はじまりの季節に想う「八幡浜市乳児5死体遺棄事件」の深層

新小学1年生とおぼしき子供たちが真新しいランドセルを背負って登下校する姿を見かけ、微笑ましい思いにさせられる今日この頃。そんな「はじまりの季節」に私は、ある痛ましい事件を思い出す。2015年に世を騒がせた愛媛県八幡浜市の乳児5死体遺棄事件だ。犯人の女はすでに懲役7年の判決が確定して服役しているが、あまり報道されなかった裁判では、思った以上にむごたらしい事件の内実が明らかになっていた――。

◆いつのまにか終結していた裁判

「臨月のように大きかったお腹がへこんだのに、子供の姿が見えないんです」

事件は近隣住民のそんな通報から発覚したという。2015年7月、愛媛県警は八幡浜市の無職、W(当時34、女性)を死体遺棄容疑で逮捕した。Wが実父や弟、中学生の息子と一緒に暮らす家の物置などから赤ちゃん5人の死体が見つかり、Wは相次いで子供を産み、殺害した疑いがあるとされた。

事件は注目を集め、「実父との近親相姦で出来た子供を殺していたのではないか」などの憶測が飛び交った。だがその後、松山地裁であったWの裁判員裁判はあまり報道されなかった。2016年1月、懲役7年の判決が出て、Wの裁判は終結していたのだが、そのことを知っている人はマレだろう。

新聞報道によると、赤ちゃん5人の死体が見つかりながら、Wが起訴されたのは1人の女児に対する殺人罪だけで、他の4人に対する殺人罪は嫌疑不十分で不起訴になったという。それ自体が不可解だが、そもそも赤ちゃんたちの父親は誰だったのか。私は取材を進め、裁判員裁判の判決を入手したが、それを読み、思わずため息をついてしまった。

Wが逮捕された当初、メディアは事件を一斉に報道したが、続報はあまりなかった

◆次々に妊娠していた本当の理由

〈被告人(筆者注・Wのこと)は、平成18年(2006年)頃に元夫と離婚し、父、弟及び長男と同居するようになったが、家計を支えるため、短時間で日払いの高収入が得られ、苦手な人付き合いも少ない仕事として風俗店で勤務するようになり、平成20年頃風俗店での収入が減少すると、出会い系サイトを利用しての売春もするようになった。被告人は、より高い料金を得られることなどから避妊せずに売春したことで同年頃妊娠し、一旦中絶の予約もしたが、代金が高いため手術を受けることなく早産し、その後も避妊せずに売春したことで妊娠出産してはその死体を自宅物置きに置くことを何度か繰り返しながらも、避妊せずに売春を続けていた〉(Wに対する判決より)

つまり、Wは家計を支えるために否認せずに売春を重ね、妊娠を繰り返していたのだが、驚くのは「ピルで避妊する」という発想すらなかったことである。私はWに対し、生命の尊さをわかっているのか否かということ以前に、知的能力に相当な問題があったのではないかと思わざるを得なかった。

唯一立件された2015年7月に女児を殺害した件については、Wは自宅の風呂場でこの女児を出産し、すぐに口と鼻を手でふさいで窒息死させたという。判決はこの事件について、こう批判している。

〈家族や行政機関への相談の道もありながら何ら相談することなくむしろ拒絶し、結局本件に至ったのであるから、その意思決定は厳しく非難されるのが当然である〉(同前)

この批判はもっともだが、Wがなぜ、家族にすら相談しなかったのかも不思議だ。Wは40代前半で社会復帰することになるが、出所後は真っ当に働き、真っ当に生きていけるのか、他人事ながら心配だ。

Wの子供として生まれ、生きることを許されなかった乳児たちは順調に成長していれば、今ごろはランドセルを背負って、小学校に通い、楽しい学校生活を送っていたかもしれない。取り返しのつかない罪を犯したWには、せめてきちんと社会復帰して欲しい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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球場のビール売り子から『芸能界志向』女子が消えアジア系外国人が増えた理由

おのののかに代表されるように「プロ野球の試合でのビールの売り子は選びに選んだかわいい子が球場を闊歩して芸能事務所のスカウトの目にとまる」というのがあまたある芸能界デビューの形のひとつ。2016年もハマスタの美人売り子、摺河洸(するがほのか)が芸能界デビュー。とにかく芸能界デビューに近いのがプロ野球のビールの売り子で、スカウトたちも注目していた。

だがここにきて様相は変化。ビールの売り子たちは口をそろえて「アイドルやタレントなどになりたくない」と言うし、「売り子は15~18キロ近い樽を背負って急勾配を歩くので脚が太くなる」との理由で最近は「女性の売り子のなり手が激減して、その隙間に男性や東南アジアの女性が入ってきた」(球場関係者)という実情だ。

スマートな顔立ちで細身の男性、そして台湾やマレーシア、ベトナムなど東南アジアの女性の売り子たちが「ビールいかがでしょー」と声をかけながらスタンドを闊歩する。野球場のビールの売り子事情が変化している。

4月2日、神宮球場で13時プレイボールの「東京ヤクルトスワローズ VS 横浜DeNAベイスターズ」に行ってみると、確かに女性のかわいい売り子に混じって男性の売り子、すなわち『ビール・ボーイ』がちらほらと見える。外野席で数えるかぎり、のべ36人のうち、5人が男だった。さらに、そこかしこで片言の日本語で「すこしお待ちください、ビールおつぎいたしまーす」との声が聞けた。

つまり端的にいえば「ビールの売り子という職業から転じる芸能界ルートというのも夢がないし、仕事自体も激務なので、希望者が少なくなってきた隙間を男性と東南アジアの女性が埋めているということ。派遣会社スタッフは語る。

「ビールの女性の売り子の確保は喫緊の課題です。とくに野球場のビールの売り上げは、女の子のかわいさに比例する。もちろんイケメンのビール・ボーイ目当てに年輩の婦人が男の売り子から買うケースもあるが、やはりかわいい女の子が売るビールは飛ぶようにはける」

おのののかなどは「1日400杯売ったこともある」と豪語している。

ビールの売り子歴4年のさやかさんは語る。
「よく芸能事務所のスカウトの方から『うちの面接来ない?』と声をかけられます。ですが事務所から5万円しかもらっていないとして引退を決めて出家した清水富美加や独立したのんの扱いを見ていると芸能界はブラック企業だと思うので興味がありません。専門学校に通っていますので美容師になります。男性や東南アジアからの売り子が増えるのはいいことではないですか。球場に女性のかたも海外の人も来て欲しいです」

またビールの売り子出身でAV女優や、ファッションモデルにスカウトされた女性もいる。ただし、彼女らは必ずしもそのアルバイト経験をプロフィールに書いていない。セールスプロモートするときに、ビールの売り子という履歴はどうしても苦労したイメージがついてまわってしまう。

「時給900円で歩き回る過酷な世界。神宮球場や東京ドーム、ハマスタなど掛け持ちでこなしてようやく月に12万円くらい稼ぐのが限界です。1日やれば脚がパンパンに腫れるほど疲れるので、連続勤務は難しいです。ですから台湾やマレーシアの女性も増えてきていますよ」(前出派遣会社スタッフ)

つまり、「ビールの売り子」はかつて「芸能界への道へと通ず」という形だったが、そのルートも希望はなく、きつい仕事になり手がなく年中募集。ついに「男性売り子や海外からの募集」に頼らなければいけなかったというわけか。

この日、両チームは拮抗した試合で延長10回裏まで突入。長時間だけにビールの売れ行きはよかったようで、舞台裏で「今日は予想以上に売れた」という女性の売り子の声も漏れ聞こえた。

ゲームそっちのけで“キャバクラ感覚”で女性のかわいい売り子と話している中年男性がかつて球場では名物だったが、これからはイケメンのビールボーイと懇意になる中年婦人や、海外の女性の売り子と現地言葉で仲良くなる国際的な光景が野球場で楽しめるのかもしれない。

(伊東北斗)

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キックボクシングに不戦勝は必要か?

「赤コーナー選手が現れないので、青コーナー選手の不戦勝と致します。」
前回テーマの繰り返しではありません。

前回のこの文言の中で“不戦勝”に違和感を覚えた人はどれぐらい居るでしょう。おそらくは全閲覧者の中、2~3人でしょうか。それほどこの文言に違和感無く通り過ぎてしまう関係者が多いキックボクシング界でもあります。

さて、キックボクシングの試合に於いて、この“不戦勝”は必要でしょうか? 先に述べたこの青コーナー選手はリング上で勝者コールを受けました。もう古い団体の結果なので、公式記録として残ったかは不明ですが、リング上で公式コールを受けたものは訂正が無い限り公式記録として残るのが常識です。しかしその常識が通用しないことが起こり得るのが私的団体のやることでもあるキックボクシングの曖昧さに繋がっています。

不戦勝による勝利者トロフィーを受け取る平戸誠(平戸)氏。グローブを付けない姿でした。この頃は違和感もなく不戦勝という扱いを受け入れていました。(1983.9.10)

◆もう27年も前の話。まだ若かった某選手との討論

「不戦勝は要るんですよ。そうでなければ調整してきた選手側にとって試合無くなったらその努力が報われない。僕だって過去に無い無理な減量の試合組まれた時、不戦敗になりたくないからわざわざ暑いタイまで行って減量したのに、試合捨てたら不戦敗+罰金ですよ。それで相手側のファイトマネーが保障されるんです」

この選手側から見る主張は、正論と言える語り口でありました。しかし、プロボクシングに於いては明確にルールが確立するコミッションがあり、“不戦勝”は存在しません。試合が出来なくなればそれは“中止”となります。その境界線を厳密に引くならば、第1ラウンドの開始ゴングがなるまでに、何らかの事情で試合ができなくなれば中止でしょう。ゴングが鳴ってしまえば災害が起きない限りは勝ち、負け、引き分け(負傷裁定を含む)の結果が残ります(災害時は無効試合)。

プロのキックボクシングではと言えば数々の分裂してきた私的団体であるが為、あらゆる末端のルールは曖昧なままの部分が多い競技です。

欠場選手が発生した場合、キックボクシング創生期から大半が代打出場選手によって試合を潰さない努力はされている様子です。しかし直前になって逃げたとか急病によって中止せざるを得ない場合も稀に発生します。その場合に“不戦勝”という扱いに違和感を覚えるごく少数派もいる訳です。

オープントーナメント62kg級決勝戦の二人。藤原敏男引退の為、“勝者扱い”による長浜勇の優勝(1983.3.19)

◆勝者扱いという枠組

何度も例に挙げることになりますが、かつて1982年11月~1983年3月に行なわれた1000万円争奪オープントーナメントでは、62kg級で準決勝を勝ち上がった藤原敏男(黒崎)と長浜勇(市原)がいましたが、藤原敏男突然の引退宣言。決勝戦は「長浜勇選手の不戦勝」という発表の下、優勝となりました。

ここでの不戦勝は上位進出を決める“勝者扱い”となるもので、当然ながら公式記録には、藤原敏男の最終試合は準決勝で戦った足立秀夫(西川)戦であり、長浜勇の公式記録(生涯戦績)に藤原敏男の名前はありません(ただし、どこも私的団体の独自判断の為、記録に残している媒体や団体もあります)。

プロボクシングに於いても毎年行なわれる新人王トーナメントでも欠場があった場合は勝者扱いによる上位進出が発生します(公式戦引分け勝者扱いもあります)。この場合、公式記録には残りません。

キックボクシングに於いても不戦勝が発生しても厳密には単に中止であり、トーナメント戦等における上位進出に於いても勝者扱いとすべきものでしょう。

伝説の好カードは鈴木秀男欠場による“勝者扱い”で日本ウェルター級新人王を獲得した竹山晴友(大沢)氏(1986.11.24)

◆報われない理不尽な結末も

出場可能側選手にとってはそれまでの努力が報われないという理不尽な結末になる場合があり、手売りしたチケットの払い戻しが発生したり、そのファンは観戦しても応援する試合が観られない不利益にもなり、現金ファイトマネーは半額だったり全く無しだったり、相手側の違約金も会長やプロモーターに渡るだけで出場可能側選手には入らなかったりと、正に報われない現状がジムによっても采配に差があるようです。

不戦勝を公式記録に含む場合の不合理はKO率が下がることです。10戦10勝(9KO、1不戦勝)となった場合、KO率は当然90%です。不戦勝そのものについても公式記録として“1勝”は加算すべきではないですが、“勝者扱い”とする試合そのものは“中止”として、出場可能側選手には勝利に値する正規ファイトマネーと地位上昇を与える代償が必要でしょう。この辺は出場選手を守るルールが整備して欲しいところでもあります。

大相撲を例に “不戦勝はあってもおかしくはない”と主張した格闘技担当の某記者に突かれたことある反論で「大相撲にも不戦勝はあるでしょ」とボクシングと比較できない反論でしたが、大相撲に於いての関取(十両以上の力士)の不戦勝は、15番取ってひとつの場所の成績となって番付編成があり15日間、関取全員出場ですから空きの力士は居ません。取組みの決まった相撲は消化されなければならない為、大相撲での不戦勝は必要になります。

些細な問題ですが、安易に判断されている問題は過去に述べたテーマも含め、キックボクシング界に多く存在しています。いちいち愚痴を言っていては“煩い存在”になりがちですが、頑張るけど無理しない範囲で取り上げていきたいと思います。

KO勝利で勝者コールを受けた江幡塁、これが本当の勝者の姿(2017.3.12)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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「小池新党」という「自民党別動隊」が動き出す

 
 

小池都知事の人気が高い。朝日新聞(2017年4月4日付)によると、

東京都内の有権者を対象にした朝日新聞社の世論調査で、小池百合子知事の支持率は74%だった。一方、7月の都議選で小池知事を中心とする地域政党「都民ファーストの会」が単独過半数を占めた方がいいか尋ねると、「占めた方がよい」と「占めない方がよい」が41%で並んだ。

都議選の関心度を尋ねると、「大いに関心がある」は37%、「少しは関心がある」は51%、「関心はない」は12%。このうち「大いに関心がある」層では、都民ファーストの過半数獲得について「占めた方がよい」は49%、「占めない方がよい」は39%だった。
朝日新聞(2017年4月4日付世論調査)

朝日新聞2017年4月4日付世論調査

◆「豊洲市場」効果

またしても、東京都民は過ちを繰り返すようだ。小池支持率をここまで高めているのはおそらく「豊洲市場」問題の影響が大きいだろう。汚染だらけの土地を東京ガスから購入して、手抜き工事を行った「豊洲市場」。築地から豊洲への移転には当初から疑念の声や反対が根強くあったが、「石原ファシズム先取り知事」を三度も当選させた都民の多くは、その問題に関心を寄せることはなかった。先日の百条委員会での石原の傲慢な態度。それを追求する議員の腰抜けぶり。あの場面こそ石原支配がもたらした負の遺産を不足なく物語っていた。

朝日新聞2017年4月4日付世論調査
朝日新聞2017年4月4日付世論調査

◆「小池塾」に見る「東の橋下徹」

「石原―猪瀬―舛添」と続く絶望的な選択を繰り返してきたここ数代の都知事に対して、小池が「豊洲市場問題」に取り組む姿勢は、表面上、新鮮に映る面はあろう。しかし、小池の本質は「東の橋下徹」である。7月の都議選に向けて「都民ファーストの会」なる会派を作り、都議を多数誕生させて、議会運営を掌握しようという意図にも4割強の都民が賛成している。

小池は都知事就任以来、「小池塾」なる集金、候補者選定マシーンをスタートさせる。男性5万円、女性4万円(なぜ性別で金額設定が異なるのか、不思議だ)、学生3万円もの「受講料」を取り、全6回の講演が行われる。この小池塾に4000人もの応募があった(まずはここで軽い眩暈(めまい)を覚えないことには話が先に進まない)。

この手法はそっくりそのまま大阪で橋下徹が大阪府知事に当選後、「大阪維新」勢力を立ち上げ、拡大していったやり口の二番煎じだ。橋下は政治家としてのバックグラウンドがなかったので、テレビを最大限活用し、また無節操極まりないテレビも「橋下なら数字(視聴率)が取れる」と、暴言を吐けば、吐くほど寄ってたかって橋下を持ち上げた。橋下は2010年4月1日「大阪維新の会大阪府議会議員団」設立に成功する。ただし、ここで注意を払っておくべきこことは、「大阪維新の会大阪府議会議員団」に参加した議員22名のほとんどは自民党所属議員だったことである。

その後橋下は知事から市長へと職を変えるが、全国における「維新」勢力の存在感は増し、とうとう国会にまで議員を持つに至ったことはご存知のとおりだ。

朝日新聞2017年4月4日付世論調査

◆小池新党をめぐる公明党の動き

小池は橋下ほど「エゲツナイ」手法をとる必要はない。閣僚経験もあり、防衛大臣まで歴任している(この点は再度要注意だ)小池には既に政界における定着した基盤があり、関西で起きたような破廉恥なパフォーマンスは必要ない。前都政の揚げ足取りの1つでもしていれば、都民を騙すことくらい朝飯前だ。

小池が新党を立ち上がれば、維新の東京版として都議選でかなりの議席を獲得するだろう。そしてその都議選で小池新党の本音(いったん自民党から離れたポーズで勢力拡大を図り、安定後は「圧力」を蓄えて政権に復帰する)が語られることも、都民に気づかれることもないだろう。

風見鶏ならぬカナリアの役目を果たす公明党の動きを見ていると、これまた大阪と同じ対応の変化が起きている。自公で仲良くやってきたが、自民党が力を失うと見るや公明党はいち早く距離をとる。そして、新しい勢力が力を確かなものにしたことを確認するや、十八番の「手のひら返し」で新勢力にすり寄っていく。大阪では自民党が見事に切り捨てられたし、都議会でも公明党の自民離れは既に既定の事実となっている。

朝日新聞2017年4月4日付世論調査

◆西も東も「自民党別動隊」が増える

さて、問題はその後である。橋下「院政」支配の維新は、もう少し時間がたってから自民党と合体するだろうと私は見立てていたが、ひょっとすると案外早い時期の合体があるかもしれない。もっとも合体しようがしまいが、維新と自民党の主張はほとんど変わらないのだから、維新を野党とカウントすることは間違っている。閣僚を出していないだけで、維新は自民党の別動隊に他ならない。

そこに、維新の東京版、小池新党が発足するのは、要するに「自民党別動隊」の分隊が増えるだけのことで、改憲、戦争に向けた勢力が増すことを意味するだけである。小池新党が、政界再編のきっかけになるのでは、と期待しておられる読者がおられれば、それは甚だ楽観にすぎる思い違いだとご指摘申し上げる。

きな臭い2017年度が始まった。真の変化の萌芽は、まだ見渡すところなさそうだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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今市女児殺害事件をめぐる冤罪疑惑──見過ごされた自白調書の明白なウソ

無実を訴える被告人の勝又拓哉氏(34)が宇都宮地裁の裁判員裁判で有罪判決(無期懲役)を受けて4月8日で1年になる今市女児殺害事件。冤罪の疑いを指摘する声が非常に多い事件だが、実を言うと、勝又氏の自白調書には一読しただけでわかる明白な嘘がある――。

有希ちゃんが行方不明になった現場には供え物が絶えない

◆取り調べの録音録画で有罪とされたが……

2005年12月に栃木県今市市(現・日光市)で小学1年生の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が殺害された事件で、勝又氏が殺人の容疑で検挙されたのは事件から8年半が経過した2014年6月のこと。昨年春にあった勝又氏の裁判員裁判では、物証の乏しさが指摘されたが、有罪の決め手となったのは取り調べの録音録画映像だった。

「決定的な証拠はなかったが、取り調べの録音録画を観て、間違いないかなと思った」

判決後の会見で、裁判員たちは異口同音にそう言った。裁判で無実を訴えた勝又氏だが、捜査段階にはいったん容疑を全面的に認めており、公判では、勝又氏が取り調べで否認から自白に転じていく過程を録音録画した映像が法廷のモニターで再生された。裁判員たちはその映像から有罪心証を固めたのだ。

栃木県内のあちらこちらに貼り出されていた警察のチラシ(1)

しかし、勝又氏の取り調べはすべてが録音録画されていたわけではなく、部分的に録音録画されていただけだった。そんな事情もあり、録音録画されていない取り調べで勝又氏が自白を強要されていたのではないかと疑う人が続々現れた。それが、この事件に冤罪の疑いを指摘する声が多い一番の理由だ。

かくいう私も裁判員裁判は全公判を傍聴し、勝又氏のことを冤罪だと確信している。ただ、皮肉なのは、取り調べの映像にばかり注目が集まったため、結果的にもっとわかりやすい冤罪の根拠が見過ごされてしまったことだ。というのも、検察官は公判の終盤、証拠採用された4通の自白調書を法廷で朗読したのだが、それを注意深く聞いていれば、それだけで自白の嘘は簡単に見受けたからである。

◆「服装はよく覚えていない」という決定的な不自然

では、勝又氏の自白にどんな嘘があるのか。具体的に見てみよう。

勝又氏の自白によると、犯行の際は栃木県鹿沼市の自宅から今市市の有希ちゃんの小学校の近くまで車で赴き、1人で歩いて下校している有希ちゃんをさらったことになっている。そして勝又氏は自白調書でこの時のことを振り返り、有希ちゃんの服装について、次のように供述している――。

「有希ちゃんは赤いランドセルを背負っていたことは覚えていますが、服装はよく覚えていません」

栃木県内のあちらこちらに貼り出されていた警察のチラシ(2)

勝又氏の自白が決定的におかしいのは、この部分だ。その理由は第一に、勝又氏が自白調書の他の部分では、有希ちゃんの衣服や靴について、次のような供述をしているのと整合しないことだ。

「自宅アパートに連れ込んだ有希ちゃんをベッドでうつ伏せにさせ、上着をハサミで切り、上半身を裸にしました。そして有希ちゃんのズボンも腰から脱がし、パンツも脱がし、完全に裸にしました(以下、わいせつ行為をしたような供述が続く)」

「有希ちゃんを殺害し、遺体を遺棄したあとは1週間から2週間くらいかけ、有希ちゃんのランドセルや靴などを細かくハサミで切って、ごみ袋に入れ、それらを自宅アパートの前のゴミ捨て場に何度かに分けて捨てました」

勝又氏が本当にそんなことをしたならば、有希ちゃんの服装のことを覚えていないということがありえるだろうか。

◆県内のあちこちで「有希ちゃんの服装」は見かけたはずだが……

事件の日から勝又氏が検挙されるまでに8年半も経過しているから、「本当に犯人でも有希ちゃんの服装を忘れた可能性があるのではないか」と思う人もいるかもしれない。しかし、それはありえない。なぜなら、勝又氏が検挙されるまで8年半も「未解決」だったこの事件では、栃木県内のあちこちにここに掲載したような犯人の情報を求める警察のポスターが貼り出されていたからだ。

栃木県内のあちらこちらに貼り出されていた警察のチラシ(3)。これで服装を供述できないとは……

このポスターに出ている有希ちゃんの事件当日の服装は黄色いベレー帽や、「とっとこハム太郎」の絵が描かれたピンクのスニーカーなど極めて特徴的だ。事件があった頃からずっと栃木県内に住んでいた勝又氏が仮に犯人ならば、このポスターをまったく目にしていないとか、このポスターに出ている有希ちゃんの服装をまったく記憶していないとは考え難い。

げんに勝又氏は自白調書において、次のような供述もしている――。

「コンビニとか交番とか町中のあちこちに有希ちゃんを殺した犯人の情報提供を求めるポスターが貼られていて、それを見るたびに怖い思いがしていました」

これほどポスターのことを気にかけていながら、ポスターにわかりやすく描かれた有希ちゃんの服装について、自白できなかった勝又氏。それだけでも自白の信ぴょう性など無いに等しいというほかない。

第一審が終わり、1年が過ぎたため、現在は東京高裁に控訴中の勝又氏の控訴審が始まる日もそう遠くないだろう。私は控訴審も取材する予定なので、また続報をお届けしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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2020年東京五輪より先にコンビニからエロ本が消えるXデー

若い頃エロ本のお世話になった人というと、およそ1985年以前が中心というデータが出版の取り次ぎ会社にある。

今や書店からほぼ完全に姿を消し、コンビニの棚の隅にひっそりと息づいているだけのエロ本は、斜陽化が進む出版界においてもレッドリストの筆頭に入る絶滅危惧種、昭和最後の名残なのだ。

「東京五輪・パラリンピックまでにコンビ二の棚からエロ本はなくなるという噂が出版界では広がっています。諸外国に対する配慮からですよ」(全国紙社会部記者)

エロ本の息の根を止めたのはインターネットだった。出版不況がいわれ始めてはいたが、まだまだ本が売れていた20世紀末、エロ本業界では局部のスミ消しがモザイクに変わり、薄消し競争で内容が過激化して逮捕者まで出していた。その過激なコンテンツが〝自炊職人〟たちの手によって、ネット上に無料で大量に撒かれ始めたのだ。これでは誰もカネを出してくれない。

「ネットサーフィンを初めて、自分が作っている本の名前で検索結果を見て凍りつきましたよ。一所懸命人集めて、会社のカネとはいえ大枚払って撮影して、何度も大切に使っていた写真が、タダでばらまかれているんですもん。一瞬怒りましたが『ああ、こりゃもう誰も買ってくれなくなるな』とすぐに悟りました」(編集者)

でもその頃のネットはまだ通信速度が遅く、動画配信には負担が重すぎた。だからエロ本は、当時普及し始めていたDVDを付録に付けた。部数は伸びたが、外すと途端に落ちるので、DVD付録は必須になった。やがて読者は本体の写真よりも付録のDVDを重視し、エロ本書店が多かった神保町の駅のトイレには、DVDだけ抜かれれたエロ本が散乱していたという。

そして光ファイバーの登場で動画送信がスムーズになると、YouTubeの勃興とともに無料エロ動画サイトが乱立する。毎月お気に入りを探して書店に行って1000円の本を買ってDVDをセットするより、ネットにつないでAVアイドルの1分サンプルや、無修正の海外ハードコアの方が簡単便利実用的しかもタダ。勝てるわけがない。

そんなエロ本の動向を先取りしたジャンルが「性生活告白本」だった。20世紀末に隆盛を誇った、文字ばかりの本なのだが、読者層は70代男性、つまりは年金生活者。彼らが若かったころの思い出を綴った本で、昭和初期の性風俗を知る上での格好の資料でもあったのだが、よほどのマニアでなければ若者は買わない。その告白本を支えていた読者は、今ではもう80代から90代。こうしてこのジャンルは、ひっそりと書店の棚から姿を消した。

そして2020年の『東京五輪・パラリンピック』がやってくる。外国人が立ち寄るコンビニにエロ本が置いてあるのは、国の品位にかかわる。ちなみに東京都庁が毎月指定している〝不健全図書〟に、エロ本はない。コンビニでのエロ本は、置く棚を他の本とは別にする〝分別販売〟を東京都が推進し、業界も遵守しているので、うっかり不健全図書に指定すると雑誌の業界団体がうるさい。

ところが出版関係者が心配しているほど「東京五輪」はエロ本がコンビ二から撤廃されるお題目になっていない。

不健全図書の指定を管轄する「東京都庁・青少年治安対策本部総合対策部青少年課」に「東京五輪までにコンビ二からエロ本が全部撤去されるという噂が出ていますが」と聞くと「そんな話はでていません。確かに、コンビ二からエロ本を撤廃しろという都民のかたのご意見はちょうだいしたことがあります」とのこたえ。

しかしコンビニは書店ではない。エロ本も経済誌も弁当もジュースも、回転率と利益率で判断される商品のひとつだから、棚の効率が悪ければ他の商品が取って代わられる。エロ本を棚から撤去するのは、各チェーン店担当者のお心ひとつだ。絶滅寸前の書店売りエロ本に至っては、数は減っても過激なままだったので、すぐさま警察から呼び出しが来る。

「最後に桜田門(警視庁)に呼び出された時はキツかったですよ。いつもは担当部署の方の指示どおりに始末書を書くのですが、その時は取調室に案内されて座った瞬間『お前、警察なめてんのか!』。ビビりましたよ。あんなに本気の担当者を見たのは最初で、多分最後。『今度なんかあったら、そのまま行くからな』で、社に戻って必死に善後策を検討しました。その後は事なきを得ていますが…」(前出)

ここでひとつ豆知識を。書店売りのエロ本は、モザイク修正が始まった頃から、自主規制で〝18禁〟マークをつけることになった。それに対してコンビニ売りは、18禁を置くのが望ましくないのでマークをつけず、その代わり〝小口止めシール〟という、立ち読みができない姿で売られていた。そして18禁の書店売りはわいせつ図画で警視庁が、コンビニの小口止めは青少年への有害図書で都庁が、それぞれ取り締まるという協定が今でも生きている。

こうしてエロ本の読者は、ネットリテラシーの低い中高年が購買層のメインになった。そういう中高年男性が、コンビニで弁当とお茶とエロ本を買う姿は悲哀を誘うが、エロ本業界はさらに悲哀の底にある。今の部数では、自社でコンテンツを制作する予算がないので、AVメーカーから動画はもちろん、静止画(AVメーカーが広報用に撮る写真)まで借りてきて本を作っている。しかも超低予算で「他の企画と抱き合わせでないと商売にならない」とは某編集プロダクションの編集長。部数はそこまで落ちているのだ。

「コンビニでは2万部売れればいいほう。書店だけのエロ本は1万部切っています。5年前の半分ですよ」(取り次ぎ関係者)

エロ本の作り手には、ここに来て、決定的な試練が待っている。権利関係の管理が厳しくなってきたAVメーカーが、出版社に素材を提供しなくなる可能性があるのだ。

「女優を強制出演させているという批判が集まる中、AVメーカー側はいま肩身が狭い。AV女優にも肖像権があるという判決が出て、簡単に宣材(宣伝用の動画や現場のスチール写真など)を出版社に貸しだしできなくなっています」(編集プロダクション社員)

都庁や警察が動かなくても、読者の高齢化と素材の枯渇から、エロ本はやがて自然消滅する運命にある。しかもそれは、遠い日ではない。

▼高山 登(たかやま・のぼる)
長くエロ本編集に携わる。編集好きが高じてDTPソフトで表紙まで仕上げる編集機械。ライターとしての守備範囲は広く、芸能スポーツ以外は何にもで首をつっこむが、軍事と特撮とかわいい動物にはそれなりの薀蓄を持つ。社命で経営まで関わった事があり、一時Excel恐怖症から鬱になるが、最近復帰した。
◎プロデュース/ハイセーヤスダ

 
大高宏雄『昭和の女優 官能・エロ映画の時代』

鎌田慧さんと神田香織さんが東電本店前で叫ぶ──『NO NUKES voice』ルポ〈2〉

東京電力が引き起こした原発事故から6年。2017年3月11日には東京電力ホールディングス本店前で抗議行動が行われた。前回に続き、現場の様子と参加者の声を紹介する。まずは、ルポライター・鎌田慧さんのスピーチだ。

鎌田慧さん

◆早く帰れという政府に対して、少しでも文句を言いなさい
 ルポライター・鎌田慧さんのスピーチ

あれから6年が経ち、福島の人たちの生活はますます苦しくなっています。そして、みなさんご存知のように、3月いっぱいで自主避難者の住宅補助を削るということになっています。こういう非人道的なことが許されるのか。20mSv以内であればとにかく帰れという、こんな無情な国家、非情な国家があるかということです。

今の内閣には、人の悲しみとか苦しみとか主権とか未来とかそういう考えが全く無い。彼らには全く考える力がない。3月いっぱいで終わるという自主避難者に対する住宅援助の打ち切りをやめさせるために、私たちはあらゆる力を尽くしていかなくちゃいけない。

また、東電はあれだけの大災害を発生させておいて、一言も反省しないで原発を再稼動しようとしている。事故を起こしておきながら、被害者に責任を押し付けている。東電はここへ出てきて謝れ。被災者に謝れ。6年間も故郷を追われた人たちに謝れ。そして、早く帰れという政府に対して、少しでも文句を言いなさい。全く君たちはのほほんとしている。

それから、核兵器につながる道を確保していこう、というのが政府の指針としてあります。私たちの原発を潰す運動は、日本が核武装しないという運動に直接繋がっている訳です。そういう意味でも、私たちは自分たちの運動に自信を持って断固として戦っていく。再処理工場は認めない。原発の再稼動を認めない。決して挫けてはいけない。決して諦めてはいけない。みなさん寒い中大変ですが、今日も1日頑張りましょう。

◆抗議行動中、俄かに騒がしくなる

抗議行動中、俄かに騒がしくなる場面があった。“天皇制反対”を唱えるグループがデモ行進で側を通りかかったことによるものだ。周りを取り囲む警察官の数も多く、また、それに続く右翼の街宣車などもあった。主題とは関連が薄いが、いくつかの写真を掲載しておく。

 
 
 

◆最後に見た景色はカモメの群れか、原発建屋の破片か
 講談師・神田香織さんのスピーチ

もう一人、講談師の神田香織さんを紹介しよう。聞き取りやすい声と力強い言葉選びはさすがといったところだろうか。

忠臣蔵という有名なお話があります。責任を取って全員切腹をするんです。それがどうですか。この原発事故で最も責任の重い会社では誰一人責任をとってないし腹も切ってないじゃないですか。こんなことじゃ亡くなった方は報われませんよ。新しい仕事っていうのは、必ず責任の所在をはっきりにして、それからじゃなきゃ始まらないんです。

私たちはもう6年間も待ってるんですよねえ。もう限界だと思いませんか。避難者の皆様への住宅支援を打ち切るという暴挙にすら出ようとしております。苦しめられて苦しめられて、そしてまた住まいを奪うというような、こんなイジメってないじゃないですか。まず責任を取るべき自分たちがそこに移り住むべきなんですよ。

この間飯舘村に行ってきました。なんと、あの美しかった村のほとんどのところにフレコンバッグの山ですよ。そこへ戻れ戻れって、いったいどういう神経でそういうことが言えるのかと思いますよ。

責任を取るべき人たちが全く責任を取らないがために、このようにおかしなことが起きてるんですよねえ。国民の税金の使い方、間違っていると思いませんか。

今からでもいいから早く裁判を初めて、東電の幹部達の責任をはっきりさせること。それを早急に始めてもらって、そして今政府が進めているやり方も撤回してもらう。それからじゃなきゃ話は始まらないと思うんですよ。

みなさん、私、ほんとに悔しいんですよ。6年前の原発事故の後、避難命令が出ために、津波で海岸に打ち上げられた人たちや、車の中でクラクションを鳴らして助けを待っていた人たちを助けることができなかった。全く無傷、傷ひとつない遺体が後でたくさん見つかったそうですよ。ガリガリに痩せて、あばら骨が見えるぐらい痩せて、助けを待って待って待って、亡くなっていったんですよ。消防隊員も警察も、もうみんな悔しい思いをしてるんです。身内を失った家族の悲しみ、苦しみたるや、もう想像がつかないぐらいでございます。本当なら助かったはずの命がたくさんたくさん亡くなってるんですよ。

その人たちが最後に見た景色はなんだったのでしょうか。空に飛ぶカモメの群れでしょうか。それとも爆発で吹き飛んだ原発建屋の破片でしょうか。最後に聴いた音はなんだったのでしょうか。爆発音でしょうか。それとも寄せては返す波の音だったのでしょうか。

原発事故の責任を取ることと再稼動を絶対にやめること。もう一度でも事故が起きたらこの国は破滅ではありませんか。チェルノブイリの苦しみや福島の悲しみを教訓にしないで再稼動するとはなにごとでしょうか。

講談の世界では、悪者はやっつけられることになってるんですよ。勧善懲悪っていって、正しいことをしてる人が助かることになってるのに、今の世の中真逆じゃないですか。なんですか、強きをどんどん助けて弱きをどんどんくじいてゆく。講談師としても、許せません。

日本には抵抗の文化が無い、と言われることがありますが、昔から抵抗はしてきたんです。このように言われるのは、抵抗がまだ文化になっていない、ということなんだと思います。私たちは、抵抗の文化を打ち立てていきましょうよ。

そして、庶民が痛い目にあっていく弱肉強食の世の中が続いていく限り、私たちの抵抗の文化を昇華させていきましょうよ。そのためにもですね、私は講談で訴えていきます。微力ですけれども、理不尽な目にあった人のお話をどんどんどんどん語っていきます。

私たちは決して諦めない。呆れ果てることが雨あられと降ってきても、呆れ果てても諦めないで参りましょう。みなさん一緒に、いいですか。呆れ果てても諦めない。呆れ果てても、諦めないぞ!

神田香織さん

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号

今年度注目の「冤罪疑惑裁判」──志木市妻子放火殺人事件の深層

年度末の3月は大阪母子殺害事件やミナミ通り魔殺人事件、神戸小1女児殺害事件など重大事件の裁判で相次いで判決が出たが、4月以降も重大裁判は目白押しだ。冤罪の疑いがある事件の中で要注目は、「2度目の裁判員裁判」が行われる見通しの志木市妻子放火殺人事件。被告人の男性は2015年に裁判員裁判で一度は無罪判決を受けながら、控訴審で無罪判決を破棄される憂き目に遭ったが、この事件では「被告人とは別の真犯人」が存在する可能性が法廷で浮かび上がっている――。

◆一度は無罪判決が出たのだが……

事件は2008年12月3日の早朝5時過ぎ、東武東上線の志木駅から北東1キロ余りの住宅街で起きた。会社員の山野輝之さん(当時34)とその家族が暮らす2階建ての家から火の手が上がって全焼。火災時に外出していた山野さんと、2階の窓から脱出した長男(同12)は無事だったが、鎮火後の焼け跡からは妻(同34)と長女(同4)の焼死体が見つかった。

この痛ましい火災をめぐり、山野さんが殺人や現住建造物等放火の容疑で埼玉県警に逮捕されたのは5年後の2013年8月のことだ。山野さんは火災当時、妻と別れて別の女性と再婚したいと望んでいたのだが、妻が離婚を拒み、別れられないでいた。そして火災後、再婚を望んでいた女性と実際に再婚している。そういったことが警察には疑わしく思えたらしい。

そんな山野さんが2015年3月、さいたま地裁であった裁判員裁判で無罪を判決受ける決め手になったのは、警察が模擬家屋で行った燃焼事件だった。その実験結果と山野さんが車で外出する様子をとらえた近所の防犯カメラ映像をもとに検証すると、山野さんが外出後に出火した可能性が浮上したのだ。

ところが、検察官が控訴すると、控訴審の東京高裁は2016年7月、「燃焼実験は再現性が認められない」などと指摘したうえで裁判員裁判の無罪判決を破棄し、裁判員裁判をやり直すように命じた。弁護側がこれを不服として最高裁に上告したが、今年2月、最高裁が上告を棄却し、山野さんはもう一度、裁判員裁判で裁かれることになったのだ。

このあたりに現場の山野さん宅はあった。今は別の家が建っている

◆妻に「真犯人の可能性」が指摘される理由

有罪率が99・9%を超える日本の刑事裁判。無実を訴える被告人はその厳しいハードルを越えて無罪判決を取っても、英米法では認められていない検察官の上訴にさらされ、逆転有罪判決を受けることもある。山野さんもまさにそういう悲劇に見舞われたわけだが、無罪判決が出た裁判員裁判では、冒頭で触れたように「被告人とは別の真犯人」が存在する可能性が法廷で浮かび上がっていた。それは、焼死した妻である。

というのも、妻は事件当時、境界性人格障害の特徴を併せ持つ解離性障害を有しており、しばしば衝動的な自傷行為に及ぶほど病状は深刻だった。証人出廷した2人の医師によると、妻は事件の約7カ月前には、「頭の中に声もきて、“死ネ”と言ってくる」などと幻聴を示唆する発言をし、事件の約5カ月前にも、「死にたくなり、カミソリを持ってきてしまったりする」などと述べ、入院を勧められていた。そして事件の1カ月前、最後に医師の診察をうけた際には、頼りにしていた山野さんが離れていくと感じ、家庭に不安を感じているという発言をし、腕を強く掻いて腫らすなどの行動をとっていたという

また、こうした病状のため、妻は事件当時、睡眠薬を服用していた。この睡眠薬には、せん妄や奇異反応といった意識を変容させる副作用があり、とくに妻のような解離性障害の人には、意識変容を起こさせやすいものだったという。そこで、こうした睡眠薬の副作用から妻が放火したのではないかとの疑いが浮上したわけである。

山野さん宅近くの防犯カメラには、火災の少し前に外出する山野さんの姿が映っていたが……

この「妻=真犯人説」について、証人出廷した2人の医師のうち、1人は「睡眠薬による副作用の可能性は低い」と否定的だったが、もう1人は「解離性障害に陥り、衝動性が高く、自傷行為を繰り返す人は、実際に自殺してしまうことがある」「薬の副作用が放火行為を促進した可能性も考慮すると、妻が放火した可能性は高い」という見解だった。結果、裁判員たちは後者の見解を採用し、「妻が解離性障害の影響下での睡眠薬などの副作用で犯行に及んだ可能性がある」と判断したのだ。

これに対し、無罪判決を破棄した控訴審・東京高裁の裁判官は、高裁で証言した医師の見解をもとに判決で妻が火災発生時に睡眠薬の作用で眠っていた可能性が高い指摘したのだが、複数の医師が別々の意見を述べている中、医学の素人である裁判官が正しいジャッジを下せたのかは疑問だ。こういう時は本来、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に従った判断をすべきではなかったか。

再びさいたま地裁の裁判員裁判で有罪、無罪が争われることになったこの事件。今後も適時、続報をお伝えしたいと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

ラオスからタイへの旅[1]「ラオスに何があるのですか?」

昨年、ラオスからタイに行って来た。
仕事仲間が「ラオスに何があるのですか」と聞いてきた。いい質問だ。
その質問はそのまま村上春樹の本となっている。
そしてタイのウドンタニを経由してバスで揺られてラオスに入り、メコン川をまたぐ「平和の橋」を通り、首都のビエンチェンに到着した。

 

ここには本当に何もない。
「何もない」ことが僕に精神的な安らぎを与えてくれる。

おそらく、僕の記憶では今のラオスは、昭和年代の日本に値するのだろうと思う。ようやく長いタイとの戦争が終わり、車が走り、道路が整備された。
ここでは少女や少年が10歳程度からもう働いている。学校に行くよりも、そのほうが有効的な時間の使い方だからだという。

ここではインフレが起きていて、じつは食べ物は100円以下。マッサージだって500円程度だ。単位は「キープ」なのだが、日本政府の怠慢で換金すると銀行では、25%ほどが手数料でとられてしまう。そうした意味では、タイのほうが日本円が使えて便利だろう。

しかしそれにしてもラオスは軍が政治を仕切っているからか治安がよく、町でも不良らしきものがまったくない。

ラオスでは夜のマーケットで、さまざまな屋台がメコン川沿いに並んでいた。印象的なのは「地雷を解体して、その部品でネックレスやキーホルダーなどを作っていた連中がいたこと」だろう。

ラオスの歴史は悲惨のひとことだ。とくにフランスに侵略されて、子供や女性など多くの人たちが有無を言わさずに殺された。
 
そうした侵略から立ち上がり、繁栄へと突き進むのはいいことのように思う。だがその一方で、「中国資本」がつぎつぎと入ってきて土地を買いあさり、イオンのようなデパートをいくつも作ろうとしている。

こうして世界の都市は、どこも平均的になっていき、日本だろうとミャンマーだろうと地球の裏側にあるような国でもイオンのようなショッピングモールが建ち並ぶのだろうか。だとしたら悲しい出来事である。

ラオスの魅力をもうひとつだけ語る。東南アジアの中で唯一、海を持たず国土の約70%が山間部を占める緑豊かな国ラオスでは、2000年代に入り観光産業に注力し、今では年間300万人以上の外国人観光客が訪れるようになったゆえ「観光客プライス」というものが存在する。だからツアーリスト向けのレストランはパリ、東京なみに髙い。

ビエンチェンの『NEW ROSE HOTEL』という一流ホテルに宿泊したが、ここいらでは月に1万円もあれば裕福な暮らしができる中、さらに裕福だと思われるここでは、チップという概念があまりないが、差し出せばとても喜ばれた。また、ナイトマーケットでは、ダーツを投げて風船を割るゲームがあったり、焼きそばが激安で売られていたりもする。

メコン川に兵士がいた。おそらく国境を無理矢理に渡ってタイに行こうとする人を止めるためだろう。かつて、貧しい国だったころに違法に国境を越えようとする人はたくさんいただろうが、今はそんなことはない。

ラオスは発展途上だが、立派にインフラが進んでいる。頭がいい人は、ここに住んでTシャツや短パンなどを大量に買い込んで日本に輸出しているようだ。なにしろ月1万円で暮らせる国。僕らの年では、月に年金が6万円前後という計算だから、ここでは36万円の暮らしが月にできる計算になる。ここで暮らすのも悪くない。もちろん愛する女房が納得すればの話だが。

この旅の最中に、「メコン川で待つ」などとハッカーらしき人から居場所を特定するメールが多数入ってきた。これはこれですべては警察に提出してあるが、弁護士も今入っており、捜査が始まる寸前だ、とだけ報告しておこう。いずれにしろ、僕はたくさん武器をもっている。それは、ある複数の「組織」なのだが、いずれここで明らかにしていこう。

また、タイでは不思議な経験をいくつもしたが、それもまた次回に展開することにする。いずれにしても、ラオスは物価が日本の6分の1、タイは日本の3分の1。月に6万円の年金でも十分に暮らせる。老後を贅沢に暮らしたいむきは、「移住」を検討してみてもいいのではないだろうか。

 

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』
脱原発は多数派だ!『NO NUKES voice』11号

今年もムエタイ色強く進むM-ONE興行!

キャプテンケン・ナルパイ(タイ)の余裕を持った右ミドルキック
キャプテンケンvs雷電。ムエタイの体幹バランスが崩れないキャプテンケンの膝蹴り
攻めても余裕がない雷電

◎M-ONE 2017.1st
3月20日(月・祝)ディファ有明16:00~20:50
主催:(株)ウィラサクレック・フェアテックス / 認定:WPMF

この日行われたWPMF世界ライト級タイトルマッチは、チャンピオンのキャプテンケン・ナルパイ(タイ)が、昨年10月の岡山県倉敷市での翔センチャイジムを下した初防衛戦に続き、今回2度目の防衛に成功しました。安定した存在で「誰か勝てそうな日本人選手いませんかね」というタイ側の声もあります。

3ラウンドまでの採点を公開するシステムで、負けていることを意識した雷電は攻勢をかけるがキャプテンケンの牙城は崩れず、様子見から勝負を懸ける3ラウンド以降は膝蹴りも勢いが乗るタイ人選手特有の技術で試合運びの上手さが揺るぎませんでした。

若い鷹大のパンチと蹴りの多彩な攻勢で優勢に立つも、ベテランの経験値で山田は闘志衰えず要所要所狙って攻め返してきて大差は付かず、フェザー級に階級を上げた鷹大と、かつてはスーパーフェザー級でチャンピオン経験もある山田のパワーの差があったかもしれないが、それを感じさせない鷹大は蹴りで優るも圧勝できない内容に、挑戦者権は獲得しても「カッコ悪い内容で、フェザー級王座挑戦前にもう1試合挟みたい」という反省の発言。

土橋朋矢vs小嶋勇貴は手数多いが主導権奪うに至る決定打が少ない展開から小嶋の膝蹴りが目立ちはじめ判定で勝利を掴みスーパーフライ級王座挑戦権を獲得しました。

女子のベテラン、リトルタイガー(Little Tiger)は技で優るも、しぶとい代打のサーオマンコンにやり難さがあったか、倒せずも次第にヒットを上げていくベテランらしい判定勝利。2分制ながら5ラウンドまであれば更に圧勝を導いたであろう展開。

リトル・タイガーvsサーオマンコン。的確に調子を上げていったリトル・タイガー
鷹大vsアトム山田。鷹大の“カッコ悪い”試合も山田の粘りが盛り上げた
二階級制覇狙う鷹大。階級を上げてもイケそうな実力はある

◆WPMF世界ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン. キャプテンケン・ナルパイ(タイ/ 60.8kg)
VS
雷電HIROAKI(前・WPMF日本同級C/スクランブル渋谷/ 61.23kg)
勝者:キャプテンケン・ナルパイ / 3-0
(主審:ソンマイ / 副審 テーチャカリン50-48. ナルンチョン50-48. 北尻50-48)

◆WPMF日本フェザー級挑戦者決定戦3回戦

鷹大(前WPMF日本SB級C/WSR・F西川口/ 57.15kg)
VS
アトム山田(元・MA日本B級&SFe級C/武勇会/ 57.15kg)
勝者:鷹大 / 3-0
(主審:チャンデー / 副審:テーチャカリン30-29. ソンマイ29-28. 北尻29-28)

土橋朋矢vs小嶋勇貴。膝蹴りのバランスが良かった小嶋が勝機を見出す
土橋朋矢vs小嶋勇貴。徐々にペースを持ち込んだ小嶋の蹴り
課題を残しつつ挑戦権獲得した小嶋勇貴

◆WPMF日本スーパーフライ級挑戦者決定戦3回戦 

土橋朋矢(新宿レフティー/ 52.16kg)
VS
小嶋勇貴(仲ファイティング/ 52.16 kg)
勝者:小嶋勇貴 / 0-3
(主審:ナルンチョン / 副審:テーチャカリン28-29. ソンマイ28-29. チャンデー28-30)

◆WPMF女子日本ピン級3回戦(2分制)

WPMF&WMC世界ピン級チャンピオン.リトルタイガー(WSR・F三ノ輪/ 45.1kg)
VS
サーオマンコン・ポー・ラマイパカット(タイ/ 44.9kg)
勝者:リトルタイガー / 3-0
(主審:北尻俊介 / 副審:ナルンチョン30-28. ソンマイ30-28. チャンデー30-28)

◆55.0kg契約3回戦

WPMF日本バンタム級チャンピオン.隼也ウィラサクレック(WSR・F三ノ輪/ 54.65kg)
VS
ジャガペット・モー・ワッラーポン(タイ/ 55.0kg)
勝者:隼也ウィラサクレック / TKO 2R 1:26 / ノーカウントレフェリーストップ
(主審:テーチャカリン・チューワタナ)

◆スーパーフライ級3回戦

岩浪悠弥(JKIフライ級C/橋本/52.16kg)
VS
ニコームレック・トー・タワット(タイ)
勝者:ニコームレック・トー・タワット / 0-2
(主審:ソンマイ / 副審:ナルンチョン29-30. 北尻29-29. テーチャカリン28-29)

◆62.0kg契約3回戦

WPMF日本ライト級5位.津橋雅祥(エス/61.8kg)
VS
シリペック・ペッポートーン(タイ)
勝者:津橋雅祥 / 3-0
(主審:チャンデー / 副審:ソンマイ30-28. 北尻30-28. テーチャカリン30-29)

他、7試合は割愛しています。

◆取材戦記

タイでは国家イベントに起用されるWPMF世界戦ですが、日本では多くの団体タイトルに囲まれ、どうしても抜きん出る存在ではないのが現状です。すべての選手が目指している訳ではないこの“WPMF日本”の現状から、本来のムエタイ本家の力を発揮したいところでしょう。元々、日本支局が出来た2009年頃は活気があって将来性が期待できただけに惜しい気がします。

因みにタイ国ではWPMFの母体がタイ国ムエスポーツ協会(Professionalboxing Association of Thailand)であり、WPMF傘下のタイ国王座がこのPAT王座でもあるとされています。

またWBCムエタイにも同様の伸び悩みがあると考えられます。他にルンピニージャパンやWMCまであるムエタイ組織ですから、ただでさえ狭い日本のキックボクシング系競技人口の中、すべてが活気あるタイトルには成り得ません。

この日、出場予定でした2名の中国人選手と1名の日本人選手の欠場がありました。津橋雅祥選手と対戦予定でした末廣智明(大道塾)は練習中の負傷の為欠場。

隼也ウィラサクレック選手と対戦予定でしたLi Shuai(=リ・シュアイ/中国)とリトル・タイガー選手と対戦予定でしたWei RuYan(=ウェイ・ルヤン/中国)は「来日予定が直前になってビザが下りず来日不能となりました」というアナウンスでした。“直前になってビザが下りない”裏事情はわかりませんが、昨年9月のM-ONE興行でもあった,

日本で活躍するゴンナパー・ウィラサクレック選手がかなり強豪と知ると2日前になって「怖くて戦いたくない」といった中国人選手の、先々週テーマ記事に似たようなことだけは無いことを願いたいものです。末廣智明選手については確実に止むを得ない負傷欠場です。

今回のレフェリー5名=ソンマイ・ケーウセン、テーチャカリン・チューワタナ、ナルンチョン・ギャットニワット、チャンデー・ソー・パランタレー、北尻俊介。タイ人レフェリーは現役選手時代のリングネームを中心にしています。本名の場合もあります。昨年も言いましたが、公式アナウンスで“マット”や“ネー”といったニックネームはやめてもらいたいところです。

毎度、レフェリー名を明確に入れるのは、公正な競技たることを強調したい狙いのひとつである為で、入手できない場合もありますが、極力入れていくつもりです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン