろう。

近年、味の素ナショナルトレーニングセンターなど、管理の行き届くトップアスリート向けの施設が完備されたのも、体育会的な野放図な男女関係を解決する策でもあるのだ。その意味で橋本聖子の世代は、スポーツ選手の性が乱れた環境にあったといえよう。

◆開催の現実性

ところで、それでは本当に東京五輪は開けるのだろうか、ということになる。

7月21日開催(開会式は23日)だとして、Goサインは3月25日の国内聖火リレー開始(福島)となる。Stopサインも同じである。

世論調査では、開催するべき・延期すべき・中止すべき、がそれぞれ30%前後と鼎立だが、再度の延期という選択肢はない。そしてIOCも大会組織委員会、そして日本政府、東京都も「絶対に開催」という方向で動かざるを得ないことから、開催を前提に「通常開催」と「無観客」が選択肢としてあるのだろう。

筆者は本来のオリンピックが個人参加(古代・近代五輪の基本精神)であり、国別参加のナショナリズム的なあり方に反対する立場だが、念仏のように「開催反対」を唱えるだけで議論が足りるとは考えない。そこで、現実的な開催条件を考えてみよう。

無観客の場合の損失は、2兆4133億円にのぼるとされている(関西大学宮本勝浩教授)。ちなみに中止の場合の経済的な損失は、4.5兆円とも7兆円ともいわれている。振れ幅があるのは、最大の出資者であるアメリカ3大放送ネットワークとそのスポンサー、および世界のメディアスポンサーの撤退ということになるからだ。つまり最大の収益源である放映権料がなければ、オリンピックは成り立たないのである。

その意味では、中止という選択肢は大会関係者にはないと断言できる。このうえ開催中止があるとしたら、日本でデイリーの感染者が数千人規模で推移し、とてもイベントを開催できるものではない。という判断があった場合だろう。たとえば、NHKで特番まで組んでもらっておきながら、チーム内のクラスター発生で開幕が延期になったラグビートップリーグのように、チームが成立しなければ開催してくても出来ない。

◆縮小大会の可能性

いっぽう、海外からの声としては、セバスチャン・コー卿が1月22日にBBCの取材に対して「大会が予定通り開催されると確信している」「騒がしくて情熱的な観客に参加してほしいが、開催できる唯一の方法が無観客ならば、全員それを受け入れるだろう」と語っている。

果たして「全員それを受け入れる」だろうか。IOCや大会組織委員会が「受け入れ」ても、参加するのは各国のNOCであり、チームや選手なのである。観客を入れなくても、選手が参加しないのであれば大会は成り立たない。日本人だけの大会では、もはやオリンピックとは言えないだろう。

もうひとつ考えられるのは、IOCおよび大会組織委員会が中止を決定できない以上、各IF(競技の国際団体)に参加か不参加を決めてもらい、全体として競技数を減らして縮小大会にする可能性だ(IOC事情に詳しい競技団体幹部)。

現在、ロックダウン下で開催中のテニスの全豪オープンをみると、選手は2週間前にPCR検査陰性のうえで入国し、入国後は毎日検査、1日の外出時間は5時間という、過酷な制限のなかでの開催となっている。これを全競技に当てはめるのは無理だから、人気のある競技、開催能力のある競技団体のみの開催で、上述の放映権料を確保するという狙いである。

◆始まった開催拒否の流れ

関係者の苦肉の策、選手たちの努力にもかかわらず、中止への流れはできてしまった。森発言を受けての大会ボランティアの参加辞退、そして聖火ランナーたちの不参加表明。あるいは島根県の丸山知事による、条件付きの聖火リレー中止発言である。

丸山知事の発言の正当性は、テレビ報道でも国民の賛意を得つつある。すなわち、濃厚接触者の追跡調査もしない東京都に、大会を開催する資格はないのではないかというものだ。全国でも感染者を最低限に抑えてきた島根県には、そう指弾する資格はあるだろう。小池東京都知事は、緊急事態宣言のさなか(1月下旬)にもかかわらず、再三にわたって千代田区長選挙の応援演説に出かけるという身勝手を行なっていたのだ。

島根県は県民の努力で感染を低減させ、緊急事態を宣言しなくても済んでいる。そのいっぽうで、感染者を膨大に出している自治体には、手厚い保証がなされている「不公平」感には同情せざるをえない。そして本来は県民の救済資金である7000万円もの税金を、島根県は聖火リレーに供出しなければならないのである。

この丸山知事の発言に、県内で対立派閥に属する竹下亘(竹下総理の異母弟)が噛みつく。大会推進派のいわば「反対する者は非国民」的な批判があからさまに行なわれ、これに世論が反発するという流れが出てきたのである。この流れに注目せざるをえない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

12~17歳の少女11人に対し、性的な行為をしたり、タブレット端末で性的な動画を撮影して保存したりしたとして児童買春・ポルノ禁止法違反などの罪に問われた県立広島病院の60代の男性医師の裁判で、広島地裁が3月5日、判決を言い渡す。

手術の腕は医師仲間からの評価も高く、病院では内視鏡外科グループの主任部長を務めていた男性医師。しかし、昨年6月に警察に逮捕されて仕事を失った。現在は暫定的に親しい医師の病院で働いているが、今後は医師免許を取り消され、医師ができなくなる可能性もあるという。

男性医師はなぜ、自分自身を窮地に追い込むような犯罪を繰り返したのか。裁判を傍聴した私が気になったのは、性犯罪を起こした有名芸能人たちとの「ある共通点」だ。

◆本人は犯行の動機として「仕事の重責」と「家庭の問題」を挙げたが……

「仕事の重責に押しつぶされそうになっていたことと、家庭でも妻、息子との意思疎通が十分にとれずに自分が不幸せだという感情を抱いていたことが要因として考えられると思います」

2月10日、広島地裁の第304号法廷。証言台の前に座った男性医師は、犯行の動機をそう語った。

男性医師によると、仕事の重責に苦しむようになったのは、病院で主任部長に就任してからのことだったという。

「それ以前は手術だけをしていればよかったのですが、主任部長になって全体のスケジュール管理もしないといけなくなった。それで精神的にも肉体的にも負担を感じるようになりました」

一方、家庭の問題は20年近く前からのことだったという。きっかけは、妻が多発性硬化症という難病を患ったことだった。

「息子が小1になる頃でした。妻は病気で身体が動かなくなり、私が充分にサポートできず、ぎくしゃくした関係になりました。当時の自宅は尾道市でしたが、妻は実家に戻り、私も広島市に単身赴任し、別々に暮らすようになりました」

妻は現在も闘病中で、車椅子の生活。この間、息子も高校を不登校になって中退した。男性医師はそんな生活にやり切れない思いを抱える中、仕事での負担が増えたことによるストレスも重なった。そして当初はデリヘルに癒しを求めたそうだが…。

「デリヘルでは、寂しさを紛らわせませんでした。それで、出会い系サイトで知り合った女性と交際するようになりました」

最初に交際した女性は、自分のことを「大学生」だと言っていた。しかし実際の年齢は18歳未満だったという。

「18歳未満の女性と交際したら犯罪だということはわかるので、最初からそういう女性を探したわけではありません」

男性医師は強い口調でそう言った。しかし実際には、その18歳未満の女性と交際して1年くらい経った頃から、ツイッターで「パパ活募集」している女性を探すように。そして、中高生の少女たちを相手に次々と犯行を重ねたのだという。

男性医師の裁判が行われている広島地裁

◆私が思い起こした男性芸能人のY氏とA氏

私は男性医師のそんな話を聞いていて、この人はおおむね正直に話しているように思えた。だが、事件を起こしたことの要因として、他にも指摘できることがあると思った。少し前に性犯罪を起こし、社会を騒がせた2人の男性芸能人と「ある共通点」があるからだ。

2人の男性芸能人とは、酒に酔って共演者の少女に無理やりキスをした男性アイドルグループのY氏と、派遣型マッサージ店の女性従業員に性的暴行をして服役中の俳優A氏だ。そして、この2人と男性医師の共通点とは、社会的地位が高く、金もある一方で、一緒に暮らす家族はおらず、一人で暮らしていた――ということだ。

一般的に、犯罪は社会的地位が高い人や金のある人よりも、社会的地位が低い人や金の無い人が起こしやすい。これは偏見ではなく、厳然たる事実だ。

ただ、社会的地位の高い男性や金のある男性はそうでない男性に比べると、女性と接する機会が多くなりやすい。女性にモテない男性でも金さえあれば、女性と接する機会はすぐ作れる。そういう男性が何かのきっかけで魔が差した場合、一緒に暮らす家族がいればストッパーになるだろうが、一人暮らしをしていたら…。

私は、男性医師が犯行に至った経緯を聞きながら、A氏やY氏のことを思い出し、そのように考えをめぐらせたのだった。この記事を読んでくれたあなたは、どう思われるだろうか。

なお、男性医師の裁判では、検察官が懲役3年を求刑しているのに対し、弁護人は男性医師が「被害者」11人のうち、連絡がとれた8人に各50万円の被害弁償をしたうえ、600万円の贖罪寄付もしていることなどを説明し、寛大な刑を求めている。裁判の最大の争点は執行猶予がつくか否かだが、男性医師本人は医師免許がどうなるかが一番気がかりなのではないかと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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