4月14日(日)、久々に矢島祥子(さちこ)さんの家族や支援者と鶴見橋商店街でビラまきをした。毎月14日に行われているが、私は仕事でなかなか参加できていなかった。群馬からかけつけた両親、兄の敏ちゃん、弟の剛君、姫路から飛松さん、そしていつもの支援者のほかに新しい支援者が数人も参加した。

 

商店街のお店一軒一軒にチラシを持って行き情報提供を呼びかける祥子さんのご両親

矢島祥子さんは2007年、釜ヶ崎に隣接する鶴見橋商店街の入り口にある診療所に勤務し始めたが、2009年11月14日、朝方まで残業していた診療所から行方不明になり、2日後、木津川で遺体で発見された。

私がこの事件を知ったのは2010年暮れだった。2008年頃から2年ほど店を3軒経営していたほかに裁判を抱えていたため、釜ヶ崎の祭りや越冬闘争にも参加できず、難波屋にも飲みにいけてなかった。

秋ごろ、久々に難波屋に飲みに行くと、筒井マスターが「ママ、久しぶりや。今度難波屋フェスティバルやるから、ママも歌いや」と言ってきた。まあ、どこかで「はなのママは歌がうまい」と聞いたのだろう(笑)。私はマスターの紹介してくれたギターの兄さんと練習をはじめてその日に臨んだ。生演奏で歌い拍手をもらうのは心地よかった。その後「ママ、越冬闘争のステージに出ないか」といわれ、調子こいた私は出演することになり、今度はベースやドラムなども入った本格的なバンドで歌うことになった。

暮れも押し迫ったある日、難波屋のカウンターの奥のテレビの下、常連客で元ヤクザだが書と絵がめちゃ上手い高ちゃんが書いた「薄利多売」の色紙がある前で飲んでいると、仲間が越冬のスケジュール表を持ってきてくれた。あるある「はなと愉快な仲間たち」(笑)。と近くに「夜明けのさっちゃんズ」というバンド名があった。「なに?このバンド」と私が聞いたときだ。知り合いらが「あっママ、それは聞かないで。タブーだから」というではないか?「え?」。聞けば、先に書いたように、矢島祥子さんという女医さんが謎の死を遂げていたという。私は彼女のことも謎の死のことも知らなかった。事故か、自殺か、事件かはわからない、でもタブーなのだという。

◆「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた不思議

その後ある人から「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた。だからではないが、毎年11月14日前後に開催される「矢島祥子さんを偲ぶ会」にはしばらく行かなかった。とある日、いつも講演会の会場を貸していただくかじさん(大西洋子さん)とおつれあいで一昨年亡くなった春さんも(中尾春男さん、釜ヶ崎で古くから日雇い労働者として働いてきた。1992年、「釜ヶ崎高齢日雇い労働者の仕事と生活を勝ち取る会」を作り、三角公園で週2回の炊き出しを始める)、同じく釜ヶ崎の知り合いにそう言われていたことを知った。普段あまり付き合いのない釜ヶ崎の知り合いが、ピースクラブの1階にある喫茶店にきて「遺族とつきあわんほうがいいい」と「アドバイス」したという。

私同様、祥子さんのことを知らなかった春さんとかじさんは「なぜ知り合いでもない私たちにそんなアドバイスしてくるのか?」と不思議に思い、遺族に連絡をとり、群馬にご両親を訪ねて行き話を聞いたそうだ。そして「これは何かある」と確信したという。祥子さんの死後、マスコミは「西成のマザーテレサ」などと呼ぶようになるが、このように、西成では祥子さんのことを知らない人も大勢いた。兄の敏ちゃんも「マザーテレサという言い方はマスコミが作ったもの。祥子はわずかな時間しか西成に関われなかったから、そんな言い方されると古くから活動している方に申し訳ない」と言っている。

当時、春さんには、私の店の第二期改装工事をやってもらっていた。そこで私は、春さんから、私が山谷に支援に入っていた頃、山谷で起きた対金町一家との闘いで、釜ヶ崎から支援に来た春さんが金町一家に拉致され、頭をかち割られたていたときいた。釜にきてそんな話をして知り合った春さんには「はなちゃん、はなちゃん」と言われ、改装工事終了後も仲間を引き連れ、はなによく飲みに来てくれた。でも、春さんは、私に「はなちゃん、偲ぶ会に来てや」と誘うことはなかった。自分が正しいと思うことでも、「あんたも関わるべきだ」とむりやり誘うことはしない、それは私と同じだった。

その春さんらと同様に、「遺族と関わるな、関わるな」と言われ続け、私のなかに疑問がふつふつ湧いてきた。

◆「さっちゃんの聴診器」をきっかけに矢島祥子さんのことはタブーではなくなった

「偲ぶ会」に初めて参加したのは、確か2013年だ。あれから月日は流れ、寺澤有さん、NHK取材班、作詞家のもず唱平さん、もずさんの愛弟子で「さっちゃんの聴診器」を歌う高橋樺子さん、同名の『さっちゃんの聴診器』を書いた大阪日日新聞の大山勝男記者、そして去年逝去された桜井昌司さん……多くの人が事件に関わりだし、矢島祥子さんのことはもうタブーではなくなった。

 

 

先日敏ちゃんに聞いた話。西成警察署で対面した祥子さんの遺体の首にくっきり残っていた赤い傷、それについて敏ちゃんは「ママ、あの醤油差しの蓋の赤ではなく、ママのエプロンの赤のような色の傷が、祥子の首の両側についていたんだ」と。

先日配ったチラシにはこう書いてある。「先日、新しく赴任された西成署の刑事課長から母に連絡がありました。互いの近況を報告しあったそうです。捜査については、未だ犯人につながるところは発表されません。事故死の観点からしても、それを決定づける新たな発見事実はないとのことでした。

母は解剖医から明かされた両頸部の圧迫痕、並びに溢血点の所見を持って、遺体検案書の死因を、自殺他殺不明の溺死ではなく、絞殺に書き換えてもらえるよう伝えたそうです」。

チラシは、「はな」にも置いてあります。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。2023年10月に『日本の冤罪』(鹿砦社)を上梓
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733