「しばき隊」高野俊一が「有田丸」に同乗し、愛媛の合田夏樹さんを公開脅迫

 

こんな「チンピラ」まがいの政治活動が許されるのだろうか。
事件は5月29日愛媛県四国中央市で発生した。

有田芳生参議院議員の宣伝車、通称「有田丸」に乗車していた人物が、個人宅と職場を訪れて、数枚の写真を撮影し公開している。

被害に遭ったのは合田夏樹さんだ。合田さんに対しては以前から「しばき隊」中心人物の一人、伊藤大介が公にフェースブックで脅しをかけていた。

実名こそ挙げてはいないものの、合田さんの自宅住所をネット地図でピンポイント特定しているのだから個人を狙った「恫喝」である。伊藤は、知る人ぞ知る「十三ベース事件」こと「しばき隊による集団リンチ事件」の現場にも居合わせた人物である。

「四国で2代目ボンボンの取引先に悪行をお知らせする巡礼しようかな」
「ほぼ丸裸なんだけど、ボンボン泣きいれちゃうかな?」
「つーかお前の自宅私道沿いだからグーグルで確認しずらかったぞ。もう確定したけどな」

などと書き込み、「襲撃」の予告めいたメッセージを発していた(そうでないと言うのであれば、削除する必要も無かろうに、現在このコメントは消されていて見ることは出来ない)。

こんなメッセージを突き付けられたら、どれほど気持ち悪く、不安になることだろうか。合田さんは「連絡をしてきてくれれば、誰とでも話す」とかねてよりツイッターに書いておられたが、「ほぼ丸裸なんだけど、ボンボン泣きいれちゃうかな?」という、一見何も具体的な行為を明示していないが、それだからこそ薄気味悪い表現に、合田さんがどれほどご家族の安否を心配なさっていたことだろうか。

◆有田丸には「しばき隊」メンバーが乗っていた

「有田丸」に乗車していたのは、高野俊一(ツイッターアカウント「チェブ夫」)ともう1名であることは高野自身が書き残しているので間違いない。以下に高野自身が書いたブログのURLを示すが、削除される可能性があるので、主要部分を抽出しておく。http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:qp_ISLLnN8AJ:ossanhitorimeshi.net/%3Fp%3D28339+&

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有田芳生・参議院議員の宣伝カー『有田丸1号』は、ひたすら西日本を走りつづけている。狭いようで、日本は広い。走っても走っても、なかなか隅々まで行き届かないところは、やり甲斐もあるというものだ。

きのうは有田丸、まず福岡。それからそのままフェリーに乗って、四国の松山に上陸した。

おとといは下関、その翌日に福岡から四国では、ちょっと移動が急すぎるのだが、それは人生、色々あるというものだ。
(中略)

有田丸は大分の佐賀関港からフェリーに乗って、愛媛にわたった。そこから延々100キロほどの道のりをさらに走って、松山のホテルに到着。

到着後、ヘイトスピーチ対策法の成立を祝い、打ち上げをしようと居酒屋にでかけた。

有田丸に同乗することになった男性は、僕よりも1年以上前から反差別カウンターに参加している。その男性がカウンターを始めたころは、ヘイトスピーチのデモは数百人、それに対してカウンターは数人、などというのが普通だったのだそうだ。

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写真01
写真02
写真03

高野ともう1名「僕よりも1年以上前から反差別カウンターに参加している男性」が有田丸には乗車していた。

そして5月29日に写真01がツイッター「男組総本部」のアカウントに掲載される

これは合田さんの職場を撮影した写真だ。「遊びに来た。なかなかいいところじゃん。」との書き込みがある。

さらに、この店舗群は合田さんの職場から直ぐ近くの場所に位置する。「ここでお買い物。」をしたそうだ(写真02)

そして、写真03には「カラオケ」の看板が映っているが、ここも合田さんの職場から至近の場所だ。「今夜はここでカラオケ!」との書き込みがある。

さらに「髪も切ったし後は行くところは1つ。謎」とある。「謎」と書いてあるが行き先は合田さんの自宅であることはほぼ間違いない。

時系列的にみると彼らは合田さんの職場周辺をうろつき職場や周囲を撮影後、散髪をして、合田さんのご自宅に向かったと推測される。幸い当日合田さんのお宅にはどなたもおらず、物理的な被害などは生じていないが、近所の住民が、「小太りで小柄な柄の悪い男と普通の体型で小柄で柄の悪い短髪の2人組みが自宅の周辺をウロウロして何度も玄関のチャイムを押していた」姿を目撃している。

前述の通りしばき隊の1人(若しくは2人)は「髪を切った」直後だ。「短髪の2人組」が高野ともう1名である可能性は高い。合田さんの自宅周辺では、普段見かけない「不審人物」への印象が強く残っている。不審人物がうろつくようなことはこれまでこの地域ではなかったという。5月22日に出されていた、伊藤大介による「襲撃予告」が現実のものとなったのだ。

これは明らかな計画的犯行ではないのか。もし、当時ご自宅にご家族が居たら、何が起きていたかわからない。有田はその事実を知っていたのか。否知っていようといまいと個人宅や職場に恫喝まがいの人間が宣伝車に乗って(あるいは至近に駐車しそこから歩いたとしても)訪れば、ご本人たちが大変な不安に襲われることは容易に想像できる。

最後にこの写真をご覧頂きたい。一方は高野(チェブ夫)の、そしてもう一方は有田芳生公式アカウントに掲載されていた高野が食べたうどんの写真だ。同じじゃないか。とうことは有田は高野らの行動を大筋で把握していたという事を意味する。現職の国会議員がその宣伝活動中に、あらかじめ脅迫めいた予告を与えておいた個人宅や職場に宣伝車を差し向けるようなことが許されるだろうか。

有田芳生公式アカウントに掲載されていたうどんの写真
高野俊一が食べたうどんの写真

◆なんと合田さんのアカウントが凍結される!

そして驚くべきことに、合田さんのツイッタ―アカウントが6月3日深夜に「凍結」されてしまう。合田さんは「多数のスパム報告があったのではないでしょうか」と原因を推測しているが、これまで合田さんは他人を貶めるような書き込みをしたことはない。むしろ伊藤大介のような人間から「攻撃される側」に立たされていた。そしてここしばらくは「集団リンチ被害者」である、ツイッター名「主水」を応援する旗幟を鮮明にしていた。「しばき隊」の中には個人で複数(中には10を超える)アカウントを保持していて、合田さんのケースの様に「ネットリンチ」をかける、専門部隊がいるという(元しばき隊経験者)。

彼らは、自分たちと立場が違う、意見が違う人には手段を選ばず嫌がらせを行う。

◆卑劣な行為に屈しない合田さん

だが、合田さんはこの程度の嫌がらせには微動だにしていない。「結局彼らは墓穴を掘っただけですよ」と事もなげに語り、4日午前には緊急で新アカウント「合田夏樹@合田夏樹を応援!」を開設(このアカウント名が奮っている!)

「また卑劣な事をやられると思うので予防策として大勢の方のフォローが必要です。駄文ばかりですが言論の自由や民主主義を守る為にご協力下さい」

とのコメントを掲載したところ、6月5日正午時でフォロワーは1,847人にまで達している。

今回の事件は、合田さんを襲った単なる私人間のトラブルでは済まされない。冒頭述べた通り、時系列的、状況証拠的に有田芳生参議院議員の宣伝車に乗っていた人物が手を染めた可能性が限りなく高い。有田議員並びに、高野俊一(ツイッターアカウント「チェブ夫」)らには明確な説明を行う責任がある。

右翼の街宣車による嫌がらせは有名だが、野党議員の宣伝車による特定個人への嫌がらせなど聞いたことがない。この疑念を明確に晴らすことが出来なければ(灰色では意味がない)、有田が次期参議院選挙に出馬する資格はないだろう。

(佐野 宇)

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ダブルノックダウンをレフェリーはどう裁定してきたか? キックルールの試行錯誤

3ノックダウンルールがごく当たり前のキックボクシング。なぜこのルールが定着してしまったのでしょうね。このルールに於いて、1ラウンド中に青コーナー選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。さてそこで、レフェリーはどういう対処をすべきと思いますか?

ちょっと前の3月9日に行われたREBELS興行での山口裕人(山口)vs中村広輝(赤雲會)戦で、第1ラウンドに中村広輝選手が2度ダウン後、ダブルノックダウン(両者ともダウン)が起きました。この試合は3ノックダウン制(1つのラウンド中に3度ダウンで自動的KO負け)でした。担当した山根正美レフェリーによると「以前から想定していた事態が起こりましたが、その対処を冷静に行ないました」という回答でした。

ダブルノックダウンというのは、プロボクシングに於いてもごく稀に起こる現象です。滅多に無いにしても、いつ起きてもおかしくない“打ち合い”は常にあります。

打ち合いのひとつ、パンチの交差はどちらが倒れるかの迫力あり。どちらも倒れることも稀にあり

◆1988年9月、須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦の場合

キックボクシングで過去実際に、一方が2度ダウンの後、ダブルノックダウンという稀な事態が起きたのは1988年(昭和63年)9月の須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦でした。1ラウンドに長浜選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。レフェリーのリー・チャンゴン(李昌坤)氏はそこで3ノックダウン目となる長浜選手をストップ。須田選手のKO勝ちを宣告しました。後にこの裁定についてリー・チャンゴン氏に聞いてみましたが、3ノックダウンを優先するルールだったという当時のMA日本キック連盟でした。

そして更なる後に全日本キック連盟で当時審判部のサミー中村レフェリーにも、こんな場合の処置を聞きましたが、やはり3ノックダウンを優先するというものでした。

カウンターパンチャーはロープ際での攻防がチャンス
イメージ画像。単にもつれて倒れたカット。ダウンした側がすぐ立ち上がり、ダウン奪った側がスリップして転んだこともあり、観た目は不思議な光景もありました

◆10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト

そこで違和感を覚えるのは、3度ダウンした側がすぐ立ち上がり、1度のみのダウンとなる側が失神し倒れたままでも、その倒れた側が勝者になるのか? という複雑な状態。

こうなると参考資料となるのが伝統あるJBCルールでした。まず、ルールブック同項目冒頭は「双方または一方が『3ノックダウン』に該当する場合もカウントする」という文言があり、「双方が立ち上がった場合、双方が3ノックダウンに該当する場合は引分け。一方が該当する場合はこの選手をKO負けとする」とあります(双方が倒れたままの場合、カウントアウトされ引分け)。補足説明の記載は無い為、1996年に更に煮詰めに当時のJBC役員に聞いたことがあります。

そして「一方だけが立ち上がる場合はどうするのか」という質問に、「3度目のダウンとなる側が立ち上がり、1度目のダウンになる側が倒れたままの場合、3度目のダウンになる側でもKO勝ちになる」という回答でした。

ここで見えてくるのが、「10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト」という重みの差。それでカウントが優先される意味になってきます。
ここ最近もJBCのある役員に再度質問しましたが、JBCルールは今年からフリーノックダウン制に変更されているので、旧ルールでのあくまで稀な例ですが、回答は同じで「こんな想定も試合役員会では何度も確認していました」というアクシデントに対処できるシミュレーションはされているというものでした。

あくまでプロボクシングの基本ルールで、実際にこんなパターンが起きても、レフェリーの権限で危険な状態にある方を止めることも考えられます。

◆何度ダウンしても試合を続行するフリーノックダウン制

レフェリー歴20年の山根正美レフェリー。「まだまだ学ぶこと多き日々」と謙虚な姿勢

前述の山口裕人vs中村広輝戦はここに挙げた例とは若干違いますが、山根正美レフェリーはダブルノックダウン後、カウントを取り、1度ダウンの山口選手が立ち上がりましたが、3度ダウンの中村選手が立ち上がれない状況で、カウント途中で試合を止めた形でした。山口選手が立ち上がった続行可能の時点で、中村選手の3ノックダウンのみが成立するので、その裁定になりますが、この場合の止め方を見た場合、厳密にはレフェリーストップになります。周囲は「3度ダウンだろ止めろ!」と叫ぶ声が多かったようです。

REBELSルールでしたが、立会人のWPMF日本支局長のウィラサクレック氏が、その裁定に異議はなく擁護されたようでした。

この以前からこういう場合の質問を、いろいろな関係者に聞いても、誰もが「3ノックダウン側の負け」と答えられました。それでも各団体のキックボクシング(ムエタイ)ルールではそう明確に決められているのであれば問題ないのですが、実際こんな細部まで決められたルールブックが無いのが現状でしょう。また、WBCムエタイルールの「試合5ラウンド全体を通じて5度のダウンでKO負け」ではより複雑な結果を残す可能性もあるので想定外の結末にならないよう注意して欲しいところです。

昔の日本キックボクシング協会系(TBS系)ではフリーノックダウン制で、何度ダウンしても続行していました。現在ではちょっと考えられない危険なKOもありましたが、幸い大きな事故は無く、対抗した当時の全日本キックボクシング協会では3ノックダウン制でした。後の低迷期に起こった分裂後、統合団体となった日本キックボクシング連盟で、旧日本系・旧全日本系のルール各項目の適切な部分を取り上げて作られたルールが完成し、3ノックダウン制が採用されました。

その後、分裂したどの団体でも新たにルール改革することはなく、元居た団体のルールをそのまま使い、3ノックダウン制を躊躇いなく起用するようになってしまったようです。

タイ国ラジャダムナンスタジアム公認レフェリーのナロン・ルアムジット氏。公式ルールも熟知して、すべての権限を握って日本で開催のタイトルマッチを裁く(2015.3.15)

唯一フリーノックダウン制だったのは1987年(昭和62年)に短期間存在した日本ムエタイ連盟でしたが、真剣勝負ながら笑えるほど何度もダウンがあって、レフェリーに続いて観客も一斉にカウントに声を出していた試合もありましたが、当時では仕方ないながら、早めのストップを考慮しなければならない団体だったと思われます。

現在はキックでも最終権限はレフェリーにあるはずなので、危険な状態であればいつ止めても問題ないのですから、ややこしい事態が発生する前に、現在のJBCルールのように“フリーノックダウン制”でいいのではないかと思います。

◆最終権限はレフェリーにある

本場ムエタイでも明確な裁定があり、ここでも「最終権限はレフェリーにある」という解釈があり、JBCルールと同様に、どんな事態が発生しても対処できる解釈は存在し、確立したルールが出来上がっている競技であるということです。

日本でのキックルールは、裁く視点については試行錯誤を繰り返し改善されてきましたが、「こういう場合はどうなるの?」といった事態には細部まで明文化していない項目はまだまだあります。いざリング上で惑わない為にもそこまでこだわってルールブックを作り上げて欲しいものです。

仮に、効いて倒れるタイミングがズレた、“時間差ダブルノックダウン”が起きたら? ・・・想定外だと解答は難しいものです・・・!

[撮影・文]堀田春樹
※本稿で使われている画像はすべて、ダブルノックダウンが起きた試合とは無関係です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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美人モデルボクサー高野人母美、引退撤回の謝罪会見

 

一度は「引退する」といい、1週間たてば「引退しない」と言う。美人ボクサーのわがままにつきあった。

「こんなくだらないことで振り回されるのはかんべんだね」とベテラン格闘技ライターが頭を抱えたのは、プロボクシングの東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者で、現役ファッションモデルとしても活動する高野人母美(たかの・ともみ、28、協栄)が、一度は「現役引退」を宣言しながら、約1週間後に撤回する騒動を起こした事件だ。この騒動について5月27日、高野が謝罪するから会見を開くという。僕もこの会見に呼ばれた。

 

そもそも、高野は2013年にプロデビュー。177センチの長身を生かしてモデル業もこなす異色の肩書が注目された。計量時に白無垢の衣装や水着を着るなど派手な衣装に身を包むパフォーマンスで注目を集めてきた。

「どちらかといえばきわもの」扱いながも人気を集めてきたのは事実で、本人いわく「実力や技術がまだまだ」と言いながら、リングに上がり続け、昨年11月にWBO女子スーパーフライ級タイトル戦で女子スーパーフライ級王者ダニエラ・ベルムデス(アルゼンチン)に世界初挑戦し、4回KO負けを喫した。

「この世界戦で高野が負けたことが『引退発言』につながっていくのです。6月6日に約7か月ぶりの再起戦を東京・後楽園ホールで行うことが決まり、李恵林(韓国)とのノンタイトル6回戦が発表されていました。しかし、今月4月18日に金平会長不在で行われた発表会見にて唐突に記者を相手に引退の話をしだしたのです」(同)

 

「今回の試合でラストにしようかなと思っている」と引退を電撃表明。「やりたいからボクシングをやってきたが、指図されてやるのは違うと思う。やりたくない気持ちになってきている」と理由を説明し、会長不在を狙った表明であることは明らかだった。

これに対し、海外出張中だった金平会長は(業界では温厚で知られる)自身のツイッターで「6月6日もやらなくていいです!」「中止を決定しました」と激怒。帰国後の24日に高野と約3時間話し合い、発言の真意を問いただしたところ、「減量や試合のプレッシャーでつい引退という言葉を口にしてしまった」と説明を受け、現役続行の意向を確認したという。

会見では、かつて亀田一家も懐にいれてマネジメントをしていた金平会長がマスコミの前で高野に「普通のボクサーが普通にやっているように練習しなさい」と公開説教。高野は「みなさまに御心配とご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。

記者の「高野さんががんばることで女子ボクシングの人気が集まり始めたが、そんな中でプレッシャーはあったのか」の問いに「技術的にも体力的にもまだまだ未熟な中で(リングにあがる)という意味ではプレッシャーはありました」と高野は答えた。

6月6日にエキシビジョンマッチが組まれているが、果たしてまた高野は「再引退」を言い出すのだろうか。

 

金平は「ボクシングはリングに上がりたい人がやるのであって、『やらされている』という人がファイトすべきじゃない」と斬って捨てた。高野がまた今度「ぶれた」発言をしたら、仏の顔もなんとやら。そのときに初めて比較的、これまでがまんしてきた温厚な格闘技マスコミも「ボクシングはモデルの売名行為だった」と叩き始めるだろう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論! 蹴論!」の管理人。

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3・11甲状腺がん家族の会、設立会見詳報《3》牛山元美さん=世話人の談話

2016年3月12日、3・11甲状腺がん家族の会が設立された。設立時の正会員は5家族7人、代表世話人には河合弘之さん(弁護士)と千葉親子さん(元会津坂下町議)が就いた。これまでほとんどタブー視されてきた福島での被曝被害の核心を伝える貴重な設立会見を7回に分けて詳報する。第3回は内科医で同会世話人の牛山元美さんの談話。

◆福島原発事故以前、小児甲状腺がんは非常に少なかった

会見する牛山元美さん

私は神奈川県内の病院に内科医として勤務しております。福島原発事故当時は、被曝を心配して、当時、小中学生だった二人の子供を九州の親せき宅に避難させました。事故後は、福島県内や関東で健康相談会や保養に参加し、子供を持つ親たちの不安を直に耳にしてきました。また、福島県内の医師不足を知り、2012年11月から福島県内の病院で、月一回の当直支援を始めました。 

福島県の健康調査により、原発事故当時、18歳以下だった子供たちに甲状腺がんが多発していることが明らかになっています。この5年間で、県が把握しているだけでも既に116人が手術を受けています。甲状腺がんは、進行度も遅く命に関わることはない、悪性度も低い癌だといわれていますが、実はそれは中年以降の女性にみられる成人の甲状腺がんについての話です。2011年の福島原発事故以前、小児甲状腺がんは非常に少なく、診療経験のある医師は、日本の甲状腺専門医の中でも非常にまれでした。

◆スクリーニング効果、過剰診断とはそぐわない事実

チェルノブイリ原発事故後に、7000例増えたとされる小児甲状腺がんは、腫瘍が小さくてもリンパ節や肺に転移を引き起こしやすく進行しやすいといわれています。今回、ほとんどの方を手術された福島県立医大の報告を見ると、手術を受けた方の90%以上は、腫瘍の大きさが既に手術適応基準を超えていたり、または小さくても、リンパ節転移や肺転移を引き起こしていたり、甲状腺の外に拡がり進行していたものであったり、すぐに手術することができて良かったという症例でした。

これは、たくさん甲状腺がんが見つかったのは検診のせいだ。スクリーニング効果だ、それは過剰診断だという意見とはそぐわない事実です。では、なぜこれだけの甲状腺がんが福島の子供たちから見つかったのか。未だ全く解明されていません。放射線の影響かどうかも、県の検討委委員会の中ですら意見の相違があり「(原発事故の)影響とは考えにくい」とか、「(原発事故の)影響を否定するものではない」とか、非常にあいまいな表現がされています。

◆相談に応じる医療機関が福島県内にはほとんどない

患者さんやご家族は、今回、診断された甲状腺がんがなぜ起こったのか、とても悩んでおられます。お母さまは、すぐにおっしゃるのですが、「あの頃の食事が悪かったからなのでしょうか?」「放射線汚染を気にせず食べ物を食べさせたから、だから癌なったのでしょうか?」「外で遊ばせたのがいけなかったのか…」高校生の子は、「自転車で通学したからいけなかったのか」、皆さん自分を責めています。また、遺伝的なものなのか。そんな風に本人も、親御さんも、自分がいけなかったのかと、とても悩んでおられます。

実は手術を受けて、その後再発された方も複数おられます。再手術前、治療方法についてセカンドオピニオンを気にする方も当然いらっしゃるわけですが、福島県内では「それは県立医大に行くように」と言われ相談に応じる医療機関もほとんどなく、実現が困難な状態です。より良い医療を受けたいという、患者として、またその親として当然の願いを実現させたいと思います。担当医師とのコミュニケーションもうまく取れていない、それをうまく取れるようにお手伝いもしたいと思っております。

◆福島の健康相談会では放射能という言葉すら口にしにくくなっている

甲状腺がんというものについて、忌憚のない意見の交換や適切な情報の共有をし、出来る限り、その不安を取り除いてあげたい。また、日常生活でも健康に関する疑問に気軽に答え、より安心でき、健康的な生活を楽しめるようサポートをしたいと思っております。

また、叶えばですが、患者さんがご自身の経験を活かせるよう、例えば手術の経験を、また新たに患者さんになった他の方に伝えることができる、そんな手助けもしていきたいと思っております。最近では、福島に健康相談会に行っても放射能という言葉すら口にしずらくなっています。また、福島県内では、放射能という問題は過去の話になっています。

◆問題を解決できるよう力を貸してください

そんな今、臨床医としてやれること、やるべきことがあるのではないかと思っております。私は原発事故当時、ちょうど18歳以下であった子供を関東で育てている母親でもあります。また、病気を抱えている患者さんの日常生活への助言や様々な不安を軽減することが主な任務の一つである内科の臨床医でもあります。その様なことを使命感に持ち甲状腺がん家族会の世話人になりました。  

甲状腺外科医たちが、今回、家族会のアドバイザーになってくれています。甲状腺がんという病気になっても、より良い治療を受け、不安を減らし、安心して幸せに生活できるように医師として力を尽くしたいと思っております。どうぞ、甲状腺がんと診断された福島の子供さんやご家族の方が一人でも多く、この家族会に参加され、つながり、力を合わせ、問題を解決できるよう力を貸してください。以上になります。ありがとうございました。


◎[動画]20160312甲状腺がん患者家族会設立記者会見(UPLAN三輪祐児さん公開)

▼白田夏彦[取材・構成]
学生時代に山谷、沖縄などの市民運動を訪問。その後、9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材。現在、業界紙記者。

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具志堅さんもやって来た「めんそ~れ、沖縄!」──池袋で感じる〈琉球の風〉

 

今回で8回目となる、サンシャインシティ(東京・池袋)で開催される『沖縄めんそーれフェスタ2016』前夜祭イベントを取材した。

期間は5月27日(金)~6月5日(日)の10日間、展示ホールAでは、沖縄物産展、オリオンビールが飲めるビアガーデン、噴水広場ではエイサーの演舞や沖縄アーティストによる生ライブなど盛りだくさんの内容で、沖縄をアピールする催しだ。物産展では、沖縄そば、海ぶどう、もずく、サーターアンダーギー等42のお店が立ち並んでいる。なかでも、泡盛カクテル、スパム串を出しているお店の女性に取材した。

 

── 沖縄から来られたのですか?
「私は沖縄県民ですが、上京して六本木でお店をやっています。他の方々は沖縄から来て期間中はホテルに泊まっていますね」と話していた。

まさに大がかりな「出店キャラバン」だ。
また泡盛のカクテルの値段が千差万別だったので、質問した。
「一般的な ものは500円、 グレードが高いものは700円、 さらに古酒は900円 です」

── 古酒ってどういうお酒ですか?
「3年以上貯蔵したものです。こちらにはなんと入手困難な『美ら蛍』があります。古い酒はまろやかでおいしいですよ」

── なぜこの時期に「沖縄のフェスタ」を開催するのですか?
「今、沖縄は梅雨の真っただ中です。2週間後には梅雨が明けます。この時期に東京の皆さんに沖縄をアピールしてぜひ来てほしいと思います」とにこやかに話した。

 

さて、前夜祭のオープニングセレモニーのステージイベントには、具志堅用高や鈴木奈々がゲストで登場していた。

鈴木は鮮やかな黄色い沖縄の民族衣装に身を包み、かわいい笑顔をふりまいていた。いっぽうで具志堅はやはり「沖縄の顔」といえるキャラで、親しみやすく優しい性格がテレビでもお茶の間に伝わり、若い女性にも大人気だった。

 

トークコーナーで夫婦円満の秘訣を聞かれると、「誉めることが大事」と熱弁していたのが印象的だった。

ところで「沖縄そば」と「ソーキそば」のちがいはご存知だろうか?
物産展で沖縄そば店の男性に話を聞いた。

「沖縄そばは豚のバラ肉(3枚肉)を使う。ソーキそばは、豚バラの軟骨の肉を使っている違いですね」と教えてくれた。イートインのコーナーも広く充実しているので、じっくりと沖縄の味を堪能できる。ほかに「BIGIN」の「島人ぬ宝」を唄うバンドの演奏や沖縄の伝統芸能エイサーの太鼓を舞ながら叩くパフォーマンスは力強く迫力があった。

沖縄の観光客は多い月は3月、ついで8月、11月となっている。少ない月は1月、6月、9月で、9月は台風期、6月は梅雨期、1月は曇りの多い冬のためという。このオフシーズンには、修学旅行誘致に力を入れて一定の成果を出しているそうだ。近年は「沖縄美ら海水族館」が大人気で人を集めている。

元米兵による女性遺体遺棄事件や基地問題など沖縄関連で暗いニュースが飛び込む今、沖縄の青くきれいな海とこうした素晴らしい自然や海産物、歌などの文化とのギャップに心が痛む難しい問題が沖縄の人たちを苦しめている。この『沖縄めんそーれフェスタ2016』が成功し、沖縄の観光客が増えて、潤い、沖縄に元気を! と切に祈りたい。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』

文・撮影=林雅子 
プロデュース=ハイセーヤスダ

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論! 蹴論!」の管理人。

踏ん張れ「あまちゃん」能年玲奈!歪んだ芸能界に抗う「じぇじぇじぇ」な闘争!

NHK朝の連ドラ「あまちゃん」でブレイクした能年玲奈が6月末に現在の事務所と契約が切れ、更新しない方針であることから「芸能界を引退か」と報じられている。

◆事務所の意向を汲んでメディアが垂れ流す「能年引退」報道

「あまちゃん」オリジナル・サウンドトラック3

「引退は女性週刊誌が、能年が所属する大手プロダクションの意向を汲んで垂れ流しただけでまだ結論は出ていない。この件にはざまざまな裏がありますが、能年自身は、労働時間の拘束のされかたといい、本人の意志があるのに芸能界の慣例で事務所 を移籍しにくくなっている点を是正したい、という希望があり『芸能界の自浄』を狙うべく、六法全書を片手に労働基準法を勉強しているようです。将来的には大学に通いつつ、社会保険労務士の資格をとって『タレントのための労働コンサルタント事務所』でも開きたいと知人に漏ら しています」(芸能プロダクション関係者)
 
能年は所属する事務所に無断で演劇関係者と個人事務所を設立し、このことがマネジメント事務所と亀裂が入った原因だと指摘されている。

「現在の大手マネジメント事務所との亀裂は、能年の待遇が悪かったことに尽きる。マネージャーはコロコロ変わるわ、三流アイドルみたいな客寄せのイベントの仕事をとってくるわで、能年も嫌気がさしていました。そうした中、『あまちゃん』と共演したときに親密になり『芸能界は今のシステムでは限界がある』と現状のマネジメントシステムに警鐘を慣らした小泉今日子と何度も芸能界のあり様について議論するようになり『最終的には虐げられたタレントのコンサルタントをやりたい』という心理状態になったようです」 (同)

しかしことはそう簡単ではない。かつて「芸能界の待遇改革」を叫んだ俳優の小栗旬は一昨年に芸能界に労働組合を作ろうとして仕事を干されぎみになり、追従してネット放送で応援するコメントを出した自称女性「芸能コメンテイター」も『芸能界の外から物を言うのは生意気だろう』と仕事が激減した。

「そもそも、社会労務士の資格を舐めた話です。合格率も1割を切っている(平成26年は9.3%)し、1日に5~6時間、1年間継続して勉強しないと合格できないと言われています」(司法関係者)

◆能年問題解決を契機に芸能界の改革がはじまる?

だがフォローする声もある。
「芸能界での労働組合ができれば、日本の役者や歌手たちも世界から『ちゃんとしたユニオンがあるのなら』と認められて海を越えた交流が始まり、タレントが海外に進出するにしても、海外から日本の映画・テレビ界に役者や有能な監督、演出家が来るにしてもハードルが低くなるはず。なにしろギャラですら基準がなくてテレビ局や映画製作会社の〝胸三寸〟で決まるのが日本の『芸能村』 ですから」(前出の芸能プロダクション関係者)

かくしてひそかに法律を学び始めたという能年は、芸能界に「いながら」にして芸能界をタレント有利に 「改革」するのだろうか。もし実現したら本当に「じぇじぇじぇ」な出来事だ。


◎能年玲奈かんぽ生命 CM 「夢の中へ」「人生の山と谷」編

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論! 蹴論!」の管理人。

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす!『芸能人はなぜ干されるのか?』
[増補新版]本当は怖いジャニーズ・スキャンダル
[増補新版]ジャニーズ50年史

伊勢志摩サミットという猿芝居で利を得た者はだれか?

サミット(summit)の語源は「頂上、頂き、極致、頂点」などを意味する。だから「伊勢志摩サミット」と言えば「伊勢志摩に世界に君臨する国々の指導者が集まる会議」と訳しても過大な誤りではないだろう。

この語感自体に私は嫌悪を感じる。もっともサミットの前身は更に露骨な名称を冠して恥じ入ることがなかった。1975年11月15日から、フランスで行われた会議は「第1回先進国首脳会議」と呼ばれていた。開催国であるフランスのジスカールデスタン大統領が議長を勤め、米国大統領のフォード、英国首相のウィルソン、西ドイツ首相のシュミット、イタリア首相のモロに、日本からは首相三木武夫が参加して3日間の会議が行われた。「先進国」と当たり前の様に呼ぶけれども、これはだって、かなり傲慢な名称ではないか。

翌年からはカナダも加わり、いわゆる「G7体制」による、経済を話題とする「世界支配国」の定期的会合として定着してゆくのであるが、ソビエト連邦の崩壊からロシアへの移行に伴いロシアも参加する形で「G8体制」が定着するかと思われたが、民族紛争への批判などから「伊勢志摩サミット」は「G7」とEU議長が参加して先週行われたのはご存知の通りだ。

サミットは1975年オイルショック後の経済をどう舵取りするかが表向きの話題として開催された出自から、主として政治問題よりは経済問題を重視する傾向にある。だから「帝国主義者どもによる戦争準備会議」との批判は世界中にあり、日本以外の開催国では「反新自由主義」、「反グローバリズム」を訴える市民が毎回相当激しい抗議行動を行うのが、お決まりの風景となっている。

◆誰のために、何のために行われたのか?

さて、先週行われた「伊勢志摩サミット」である。あれは一体誰の為に、そして何の為に行われたのだろうか。その理由を私が簡潔に解説しよう。

議長である安倍がぶち上げた「アベノミクス」という「経済破綻プロジェクト」の破綻隠しがその主目的である。

その一環として消費税引き上げは安倍にとっては、欠くことの出来ないシナリオだった。5%から8%への消費税増税と法人税減税が税収の低下を招くことは自明だった。消費税を導入した1989年と、消費税率3%から5%へ引き上げた1997年の翌年はいずれも税収が減っている(1998-1999年の減収は2.7兆円)。消費税を上げると必ず税収が落ち込むことは過去の統計が明確に示していた。だから私は消費税の引き上げではなく、消費税の撤廃を提言したが、私の戯言などに安倍が耳を貸すはずもない。

それだけでなく8%から10%への引き上げも、既定路線として「公約」とされていたが、「3本の矢」(自滅の愚策)や、「異次元の金融緩和」のいずれも全く効果がない。景気好転の気配はないから当然税収も落ち込む。予定通り来年4月に消費税を10%に引き上げれば、更なる消費の冷え込みと財政悪化必定だ。そこで安倍は3月に「国際金融経済分析会合」を発足させ、米国人はじめ多くの外国人経済学者に議論をさせるポーズを装った。この会合に日本人経済学者は1名しか含まれていなかった。
 
これ程情けなく、自身の「無能ぶり」を晒す猿芝居もないだろう。一国の税制、それも消費税の引き上げに限って、わざわざ外国人経済学者(その中にはノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツも含まれた)の議論により、税制運営を「教示」してもらったわけである。独立直後で行政が体をなさない国でも、形の上では一応の国際機関であるIMFに意見を求めるだろうに、あろうことか欧米経済学者の「威光」を借りて、政策の要としていた「消費税引き上げ」を延期する口実としたのだ。

そして「伊勢志摩サミット」である。政府内でも「いったい誰が言い出したのか」と騒動となる「リーマン・ショック前の状況に似ている」との安倍の大間抜け発言は、現在言い出しっぺの犯人探しで霞が関は大わらわだ。海外主要メディアはそろって、「迷惑な発言」、「経済が困難な状況にあることは間違いないがリーマン・ショックのような危機が近いうちに起こるとは思われない」と一斉に疑問と批判を投げかけている。日本の政府関係者も「実態とかけ離れた議論となり、議長国として恥ずかしい」と正直な感想を述べている。

オバマの随行で一緒に広島に出かけたところで、安倍の無能は変わらない。大手メディア幹部と定例で夕食を共にしているから、辛辣な報道は抑えられるけれども、経済指標の粉飾には限界がある。安倍の退陣は遠くないと予言しておこう。

◆警備会社と広告代理店だけが儲け、権力は〈戒厳〉予行のごとき厳戒態勢を敷く

それにしても、このように全く無益で、国際社会に何の利益ももたらさない会議の為に、わたしたちの日常生活まで、なぜ制限を受けなければならいのだ。27日に京都から大阪へ出かけた際にはJR、私鉄全ての駅でコインロッカーが使用停止になっていて、ゴミ箱も全て封鎖されていた。「テロ対策」とか「サミット開催による特別警戒中」とかあちこちでアナウンスを聞かされたけれども、要はこの国の住民を「テロリスト」の容疑者に見立てているんじゃないか。

不覚にもガムを噛みながら外出した私は、自宅を出てから目的地へ到着するまでの2時間余り、味のしなくなったガムを捨てるゴミ箱をついに見つけられなかった。過去に東京サミットが行われた1986年、1993年でもこれほどの厳戒態勢はなかった。三重県は数カ月前からサミットに合わせて国内旅行者の勧誘に力を入れていたけれども、あちこちらが「封鎖」されて、ごく一部の土産物屋や宿泊施設以外は「結局普段より売り上げが落ちていた」と多くの業者が嘆いている。

儲かったのは警備会社と大手広告代理店だけ。もっとも肩透かしを食らったのが三重県だったろう。そして電車やバスに乗れば「ただいまテロ特別警戒中です」のアナウンスは、特に首都圏ではサミットのような国際行事がなくても毎日流れているじゃないか。

毎日「警戒中」が「厳戒中」に変わることにすら、私たちは慣らされ出してはいないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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関西大で鹿砦社松岡利康社長が「出版と人権─出版社が守るもの」を語る

関西大学で共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されている『人間の尊厳のために』の講師として20日に続き、27日松岡社長が教壇に立った。「出版と人権─出版社が守るもの─」の演題で、150人の学生に向かって松岡節が再び披露された。

◆「被逮捕者、勾留経験者」がその実態を学生に語る講義

 

この日は2005年7月12日、神戸地検特別刑事部に松岡社長自身が名誉棄損容疑で逮捕された事件を中心に、「被逮捕者、勾留経験者」がその実態を学生に語るという、大学の講義には珍しく、かつ刺激的な内容となった。

逮捕当日の新聞記事をはじめ、事件の推移を伝える参考資料など、2部、計13枚の資料が学生に配布され、「逮捕されたら全裸にされ尻の穴や性器まで調べられる」こと、「手錠、腰縄でつながれて公の裁判の場に出される」こと、被疑事実を認めない限り保釈されず、接見禁止も長期にわたる「人質司法」が日本では現存していること、などの問題点がレジュメに沿って紹介された。

 

松岡氏はその出版活動歴や、この日話題とされた「事件」の印象から、大柄で押し出しが強く、がらっぱち口調で話をする人物、とのイメージを抱いている方が多い(私も実際に会うまではそのように想像していた)が、小柄で常に背広にネクタイを締め、語り口は普段の会話でも時に聞き取りにくいことがあるほど、どちらかと言えば小さな声で話しをする(激高して熊本弁交じりの怒声を上げた姿を一度だけ目撃したことはあるが)。この人が学生時代に大学の学舎屋上に籠城し、強烈なアジテーションを飛ばしていた姿を想起することは容易ではない(一度は聞いてみたいものである)。

教壇上から学生に語り掛ける口調も、普段のそれと変わりなく、極めて熾烈な内容と体験談を、声を荒げることもなく淡々と語っていた。だからであろうか、テーマの深刻さの割に学生たちの反応に特に強い緊張は感じなかった。

だが事件を紹介した「サンテレビ」のニュース番組のビデオが流されると、教室の雰囲気は一変した。やはり「テレビ」の持つ訴求力は強力だ。今、目前で講義をしている人が11年前には「犯人」とされていた事実が、初めてどのような意味を持つか学生たちに伝わったようだった。

そこから演繹的に松岡社長がその日語った内容、及び20日に語った内容への理解へと繋がっていったのではないだろうか。

◆次週からのグループ討論用資料のためにと「松岡流」のサプライズ

さらにこの日松岡社長による思いがけない計らいがあった。20日の講義で紹介したプリズンコンサートで有名な「Paix2」(ぺぺ)の『逢えたらいいな』、『島唄よ、風になれ!「琉球の風」と東濱弘憲』、さらにこの日の講義のテーマでもあり、名誉棄損逮捕につながった『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』各50冊を「学生の皆さんにプレゼントします!」と言い放ったのだ。

『逢えたらいいな プリズン・コンサート三〇〇回達成への道のり』
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』
『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』
 

大学での講義でまさか書籍をプレゼントされるとは、不意打ちもいいところだ。少々眠そうにしていた学生も、全員が一瞬「え!」という驚きで教壇上の松岡社長に強い注意が向かった。

太っ腹故の大盤振る舞いと言ってしまえばそうだが、このプレゼントには松岡社長なりの配慮もあったようだ。次週にはグループ討論が行われる。その時にあらかじめグループの全員がプレゼントされた書籍を読み終えておき、討論の内容をより深いものとして欲しい。その為ならば1500円(偶然だが3冊とも定価は同じだった)の自社出版物くらいタダで提供しましょうと。これまた「松岡流」の規格外サプライズだ。

30あるグループが相談の上、どの書籍を受け取りたいかを決めて、その意向が集約された。最初は「Paix2」(ぺぺ)の『逢えたらいいな』が準備した部数以上の人気を集めたため、再調整の結果ほぼ均等に配分され、受講学生はこの日いずれかの書籍を手に教室をあとにすることになった。

次週はグループ討論、再来週は全体討論と続くこの講義、まだまだ「松岡流」のサプライズ、隠し玉があるのかもしれない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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WINNERS 2016 2nd──幾多の王座に絡むヤングやベテランたちの激しい展開!

1月10日にISKAムエタイ世界バンタム級王座決定戦を制し、チャンピオンとなった志朗がISKAムエタイ・ヨーロッパ同級チャンピオン. ライアン・シェーハンとのノンタイトル戦が行われました。見かけ弱そうな細身のライアンはムエタイ技を身に付けた強豪でした。志朗がボディブローやローキックでペースを掴みつつ、ヒジで切られてからムエタイ技のシェーハンの距離感に苦戦した流れでした。

ムエタイが世界に普及した現在、いろいろなタイプの選手が世界に散らばっている中で、特にヨーロッパ勢は昔から柔道でも学習能力が高く、また地続きの近隣の国々と交流が盛んになるので、競技人口も高く、成長度が高いと言われます。ムエタイ殿堂王座が世界最高峰であっても、強いのはタイだけではない、いろいろな国柄のタイプが拡散した方々の選手と対戦することが重要な時代かもしれません。今後、志朗は日本人選手とも対戦して欲しいところ、そこにファンの支持と評価が高まります。

日本バンタム級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー)が長身を活かした右ジャブを有効に使い、2度の飛び膝蹴りで勝岡健(伊原稲城)を豪快にKO、2度目の防衛に成功と共に今興行ベストファイトとなる武田幸三賞を受賞。また、「ルンピニー王座を狙う」というマイクアピールに、挑戦への新たなルート展開を見せるのか、気になる宣言でありました。

2010年に石井宏樹を小腸断絶で病院送りにしたパッカオ・ダボンヌンガヌウン(タイ)を緑川創(藤本)がブッ倒し、敵討ち成功。ラジャダムナンランカーを倒したことで、緑川のランク入りも確実で、いよいよ殿堂王座挑戦が近づいて来たかの期待を持たせる印象。ヒジでパッカオの頬を腫れさせ、2R後半からパッカオの反撃激しく骨を砕くような打ち合いが続く中、緑川が左右パンチでダウンを奪い、最後はコーナーに詰め、ボディと顔面パンチで仕留める豪快にKO。激しさが長く続いた互いのぶつかり合いでは、瀧澤博人の試合を上回っていた印象があります。

麗也(20歳/治政館)と山田航輝(17歳/キングムエ)の、幼少期からアマチュアでムエタイ・キック系競技の経験を積んできたベテランの試合は、攻防の展開が速く、スタミナ切れない展開に会場が沸き、ムエタイ経験は山田航輝が上回る中、麗也のキックリズムの攻撃力が上回ったか、僅差の結果ながら麗也の勝利。これで対戦が遠退くのでなく、また再戦に向かって欲しい幼少期開始世代の対決でした。

主要クラス3試合の記者会見。左から麗也、緑川創、志朗、ライアン、パッカオ、山田航輝

◎WINNERS 2016 2nd / 2016.5.15後楽園ホール17:00~21:30
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会
前日計量:14日.ホテル東京ガーデンパレス(御茶ノ水)15:00~16:00

◆日本 vs アイルランド国際戦 56.0kg契約3回戦

蹴りの応酬だけでは負けないが、調子付かせたライアン(左)の蹴りが強い
パンチで弱そうなライアン(右)へのボディ打ちは効果はあるが、すぐ首相撲へ引き込む巧みさ
瀧澤博人の飛び膝蹴りが2度とも見事にヒット

ISKAムエタイ世界バンタム級チャンピオン.志朗(治政館/55.8kg)
vs
欧州ムエタイ・バンタム級チャンピオン.“アベンジャー”ライアン・シェーハン(アイルランド/55.7kg)
引分け / 1-0 (主審 椎名利一 / 少白竜 29-29. 桜井 29-29. 宮沢 30-28)

◆日本バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/53.5kg) vs 1位.勝岡健(伊原稲城/53.25kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 2R 2:45 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 仲俊光

◆70.0kg契約 5回戦

緑川創(藤本/69.9kg) vs ラジャダムナン・スーパーウェルター級8位.パッカオ・ダポンヌンガヌウン(タイ/69.5kg)
勝者:緑川創 / KO 4R 2:32 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

パンチの距離で勝機を見出す緑川創(左)

◆52.5kg契約 5回戦

麗也(前・日本フライ級C/治政館/52.4kg) vs 山田航輝(キングムエ/52.2kg)
勝者:麗也 / 2-0 (48-48. 49-48. 49-48)

◆73.5kg契約 5回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg) vs イ・ジフン(韓国/72.25kg)
勝者:斗吾 / 3-0 (30-26. 30-26. 30-26)

◆59.0kg契約3回戦

内田雅之(前・日本Fe級C/藤本/58.7kg) vs デンサヤーム・ウィラサクレック(元ルンピニー・B級C/タイ/58.5kg)
勝者:デンサヤーム / TKO 2R 3:05(場内アナウンス) / レフェリーストップ

反撃の麗也(左)も譲らない攻勢

◆ライト級3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/61.0kg) vs 日本ライト級2位.直闘(治政館/61.23kg)
引分け / 三者三様(29-28. 29-30. 29-29)

◆他の6試合

昔から、試合へ向けた記者会見というのはビッグマッチの際にありましたが、ここ数年、それほど大きくない興行でも、記者会見は増えてきた様子はあります。特に公開計量というのは、毎度やって欲しい気がします。各社記者さんにとっては記者会見の方が重要と思われるでしょうが、計量や試合結果記録などは公式に開示して欲しいものなのです。

蘇我英樹(市原)が後楽園ホールでも引退式を披露。先月、市原臨海体育館で大月晴明とラストファイトを行ない、壮絶KO負けを喫した蘇我英樹はその試合後、ダメージ引きずる中、引退式を行ないましたが、改めて後楽園ホールの殿堂で、市原だけでない多くのファンが集まる中、引退式を行ないました。市原では報道陣もほとんど居なかったので、仕方ないところ、後楽園ホールでの開催を1本に、豪華にやった方がよかったように思います。しかしいずれも「長き激闘にお疲れ様でした」という声が多い引退式でした。

3月にキックボクシング創始者・野口修氏が逝去されました。近親者のみの密葬の形で見送られたようで、4月に入っても報道はされていなかったようです。これで良くも悪くも長き時代のひと区切りが終わったという印象ですが、野口修氏の影響で個々のキック人生が続いている多くの業界人が今後もキックボクシングを引率していくことでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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絶望の牢獄から無実を叫ぶ極限芸術──広島で「冤罪死刑囚たちの絵展」が好評

5月21日(土)から広島市安佐南区の「カフェ・テアトロ・アビエルト」で開催されている「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」が好評を博している。

これまで店内で様々な個性的イベントを開催してきた同店。死刑囚が獄中で描いた絵の展覧会は、数年前から全国各地で開かれるようになっているが、その先駆けといえる存在でもある。

独特の存在感を放つ林氏の作品

◆ブームの火付け役にも刺激

同店が初めて「死刑囚の絵展」を開催したのは2012年の秋だった。死刑囚・大道寺将司氏(1948年~)の亡母・幸子氏が遺した預金で創設された基金によって毎年開催される死刑囚の作品展に寄せられた20数名の約50点の絵を展示した。同店のオーナー・中山幸雄氏がその作品展の主催者らと親交があった縁で実現したとのことだった。

そして翌年、この展覧会に刺激を受けた福山市の「鞆の津ミュージアム」のアートディレクター・櫛野展正氏が死刑囚37人の約300点の絵を集めた展覧会「極限芸術 ~死刑囚の表現~」を開催。これが全国各地から観客が殺到する大ブレイクとなり、死刑囚が手がけた芸術に広く注目が集まるようになった。

実を言うと、筆者が今年2月、冤罪死刑囚たちの書画を集めて制作した編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」も元々、アビエルトが開催した2012年の「死刑囚の絵展」に足を運び、感銘をうけたことから着想したものだった。

司法に対する強い憤りを表現した高橋氏の作品

◆7人の冤罪死刑囚の絵を展示

今回、同店が開催した展覧会は、冤罪を主張する死刑囚の絵を特集したもの。林眞須美氏、藤井政安氏、何力(フウ・リー)氏、松本健次氏、風間博子氏、金川一氏、高橋和利氏という7人の冤罪主張死刑囚の絵を展示している。

毎度なんともいえない情念を感じさせる林氏の絵は今回も会場で独特の存在感を放っていたが、他の6人の作品もそれぞれ独特の味わいがある力作ぞろい。画力の高さには定評がある風間氏と高橋氏は前掲「絶望の牢獄から無実を叫ぶ」にも書き下ろし手記を寄稿してくれているが、この展覧会でも自らの潔白を訴えかけてくるようなメッセージ性の強い作品を提供していた。今回も一見の価値がある展覧会になっていると思う。

なお、風間氏については、蜷川泰司氏の小説「迷宮の飛翔」に提供した挿し絵の原画も同時に展示。会の開催は6月5日(日)まで。同4日(土)には、蜷川氏によるトークイベントも開かれる。

風間氏の抽象画。開いた扉からあふれる光は「無実の希望」か

(1)「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」の詳細は「カフェ・テアトロ・アビエルト」のHPにて。
(2)上記の櫛野氏が福山市につくったアートスペース「クシノテラス」でも「極限芸術2 ~死刑囚は描く~」が8月29日まで開催中。5月29日には都築響一氏、7月4日には茂木健一郎氏のトークイベントがある。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)