先日、エンペディア(Enpedia)というオンライン百科事典に設けられた「飯塚事件」のページ(https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6)で、私の編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ—冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社)が〈鳥越俊太郎や清水潔に比べるとかなり無名のジャーナリストの本〉として紹介されていることに気づいた。

同書の第1章では、1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害されたこの事件の犯人とされ、2008年に死刑執行された久間三千年さん(享年70)が冤罪であることをわかりやすく説明しつつ、久間さんが死刑執行直前に獄中で綴った手記を紹介したり、この冤罪処刑に関与した警察、検察、法務省の責任者らに取材した結果を報告したりしているのだが、エンペディアでは拙著の内容に批判的なことばかり書かれている。

つまり、このエンペディアの執筆者は久間さんのことを「クロ」だと思っているのだろう。

そのこと自体は構わないが、この人は久間さんに対する福岡地裁の死刑判決(以下、確定死刑判決)に目を通していながら、その内容をよく理解できていないように思える点がある。この人は当欄も見てくれているようなので、この場で指摘しておきたい。

◆「片岡も陰茎出血といった証拠には言及していない」と批判されているが…

エンペディアの「飯塚事件」のページの記述のうち、それにあたるのは以下の部分だ。

〈当然ながら、片岡も陰茎出血といった証拠には言及していない。〉(エンペディアより。2022年2月24日アクセス)

この記述の趣旨は以下のようなことだと思われる。

確定死刑判決では、久間さんが事件当時、亀頭包皮炎を患っており、外部からの刺激により容易に出血する状態だったと認定されたうえ、被害女児2人の性器やその周辺、彼女たちの遺体遺棄現場で採取された血痕は久間さんが犯行時に出血したものであるかのように判示されている。このエンペディアの執筆者は、拙著がそのことに言及していないのは、久間さんに不利な事実を隠すためだと考えたようだ。

これは完全な誤解だ。なぜなら、事件当時、陰茎から容易に出血する状態だったことは、むしろ久間さんの無実を裏づける事実だからだ。

エンペディアの「飯塚事件」のページ

◆「陰茎出血」に関する久間さんの供述は「無知の暴露」

というのも、峠道沿いに遺棄されていた被害女児2人の遺体は、処女膜などの損傷の状況から性器に犯人の指と爪が挿入されていたと認められたが、犯人の陰茎が挿入された形跡は確認されていない。それにもかかわらず、久間さんは逮捕前、警察官に対して亀頭包皮炎の病状を次のように供述していたのである。

「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」(確定死刑判決より)

この証言を見ると、久間さんは犯人が被害女児たちとセックスしたことを前提に、警察官に身の潔白を訴えていたことがわかる。実際には、犯人は被害女児たちの性器に自分の陰茎を挿入しておらず、すなわち、犯人は被害女児たちとセックスしていないにもかかわらずに、だ。

このような供述は、供述心理学で「無知の暴露」と言われる。本当の犯人の供述には、犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」が現れるが、本当は犯人ではない被疑者の供述には、実際の犯行を知らないことを示す「無知の暴露」が現れる。久間さんは、犯人ではないため、わいせつ目的の小児性愛者であることが想像されるこの事件の犯人が「被害女児たちとセックスしている」と勘違いしていたわけである。

私が拙著で久間さんの「陰茎出血」に言及し、このことを説明しなかったのは、情報過多になると本は読みにくくなり、読者の理解を妨げるためだ。エンペディアの執筆者のおかげで、この機会にそのことが説明できてよかった。

無実の罪により処刑された久間さんの生命はもう戻らない。せめて遺族が現在請求中の再審が実現し、一日でも早く久間さんの雪冤がなされることを願うばかりだ。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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