言論について考えると、答えが見つかりにくい問題が色々あることに気づく。しかし、それらの多くは「戦争」あるいは「冤罪」を念頭において考えると、わりとあっさりと答えが見つかることだ。

たとえば、事件報道において、逮捕された被疑者の実名を報じることの是非について。被疑者は実名を報道されると、「逮捕された」「犯罪の嫌疑をかけられた」という不名誉な情報が社会に広まり、大きな不利益を被る恐れがある。

だが、「冤罪」を念頭に考えると、やはり逮捕された被疑者の実名は報道されないといけないとわかる。なぜなら、事件と無関係の第三者は、被疑者の実名がわからなければ、起訴された場合に裁判を傍聴できないし、不起訴になった場合に本人のもとを訪ね、事実関係を確認することもできないからだ。

これはつまり、被疑者の実名が捜査当局によって伏せられると、報道関係者などの第三者が被疑者が冤罪である可能性を検証することが著しく困難になるということだ。

では、犯罪被害者を傷つけるような報道、いわゆるセカンドレイプにあたるような報道の是非についてはどうか。セカンドレイプは絶対にあってはいけないことであるように言われがちだが、「冤罪」を念頭に考えると、そうとは言い切れないことがわかる。

たとえば、痴漢や強姦など性犯罪の多くは、被疑者が無実を訴えた場合、被害を訴える女性の証言の信用性が有罪・無罪を分ける重要なポイントになる。つまり、あらゆる犯罪被害者の中でも、もっとも扱いを慎重にせねばならないと言われがちな性犯罪被害者については、むしろその証言の信用性が慎重に検証されなければならない。そうすれば、性犯罪被害者をセカンドレイプ被害に遭わせることは不可避だが、それもやむをえないということだ。

そして最後に、どんなに劣悪な表現についても、表現の自由が保障されなければいけないのか否かについて。漫画やアニメの過激な性表現などに関し、この問題はしばしば議論されるが、これも「戦争」を念頭において考えると、すぐに答えが出る。

かつて戦時下において、日本国民の大多数が財産はもちろん、生命すらも国に捧げ、戦争に勝つために努力している中、「この戦争は間違っている」とか「こんな戦争は早くやめるべきだ」などと声をあげるような言論は、これ以上ないほど「劣悪な表現」だった。そういうこと言う者は「非国民」と呼ばれ、どんな制裁を受けても仕方がない者だとされていた。

よって、どんなに劣悪な表現でも、表現の自由が保障されなければいけないのは当然のことだ。

◎片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。YouTubeで『片岡健のチャンネル』を配信中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)