ヒト(人間)のゲノム(遺伝子情報集合体)は約30億塩基の配列で構成されています。ヒトのゲノムの解読は1990年に米国のDOE(Department Of Energy: 米国エネルギー省 エネルギー、核、科学研究、技術開発、環境、および、それらの管理等を担当)とNIH(National Institutes of Health: 米国の保健福祉省公衆衛生局に所属する 国立衛生研究所 医学生物学の予算を統括し、研究も行う)によって、15年間で30億ドルの予算で、ヒトゲノム完全解読を目指したプロジェクトが始まりました。

その後、プロジェクトは国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、およびコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)が2000年に完成と報告されました。

2003年4月14日には”完成版”が公開されました。そこにはヒトの全遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さだとされていました。ヒトゲノムの”完成版”でも、まだ、1%の配列は未知の状態だったのです。この”完成版”をもとにして未知の配列は残っているものの、遺伝病の解析、遺伝子発現の解析においては、全く問題なく多くの成果が生み出されました。

しかしながら、完全解読に向けて、地道な努力が続けられ、”完成版”が公開されてから約20年後、ヒトゲノムプロジェクトが開始されてから、33年の時を経て2022年4月1日にThe Telomere-to-Telomere (T2T) consortium からヒトゲノムを「完全」解読したとの論文が発表されました(文献1-4)。

ヒトを始めとする多くの生物種のゲノム解読の中で、解析技術は、革命的な進歩をとげました。現在、一つの解析機器で一日に、100億塩基(3人分)以上の解読が可能になっています。また、技術革新による機器の進歩に伴い、解析に要する費用も格段に低減化しました。現在200億塩基の解析に要する費用は、約6万円です。単純に計算すると、1980年代の始めのころに比べて、解析速度は1千万倍、費用は、塩基あたり、100万分の1になっています。

結果として、我々は、ゲノム配列情報の洪水の中にいるような感じです。そして、今、現在も、おびただしい数のゲノム配列情報が世界のあちこちで生み出され、DNAデータバンクに登録されています。2022年8月現在、DNAデータバンクへの塩基配列の登録数は20兆塩基に達しています(サイト:1-5)。

研究者としては、ゲノム配列解析を行うことも重要ですが、それにもまして、如何に必要な情報を取り出し、利用することが重要です。情報がいくら手に入ってもその有効な活用法を的確に見出すことが出来なければ、情報の山は「宝の持ち腐れ」になる可能性があるのです。

この現象は、皆さんの日々の生活でも同様でしょう。20年前と現在では、私たちが使うことのできる、情報機器(特にコンピューター)の性能は、飛躍的に進化しました。インターネットにさえ接続できれば、膨大な情報とその活用方法を知ることができる時代が今日です。でも、いくら高性能なパソコンやスマホを持っていても、情報収集の目的や、利用法が明確でなければ、目的に沿った結果を得ることは出来ません。

ヒトのゲノム解析は多彩な薬剤開発や、治療法の確立という分野で、たしかな成果をあげました。今後も未開発分野での難病治療薬開発などに資することでしょう。さらに、ゲノムだけではなく生活習慣などとの関係性から、新たな健康法や予防医学が開発されつつあります。

【文献】

1-4 The complete sequence of a human genome. Nurk S, Koren S, Rhie A, Rautiainen M, Bzikadze AV, Mikheenko A, Vollger MR, Altemose N, Uralsky L, Gershman A, Aganezov S, Hoyt SJ, Diekhans M, Logsdon GA, Alonge M, Antonarakis SE, Borchers M, Bouffard GG, Brooks SY, Caldas GV, Chen NC, Cheng H, Chin CS, Chow W, de Lima LG, Dishuck PC, Durbin R, Dvorkina T, Fiddes IT, Formenti G, Fulton RS, Fungtammasan A, Garrison E, Grady PGS, Graves-Lindsay TA, Hall IM, Hansen NF, Hartley GA, Haukness M, Howe K, Hunkapiller MW, Jain C, Jain M, Jarvis ED, Kerpedjiev P, Kirsche M, Kolmogorov M, Korlach J, Kremitzki M, Li H, Maduro VV, Marschall T, McCartney AM, McDaniel J, Miller DE, Mullikin JC, Myers EW, Olson ND, Paten B, Peluso P, Pevzner PA, Porubsky D, Potapova T, Rogaev EI, Rosenfeld JA, Salzberg SL, Schneider VA, Sedlazeck FJ, Shafin K, Shew CJ, Shumate A, Sims Y, Smit AFA, Soto DC, Sović I, Storer JM, Streets A, Sullivan BA, Thibaud-Nissen F, Torrance J, Wagner J, Walenz BP, Wenger A, Wood JMD, Xiao C, Yan SM, Young AC, Zarate S, Surti U, McCoy RC, Dennis MY, Alexandrov IA, Gerton JL, O’Neill RJ, Timp W, Zook JM, Schatz MC, Eichler EE, Miga KH, Phillippy AM. Science. 2022 Apr;376(6588):44-53. doi: 10.1126/ science.abj6987. Epub 2022 Mar 31. PMID: 35357919.

1-5 https://www.ddbj.nig.ac.jp/statistics/ddbj-release.html

▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等

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