「体罰」ではなく、すべて「暴力」だった〈1〉1980年代、愛知県立高蔵寺高校の暴力教師たち

体罰。

一見、理がありそうで生徒・児童に何らかの教育的効果が期待できそうな響きを持つ倒錯。

わたしは教育機関におけるあらゆる「体罰」を全面的に否定する。高校・大学の運動部においても同様。わたしがこれまで体験してきた「体罰」は、生徒・児童の不適切行為に対する教師の、やむにやまれぬ選択であったことは一度もない。

逆だ。極めつけは「お前のその目つきはなんじゃ!」と、その筋の人間まがいの言いがかりをつけ、柔道で国体に出場経験のある教師が、生徒を投げるは蹴るは(木製タイルの上で)。その行為をわたしたち間では「殺人フルコース」と呼ばれていた。

◆生徒の鼓膜を破っても無罪放免だった中学教師の「狂乱」

不良なんか一人もいないおおらかな中学だった。だからその教師の「狂乱」が発生すると授業中のほかのクラスにも教師の怒鳴り声と、生徒の悲鳴が拡散する。心ある教師たちは、その悲鳴を聞いて「困った……」表情を隠しはしなかった。鼓膜を破られた生徒もいたがなぜか問題にされなかった。

柔道やボクシング、空手経験者が暴行傷害で検挙されると、通常人の行為よりも重く罰せられると聞いたことがあるが、その教員の過剰な暴力を校長も、他の教師もPTAも問題にはしなかった。彼らの言い分は「熱心な先生だから」。

馬鹿を言え!と言いたかったが、わたし自身もその教員に暴力を食らったことがあり(しかもその理由は極めて陰湿かつ政治的なものだった)中学生の頭脳と語彙では対抗することができなかった。歴史や文化の浅い街「ニュータウン」では、一般的な地域よりも権利意識が希薄であり、保護者連中も総じて教師に傅いていた記憶がある。

そしてこれは経験上の法則であるが、「暴力」教員を放置する学校では、もとは「暴力」を振るわなかった教員の「暴力」が蔓延する。「あの人もやっているから大丈夫なんだ」と思うそうだ。卒業してから20年ほどして暴力に手を染めた教員に感想を聞いた。無責任であるし、言語道断だと思う。

◆2012年「反原発」集会で目の前に現れた「高蔵寺高校分会」の組合旗

2012年東京。大規模な「反原発」集会とデモが行われていた。わたしはそこで腰を抜かしかけた「高蔵寺高校分会」の組合旗を目にしたからだ。そこそこベテランと思われる「高蔵寺高校分会」の旗を持った、おじさんに声をかけた。

「先生は高蔵寺高校の方ですか?」
「そうです。ここにいる3人は分会のメンバーです」
「わたしは高蔵寺高校の卒業生です。わたしが生徒だった頃は、組合に入っていた先生は一人しかいなかった。そしてひどい学校でした」
「開校当初の入学ですか」
「そうです」
「あの頃は酷かったでしょうね。声も出せなかったからね」
「いま、組合の先生は何人ほどいらっしゃるんですか」
「分会には20人近くいますよ」

光陰矢の如し、である。もちろん30年近い時間が経過しているのだから、変化は当然にしても、数万人集まった集会の中で、目の前に忘れようにも忘れられない「授業料を払いながら通う『刑務所』」の組合旗が現れたのは、表現するのが難しい感覚だった。

校長公認で学校ぐるみで生徒への暴力を推奨するのが、わたしが通っていた「授業料を払いながら通う『刑務所』」こと愛知県立高蔵寺高校であった(いまでは当時のような無茶な教育は行われていないと聞く)。

◆「東郷方式」という犯罪的教育ファシズムの嵐

1980年代。愛知県内では新設校で「東郷方式」と呼ばれる、犯罪的教育ファシズムの嵐が吹き荒れていた。愛知県立東郷高校ではじまった、この教育に名を借りた犯罪は、たとえば、学校には文化祭、生徒会、修学旅行、などは一切なし。高校は勝手に「集団行動訓練」と呼んでいたけれども、実質的な「軍事教練」が日々行われる。

毎日2回ある掃除の時間には生徒が、受け持ちの場所に走ってゆき教員に「点呼報告」を行う。

「報告します総員〇名、現在〇名。以上ありません」
「よし」(教員)
「お願いします」

これで掃除が始まるのだ。掃除の終了時には再び点呼報告がある。
「報告します総員〇名、現在〇名。以上ありません」
「よし」(教員)
「ありがとうございました」

いったい、1日に2回の掃除を強要されて、誰に「お願い」したり「ありがとうございました」という必要があるのだ。と、いう疑問をもってそれを発露すると大変なことになる。わたしは愛知県立高蔵寺高校在学中に、市来宏、冨田正二、英語担当の山本某、体育の佐治某など数えきれないほどの教員から個別に、あるいは集団暴行を何度も受けた。

ある時は現代国語の試験に「何でもよいから短歌をかきなさい」という設問に短歌を創作したら「その内容がけしからん」と職員室に呼び出されて暴力を振るわれた。

◆教師の8割以上が「日本教育会」の構成員だった

冨田正二は非常に悪質な音楽の教師であったが、暴力高校の屋台骨を背負っていた感がある。この男には音楽の時間に校歌ばかり歌わせられた。そういうくだらない授業に辟易していたので、3年生で非常勤の音楽の教師が「どんな授業を受けたいか書いてください」と4月の初めにアンケートを配布された際「1年生の授業はつまらなかったので、楽しい授業をお願いします」と書いたら、そのアンケートをどういうわけか冨田が見ていて(!)またしても職員室に呼び出され、顔や腹を殴られた。

また冨田は「日本教育会」という、当時は統一教会との関係も取りざたされた団体のリクルーターだった。「授業料を払いながら通う『刑務所』」に在籍していた当時の教師の8割以上は「日本教育会」の構成員だった。

◆「『申し訳ございませんでした』と学校に詫びろ」と罵声を浴びせる英語教師

愛知県立高蔵寺高校では、受験成績を上げるために、文系志望の比較的成績の良い生徒には、愛知大学と南山大学を受験するように強要が行われていた。わたしを含む学校にまったく好感を持たない生徒は愛知大学・南山大学の受験を拒否したが、そうすると保護者にまで電話を掛けたり、通知書に「どうして愛知・南山を受けようとしないのでしょうか」などと平然と書き込む馬鹿教師もいた。

3年生の時担任であった国語の中村某もその一人だ。中村は地頭が悪く、少しでも議論になると頭の整理がつかなくなり、破綻して現場を逃げ出すか「俺にも家族がある」と情けない言い訳をするどうしようもない教師だった。

だが中村以上に悪質で、特筆すべきは英語担当の山本某と市来宏だ。山本は45分間の授業の間に、毎回最低30回以上わたしを指名し、回答をさせた。わたしのクラスは30数人いたと思う。その中で私だけが毎回30回以上指名されるのだ。45分間に30回以上、多いときは40回以上回答を求められるので、好意的に解釈すれば「個人指導」を受けているようなもの(笑)だが、回答を間違えようものなら「ほらみろ! お前はいつまでも学校に反抗的な態度をとっているから、間違うんだ! 『申し訳ございませんでした』と学校に詫びろ」という罵声をあびせられるのだから、山本の行為はいじめといって過言ではなかったろう。

山本から罵倒された数は記憶できる範囲を大きく超えている。しかも山本は愛知大学・南山大学の受験を拒否する生徒に「受験料は先生が出したる」と授業中に公言し、実際に2万5千円(受験料相当額)を友人に無理やり受け取らせようとしていた。暴力教師の間では「自分の高校の生徒何人を愛知大学・南山大学に合格させたか」が競争のバロメーターになっていたのであろう。何たる貧弱な発想。迷惑な行動だろうか。

◆生徒に散々暴力を振るい、校長にまで出世した市来宏はしらを切る

市来宏は生徒に散々暴力を振るい、校長にまで出世して、退職後は馬を飼い、それが地元のテレビ、新聞で「美談」かのように報じられたが、とんでもない。この男ほど暴力の常習者はいなかっただろう。ちなみに市来宏はその話を『愛馬物語―クラリオンと歩む北の大地』として出版している。

竹刀を短く作り替えた「暴力専門」の棒を常に持ち歩き、少しでも気に入らない生徒の振る舞いがあれば、何の躊躇なく暴力を(しかも道具を使い)振るう。言葉での恫喝は趣味だったようで、こいつにはサディストの気があったのだろう。

数年前に市来に電話をして、「どうしてあなたはあのように暴力を振るったのか? わたしにどうして執拗に嫌がらせをしたのか?」と聞いたところ市来は「そんなことはしていない」と開き直った。ちなみにわたしの成績証明書は改竄されている。当時社会科の「倫理社会」は必須科目だったが、わたしたちの学年は教科書だけ買わされて、一度も「倫理社会」の授業を受けたことがない。にもかかわらず成績証明書には評価がつけられている。

その理由を市来に聞くと「知らない」としらを切る。何をいっているんだ! 学年主任だった市来が知らないところで成績の改竄が行えるわけがないじゃないか。自分に都合の悪いことは「知らない」癖に「あの頃の高蔵寺高校はどこよりも自由だった」と、腰を抜かしそうなことを言う。

電話をかけた当時市来は(現在は知らないが)痴呆だったわけではない。自分に都合の悪い質問は、言葉巧みにかわそうとしていた。わたしたちの学年の国公立大学志望者は、全員防衛大学の受験が強要された。この件は朝日新聞の社会面で報道されたが、その件を市来に聞いても「そんな事実はない」ととぼける。このような人間は本来、教育にかかわってはいけないのだ。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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安倍官邸親衛隊の最右翼、木原稔議員が総理補佐官に就任した政治的意味

◆陰険な言論統制と強烈な官僚統制

派閥順送りの閣僚人事は無能大臣を生み出し、国政の停滞をもたらすに違いない。今井絵里子内閣府政務官や小泉進次郎環境相ら若手の「育成」登用も、政権の人気浮揚効果とともに政局がらみであることで、今回の改造人事の内実は明らかだ。しかし国会答弁で詰まるような大臣がいても、それは無視して必要な法案が通ればよい。政局が水面下で展開しようと、審議と実効性のある施策が実施されればよい。それよりも問題なのは、国民に負託されない実権者たちが、この国の道筋を「勝手に」つくってしまうことではないだろうか。

閣僚のほかに、官邸人事も刷新された。じつは議員たちがなりたがる大臣や政務官よりも、官邸人事のほうが政権にとっては重要なのだ。補佐官、内閣特別顧問といった肩書の総理のスタッフこそが省庁に指示を出し、人事権をもって霞が関を統制・支配しているのだから。いわば安倍総理の代理人として、親衛隊として暗躍しているのが官邸スタッフなのだ。

かつて、北村滋内閣情報官(警察庁出身)はメディアから「日本のアイヒマン」と呼ばれてきた。その北村滋は今回、国家安全保障局長および内閣特別顧問となった。これまでどおり、安倍政権の情報統制や政敵のプライベート情報を調査する「情報将校」としての役割をつよめるのは必至であろう。

ただし、アイヒマンという表現は必ずしも当たっていない。親衛隊将校アドルフ・アイヒマンは、ユダヤ人虐殺を行なった収容所行政や囚人輸送に大きな役割をはたしたが、かれが虐殺を立案したわけではない。戦後、南米で潜伏中を摘発され、裁判にかけられたときに、アンナ・ハーレントが彼のことを、どこにでもいる普通の人物が虐殺に手を染めたと、ファシズムにとりこまれる人間の凡庸さを論評したもので、そもそもアイヒマンは情報将校ではないし、北村滋を内閣情報官に任命したのは民主党・野田政権である。

◆危険な総理補佐官

木原稔総理補佐官

それはさておき、今回この欄で取り上げるのは、北村滋のような理論肌の官僚出身者ではない。もっと強引に辣腕を振るいかねない、危険な総理補佐官である。その人物の名は、木原稔。熊本県第1区選出の衆議院議員だ。

ご記憶にあるだろうか。2015年に自民党「文化芸術懇話会」(文化人と政治家が参加)において、作家の百田尚樹が「沖縄のふたつの新聞(沖縄タイムス・琉球新報)はつぶさなアカン」と発言したことを。この懇話会の代表をつとめたのが、木原稔総理補佐官(衆議院議員)なのである。

ほかにも出席者から、安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」との声が上がった懇話会である。内閣官房長官の菅義偉すらも、懇話会での「マスコミを懲らしめる」といった発言について「報じられたことが事実だとすれば、どう考えても非常識だと思う。国民の審判を受けて国会に来た人は、自らの発言に責任を持つべきだ」と会見で述べている。この懇談会での報道圧力発言の責任を問われて、木原が党の青年部長を更迭されたのは言うまでもない。


◎[参考動画]【日いづる国より】木原稔、安倍晋三を支える決意[桜H25/1/18](SakuraSoTV 2013/1/18公開)

同じ2015年の沖縄全戦没者追悼式で、安倍総理に怒号が浴びせられたとき、木原は「主催者は沖縄県である」「たくさんの式典や集会を見ているから分かるが、明らかに動員されていた」「そういったことが式典の異様な雰囲気になった原因ではないか」と、ヤジを飛ばしたのは県の動員による参列者であると示唆している。

主催した県側は「動員などはあり得ない」と反論したが、主催者の一人である県議会議長の喜納昌春に「いくら何でもひどすぎる。ゆゆしき発言で、悲しくなる」「自民党に沖縄のことを何も知らない議員がいることが問題。末期的だ」と批判されたのは記憶に新しい。

青年部長を更迭ののち、木原は三か月で党の文部科学部会長に就任する。問題児ながら40代のはたらき盛り。期待の中堅政治家であることに変わりはなかった。

しかるに2017年には「子どもたちを戦争に送るな」という教育は偏向教育であり、特定のイデオロギーだと主張している。それに関連して、自民党のホームページに学校の教員情報を投稿できるフォームを設置したのも、自民党文部科学部会の会長・木原稔議員だったのだ。そのフォームには「学校教育における政治的中立性についての実態調査」とあった。そして、こう呼びかけていたのだ。

『教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。』

『学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。』

そし木原のツイートがこうだ。

『「子供たちを戦場に送るな」というのは、政治的中立を逸脱している。そんな発言をした「先生方」は自民党に報告してほしい。』と。一時的にとはいえ、自民党のホームページが密告を奨励するサイトと化したのだ。自民党および木原に批判が殺到したのは言うまでもない。


◎[参考動画]【木原稔・稲田朋美】地方に漲る力と絆、伝統と創造の会の役割[桜H26/5/16](SakuraSoTV2014/5/16公開)

ようするに、この男は極右政治家なのである。その意味では、官僚出身の総理補佐官とは違って、国民の負託を受けた独自の活動(行き過ぎ)をおこなう危険性がある。木原稔にはこれらの「前科」があることを確認しておこう。

現在、総理補佐官は官僚出身の今井尚哉と長谷川榮一(経産省)、建設官僚出身の和泉洋人、政治家は薗浦健太郎、秋葉賢也、そして木原稔の6人である。かれらが安倍総理の「分身」として暗躍するとき、官邸主導・一極支配の構造はいやがうえにも強化されるのだ。

国民に負託されていない官僚出身者は言動が慎重だとされるが、この総理補佐官の中には官僚出身でも極めて危険な人物もまぎれている。次回は「影の総理」とまで言われる人物を紹介することにしよう。


◎[参考動画]木原みのる財務副大臣 国政報告 アベノミクスの実績 麻生さんの話も(seikei-jpn2019/2/12公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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高齢・無能・暴力団だけではない 改造内閣の「不倫閣僚」たち

順送り人事ゆえに、およそ職務に不適格な高齢閣僚、暴力団との関係が深い反社閣僚、あるいは小泉進次郎の「転向」にみられる政局含みと。ここまで第4次安倍改造内閣の閣僚たちを紹介してきた。ものごとには、いろどりというものがある。今回はその、いろどりを色事で飾ってくれた閣僚たちの物語だ。

◆菅原一秀経産大臣の「愛人」遍歴

菅原一秀経産大臣

週刊誌で「愛人を練馬区議にした」と騒がれているのが、菅原一秀経産大臣である。菅原一秀氏といえば「保育園落ちた。日本死ね」というブログ問題の国会質疑で「匿名だよ、匿名」とヤジを飛ばしたことで名を知られる。経済産業副大臣時代には「政治経済事情視察」として国会を休み、当時の「愛人」とハワイ旅行に出かけていたことが「週刊文春」に暴露された。

菅原氏はバツイチなので、この「愛人」という呼称がふさわしいかどうかはさておき、今回新たに元秘書との関係が「週刊新潮」に暴かれたのだ。「不倫」の尻ぬぐいに、その元秘書を政治家にしたというのが記事のインパクトだ。その秘書は14年間ものあいだ菅原の政策秘書を務めた50代の女性で、昨年の補欠選挙でみごとに当選。今年の統一地方選挙でも上位当選をはたした。と、ここまで書けば本人を特定出来るのがネット社会の怖さである。

「週刊新潮」の記事では、菅原大臣の事務所での暴虐さも暴かれている。秘書たちは朝6時の街頭演説から、夜の11時までブラック勤務を強制されているという。

クルマの運転でも、ちょっとでもミスをすれば怒鳴られる。「このハゲー!」で政界を去った(選挙で落選)豊田真由子元議員の言動が暴露されたとき、「つぎは菅原だ」と囁かれたのが、これらの秘書に対する言動だったという。

2007年には秘書に党支部へのカンパ(毎月15万円)を強要したとも報じられた(菅原氏はカンパの強制性のみを否定)。高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載。

女性への言動の酷さは、何度も週刊誌を騒がせたものだ。前述のハワイ行きの愛人に「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」などモラル・ハラスメントしたと2016年6月に週刊文春が報じている。ということは、区議になった元美人秘書は30代から政策秘書(キャリアと能力が必須)を務めていたのだから、女としては扱ってもらえなかったことになる。

2016年には、舛添要一辞職後の東京都知事選挙に立候補が噂された民進党蓮舫代表代行が「五輪に反対で、『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』と自らのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言するが、後日「蓮舫氏のブログではなく、ネットで流れていた情報だった」と釈明している。あまりにも言動が軽く酷すぎる経産大臣が、国会質問で野党の標的になるのは必至だろう。

◆今井絵理子内閣政務官 あぶない男性遍歴の肉食系女子が政務官に

もうひとり、順送り人事のなかでは小泉進次郎環境相とともに、若手の起用となったのが今井絵理子内閣政務官(参院当選1回・35歳)である。沖縄アクターズスクールの出身で、アイドルグループSPEEDの元メンバー。離婚した175R(イナゴライダー)のSHOGOとの間に一子があるシングルマザーで、2009年には「ベストマザー賞」を受けている。

『週刊新潮』2017年8月3日号

ところが、ベストマザーは政治家転身後に不倫を犯す。2017年7月に「週刊新潮」自民党神戸市議員の橋本健氏との不倫疑惑を報じたのだ。今井氏は疑惑を否定しているが、橋本氏が「おおむね事実」と認め、「私が積極的に交際を迫ろうとした」「私自身の婚姻関係は破綻しているが、認識の甘さで軽率な行為をとってしまったと反省している」とコメントした。

橋本氏は妻子持ちであり、メディアは「略奪不倫」と報じたものだ。息子に聴覚障害があることから、SPEEDの復活をのぞむ声や政治家としての活躍を期待されたものの、愛人とホテルに3泊するという下半身交際をしていたのである。今井氏はホテルに宿泊したことは認めつつ、「深夜まで一緒に(講演)原稿を書いていた」と言い訳をしたという。ちなみに、橋本氏はその後、政務活動費の架空請求が明らかになり、神戸地検に詐欺罪で起訴された。2018年10月に懲役1年6月執行猶予4年の有罪判決が確定している。

だが、今井氏の「不都合な男性関係」はこれが初めてではない。参院選挙の出馬表明直後に一つ屋根の下で同居する事実婚男性がいることが週刊誌に報じられていたのだ。報道を受けて本人も「将来を見据えて交際している男性がいます」と同居男性の存在を認めていた。交際相手は沖縄の同級生で初恋の相手だという。実母とひとり息子と4人で一軒家で暮らしていたのだから、事実婚といっていいいだろう。事実婚相手は今井の所有する車を運転するなど、その姿は家族同然だった。今井の自宅近くにある児童デイサービスで送迎車の運転などして働いていたという

ここまでならば、シングルマザーを支えるかつての初恋相手という美しい話なのだが、それだけで終わらなかった。なんと、今井の事実婚相手に逮捕歴があったのだ。報道によると「彼は1年前に風営法と児童福祉法違反で那覇署に逮捕されている。未成年と知りながら中学生を雇い、客の男性にみだらな行為をさせていた。沖縄にいられなくなり、今井が東京に呼び寄せて仕事先まで紹介したらしい」という。そして事実婚相手は、自民党からの出馬が決まると身辺整理のために「捨てられた」のである。ここまで見てくると、恋多きオンナというよりも肉食系女子といった印象がつよい。

裏では「順送り、お友だち人事」と酷評される今回の改造内閣のおもてむきの評価は「育成内閣」だそうだ。しかし、今井氏起用に限っていえば、安倍総理は育成する素材を見誤っているというべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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マスコミがこぞって報じる「あおり運転」問題は本当に社会の大問題なのか?

自動車の「運転席に座ったとたんに性格が一変」するひとがいる。これは昔から言われ続けていることだ。加えて最近マスコミが「あおり運転」キャンペーンに、嬉々として取り組んでいるので、自動車を運転しないかた、あるいはそういった場面と遭遇したことのないかたには、「あおり運転」が喫緊の課題のように思われるかもしれない。がそんなことはない。

◆30年前から頻発していた「嫌がらせ運転」

「あおり運転」などという言葉はなかったけれども、同様の脅迫的運転はわたしが経験した限りでも30年前から、頻発していたし、悪質さはいまの比ではなかった。今日最初から誰かを狙って「あおり運転」をしてやろう、と準備しているひとはおそらく、極めて少数(あるいはいないかもしれない)だろう。

だが、30年前にはある種、運転を職業とする人の中で、無線で連絡を取り合いながら、自家車(主として女性が運転してる)を前後から挟み撃ちにして、嫌がらせをする行為が頻発していた(関西では、例えば国道176号線の山間部が有名だった)。本通信読者には身に覚えのあるかたはいないだろうが、176号線では事故には至らずも、猛烈な前後からの嫌がらせ運転(いま「あおり運転」と言われる行為)が、毎日のように行われていた。

あんなものは、自動車に乗ったら「変身するように、自分の力が何倍にもなるんだ」と思い込んでいる、お馬鹿さんの行為に過ぎず、したがって、今日でも同様の場面(すなわち「あおり運転」)にわたしが被害者として、遭遇することも珍しくはない。地方都市に住んでいると、公共交通機関があまり便利ではないので、自家用車の利用者が増える傾向にある。山手線の内側や大阪環状線の中とは利便性に、天と地ほど差があるのだ。

◆「おとなしい市民」と思われやすいハイブリッド車の運転者

わたしの住む住宅街は、公共交通機関の便はよくない。だから買い物や通院では自家用車を利用する。わたしの所有している自家用車は、日本一有名な自動車製造販売会社が生産した、いわゆる「ハイブリッド」車だ。こういった車種を購入するひとや運転者は「おとなしい市民」と見なされやすい。実際現在所有している車種は同じ名前の、2代目であるが、この車に乗り出してから、あわや交通事故になろうかと思われる危険運転に、何回遭遇したことだろうか。

自動車を頻繁に運転する方には、お分かりいただけるだろうが、運転者は、自分の周りを走っている車の「車種」で、自分の運転態度を決める傾向がある。わたしが所有している「おとなしい市民」が多数利用している、と思われる車種には、たとえばBMWやメルセデスベンツ、国産の大型車が、強引に接触すれすれで割り込んできたり、広い道にでようと待っていると、わたしの前に2台待っている車があるにもかかわらず、やかましくクラクションを鳴らしてくる。

あまりの失礼さに、わたしがサングラスをかけて車を降り、クラクションをやかましく鳴らしたBMWの運転席の窓をノックすると、ご婦人が急に顔色を変え「どうしよう!?」と焦っている。それでもわたしはノックを続ける。ようやくご婦人が窓を開ける。

「わたしが動けないのに、クラクション鳴らされてもしょうがないじゃありませんか。やかましいですよ」

「急いでいたものですから……すみません」

「急いでいたって、わたしの車は動けないでしょ。あなたは、『どうせおとなしい運転者だ』とおもって、気軽にクラークション鳴らしたのでしょうけど、わたしのような人間が運転していることもあるんですよ」

「すみません! 二度と鳴らしません」

毎日車を運転するわけでもないのに、平均すると、月に一回はこのような場面に遭遇する。

◆「あおられる方」の運転態度に問題があるケース

それから、文字通りの「あおり運転」には、「あおる方」だけではなく、「あおられる方」の運転態度に問題があるケースが少なくない。どなたが採った統計だったか忘れたが、大阪では赤から青信号に変わって、0.4秒経っても信号待ちしている先頭の車のブレーキランプが消えないと、後続車がクラークションを鳴らす、という(本当に科学的かどうかわからないが)調査結果をむかし耳にしたことがある。

たしかに、大阪中心部の運転は荒いし、せっかちな人が多い。逆にわたしの居住地では、赤信号が青にかわって、5秒くらい発進しない車がざらにみられるし、こちらが右折しようとしているのに、前方から直進してくる自動車が、交差点内で、停止して右折を譲ってくれることしばしばだ。親切といえば親切ではあるが、交通法規上は、「直進優先」が原則だから、このように交差点で直進しようと思い、信号が青だと確認していても、前の自動車が急停止することがある、実はこれは非常に危険な行為で、この近辺ではこのような運転による事故も多い。が全国的な問題ではないから、報道されるほどのことではない。

つまるところ「あおり運転」は、マスコミがこぞって問題にしなければならないような重大問題ではない。消費税の引き上げ、年金の引き下げ、原発事故による健康被害や汚染水問題。それらに比べればはるかに社会性の低い問題だ。社会性の低い問題を過剰に報道し、社会性の高い問題を報じない。これもある種の道義的罪ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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私の内なるタイとムエタイ〈63〉タイで三日坊主! Part.55 藤川ジジィ再来襲!

◆人生懸けた取組み!

藤川さんは巣鴨に数日滞在した後、京都の娘さんのところへ行き、巣鴨に戻って来られてからタイへ帰られたが、またまた話題を振り撒いて行ってくれた数日間だった。

滞在目的は昨年と同様だが、テーラワーダ仏教普及に務める関係者との交流と、御自身が仏陀に惚れ込んだ想いを、私のような頭の悪い騙され易い人物?に広める活動の一環であるが、日本人各々が抱える社会問題の悩みに救いの手を差し伸べてやろうという藤川さんの残りの人生を懸けた真面目な取組みがあるのも事実であった。

巣鴨駅前付近を歩く藤川さん
巣鴨の街を歩く藤川さん

◆朝の早くから成田空港へ

6月9日(1995年)は朝早くから起きるも、眠たくて行くのやめようかと思う。しかし飯食わせに行かねば。「俺ってお金無いのに何しに行くんだろ!」と思う。

日暮里から京成電車に乗って成田空港に7時過ぎに1時間以上早く着いた。バングラディッシュ航空便で朝8時10分着と言っても到着ロビーに出てくるのは30分ぐらい後だろうとのんびり待ってたら、出てきました一際目立つ黄色い悪魔が。いや、やっぱり茶色かった。ワット・タムケーウからネイトさんとバンコクに向かわれてから4ヶ月半ぶりの再会。そんな懐かしさを持って藤川さんに近づいていくと、先に女子大学生風の美女二人が藤川さんに近づいて挨拶した。

はあ? 比丘に美女? しかしそれは出家前の藤川さんならありそうな、タイ人水商売風ではない清楚な美女。やがて藤川さんは私に気付き、「おお、お前、顔つき変わったなあ、雰囲気が前と違う、やっぱり成長したんやなあ!」と余計なお世辞から来た。

「そんな訳ないでしょ、髪は伸びたし俺は相変わらず三畳間暮らしの借金抱えた貧乏人に戻りましたよ!」とは応え、改めて「こちらの女性は?」と聞くと、以前、俗人時代にタイで会ったことがあって、昨年泊まった巣鴨のアジア文化会館のロビーのソファーに座っていたら、ここの泰日経済技術振興協会のタイ語学科に通う女子大生姉妹と偶然再会し、こんなタイの坊主の格好している驚きから話が弾んだらしい。

そしてこの縁を逃がすまいと思ったか、「今年も同じアジア文化会館に泊まるから迎えに来てくれへんか!?」と連絡していたようだ。去年は町田さんが待っていたし、「何だ、こんな段取りがあるなら俺、来なくてもよかったじゃないか、2年連続して!」と文句言うと、「まあええやろが、何人かに声掛けとけば誰か来るやろ!」相変わらず勝手な言い分である。

この女子大生姉妹も藤川さんのオモロイ話に惹かれ、食事を捧げに行ってやらねばと思ったのだろう。でも今に分かるだろう、引っ張り回される鬱陶しさを。

とにかく先に朝食をと思ったら、この姉妹、お金持ちなのか、ベンツで迎えに来て居られた。

「食事は朝昼兼用で一回でええよ!」という藤川さん。高速を走り、都内に入ってから営業しているお店を見つけどこかのレストランに入った。店内の「何だこの組み合わせは!」というような視線。親子でも兄妹でも恋人にも見えない我々4名である。食事を捧げる儀式は姉妹に任せてみた。慣れないなりにも藤川さんが広げたパープラケーン(寄進用黄色い布)の上に興味津々に食事のトレーを載せてタンブン。姉妹とオモロイ存在の藤川さんとは相性がいいようだ。

アジア文化会館前から裸足になっての出発前

◆巣鴨で剃髪

この翌日のこと、「今日は満月の前日やさかい頭剃らなイカンのやが、お前剃れるか?」と言う藤川さん。

「どこで剃るんですか? そんな場所無いでしょ、床屋でやってくれるんじゃないですか?」と言うと「ホンナラそこでええわ、行こ!」とこの巣鴨の通りにある床屋さんに入った。すると小奇麗なオバサンがやって来たところで、「ワシ、タイで坊主やっとるんやけど、戒律で女性に触れること出来んのや、男の人に頼めるけ?」

“なんか怪しいオッサン”と思ったかどうか分からないが、嫌な顔はせず、男性店員さんが出て来てくれた。店長風の気品あるオジサン。バリカンで刈った後、シェービングクリームを頭に塗って、眉毛も含めてカミソリで剃り始めた。“速い上手い”である。少々、滲む程度の出血はあったが、メンソレータムをちょいと塗ってくれて終了。ここは藤川さんが自腹で払った。

「ワシらタイの坊主は頭に虫食われるし、ワシは小さい吹き出物傷はあるから切れるのは当然や、でもあの床屋のオッサン上手いわ、剃り味がワシらと全く違う、“ジョリジョリ”やなく“スススーッ”と滑るような剃り味やった。気持ち良かったあ、さすがプロやな!」。毎月タイの寺に来て欲しそうな顔である。

床屋さんで気持ち良さそうに剃髪する藤川さん
巣鴨でサイバーツを受ける藤川さん

◆巣鴨で托鉢

更にその翌朝6時半頃、アジア文化会館に向かうと、藤川さんは托鉢に向かう準備をしていた。これは予定したものだが、これを撮影させて貰う。藤川さんの托鉢を撮影するのは2回目だな、これが日本でのことになるとは。

巣鴨の早朝の街を托鉢して、サイバーツ(寄進)に出会う確率は1パーセント未満だろう。巣鴨住民が見れば、「また頭のおかしいオッサンがおかしいことやってる」としか思わないかもしれない。

でもそんな他人の目など気にする藤川さんではない。そんな托鉢を待ち構える“ヤラセメンバー”は揃っていた。裸足になってアジア文化会館を出て、巣鴨駅周辺まで歩き、戻って来るコース。成田空港まで出迎えた女子大生姉妹の妹さんの方とその友達、そしてもう一人、タイ仏教に関心を持ち、すでにタイで一度出家経験があるオジサンが道端でサイバーツを待ち構えた。最後に私もカメラを置いてサイバーツ。

藤川さんの歩く姿はワット・タムケーウ周辺を托鉢する姿と変わらなかった。やや俯き気味でも足下気にすることなくやや早足で進む。私は道路にガラス片など危険なものが落ちていないか気になった。日本の道路は舗装はキレイだが、細かいガラス片や洗濯挟みの砕けた破片やホッチキスの針など落ちている可能性がある。

タイの道路は汚れがあったり、舗装は徹底されていなくても散乱物は少ない。それはペッブリーでの托鉢で、毎朝掃き掃除しているオジサンや手伝っている子供をよく見かけていた。托鉢する比丘の為、習慣化した配慮があるのだろう。幸い、巣鴨の道もキレイだった。

サイバーツを受ける、通行人から見れば異様な光景
道はキレイだった巣鴨の道

もう少し東南アジア系の外国人が喜んで寄って来ないかなとわずかな期待を掛けたが、このメンバー以外にサイバーツする人はいなかった。これが新大久保だったらまた違った状況になっていたかもしれない。

サイバーツされた食材は、しっかりしたお弁当風の包み。アジア文化会館ロビーに帰って皆を集めて朝食に着いた藤川さん。お得意の説法(雑談)をしながら食事を進めた。その辺が楽しめる会話ではある。

私は帰国直後の4月下旬に、得度式を撮影してくれた春原俊樹さんには電話して帰って来たことを報告し、得度式のフィルムを頂く為に、都内のタイ料理屋で再会していた。そこで、

「春原さん、6月に藤川さんが日本に来ますが、会いますか? 無理しないでね、利用されるだけだから!」と言ったが、「行く行く、オモロイから!」と再会にノリノリであった。

そしてこの托鉢した日の御昼前、昨年と同じ巣鴨駅前で待ち合わることになっていた。私の出家反省会となって、また私のこと笑って盛り上がるのだろう。私は「藤川ジジィを懲らしめる会!」を(冗談だが)立ち上げてやろうかと思うところだった。

振り返る人もいる異様な姿

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

続々湧き出す第4次改造安倍政権の新閣僚スキャンダル 政治家と暴力団の切っても切れない関係

反社会勢力、すなわち暴力団と政治家の関係は、集票とカネ(利権)という政治の根幹にかかわるゆえに、本質的に切れないものである。

第4次安倍第2次改造内閣(首相官邸HPより)

「いい人だけ付き合ってるだけじゃあ選挙落ちちゃうんですよね」
これはたびたび引用することになるが、2016年1月に辞任した甘利明社会保障・税一体改革担当大臣の辞任会見での発言である。URへの口利きのあっせん利得として、事務所(秘書)が建設会社から1200万円を受け取っていた責任をとって、辞任した一件だ。この「いい人だけ」の裏側には「悪い人と付き合う」が含意され、そこにはパーティ券の購入や資金援助、ブラックな人脈との付き合いが政治家の本質だと暗喩されている。

それがただの暗喩ではないことを、今回の改造内閣はわれわれに明示している。すでに派閥均衡(ただし反主流派は除外)の順送り人事であるがゆえに、70歳をこえた老害政治家や、とうてい大臣の任にたえない新閣僚を本欄で紹介してきた。9月18日の記事参照

◆経済ヤクザは、かならず政治家と結びつく

今回は単に能力がないだけではなく、暴力団と密接な付き合いがある新閣僚を紹介することにしよう。しかし、それを単なるスキャンダルとして突き出すつもりはない。反社会勢力というレッテルも暴力団という概念も、警察官僚が作り出した法律用語にすぎず、かならずしも実態を反映していないからだ。

たとえば警察官のなかに圧倒的に性犯罪が多いのは、抑圧された階級組織に特有の病理である。だからといって警察官が全員性犯罪者とはいえないし、警察組織を犯罪組織とみなすこともできない。ヤクザ(任侠)組織も同様に、犯罪を是認している組織は存在しない。建前だけとはいえ、任侠道はまっとうな人の道を説いている。ヤクザに暴力事犯が多いのはケンカのプロという側面からある意味当然だが、それはカタギ(一般市民)に迷惑をかけてはいけないという組織の規律に担保されている。そして経済のグレーな部分を担う経済ヤクザは、かならず政治家と結びつく。それは政治家とヤクザの関係の本質なのである。

だが大臣となった以上、警察官僚が決めつける反社会勢力との密接交際は許されないことになる。いわば本質と建前のあいだで、政治家は集票力とカネを大臣職と引き換えに返上するシステムになっているのだ。したがって本来はスキャンダルではないはずのものが、閣僚になることでマスコミの標的にされることになる。甘利氏が言うとおり、政治家は矛盾した存在なのだ。そんな新閣僚が、今回の改造内閣でも浮上してきた。

◆田中和徳復興大臣 よく調べてみると、無能だった

「産経新聞」2011年10月22日ウェブ配信から引用しよう。復興大臣に就任した田中和徳氏(70歳)である。※引用の肩書は当時。

田中和徳復興大臣

【自民党の田中和徳(かずのり)元財務副大臣(62)の政治団体が、平成18年に開催した政治資金パーティーで、指定暴力団稲川会系組長が取締役を務める企業にパーティー券を販売し、40万円を受領していたことが21日、産経新聞の調べで分かった。パー券販売は財務副大臣在任中で、暴力団側から政治家側への直接の資金提供が判明するのは極めて異例。暴力団排除条例が全国の自治体で制定されるなど「暴排」の動きが加速する中、国会議員と暴力団側の関係が発覚した。政治資金収支報告書や関係者によると、パー券を購入していたのは東京都品川区に本社を構える企業。設立は昭和62年で、法人登記では「日用品雑貨の販売」「金銭貸付業」などとなっている。捜査関係者によると、同社は暴力団のフロント企業として認定されているという。稲川会系組長は、設立当初は代表取締役を務めていたが、平成4年からは取締役に就任。同社が長年にわたって暴力団の影響下にあり、資金源となっていたことがうかがえる。】(2011年10月22日付け産経新聞

すでに8年前の件でもあり、本来ならば問題視すべきではないことかもしれない。しかし暴力団との結びつきを暴露されるということは、ある意味で無能の証明でもある。そしてこの人物が大臣不適格なのは、あまりにも職務に不勉強であるからだ。9月12日に、田中復興大臣は福島県庁を訪れ、内堀雅雄知事と会談している。

ところが、この会談では官僚のペーパーを棒読みするばかりだった。記者会見でも避難者の住宅問題などには何も答えられなかった。取材者や県職員からは資質を疑問視する声が上がったという。

「民の声新聞」発行人の鈴木博喜氏は、退出する田中大臣に「自主避難者追い出し訴訟議案」(国家公務人宿舎に入居している避難者5世帯が被告になる)について「福島県が福島県民を訴えるなんて事が良いと思いますか?」と尋ねたが、「いや、これはちょっと私も……」と、しどろもどろの返答なのである。鈴木氏の記事から引用させていただく。

【事務方が「新幹線の時間がありますから」と制する中、筆者は「大臣の所管する話ですよ」、「勉強不足ですよ」と続けた。田中大臣は小さな声で「勉強不足って言われても……」とつぶやきながら会見場を後にした。】(2019年9月13日付け民の声新聞)

勉強不足だと思えば、その場で詳しく聞けばよいだけの話だ。質問の要旨をメモにとって、事務方に調べさせればよいのだ。それすらもできない大臣は、必要ないのではないか。

◆武田良太国家公安委員会委員長 さすがに暴力団からカネをもらったのはマズいだろう

武田良太国家公安委員会

つぎに「朝日新聞」(2019年9月13日付け週刊朝日)から引用しよう。
【2010年11月に公表された、武田氏の政治資金管理団体「武田良太政経研究会」の収支報告書によると、09年4月に開かれた政治資金パーティー代として、東京都のA社が50万円を献金している。また、11年11月公表の収支報告書では、A社の実質的な代表であるI氏が10年4月の政治資金パーティー代として70万円を支払っている。実は、このI氏、警察当局が指定暴力団山口組系の組員ではないかと当局からマークされ、裁判で素性が明かされた人物だった。
 08年12月、東京地裁で開かれた刑事事件の法廷。上場会社E社の創業者のH氏が、暴力団関係者に脅迫され、金銭を要求された恐喝未遂事件の裁判で、被害者として証言に立ったが、本誌が入手した裁判資料によると、I氏についての以下のような記述があった。
弁護士 E社はA社と業務提携なさいましたよね?
H氏   はい
弁護士 Iさんが元暴力団の構成員だというのもご存じですよね?
H氏   知りませんでした。はじめは
弁護士 知った後、あなたはどういう対応を取りましたか?
H氏   契約の解除に動きました
 ここで出てくる、「Iさん」こそ、武田氏に多額の献金をした人物と同一なのだ。】

政治家と暴力団の蜜月は、集票とカネ(利権)にかかわる本質的なものだと、わたしは冒頭で定義した。しかし、大臣は国政の責任を負う存在である。ましてや、警察機構を統括する国家公安委員長が、過去のこととはいえ暴力団から政治資金パーティーの代金を受け取っていたのである。

武田氏は13日の記者会見で「個別の報道には答えを差し控えたいが、政治資金は法令に基づき適切に処理されている」と説明した。もはや論評は不要であろう。警察庁を所轄する大臣が、適切に処理されていれば暴力団から献金を受けても良いと明言したのだ。

◆組長と仲良く写真を撮っていた竹本直一IT担当大臣 

最後は本欄ですでに、ハンコ文化を大切にする新IT担当大臣として紹介した竹本直一氏(78歳)である。同じく「朝日新聞」からだ。

山口組幹部だった男性と竹本直一氏(2018年8月撮影)

【閣僚名簿で「グレーな交友」を疑われたのが、科学技術担当相に起用された衆院当選8回の竹本直一氏(78)。SNSに、18年8月、花火を見物している竹本氏と記念写真に一緒に写っている角刈りの男性の姿がある。指定暴力団山口組系組幹部だったX氏である。同年3月に、竹本氏の後援会が開催した新年賀詞交歓会のパーティーで、X氏と岸田氏が親しそうに写真に納まっている写真が、写真週刊誌「フライデー」にも掲載された。
「X氏は長く幹部である組の顧問を最近までやっていたようだ。昔から、資金力豊富だと有名だった。岸田氏や竹本氏との写真は、箔(はく)をつけるために撮ったのでしょうね」(捜査関係者)そして、宏池会所属のある議員はこう話す。
「(フライデーに写真が出た時から)竹本氏は相手が暴力団関係者であることがわかっていたはず。岸田会長も、あの報道には激怒していましたよ。なぜ、竹本氏はSNSの写真を削除させなかったのか? こんなわきの甘さでは、大臣が長く務まるとは思えないですね」(2019年9月13日 週刊朝日)】

よくわかった。この人(IT政策担当大臣)はハンコをこよなく愛しているが、パソコンはたぶん自分で使えないのだろう。ホームページが「なぜかロックされている」のは既報のとおり、SNSも自分で管理できないから暴力団組長との記念写真を削除できなかったのであろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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安倍総理が小泉進次郎を環境相に迎えた本当の理由は何か?

小泉進次郎の環境相兼原子力防災担当相への就任。それを仕掛けたのは、菅義偉および田崎史郎だった。月刊「文藝春秋」9月号の「令和の日本政治を語ろう」というキャッチで、小泉進次郎と菅義偉の初対談が12頁にわたって掲載された。


◎[参考動画]環境相に小泉進次郎氏 第4次安倍再改造内閣が発足(共同通信2019/9/11公開)

◆進次郎を誘った菅官房長官の狙いは明らかだ

その中で菅氏は「進次郎という政治家をずっと見ていて感じるのが、何かをやろうという意思を常に持っているというところ」さらに「改憲は自民党の党是です」と迫ると、進次郎氏も「改憲にはもちろん賛成です」と応じる。田崎氏が「九月には内閣改造、自民党役員人事が控えています。進次郎さんはもう閣僚になっていい?」と振れば、菅氏は「私はいいと思います」と言明している。この記事は小泉進次郎を閣僚に登用する宣言だったのだ。

そして滝川クリステルとの結婚報告を、首相官邸で行なうという政治の私物化を堂々とマスコミに披露した。マスコミもそれを批判するどころか、まるで芸能人扱いだった。

ご存じのとおり小泉進次郎は無派閥で、どちらかといえば石破茂に近いとされてきた。というのも自民党農林部会で活動し、内閣府政務官として農業および地方創生で石破茂の活動を補佐してきた。のみならず、安倍総理と石破氏が総裁を争った党内選挙では、公然と石破氏への投票を明らかにしてきたからだ。ナショナリズムと個人的感情、そして独裁的な手法で政治を切りまわす安倍総理に、小泉進次郎も危険なものを感じていたからにほかならない。そして父純一郎の反原発政策を、基本的には引き継いでいるとされる。

進次郎を誘った菅官房長官の狙いは明らかだ。参院選挙で与党改憲勢力が3分の1を割り込み、自民党も議席を減らしている。消費税増税でさらに景気が冷え込み、アジア外交の行き詰まりから、安倍政権が死に体になるのは目に見えている。そこで話題づくりのために、国民的に人気のある小泉進次郎の閣僚起用ということになったわけだが、狙いはそれだけではない。あらゆる政治家は、ナンバーツーの存在を許さない。独裁的な政治家であればあるほど、政敵になりそうな政治家を潰しにかかるのだ。これまで一匹狼的に、いや孤高の立場から政治をコメントし、国民がその言動を注目している小泉進次郎人気を取り込み、しかし政治的な試練を与えることで「育成する」と称しながら、そのじつ潰しにかかっているのが菅官房長官および安倍総理の本当の思惑なのだ。

◆意地悪な人事だった

たとえばアメーバニュースの座談会で、ジャーナリストの堀潤氏は「(小泉氏の入閣が)意地悪な人事だった」と述べている「2020年にはオリンピックがあり、韓国もそうだが諸外国から日本の原発に関する注目度が高まっていく。政府は『アンダー・コントロール』と言っているが、その時に差配を振るうのが小泉さんだ。加えて、以前に比べて環境に対するブランド力は上がっている。その2点を踏まえて『やれるもんならやってみな』という思惑も見え隠れする」と言うのである。

いっぽうで、元日経新聞記者の鈴木涼美氏は「首相候補といわれている小泉さんを無傷で置いておくために環境大臣にしたのでは」と指摘した。「環境省は常駐の記者がいないくらいニュースに乏しいところだった。ニュースにならないということは安全ということだ」という。

ネットニュースのスマートフラッシュの記事によれば、進次郎氏を長年取材する政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は、こう指摘する。

「安倍(晋三)首相が、進次郎氏に環境相を打診したのには、“嫁いびり” というか、試練を与え、政権批判を封じ込めるという意図がある。父・純一郎氏は原発に反対。その整合性は取れるのでしょうか」と。父の小泉純一郎氏は「(原発の廃止に)大いに期待していると」記者会見で語気をつよめた。


◎[参考動画]「自然エネで発展できる国に」息子・進次郎に要望(ANNnewsCH 2019/9/15公開)

◆嫁いびりという見方も

初出張は、前任者の“お詫び行脚”だった。小泉進次郎氏は、就任翌日(9月12日)に福島県を訪問している。前任の原田義昭衆院議員が、福島第一原発の汚染水について、「海洋放出しかない」と発言したことを謝罪したのだ。

「この発言によって、お怒りになった方、またたいへん苦しい思いをされた方にまず会って、自分なりの気持ちをお伝えしたいと思った」というものだ。

原田氏の発言については、科学的な所見をふまえたものという評価もある(高橋洋一嘉悦大学教授・現代ビジネス)。高橋教授によれば、被災者に寄り添うだけでは汚染水問題解決しないということになる。

「環境相は、いまや発信力だけではなく、調整力や結果も問われる難しいポストになってしまった。大臣になって “逃げ” の発言が多くなれば、失望が広がりかねません」(政治ジャーナリストの角谷浩一氏、スマートフラッシュ)という見方もある。そして厳しい意見もある。

「前任の原田氏が、あえて批判の的になることを覚悟して『海洋放出』というボールを投げた。ところが、進次郎氏はじっくり考えずに動いた。世界の事例から考えても、処理水は希釈し、海洋投棄しても何ら問題はない。進次郎氏はその可能性をつぶしたのではないか。進次郎氏は、自らの発信力を『風評被害払拭』に向けるべきだ。寄り添っているフリだけ巧みにしているようでは、今後が心許ない」(ジャーナリストの有本香氏、夕刊フジ「以読制毒」)。これで安倍政権が、単に小泉人気を取り込んだだけではなく、閣僚人事が熾烈な「政局」であることを見ておく必要があるだろう。

◆よく似ている安倍総理と進次郎氏

それにしても、安倍総理と小泉進次郎氏はよく似ている。国民への好感度は、明快なしゃべり方、演説の能力によるものだ。演説の能力とは、同時に質問をかわして自分勝手な演説でそれを答弁に代える詭弁的な能力でもある。言葉の軽さと言い換えてもいいだろう。

難しいとされた日朝交渉に、当時官房副長官として登場した安倍氏は、自民党のプリンスとして国民的な期待感のなかで総理まで登りつめた。ちょうど20年前の安倍氏と、現在の小泉氏の姿はかさなって見える。政治家になる前史からたどってみたい。

その人の学歴を云々するのが、やや下品な批評であることを承知で解説しておくべきであろう。ふたりとも出身校は一流とはいえない。

安倍晋三氏は小学校から大学まで三菱財閥系の成蹊学園で、東大や慶応をめざした様子はない。東大法学部からキャリア組で警視庁入りし、のちに警察庁の審議官までのぼりつめた超エリートの平沢勝栄が家庭教師についても、晋三氏はお坊ちゃんが行く一貫校卒だったのから、その学力は推して知るべし。しかし、キャリアを積むためにアメリカに語学留学し、語学学校をへて南カリフォルニア大学に留学。神戸製鋼に入社し、ニューヨーク事務所、東京本社でビジネスキャリアを積んだ。南カリフォルニア大学はスポーツで有名だが、アメリカの最難関校とされている名門だ。その後、外務大臣を務めていた父晋太郎氏の秘書官になる。

小泉進次郎氏も、小学校から関東学院である。関東学院大学といえば、一時ラグビー部(春口監督)が大学選手権を連覇するなどの有名校(のちに大麻栽培の生活事故で凋落)だが、学力的にはトホホである。かつては赤軍派の拠点校として有名だった。東大闘争の安田講堂死守戦では、社学同の籠城部隊の主力だったという。横須賀にちかい六浦キャンパスは環境がいいといえばいいが、横浜から遠すぎる。小泉氏も安倍氏と同様に、国内でのトホホな学歴を、アイビーリーグの名門コロンビア大学に留学することで克服した。その後、ロンドンタビストック人間関係研究所配下の戦略国際問題研究所非常勤研究員をへて、父純一郎氏の私設秘書を務める。

◆安倍・小泉両家に共通する選挙基盤をささえてきた「黒歴史」

だが、ふたりが似ているのは、学歴やその後のキャリアアップだけではない。安倍・小泉両家ともに、反社会勢力との密接な関係で選挙地盤を築いてきた、隠された歴史があるのだ。

小泉家においては、横須賀一家がその選挙基盤をささえてきた「黒歴史」がある。横須賀一家とは稲川会の中核組織であり、現在も八代目の金澤伸幸が会長補佐を務めている名門だ。小泉純一郎を支援していたのは五代目にあたる石井隆匡、すなわち二代目稲川会会長、その人である。石井会長は竹下登にたいする皇民党の「褒め殺し」を止めたことで知られる。北祥産業というフロント企業を経営し、政商として自民党を操った。

三里塚闘争の「話合い」も北小産業で行なわれた。その石井会長の子分に浜田幸一元衆院議員、事実上の兄弟分に金丸信元自民党副総裁がいる。石井会長は金丸信と竹下登に「裏総理」と呼ばれ、赤坂の東急ホテルで会合するときには、若き日の小沢一郎がボディガードよろしくラウンジの入り口に立っていたという。

いっぽう、安倍家も小泉家におとらずヤクザと親しい歴史を持っている。地元の合田一家とは長らく、選挙協力の関係にあったという(地元関係者)。そして安倍晋三自身が、やはり対立陣営への選挙妨害などで特別危険指定暴力団の工藤會と密接交際をかさねていたのは、昨年8月の本欄および「誰も書かなかったヤクザのタブー」(タケナカシゲル著、鹿砦社ライブラリー)にくわしい。

かような相似性を持っているがゆえに、安倍総理の側からは小泉進次郎を手玉に取るのはたやすいことであろう。進次郎氏のほうもまた、安倍総理の成功に自分をかさねて政治家としてのキャリアアップの図を描き、シンパであった石破氏を見限ったのであろう。今回の入閣がキャリアアップにつながるのか、それとも安倍総理に潰されるのか、最大の興味をもって見守りたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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ある日、朝起き上がる気力がなくなった…… 男性更年期障害にどう向き合うか?

古い友人が苦しんでいる。「精神疾患と名前が付くほど状態ではないけど、仕事に行くことができず、本人曰く『エネルギーが枯渇している』と感じる」らしい。メールで「調子が悪い時、お前はどうやってしのいでいる?」と質問が来たので、はて、あの元気者が何を言い出したのか、と疑問は感じていた。

しかし一時的な忙しさ(奴の仕事は定型業務が全くないといってよいほど、バラィエティーに富んだ珍しい仕事だ)ゆえのことだろうと、わたしは深刻には考えなかったので、「とりあえず疲れが取れるまで寝とけ」とメールへ返信した。

◆ある日、朝起き上がる気力がなくなった

ところが数日後、今度は電話がかかってきた。「お前、京都の精神科知ってるだろう? どこがいい?」今回はかなり切羽詰まった声で前置きもなく精神科を紹介してくれという。事情を聴くと半年ほど前から心身の疲労蓄積を感じるようになり、疲れているのに睡眠が浅くなったそうだ。その後症状が徐々に悪化して、ある日ついに朝起き上がろうにも、その気力がなくなったという。

彼には気配りのできる伴侶がいるので、彼女にも体調の変化を聞いてみた。すると「実は半年前から私仕事を始めたので、朝は早く出かけて、夜の帰宅も早くはなくなりました。ちょうどそのころから彼の調子がおかしくなった」とのことであった。ご伴侶は世間でも「先生」と呼ばれる公的資格を持っていて、長年専業主婦の座で我慢してきたが、子供も就職が決まり夫婦二人になったので半年前から現役復帰をしたというわけだ。

◆「そんなふうに俺がなるもんか」という思い込み

私には奴と似たような経験があったので、気心の通じた開業医の精神科を紹介した。診察結果は私の予想通り「抑うつ状態、3か月の自宅加療を要する」であった。

私は出来立てほやほやの、その診断書を目にして「先生、この加療3か月ですが、1年にしていただけませんか。こいつは会社の経営者で会社は順調ですから1年くらい休めます。金も羨ましいほど持ってます。ただ、大学を出てからろくに休まずに四半世紀以上猛烈に働いてきたから」と付き添った私がお願いすると「経営者のかたですか。ならば雇用を切られる心配はないのですね。わかりました。加療はいきなり1年は書けませんから6か月にしましょう。その間には受診に来られますからまた伸ばせばいい」と私の意をくみ取って頂けた。

診察室を出てすぐに奴は「おい、1年も仕事休めねえよ。お前無責任だな」と小声で言うので「じゃあ廃人になるか、自殺に追い込まれたいか?」ときつめの視線で睨んでやると「そんなふうに俺がなるもんか」と視線をあわさずに言うので、「そう思っている人間が危険なんだよ。俺もそうだった。体力はともかく精神的に崩壊するなんて絶対にない、と思い込んでいたよ。俺の場合は20年ほど前だけどね。自分のことを『救急車』みたいに思っていたのさ。『救急車』は病人や怪我人を運ぶだろ。だけど時々運転ミスで事故をするとニュースになる。あれだよ。横転した救急車ほどか原状回復が難しいものだよ」と自信をもって長期療養を勧めた。

◆「俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性こそ危うい

最近奴ほど深刻ではないものの、同様の相談を受けることが多くなった。いずれも同世代の男性からだ。そして医学書にも書かれているが、私はほぼ確信を持ちつつある。これは男性の「更年期障害」というやつと無縁ではないと。ただし私の定義する男性更年期障害は性欲や性機能とは無縁の症状を指す。

女性の更年期障害には研究の蓄積があり、女性ホルモンの投与などで症状を抑える対処療法も確立されているが、男性の「更年期障害」については、「定期的に運動をする」とか「気分転換を心掛ける」など、まだこれといった決め手はなさそうだ。おじさんからおじいさんに転換する時期に男性更年期は起こることが多いようだ。たいていは軽度で1年以内に快癒するらしいが、男性更年期だけでなく「燃え尽き症候群」を伴っている場合には別の危険性もある。

わたしが知人に感じたのはその危険性だった。「俺は大丈夫。俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性が、これまで感じたことのない精神的な壁にぶつかったら注意した方がいいだろう。

「仕事が生きがい」の人でも「このままだったら『死ぬよ』」と警告すれば、ほとんどの人が休みを選択する。こう言っては失礼だが職人さんや小企業の経営者を除いて、「あなたがいないと回らない」仕事などないのだ。そのことに本当に気が付いたときに、思考の転換への好機が訪れるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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奇人変人総集合の第4次安倍改造内閣で国民が払う重いツケ

第4次安倍改造内閣の閣僚が酷すぎる。誰が大臣になっても政治は変わらないというのは一つの真理だが、失政の多くは閣僚個人を通じて行われるものであって、そのツケはすべて国民が背負い込むことになる。どれくらい酷い政治家ばかりなのか。紹介をかねて、その言動をあばいていこう。

◆竹本直一特命担当大臣(78歳)──このIT大臣はパソコン使えるのか?

竹本直一内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)

元サイバーセキュリティ担当大臣で「PCを使ったことがない」「オリンピック憲章は知らない」「パラピック(パラリンピックのこと)」と国民を驚かせたのは桜田義孝(五輪担当)だが、所信表明に近い改造後の発言は、その大臣の資質を自己暴露するものだ。今回、IT政策担当大臣に抜擢されたのは、竹本直一氏(78歳)である。78歳と高齢なのは、内閣が派閥均衡(ただし主流派のみで、石破派など反主流派は排除)と順送りの起用の結果だ。竹本氏も政務官や副大臣を歴任し、今回晴れて大臣就任となったわけだ。IT担当相のほか、科学技術政策担当、宇宙政策担当、クールジャパン戦略担当、知財戦略担当の特命担当大臣として初入閣である。

ところが、いやある意味で当然というべきか、早々からトンデモ事態が明かになって物議をかもしている。なんと、自らのホームページがロックされ閲覧できない状態になっているのだ。ご本人は「なぜロックされているのか、原因はわからない」という。その後、竹本氏は自身の公式ツイッターで、「ドメインを管理している会社からロックがかけられた状態になっており、復旧作業を進めている」などと説明している。

そしてもうひとつ、記者会見で突然「行政手続きのデジタル化と書面に押印する日本古来のハンコ文化の両立を目指す」と言い始めたのだ。役所をはじめとする事務手続きでハンコが必要となる煩雑さに関して、これまでにも議論が沸き起こっていたが、デジタル化を推進するはずの大臣がこんなことを言いはじめたのだ。ハンコ文化は中国・朝鮮から渡ってきたもので、それを「日本古来の」と言いなすのも見識が問われるというものだ。そして問題なのは、竹本氏がハンコ議連の会長であることだ。これは業界の利害をのみ突き出した、利益誘導ではないのか。いや、そもそも桜田元大臣といい、竹本大臣といい、高齢でとてもITに向いていない人材を、最先端技術の要職に登用しなければならないところに、安倍政権の末期的な姿がある。

◆北村誠吾地方創生・規制改革担当大臣──職務をわかっていない老害大臣

北村誠吾地方創生・規制改革担当大臣(同氏HPより)

30年以上にわたって、地元住民(建設地の地権者)が反対している石木ダム(長崎県川棚町)について「誰かが犠牲にならなければならない」と、強制収容を匂わせた大臣もいる。大規模ダムなどという昭和の遺物に執着する、まさに老害といういうしかない。

その人物は72歳という高齢で地方創生・規制改革担当大臣に就任した、北村誠吾氏である。ちなみに、地元住民は治水対策としては水道管の漏水など、生活に直結したものを優先してほしいと訴える。

9月7日にはダムに反対する集会に150人ほどが集まり、「土地の強制収用はさせない」とする宣言文を採択した。宣言文は9日に県知事あてに提出する予定。参加者は集会後、のぼりなどを掲げて市街を練り歩き「ダムは要らない。皆で止めよう」と声を上げた。北村氏は就任会見では「大臣の仕事については、これから勉強していきたい」と、準備ができていないところを自己暴露したが、官邸への呼び出しが当日にならないとわからない組閣の常とはいえ、あまりにも安易な順送り起用とはいえないだろうか。

◆衛藤晟一一億総活躍担当大臣──日本会議と現政権の直接の窓口役

衛藤晟一一億総活躍担当大臣(同氏HPより)

改造政権はポンコツであるとともに、トンデモ極右政権でもある。一億総活躍担当相として入閣した衛藤晟一氏(71歳)がその最右翼といわれている。1947年生まれで、学生時代は三派全学連・全共闘の時代とかさなる。衛藤氏は大分大学で「九州学生自治会連絡協議会」(のちに全国組織)を結成し、打倒全学連運動の先頭に立ったという。生長の家の活動家でもあった。大分市議、県議をへて衆議院議員(現在は参議院)と、官僚出身ではなくベタに党人派としてのキャリアを積んできたわけだが、その極右思想は一貫している。日本会議国会議員懇談会の幹事長をつとめ、日本会議と現政権の直接の窓口役となっている。

「日本会議の生みの親」とも呼ばれる村上正邦元参議院幹事長はインタビューでこう発言している。

「もし安倍さんが日本会議の言い分を尊重しようとしているなら、衛藤晟一を大臣にしているはずですよ。だけど、入閣させてないということは、そういうことですよ。日本会議の象徴は、稲田(朋美・防衛相)じゃない。稲田だとみんな言うが、衛藤ですよ」(「週刊ポスト」2016年9月2日号/小学館)。自衛隊の国防軍化、原発賛成、死刑制度賛成、夫婦別姓反対、女系天皇反対と、極右政治家としての基本政策はもちろん、婚外子の差別を是正する「婚外子の相続分規定改正案」に、自民党の党議拘束に反して賛成票を投じなかった筋金入りの超保守なのである。

◆お友だち起用の萩生田光一文科大臣──安倍氏・加計氏と3人でバーベキュー

衛藤氏よりもさらに極右で、しかも安倍総理にベッタリの役どころを演じると思われるのが、文部科学大臣に就任した萩生田光一氏だ。萩生氏の議員会館事務所には、なんと教育勅語が掲げられているという。

文科相としての起用には伏線がある。それは2013年には自民党の「教科書検定の在り方特別部会」の主査に就任していることだ。同部会は「自虐史観に立つなど、多くの教科書に問題となる記述がある」と教科書会社の社長や編集責任者を呼び出し、南京事件や慰安婦問題、竹島などの領土問題、原発稼働の是非などに関する教科書の記述について聞き取りをおこない、圧力をかけたこともある。

2007年には、日本会議の設立10周年大会にメッセージを送り、「行き過ぎたジェンダーフリー教育、過激な性教育」対策では日本会議の識者の先生方の後押しもいただき、党内でも問題を喚起し、ジェンダーの暴走をくい止め、正しい男女共同参画社会へと路線を変更する事ができました」などと自慢げに報告している。それよりも萩生田氏の最大の問題点は、安倍総理の「お友だち利権」であろう。

第一次安倍政権いらい、安倍総理は仲間内を大事にして、いわば上級国民ともいうべき階層を代表する政治運営に奔走してきた。大企業の法人税の軽減による「経済の活性化」という、およそ消費重視の内需拡大の経済発展ではなく、一部の資本家と上層社会が儲かる仕組みをつくってきた。

羽生田氏と安倍・家計

そしてもうひとつが、お友だち優遇の行動である。羽生田氏は選挙に落ちた「浪人時代」に、加計学園系の千葉科学大学の客員教授に就任しているが、2017年に内閣官房副長官として「教授就任前に加計氏とは付き合いはなかった」と国会答弁している。ところが、2013年ごろの写真として安倍氏・加計氏と3人でバーベキューをしている写真が暴露されたのだ。そこから「嘘つき政治家」と称されるようになったのだ。平気で嘘をつくような人物を、お友だちだからといって教育にたずさわる文部科学大臣にしてもいいのか。

反安倍から官邸での結婚報告と、安倍政権へのすり寄りに転じた小泉進次郎の環境相就任。元SPEEDの今井絵里子が当選一回ながら内閣府政務官に就任するなど、話題に事欠かない第4次改造安倍内閣。長くなりそうなので、この記事は続編を期待してほしい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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3・11から7年間、福井県美浜町で撮り続けられた映画「40年 紅どうだん咲く村で」と「鉄塔」という詩 『NO NUKES voice』ルポ〈8〉

 
映画「40年 紅どうだん咲く村で」

ドキュメンタリー映画「40年 紅どうだん咲く村で」の上映を、大阪市九条の「シネ・ヌーヴォX」で観た。3・11から7年間、福井県美浜町で40年間反原発を闘っている松下照幸さんを撮り続けた作品だ。

監督の岡崎まゆみさんは、福島の原発事故の惨状を目の当たりにし、「原発を原子力村を『知ろうとしなかったのだ』ということを、そのときに『知った』」と悔やみ 、「ドキュメンタリー映画を作るということは、まず『知る』ことから始めよう」と、松下さんを訪ねた。その後美浜町に通い続け、この作品を完成させた。

◆松下さんが反原発に変わったきっかけ

若狭湾の南東部に突出した敦賀半島にある美浜町には、1970年に1号機、1974年に2号機、そして1976年に3号機の計3基の原発が造られた。この町で生まれた松下さんは、もともとは原発反対ではなかったという。

反原発に変わったきっかけは、20代の頃、家から100メートルも離れていない家の青年(22歳)が白血病を発症したことからだ。関電の原発で働いていた青年は、入院した地元の舞鶴市民病院から、半ば強引に大阪の関電病院に移送され、そこで亡くなったと聞かされた。

「地元の病院で亡くなったなら、データは地元に残るが、大阪の関電病院で亡くなったら、データはどうなるのか? 何かが隠されないか?」。松下さんはそう疑問を持ち始め、独自に原発問題を学習し、反原発に変わっていった。

◆運転開始から28年間、一度も検査や交換をしていなかった伝熱管

 
映画「40年 紅どうだん咲く村で」

美浜原発では、1991年2月2号機で、蒸気発生器の伝熱管の1本が破断したため、原子炉が自動停止し、非常用炉心冷却装置が働くという事故が発生、5年後の2004年8月には3号機で、タービンを回すための二次冷却水の配管が破裂し高温の蒸気が噴出、11人の死傷者を出すという大事故が発生した。

破損した配管は相当摩耗していたが、1976年の運転開始から28年間、一度も検査や交換をしていなかったという。配管は、水流や腐食によって厚みが減る「減肉」を起こしており、通常10ミリある厚みが、最も薄いところで0・4ミリしかなかった。

1991年の事故のあと、松下さんは、神戸で反原発を闘う仲間から送られてきたチラシを、初めて居住地域でまいた。暗くなった夜遅く、妻と娘とともに1軒1軒、こっそり入れてまわったという。

映画でこの話をするとき、松下さんは突然何かを思い出したように涙ぐんだ。村の中で、原発反対を口にすることがいかに困難だったことか。驚くのは、当時お元気だった松下さんのお母さん(故・松下八千代さん)が、家の前で道行く人に平気で「読んで」とチラシを渡していたというエピソードだ。松下さんはそれを「息子の言っていることを信じてくれたから」だと話す。

◆「原発のせいだ」とは言えずに生きてきた原発立地の住民たち

もとより原発立地の住民は、手放しで原発を誘致したわけではない。橋1本、道路1本つけてもらうために、仕方なくそれを選択してきた。福島も福井も、そして私の故郷・新潟も、原発がきたことで、出稼ぎに出なくて済むようにはなった。地元にも原発関連の仕事が出来たからだ。莫大な交付金は、しかし住民の生活を直接潤すことはなく、立地自治体に不釣り合いなでかい「ハコモノ」などに次々に化けて、維持費が追い付かず、結局「もう一基作ってもらおう」と原発への依存体質を強めていった。

家族や親せき、隣近所の人たちが原発関連の仕事に就いているため、原発に関することは半ばタブーとされてきた。大熊町で農業を営みながら、反原発の歌を詠み続けてきた佐藤祐禎さん(2013年避難先で死去)の歌集「青白き光」(いりの舎)にも、そうした歌が多数詠まれている。

「サッカーのトレセン建設を撒餌とし原発二基の増設図る」
「鼠通るごとき道さへ鋪装され富む原発の町心貧しき」
「原発事故にとみに寡黙になりてゆく甥は関連企業に勤む」
「危険なる場所にしか金は無いのだと原発管理区域に入りて死にたり」
「子の学費のために原発の管理区域に永く勤めて友は逝きにき」

 
松下さん、木の成長が待ち遠しくて笑顔(映画「40年 紅どうだん咲く村で」より)

生活の為、うすうす危険を承知で原発を選び、結果大切な家族、身近な人を亡くした人も多いことだろう。しかし周囲に気兼ねし、「原発のせいだ」とは言えずにきた。美浜町もそうであったろう。

しかし、そうした町も少しづつ変わってきた。91年の美浜2号機事故後は「一体どうなっているのか?」と松下さんに聞いてくる人が増えたという。3・11後、故郷・美浜町に戻った青年が「町はまるで茹でガエルのようだ」と悲観し、2014年、2003年以降12年ぶりの町長選挙に出馬を決意した。松下さんも応援した選挙では、現町長約3500票に対して青年は2000票強。敗れたとはいえ、この数字は原発依存からの脱却を考える、町民の民意の反映ではないだろうか。事故を経験し、原発の危険性に気がつきはじめ、それに伴い町の人たちの松下さんを見る目がかわってきたという。過去には、まるで汚い物見るような視線があったと、松下さんは語る。

松下さん、地域の八朔祭に参加(映画「40年 紅どうだん咲く村で」より)

◆「反対」だけでは原発を止められないとの思いで始まった松下さんの反原発の闘い

「都会で反原発をいう人は『なぜ原発立地の人たちは危険な原発に反対しないの』という。しかし原発立地の人たちにとって原発をなくすということは、原発関連産業で働く『地域の仲間たち』の職を奪うことだ。そこに私はずっと負い目を感じてきた。だから反原発と言うだけでは解決しない。原発に依存しない経済や生活を作ることと一緒に行わないといけない」と、松下さんは自身の反原発のスタンスを語る。松下さんは現在、原発にかわる地場産業になればと、「紅どうだんつつじ」という花木を栽培、販売する事業を手掛けている。

そして「福井の原発が事故を起こしたら、放射性物質は風下の太平洋側に流れていきます。チェルノブイリ事故では、2000キロも遠くへ放射性核種が飛散している。現地がいくら反対しても原発は止められない。全国の人たちと、原発立地の人たちがともに闘わないと止められません」とも。「私の誇りは40年間負けなかったこと」、映画の中でそう話し、再び目を潤わせた松下さん。「反対」だけでは原発を止められないとの思いで始まった松下さんの反原発の闘いは、いよいよその重要性を増している。


◎[参考動画]『40年 紅どうだん咲く村で』予告編(mayumi okazaki 2019/8/10公開)

※映画「40年 紅どうだん咲く村で」HP https://benidoudan.themedia.jp/

◆「鉄塔」という詩

小浜市明通寺の中嶌哲演さんらが発行する「はとぽっぽ通信」に、いぜん掲載された「鉄塔」という詩がある。福井県の原発で作られた電力は、鉄塔と送電線を使い、はるか遠い、最大の電力消費地・関西に運ばれる。遠くに運ぶための鉄塔と送電線には膨大な費用がかかり、しかも長い送電線で送るため、せっかく作った電力は消費地にたどり着くまでにロスを生じさす。ならば、電力を大量消費する都会の近くに作ればいいものを。そうしない、いや出来ないのは、原発事故が起きたとき、失うものが余りに大きすぎるからという理由に他ならない。電力を大量消費する私たちが、どう反原発を闘うかが問われているのだ。

「鉄塔」というこの詩は、美浜原発3号機で息子さんを亡くしたご遺族か、関係者が詠んだものと思われる。美浜3号機の事故のことは私も知ってはいたが、メディアで報道されないことが、詩の中にあった。長い詩の一部を紹介したい。岡崎監督が述べたように、原発立地の町で何が起きたかを「知る」ために。

「鉄塔」 小浜市f.t

透き通った小魚を煮えたぎる湯の中に入れると
一気に白く茹で上がるのを知っているだろうか

あの日、発電所は古くなった配管の損傷を見落としていた
あの日の朝「いってらっしゃい」と見送った息子が
真っ白い遺体になって自宅に運ばれた時の母の気持ちがわかるだろうか

発電所の下請けの、また下請けの地元の若者が
高温の蒸気を浴びて一瞬にして命を落とした

若者の葬儀のために 電力会社の人間が本社から大勢やってきた
昼飯に、海辺の町の寿司は旨いといってたらふく食べたあと
神妙な顔に作り変えて葬儀で頭を下げた

海と田園を持つ田舎のこの町は電気を作ることだけを受け持っているけど
命に代えるほどのメリットが有るはずはないのだけど
電気は必要だけど
ウランは一度怒りだしたら百万年鎮まらない難儀な男
電力会社に もう一度見詰め直してほしいんだけど。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号  創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟