ふつうの暮らしをする人々にとって、「裁判所」や「司法」と積極的に関わりたい、と願う人は少ないだろう(一部に「傍聴マニア」を趣味とする例外的な方々は存在するが)。法廷は静寂が求められる場所であり、開廷の際、原告、被告(人)だけでなく弁護士、検察官そして傍聴者も起立を求められる。黒い法衣に身を纏った裁判官は、最低限かつ必要な発言に留めるのが通例であり、一段も二段も高い位置(大所高所)から私情を挟まずに、「法」と「証拠」に基づいて判断を下す。というのが一般に想像される裁判官の平均的イメージではないだろうか。

平均的イメージが存在するのだから「平均的ではない」裁判官も、理論的には何処かにはいてもおかしくはない。けれども市民がそのような「平均的ではない」裁判官と巡り合う僥倖は、ごくわずかの確率であるといえよう。

 

森野俊彦著『初心 「市民のための裁判官」として生きる』(日本評論社)

そしてこの点も重要なのであるが、いくら「裁判所」や「司法」と無関係でありたい、と願ってもわたしたちはこの国の司法の下で生活を営んでいるのであるから、「司法」と無関係に生活をすることはできない。そんな前提で森野俊彦著『初心 「市民のための裁判官」として生きる』(日本評論社 2022年)を手に取ると、新鮮な風に触れたような思いを体感できることだろう。

『初心 「市民のための裁判官」として生きる』の著者、森野俊彦氏は任官から退官まで、文字通り「市民のための裁判官」たらんと、裁判所の中で闘い尽くした類まれなる経歴の持ち主である。

本書第一章は「23期裁判官としてともかく生き延びて」から幕を開ける。「生き延びて」とは大げさなと思われる向きもあるかもしれないが、森野氏と同期の七名が裁判官に任官されなかったということがありこの処断に承服できない森野氏らは最高裁に対しての抗議行動にまで及んだ(このお話は初対面の時から幾度か伺っている)。詳細は本書に譲るが、裁判官として昇進などではなく、森野氏は常に「司法はいかにあるべきか」、「市民のための裁判官とは」を自問しながら試行錯誤し、冒頭に述べた一般的な裁判官とはまったく異なる裁判官として各地の地道な事件に積極的に取り組んでゆく。その延長線上に市民感覚に近い司法の実現や、市民の司法への関心喚起の必要性をお感じなられ、講演会をはじめ様々な啓発活動にも献身されてきたことも特筆すべきだろう。

ご出身は大阪で阪神タイガースの大ファンであることが『初心』の中で紹介されている。近年「大阪維新」の繁茂により、大阪人が「自由さ」や「反中央の気骨」を失ったのではないか、と感じさせられる場面が少なくないが、森野氏はその思想と行動において良質な「大阪人」としてのエッセンスを兼ね備えた人物であることが第二章「サイクル裁判官の四季だより」のそこここから伺える。

森野氏は大阪地裁堺支部勤務時代に、健康法も兼ねて自転車で通勤をしていたところ、たまたま担当していた境界確定訴訟の現場に行き当たる。自転車から降りて早速「検証」にとりかかると、書面から抱いていたイメージと現場の違いに気がついた。それ以降担当する事件については、可能な限り自転車で現場に向かい、自身の目で確かめて判断をを下すようになったそうだ。そこで自らを「サイクル裁判官」と命名してまとめられた「サイクル裁判官の四季だより」は「法学セミナー」の連載を中心に20世紀後半から2004年まで、森野氏が裁判官として脂がのり切った時期に接した事件や人物、風景を森野裁判官らしい温和な感性で綴った、一見読みやすいが硬派なエッセイ集といってよいだろう。多忙ななか読書、映画鑑賞、登山、旅行など多くの趣味を通じて社会を見聞し、現場や事件当時者への尽きない関心を持ち続けた森野裁判官の日常が、テンポよく軽妙に、そして彩り豊かに紹介される。

私が森野氏と知己を得たのは、退官を控えた時期だった。ある集まりでご一緒させていただいたのだが、「こんなに気さくな裁判官がいるんだな」と感心した。森野氏は文字にすれば標準語の文章を書くことはできるが、口語では大阪弁イントネーションが強いため格調の高い文節を駆使することができない(はずだ)。法衣を着ていなければ「大阪のおっちゃん」の呼称が似合うお人柄である。

『初心』では裁判員制度や夫婦別姓問題そして、日本国憲法と裁判官に対する森野氏の見解が中盤から後半にかけては展開される。法律家としての森野節が全開である。前半が海外も含め様々な場面と、裁判官生活における喜怒哀楽(もちろん森野裁判官に特徴的な)の記録、いわば読み物として良質なエンターテイメント性を備えた内容であるのに対して、後半は森野裁判官、もしくは法律家森野俊彦による現司法のありように対する、根本的な問題提起(法律書)であるといってよいだろう。

森野氏は退官後大阪弁護士会に弁護士登録を行い、あべの総合法律事務所に籍を置き、弁護士活動を続けている。「現場が好き」だという森野氏は、きょうも『初心』を心の中に抱きつつ、大阪を中心にあちこちを駆け回っておられることだろう。四方(しほう)は角だらけだけれども、司法の中に森野氏のような人が居てくれれば、どれほど市民が助かることかと、こちらからは願うしかないのであるが。

そんな森野裁判官にひょっとしたら筆者は京都家庭裁判所で、裁判官と申立人の関係で顔を合わせていたことがあったかもしれないのだ。私的な事件が発生し弁護士を選任して相談したところ、結局は家庭裁判所ではなく地裁への提訴する結果と相成ったが、あの時、京都地裁ではなく、京都家庭裁判所に申し立てを行い、運よく森野裁判官に当たっていたら、私の司法に対する感情や、人生自体がいまとは大きく異なるものになっていたかもしれない。

『初心』は春や夏よりも秋、できれば晩秋のできれば夜、手に取ると味わいが増すように感じられる。滋養強壮にも効果抜群であることを保証する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。主著に『大暗黒時代の大学』(鹿砦社)。
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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000528
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号