最終講評「麒麟がくる」〈上〉光秀は帝に会える立場だったか? 朝廷陰謀説を採ったNHK ── 本当にいいのか? 横山茂彦

1月17日放送の「月にのぼる者~光秀ついに帝に拝謁」で、イッキに朝廷陰謀説が濃厚になった。これは解説に務めなければならないであろう。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 前編(1)』

本能寺の変の動機の、現在主流となっている説は「四国政策変更説」である。すなわち、長曾我部氏の所領を安堵(四国は切り取り自由)していた信長がこれを撤回し、息子の信孝を総大将に約束違反の四国派遣軍を組織したことによる。

しかるに、光秀は家臣の斎藤利三が長曾我部家の家臣の縁戚であることから、織田家の四国政策の窓口となっていたのだ。

したがって、信長の四国政策の変更は、光秀のメンツを潰すものとなる。

この信長の政策変更の背景には、阿波の三好氏ら長曾我部と対立していた者たちが信長陣営に接近する動きがあった。すなわち、長曾我部氏に四国を全面的に任せるのではなく、両者を調停しつつ同時に織田家への臣従をもとめたのである。信長にとっては、両者の所領を安堵する苦肉の策でもあった。

これが、長曾我部氏(当主は元親)をして、約定違反だと憤慨させる。すでに四国の大半は、長曾我部の手中にあったからだ。光秀は調停に務めるが、長曾我部氏の態度は頑なで、調停は好転しなかった。

そこで、上記の四国派遣軍が準備されたのだ。本能寺の変のとき、この四国派遣軍は摂津の港で船出の準備をしていた。総大将信孝のほかに丹羽長秀、織田一門衆の津田信澄ら、一説には1万5000以上の大軍、鉄甲船9隻をふくむ軍船300隻が準備されていたという。

いっぽう、光秀は四国担当をはずされ、信長の命で中国攻めに苦労している羽柴秀吉の援軍を命じられる。そして信長自身は、京都本能寺に公家衆・堺の茶人たちを招いて茶会。供の者はわずか数十人(明覚寺に嫡男の信忠が500の兵)という、ほぼ無防備状態が生まれる。

これを知った光秀は1万3000の兵で、数日前から熟慮をかさねていた計画を実行する。すなわち本能寺の変の勃発である。

◆光秀は帝に会える立場だったか?

ドラマは終盤にさしかかって、仕掛けが明らかになってきた。

松永久秀が光秀の美濃時代から登場し、志貴山で自決したときに破却したとされる古天明平蜘蛛茶釜(こてんみょうひらぐも)を光秀に託す。この茶釜を手にする者は、天下をになう覚悟がいる、との意味付けが物語を進行させる。

だが、久秀の謀反は今回の大河ドラマで描かれているほど、覚悟のあるものではない。上杉謙信の上洛を見越した謀反が失敗、いや見込みちがいに終ったにすぎない。

そして信長は意外なことに、平蜘蛛をカネに替えるなどと言い出す。本能寺の変の前夜まで、茶道具に執着していた信長の言葉としては無理がある。じつは本能寺の変の前夜に茶会が開かれ、当日も信長は茶会を予定していた。博多商人の島井宗室を招き、宗室の楢柴肩衝(茶入れ)を召し上げるつもりだったのだ。

それはともかく、光秀が正親町天皇に拝謁をたまわる。光秀の官位は従五位下であるから昇殿できず、地下人として庭からの拝謁となった。

帝いわく、「月にのぼろうとする武士たちは、還って来ぬ」と。玉三郎の正親町天皇は、じつにはまり役だ。彼にしかできない役であろう。

拝謁の内容は「天下を夢みた者は死ぬ」との帝の思し召しである。

そして、光秀にこう命じる。

「信長が月にのぼろうとするかどうか、しかと見届けよ」

つまり「信長が天下に破天荒なことをするようなら、その死を見届けよ」

やんわりとした、しかし追討の勅命である。

右大臣とはいえ信長の陪臣にすぎない光秀を、単なる挨拶やご機嫌伺いで三条西実澄が帝に会わせるわけはない。これは信長追討の密勅いがいの何ものでもないのだ。そこを慮らずに、脚本を書いてしまったというのであれば、とんだ不敬である(笑)。時代考証の誤りである。

史実を参考にすれば、すぐにわかることだ。上杉謙信は長尾景虎を名乗っていたときに、二度にわたって上洛し正親町天皇に拝謁している。

謙信も光秀と同じ従五位下だが、関白近衛前久とその従兄でもある十三代将軍足利義輝の推挙によって、幕閣待遇で昇殿しているのだ。

しかも近江にながらく滞在し、三条西家ほかの公卿に多額の土産を積み上げて、帝への忠勤と経済的支援を申し出てのものだ。じっさいに、謙信は関東管領職という東国武家を統括する地位を占めていた。

以上のことから、いずれにしても今回の大河ドラマが無理な設定で朝廷黒幕説となったのは明白だ。畏れ多くも(苦笑)、NHKは禁裏に踏み込んでしまった。

◆やはり無理があった企画

そもそも、この大河ドラマの企画にしてから無理はなかったか。

長谷川博己が演じる、正義と善意のかたまりのような光秀が、史実のように惨めな死(裏切者としての命運)を辿るのであれば、そもそも光秀を主人公に「麒麟(平和のシンボル)」をどう描くつもりだったのか? 

たとえば、松永久秀(吉田鋼太郎は、はまり役だ)とともに悪逆を尽くして(史実=イエズス会の光秀評価)最後は殺される、敗者の魅力にでも賭けたほうが良かったのではないだろうか。

光秀の人となりを伝えるものは少ないが、わずかにあるものも、彼への評価は辛らつである。

「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」(ルイス・フロイス「日本史」)。

頭が良くて信長には気に入られているが、ほとんど全ての者から嫌われているというのだ。これで「麒麟(平和)」を呼ぶ者というのは無理があった。

「彼(光秀)は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」(前掲書)。

すでに夏の段階で、おおまかな作品の史料評価(時代考証)は行なってきたので、ご興味がある方は参照してください。

◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)

この中でわたしは、

「長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまった」

「まるでウラのない善人で、正義漢なのである」

「これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか」

「そもそも『麒麟(平和のシンボル?)がくる』ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、『戦乱のない世を』というテーマがけっして果たされないのは自明である」と、指摘してきた。

しかし、単に長谷川博己の起用に問題があったのではない。NHK大河は若い主役俳優を起用し、作品をつうじて演技の幅が豊かになる。その成長の過程こそ魅力であった。

近いところでは、2014年の「軍師官兵衛」の岡田准一の好演が挙げられる。晩年の如水時代まで、年輪をかさねるように役を演じきり、岡田は歴史プロパーとしても画面に定着した(NHKのザ・プロファイラー)。

いまのところ、というかもう終わりだが、明智光秀のなかに何ら変化が起きないのである。これでは成長しようにも、ファクターがなさすぎる。

歴代の光秀役では「利家とまつ」の萩原健一の激しい演技が、狂気じみた魅力で記憶されている。やはり、この路線が正しかったように思われる。

◆NHKがめざしたもの

NHKの狙いとして、日刊ゲンダイは以下の「放送作家」の批評を紹介している。

「戦のない世の中を夢見る光秀は、そのためには『誰にも手出しできぬ大きな国をつくることじゃ』と言い放つ道三に心酔し、父母に疎んじられた信長は岳父の道三を頼り、道三の娘の帰蝶はファザコン。つまり、道三をキーパーソンに、光秀が長男、信長が次男、帰蝶がおてんばな妹というような関係なんです。道三の『大きな国』を平らかで豊かな国と考える光秀は、いったんは信長に夢を託しますが、『大きな国』とは自分が天下を意のままにすることだと考える信長と行き違いが大きくなっていくというのが、ここ数話の展開ですよね。そして、もはや戦乱は広がるばかりで、王が仁ある政治を行う時に現れるという麒麟は来ないと悩み、信長を増長させた“長男”の責任として、泣いて馬謖ならぬ、“弟”を斬るという本能寺の変が描かれるのでしょう」(放送作家)。

そして、こうも解説する。

「信長も、“兄”である光秀の思いは痛いほどわかるから、『是非に及ばず』(仕方がない。光秀を恨まない)と言い残して自害したという解釈になるのだろうか。もはやシェークスピア悲劇の世界で、信長役の染谷将太は『(台本を読んで)鳥肌が立ちました』と語っている。(2021年01月10日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL)。

なるほど、ドラマの序盤で本木道三を看板に持ってきたのは、そういう深遠な意図があったか、である。

だが、これにも無理があるのは言うまでもない。麒麟の権化となるべき光秀が、秀吉に討たれる理由が見当たらないのだ。まさか、秀吉に討たれる前に幕引きをはかるのか。(つづく)

※上述のとおり、光秀の最期がどうなるのか。ハッキリ言えば秀吉に敗れて挫折死か、それともトンデモ説に飛びついて「天海僧正になった」なのか。見極めてから、あらためてダメ出しをしたいと思います。続編にご期待ください。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

無策の政府が国民を刑務所へ ── 政府要請に応じない業者、協力しない人に罰金を課そうとするコロナファシズムの狂気 林 克明

◆コロナ無策の政府が国民に無理難題押し付け

人を殺すようなコロナ対策をしておいて何の反省もしない日本政府は、いま国民を刑務所に入れようとしている。

今国会の焦点になっている新型コロナウイルス対策としての特別措置法と感染症法などの改定の動きを見て、そう思わざるを得ない。

18日までに明らかになった政府案の骨子は次のとり。

(1)緊急事態宣言下で知事の営業時間短縮・休業の命令に違反した業者に50万円以下の過料。(特措法改定案)

(2)宣言をする前の予防措置として知事が営業時間の変更要請・命令が可能になり、違反した事業者には30万円以下の過料を科す(特措法改定案)

(3)入院を拒否したり入院先から逃げ出せば1年以下の懲役または100万円以下の罰金という刑事罰を科す。(感染症法改定案)

(4)感染経路を割り出す積極的疫学調査に応じない感染者に対し50万円以下の罰金。(感染症法改定案)

日本で新型コロナウイルスの感染者が現れてまる1年が経過した。その間に政府が有効な対策をしてきたとは言い難い。

たとえば、台湾では中国の武漢で新型ウイルス感染者発症が明らかになるとほぼ同時に検疫の強化を実施した。

一方、日本政府がとった対応は対照的だった。一千万都市の武漢が完全封鎖された翌日の1月24日から1月30日まで、北京の日本大使館ホームページで、安倍首相(当時)が、春節の休日を利用して日本への旅行を歓迎する祝辞を掲載していた。

東京新聞WEB版(20年2月15日)によると、2月3日の衆院予算委員会で国民民主党の渡辺周氏は「あまりにもお粗末だ」として外務省の対応を批判。茂木敏充外相は「不安を与えた方に、おわび申し上げる」と謝罪した。


◎[参考動画]コロナで激減 訪日中国人 日本大使館が生配信でPR(ANNnewsCH 2020年12月20日)

◆「補償なき自粛要請」「Go To トラベル」「自宅療養9000人超(東京都)」の反省なし

初期の対応が遅れたことに加えて、昨年4月~5月の緊急事態宣言において、一人当たり10万円を給付しただけで、休業による損失補償は一部にとどまった。ロックダウン期間中に給与の6割から8割を政府が補償する国は何か国もある。

感染防止拡大に有効なのは、感染者と非感染者を接触させないことであり、そのうえで対策を講じた非感染者が社会や経済を回すのが効果的だ。そのためには感染の有無を調べる検査拡充が必須だが、PCR検査の拡充にも消極的だった。

「補償なき自粛」により、経済・生活がめちゃくちゃになって批判されたことを受け、Go To トラベルやGo To イートなどの政策に転じたものの、その効果や危険性を指摘されて撤回に至った。

コロナウイルスに感染し、高熱にうなされても入院できず命を落とす人が出ている。たとえば1月17日時点の東京都だけでも9043人が自宅療養を余儀なくされている。

NHKの報道によると、翌18日には、東京都3人、栃木県2人、神奈川県1人、群馬県1人が自宅療養中に死亡した。

そもそも昨年春先は、発熱しても4日間は医療機関を訪れず待機しろ、などという指示も出していた。

入院もできず死者まで出ているのに、入院を拒否あるいは入院先から逃げ出した人に懲役刑を科すという。

時間短縮に応じない業者へは罰金、積極的疫学調査に協力しない人にも罰金……。政府、自民党、公明党は、自らの失政を認めず、反省せず、謝罪せず。その挙句に国民を刑務所に送り込もうとしているのだ。

◆コロナが収束しても悪法は使われる恐れ

罰則導入を口にする前にやるべきことがたくさんある。生活や経済損失を徹底的に補填補償し、検査を実施して感染者と非感染者を分離し、臨時コロナ病棟などをつくるのが先決だろう。

発祥地の武漢ではプレハブの療養施設を突貫工事で建設し、ニューヨークでも広い空間を災害避難所のようにパーテーションで区切って感染者を療養させる大規模な施設も造営されている。


◎[参考動画]ニューヨーク1日2万人感染も医療崩壊しないワケ(ANNnewsCH 2021年1月17日)

特措法改正案や感染症法改正案が可決されれば、感染症対策に名を借りた人権・私権の制限が可能になる。

仮に法案が可決施行された場合、当面は感染症対策に適用されるだろう。しかし、近い将来に問題化する恐れがある。

廃止法案を可決しなければ法律は生き続けることになり、新型コロナウイルス禍が収束した後も、いつでもどこでも対象を微妙に変え、解釈を変えて適応可能になるからだ。

コロナ感染拡大や医療崩壊の危険に目が奪われ、安易に刑事罰を導入してしまえば、取り返しがつかない。

ところが、毎日新聞の1月16日実施の世論調査によれば、入院拒否した感染者への(罰則が「必要だ」との回答は51%、「必要ない」は34%、「わからない」は15%だった。

無責任でやるべきことをやらない政府がつくる罰則規定入りの法律で、自分や周囲が痛い目に遭わないとわからないのだろう。そうなっても自業自得だが、危険性を指摘している人々も巻き添えにするのは納得がいかない。

国民を刑務所に入れる前に一連の安倍晋三事件について法手続きをとり、コロナで苦しむ人々の手厚い補償をやれ、と言いたい。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

1月27日から開催される「愛知国体」に反対する 田所敏夫

あまりご存じのかたは多くはないであろうが、今月27日から31日まで「冬季国体」が開催される予定である。愛知県名古屋市でフィギュアスケート、ショートトラック、長久手市と豊橋市でアイスホッケー、岐阜県恵那市でスピードスケート競技が実施されようと準備が進んでいる。


◎[参考動画]2021冬季国体は無観客開催に 愛知フィギュア・岐阜スピードスケートなど(CBCニュース 2021年1月14日)

わたしは、政府が発している「緊急事態宣言」の危険性(私権の制約、強制性、同調圧力など)に警戒感を感じながら、特にこの「愛知国体」開催に強い疑念と矛盾を感じる。

その理由は少なくはない。まずは政府の「緊急事態宣言」があろうがなかろうが(愛知県には現在「緊急事態宣言」が出されている)、愛知県ならびに愛知県知事が「昼間でも不要な外出の自粛」、「県をまたぐ移動の自粛」を県民に要請していることと「国体開催」が矛盾することである。例年冬季国体には全国各地から2000人近くの選手、監督や役員が訪れ、審判などの競技役員も数百人にのぼる。冬季の国体では、過去大会開催中に季節性のインフルエンザが流行したこともある。大村知事は愛知県民に「これまでとは違った生活を」と日々訴えながら、片方では2000人以上が全国からやってくる国体中止を一向に決断する様子はない。

国体の実施や中止に関しては、主催者が複数であることも理由には上げられよう。文科省や日本スポーツ協会、日本スケート連盟、日本アイスホッケー連盟、実施県(今回であれば愛知県)などが主催者として横並び(実際の権限はおそらく文科省、あるいは国にあるのであろうが)に位置されており、主催者に問い合わせたところで「うちだけで決められることではないので」と日本人お得意の責任転嫁の回答しか返ってこない。

わたしは元来「国体」という名前の、前近代的な大会はもう不要であると考えてきたが、競技者にとってはそれでも活躍の場であるので強い反対の意を示したことはなかった。しかし今回の「愛知国体」実施は正気の沙汰ではない。愛知県医師会長はすでに「現在愛知県の医療は災害医療の状態である」と表明しているし、19日、愛知県内では247人が新たに感染している(その中で名古屋市は94人)。入院患者数は720人で過去最多を更新し、重症者数も60人で過去最多を更新している。


◎[参考動画]新型コロナ死者相次ぐ 愛知7人、岐阜4人…東海3県の新たな感染者は計333人(メ〜テレニュース 2021年1月19日)

わたしは愛知県に医師の知り合いがいる。直接尋ねたところ、「救急外来だけではなく、新型コロナ以外の入院患者の手術にも遅滞をきたしており、医療は『崩壊』といってよい状態だ」との回答を得た。つまり「冬季国体」があろうがなかろうが、すでに愛知県の医療は「限界状態」にあるのだ。

そのような状態の中で「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーや、111.12 mという小さなトラックで勝負を競うショートトラックなどを実施することが、感染抑止とどうして矛盾しないのか。私にはまったく理解できない。片方では大仰に「自粛」や「テレワーク」などを要請しながら、同時に感染拡大の可能性が極めて高い「国体」を実施する。あー日本的だなぁと、普段であれば呆れて眺めているだけであろう。だが、現在わたしは愛知県には居住していないものの、複数の疾病に罹患しており、定期的に複数診断科の診察を受けなければならない。医療崩壊は他人ごとではなく、わたしの居住地でもその兆候は見られるし、「医療崩壊」が本格化すれば、わたしがこの先本通信に原稿を書くことすら能わなくなる。

いったい、なにがたいせつなのだろうか?人間の世界で優先順位はどのように決められるべきなのであろうか?日本国には最高法規である「日本国憲法」があり、その25条では《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。》と謳われている。けれども憲法の解釈は「閣議決定」で変更できることを、安倍晋三は証明したし、どこからどう読んでも軍備を持てないはずの日本には自衛隊が、当たり前のような顔をして存在している。

つまり、「法による支配」や「人命尊重の思想」が日本には備わっていないのだ。新型コロナウイルスの感染拡大は、つまるところ、資本主義成立後の「文明」に対して、根底的な変化を迫っている。対処療法的にワクチンが開発され命が救われることは望ましいし、早期に収束してほしいとわたしも切に願うが、早期から専門家のあいだでは予想されていた変異株の出現など、極めて困難度の高い状況に全世界が直面している。

あすの資金繰りに頭を悩ませる企業経営者、1年近くも旅行はおろか外食も、帰宅もほとんど叶わない専門医など、想像を絶する生活に踏みとどまっている人々の存在を度外視して「冬季国体」など、どのような思考経路の人間が加担・推進するのであろうか。

昨年の大晦日、本通信にわたしは《書籍に記録は残っていても、今を生きる人類の誰一人経験したことのない世界的感染拡大の中で、平時には気づくことが難しい特定集団の持つ、行動様式や思考傾向が表出している。むしろその中にこそ分析や研究の対象とすべき「核」のようなものがあるのではないだろうか。2020年われわれが得たものがあるとすればそれに尽きるような気がする。》と記した。その回答の一例をご紹介しよう。国体主催団体の一つである公益財団法人日本スポーツ協会は、問い合わせのサイト(https://www.japan-sports.or.jp/inquiry/tabid61.html)に《※現在、新型コロナウイルス対応によるテレワーク勤務併用としているため、留守メッセージの設定になっている場合があります。お問い合わせの際は、NEWSのお知らせに記載のメールアドレスもご利用ください。》と厚顔無恥にも平然と記載している。国体は実施しながら「自分たちはテレワーク」というわけだ。なんたる不見識、無責任の極みであろうか。

こういった、道義的には犯罪と表現してもおかしくはない無責任を、日本人は、結局敗戦後も反省・総括できず、こんにちまで至っている。それが大晦日にわたし自身が設定した問いへの回答として、予想以上のむごたらしさで突きつけられているのである。

昨年実施が予定されていた、東京五輪開催が決定した直後から、わたしは本通信や鹿砦社が出版する『NO NUKES voice』において、極めて強いトーンでその欺瞞と開催に反対してきた。おそらく、新型コロナウイルスの感染以前には7割以上のかたに、わたしの主張は理解いただけなかった感触が残っているが、いまや東京五輪開催に賛成する方の比率は、当時と完全に逆転している。その理由が新型コロナウイルスであったことは残念至極であるが、東京五輪実施の本質を多くの人々が理解するきっかけにはなった。

ここにきて、第二次大戦末期の「インパール作戦」同様の「愛知国体」開催策動をわたしが知って、黙していることは、東京五輪開催に強く反対の意を唱えてきたものとしては、一貫した姿勢とはいいがたい。関係者の誰でもよい。勇気をもって、なにも果実をもたらさない、災禍しか招かない「愛知国体」中止の声を上げるべきである。わたしは「愛知国体」開催に絶対反対の意を明確に表明する。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

《NO NUKES voice》福島県民健康調査──「学校での甲状腺検査」はなぜ必要かを考える 民の声新聞 鈴木博喜

原発事故後に福島県内の学校で行われている甲状腺検査(集団検診)の継続を求める声が学校現場からあがっている。NPO法人「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」(鈴木真理代表)http://happy-island.moo.jp/は12月17日、福島県に対し「学校における甲状腺エコー検査継続を求める要望書」を提出。教職員からの生の声も添えられた。現場の教職員達はなぜ、学校での集団検診が必要だと考えているのだろうか。そのうえで中止と継続、どちらが子どもたちを守る事につながるのか考えたい。

昨年12月に福島県知事などに宛てて提出された要望書には、学校での甲状腺検査を支える教職員からの維持・継続を求める声も添えられた

「甲状腺検査は必要です。本当に必要なことなら、多少業務が増えてもやむを得ないと考えます。また、学校を通して検査しなければ実施数(率)が下がり、意味のある検査にならないのではないでしょうか」

これは、福島県双葉郡富岡町の中学校に勤める教職員の意見。学校での甲状腺検査継続に賛同する教職員の声は200に達した。

「今後、福島の復興を担う子どもたちの健康のためにも、継続維持を要望します。他施設での全員受診は難しいかと……」(いわき市、中学校)

「学校検査の維持継続は、子どもたちの将来のために必要な事です。ぜひ続けてください」(福島市、小学校)

「検査を任意にしてしまうと特に高校生の受診率の低下は顕著に現れます。検査を定期的に受ける事で体の中の変化を早期発見出来ると思いますので、学校検査の継続をよろしくお願い致します」(郡山市、高校)

「福島県において学校での甲状腺検査は必要です。きちんと説明する事でデメリットの部分は解消されるはずです。ぜひ継続してください」(石川町、小学校)

「学校は会場を提供します。ぜひ続けてください。甲状腺の病気が増えて来るのは(原発事故から)時間が経過してからだと聞いています。よろしくお願いします」(会津若松市、小学校)

「原発事故による放射性物質から子どもたちの健康を守る取り組みは10年では終わらないでしょう」(西郷村、小学校)

こんな意見もあった。

「娘は小学校2年生の時に甲状腺検査のおかげで異状が分かり、現在も薬を服用しています。そのため症状は改善され、体力もつきました。甲状腺検査があったからこそ、早い時期にみつける事が出来たので、とてもありがたいと感じています。甲状腺検査の継続を熱望致します」(白河市、小学校)

学校で甲状腺検査を実施するとなれば当然、授業や行事の合い間に行わなければならない。子どもや保護者の意思を尊重するため、検査を受けたくない子どもへの対応も求められる。そのため、現場の教職員からは負担軽減を求める声も多くあがった。

「教職員の負担になっているところをしっかりと洗い出して欲しい。負担が少なければこの先の実施は可能だと思います。(放射線の)影響は未知数なので、出来る事はやった方が良いと思います」(郡山市、中学校)

「前日や休日の準備など検査のための仕事量は多いので、学校や養護教諭の負担を減らす実施方法を考えたうえで学校で甲状腺検査を行って欲しい」(郡山市、養護教諭)

「おおむね賛同致しますが、中学校の多忙化につながらない事を願います。やり方については工夫が必要かと思います」(白河市、中学校)

「授業を圧迫しないように配慮していただきたい」(白河市、小学校)

「検査の前の事務作業がかなり多いので人的支援をお願いしたいです」(矢吹町、小学校)

要望書は星北斗座長以下、県民健康調査検討委員会の委員にも届けられたという。それでも津金昌一郎委員(国立がん研究センター社会と健康研究センター長)は15日の会合で次のように述べ、学校での甲状腺検査継続に反対した。

「(甲状腺検査は)多くの人が期待している甲状腺ガンの早期発見により死亡などを避ける事が出来るという利益はほとんど無くて、特に甲状腺ガンと診断された人たちには重大な不利益をもたらすものと私は考えています。したがって、少なくとも集団での甲状腺検査は望ましいものでは無いと考えています」

猪苗代町の小学校養護教諭は「学校現場は大丈夫です。甲状腺検査はやるべきです」と書いた。多くの教職員が学校での甲状腺検査継続を望んでいる。検討委では、安部郁子委員(福島県臨床心理士会長)が「学校の先生方と話をする機会があるが、学校での甲状腺検査に対して『大変だなあ』と言葉では言うのですが、非常に大事だと言う認識をみんな持っておりまして、不登校のお子さんに対する検査の働きかけも一生懸命やっています。やめてはいけない」と継続を訴えた。津金委員は「不利益を受けている子どもたちがいないのであれば、私も(学校での)検査に賛成です」とだけ述べた。

今月15日に開かれた40回目の県民健康調査検討委員会でも、学校での甲状腺検査に強く反対する意見が出されたが、地元の2委員は継続を強く訴えた(福島市のホテル「ザ・セレクトン福島」)

昨年3月まで4期16年にわたって長野県松本市長を務めた菅谷昭さん(医師、現在は松本大学学長)も、次のような継続賛同のメッセージを寄せている。

「チェルノブイリの原発事故の医療支援に携わり、間近で健康被害を診てきたものとして、甲状腺検査を継続的に行なっていくことは被害を受けた当事者の健康影響を最小限で食い止めるために必要なものであり、今後起こり得る新たな事故に対する対策を後世に残すという意味でも、とても重要なことであると認識しておりました。ところが、東京電力福島第一原発事故から間も無く10年というときに、甲状腺検査の方向性を変える様な事が話し合われているということをお聞きしてとても驚いております」

「チェルノブイリと同様に少なからず汚染のある地域に住んでいた子供たちに甲状腺検査を継続的に行うことは、当時の子供たちの健康を見守るという意味でとても重要なことです。そしてまた長期にわたり同世代の検査を繰り返すことで原発事故の影響が明らかになり、それによって国からの補償を受けることも出来るという意味でも重要なことです」

「2011年の東京電力福島第一原発事故からはまだ9年しか経っておらず、当時の子供たちの健康状況の把握もまだ不完全な現状で、学校での検査(以下「学校検査」)を続けるべきかどうかという議論がなされる事は私には全く理解が出来ません。学校検査は、仕事を休んて゛検査に連れて行くなと゛保護者にかかる負担を軽減し、「検査を希望する子どもたちか゛等しく受診て゛きる機会を確保」するためにはとても重要なものです」

「私は福島の子どもたちに放射線の影響があるから検査を継続すべきであると言いたいのではなく、放射線の影響があるかどうかをしっかりと記録するべきであると言いたいのです。被曝線量が低いという不確かな根拠で軽率に検査縮小を論じるのではなく、少なくとも放射線の影響があるのかないのか明らかになるまでは、現在の検査体制を維持し継続すべきだと思います」

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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工藤會野村悟総裁に極刑を求刑 証拠なしの裁判がいよいよ結審に 横山茂彦

1月14日に工藤會トップ2人への論告求刑が行なわれ、野村総裁には極刑が求刑された。西日本新聞から引用しよう。

「市民襲撃4事件に関与したとして、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会トップで総裁の野村悟被告(74)と、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(64)の公判が14日、福岡地裁(足立勉裁判長)であり、検察側は「危険な人命軽視の姿勢に貫かれた工藤会が、組織的に行った類例のない悪質な犯行」として野村被告に死刑を求刑。田上被告には元漁協組合長射殺事件で無期懲役、他の3事件で無期懲役と罰金2千万円を求刑した。両被告は一貫して無罪を主張しており、3月11日に弁護側が最終弁論して結審する。」(2021年1月14日西日本新聞)

ほぼ予想された死刑求刑だったが、現実のものになると感慨深いものがある。近年の暴力団裁判の審判例から考えて、野村総裁への死刑求刑はそのまま判決に反映されるであろう。田上会長への無期刑もしかり。ヤクザの場合は組織離脱(引退)をもって「改悛の情」をしめさない限り、無期懲役刑での仮釈放はありえない。したがって、無期判決は終身刑を意味するのだ。


◎[参考動画]工藤会トップに死刑求刑 福岡地裁 (福岡TNCュース2021年1月14日)

◆直性証拠がないまま、元構成員の証言を採用か?

両被告が起訴されたのは、元漁協組合長射殺事件、元福岡県警警部銃撃事件、看護師刺傷事件、歯科医師刺傷事件の4事件である。いずれも両被告の関与を示す直接証拠がない中で、実行犯組員たちへの指揮命令の有無が最大の争点となっている。弁護団は証拠なしの検察「立証」に猛反発している。

「両被告の弁護側は公判終了後、『証拠が無いでたらめな立証だ』と強く批判した。」(前出記事)

物的証拠や命令などの直接証拠がないまま、組を離脱した実行犯のいわば司法取引にひとしい自白証拠で、事件を決着させようというのである。

検察側は論告求刑において、工藤會には上意下達の厳格な組織性があると強調した。4つの事件は計画的、組織的に行なわれており「最上位者である野村被告の意思決定が工藤會の意思決定だった」と言及している。田上被告については「野村被告とともに工藤會の首領を担い、相互に意思疎通して重要事項を決定していた」と位置づけた。

肝心の「意志決定」とその「命令」や「伝達」は明確になされていない。親分の意志をおもんぱかって「実行」するのがヤクザの原則だというのならば、民法の使用者責任での立証ということになるはずだが、この論法での検察側敗訴は少なくない。判決が注目されるところだ。

◆警察官僚の狙いは壊滅ではない

トップに対する極刑求刑のなかで、工藤會の実態はどうなっているのだろうか。じつは筆者が編集長をつとめる雑誌『情況』最新号(本日1月19日発売)において、久々に工藤會幹部のコメントがとれた。

筆者は先代(溝下総裁)の時代から取材をさせてもらい、警察の一方的な「反社キャンペーン」を批判する、事実に基づいた報道に努めてきたつもりである。

ヤクザ報道がマスメディアにおいて「反社勢力キャンペーン」としてしか行なわれず、ヤクザの言い分は封じられてきたのは事実である。

そしてヤクザの親分衆を称賛するような記事は、書店のとりわけコンビニ系から忌避されてきた。福岡県においては、条例でヤクザ系雑誌を排除することも行なわれ、老舗雑誌は休刊を余儀なくされた。(「『反社会勢力』という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由」2019年10月9日

国民的な議論をぬきに、反社というレッテル(かつて、日本の青年学生運動は、過激派・極左暴力集団とレッテルを貼られてきた)で社会的に排除する。それは官僚の価値観のもとに統制する、ファシズムに近い統治形態をもたらすものと言わざるを得ない。

そしてヤクザの側も、警察との古き良き関係を再度築こうと、反社キャンペーンには「沈黙」(山口組山健組のスローガン「団結・報復・沈黙」)してきたのが実態である。したがって、暴対法下のヤクザ取材はきわめて厳しいものがある。

幹部の下獄や長期拘留で、なかなかインタビューも難しくなっていたところ、「(横山)先生。わたしもこれで、またパクられるかもしれんですが」と言いつつ、応じてくれたインタビュー(独白形式)である。じつは右翼特集のときに、工藤會が親戚付き合いのある住吉会をつうじて、日本青年社の任侠系幹部に取材しようとしたところ、なかなか話が通じず(伝手の物故者が多かった)、その穴埋めとしてインタビューに応じてもらったのである。

『情況』最新号(1月19日発売)より

『情況』2021年01月号からすこし引用しておこう。

「福岡県警には警察庁から暴対専門の本部長が送り込まれて、もうこれで工藤會は潰されるなと、誰もが思うたことでしょう。なにしろ、全国で唯一の「特定危険指定暴力団」ですからね。」

「それから十年になりますけど、工藤會は潰れておりません。暴排条例はヤクザと付き合うな、経済的なことで付き合うたら、その者も処罰すると。公共事業から締め出すという条例です。うちと付き合いのある業者も、一時的には身動きがとれんことになりました。しかし、工藤會は潰れていません。元暴対本部の者が自著に書いております。『工藤會は弱体化したといえるだろうが、まだまだ壊滅にはほど遠い状況である』(『県警VS暴力団』)。

なぜかというと、わたしたちには生きた人間関係があるからです。カネで結びついとるだけでしたら、うちは本当に孤立して社会から締め出されたかもしれませんが、そうやない。絆(きずな)というものがあるんです。社会というものは人と人の付き合いです。いくら条例で縛り上げても、それを断ち切ることはできんのではないでしょうか。社会というのは、けっきょく人間なんです。憲法違反の条例で無理やり引き離そうとしても、それはうまくいきませんよ。」

「警察庁は沖縄をのぞく全国から警察官を北九州に動員して、一二年から工藤會壊滅作戦を実行しました。これの本当の狙いは、警察庁による予算の確保やないでしょうか。」

として、工藤會の幹部は「暴力団追放センター」が年間事業費7000万円という税金からの補助金を柱にした、資産18億の公益財団法人であること。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額であることを明らかにしている。

◆本部跡地の売却金が被害者側へ

工藤會は事務所機能がほぼ停止し、幹部会のほかの組織的な活動は実質的に自粛しているという。逮捕は構成員の数をこえる延べ数百人におよび、いまも三桁の組員が拘留ないしは刑に服している。

二次団体以下、傘下の各組においても代紋を出さないのはもちろん、組を名乗らずに一般企業としての活動に専念しているようだ。この場合、大きなフロント企業ではなく、家族が経営する飲食店などである。本部跡地の売却も順調に終えたという。ふたたび西日本新聞からである。

「北九州市などは(12月)18日、特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所跡地(北九州市小倉北区)の売却で工藤会が得た売却益約4千万円が、同会が関与したとされる襲撃事件の被害者側に賠償金として支払われたと発表した。」

経過については、「故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に」(2020年2月19日)を参照されたい。

ヤクザの将来を占うといわれている工藤會への頂上作戦とその結果(判決)、およびそれを通じて変化する組織のありよう。今後も注視していきたい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)
月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

東京五輪中止が正式決定でいよいよ死刑執行か…… 心配な2人の死刑囚

昨年来、「東京五輪が終わるまで無いだろう」と言われていた死刑執行だが、新型コロナの感染拡大により、東京五輪の中止が正式に決まるのも時間の問題となってきた。となると、久しぶりに死刑執行が行われる日もそう遠くはないだろう。

そんな情勢の中、筆者が個人的に心配している死刑囚が2人いる。今回はその2人について、書いておきたい。

◆冤罪なのに、再審請求していない死刑囚

1人目は、新井竜太死刑囚(51)である。

確定判決によると、新井死刑囚は従弟の高橋隆宏(47)という男と共謀し、2008年3月、高橋の「養母」を保険金目的で殺害し、さらに2009年8月、金銭トラブルになっていたおじの男性も殺害したとされる。2件の殺人はいずれも高橋が実行したが、罪を認めて深い反省の態度を示した高橋は無期懲役判決を受けるにとどまり、容疑を全面否認した新井死刑囚が犯行の首謀者と認定され、死刑判決を受けたのだ。

しかし、筆者が取材したところ、実際には新井死刑囚は「冤罪」だった。高橋が2件の殺人をいずれも自分1人で勝手に実行しながら、「すべては新井に命令されてやったことだ」と供述し、新井死刑囚に罪を押しつけ、まんまと死刑を免れたというのが真相なのだ。

何しろ、殺害された高橋の「養母」の女性は、そもそも高橋が出会い系サイトでひっかけ、養子縁組して借金をさせるなどし、金をむしり取っていた女性だった。2009年8月に殺害されたおじの男性と金銭トラブルになっていたのも高橋であり、新井死刑囚におじを殺害しなければならない動機は何も無かったのが現実だ。

もっとも、筆者が新井死刑囚のことを心配するのは、「冤罪」だと思っているからだけではない。心配する一番の理由は、新井死刑囚が再審請求をしていないことだ。

そのへんが新井死刑囚の変わったところなのだが、死刑を怖がるそぶりを見せたくないのか、筆者が何度も家族を通じて再審請求するように言ったのだが、聞き入れてくれないままなのだ。そして再審請求をしていないがゆえに、死刑執行の人選をする法務・検察官僚たちから狙われるのではないかという気がしてならないのだ。

新井死刑囚と伊藤死刑囚はいずれも東京拘置所に収容されている

◆最高裁にも同情された死刑囚も再審請求をしていない……

筆者が心配する2人目の死刑囚は、伊藤和史死刑囚(41)である。

確定判決によると、伊藤死刑囚は2010年3月、会社の同僚らと共謀し、勤めていた長野市の会社の経営者とその長男、長男の内妻を殺害し、金を奪ったとされる。そう書くと、とんでもない凶悪犯のようだが、実際はかなり複雑な事情があった。

被害者一家は、地元ではヤクザ顔負けの怖い人たちで、伊藤死刑囚や共犯者の男らを家に強制的に住み込みにさせ、自由を奪い、奴隷のように働かせていたのだ。そのせいで追い詰められた伊藤死刑囚たちが被害者一家から逃げ出すため、犯行を決意したというのが真相だった。

そのような複雑な事情があったため、2016年4月に伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁の裁判官たちも判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/924/085924_hanrei.pdf)で、「動機、経緯には、酌むべき事情として相応に考慮すべき点もある」と言わねばならなかったほどだ。

伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁判決(2016年4月26日)

そして実を言うと、この伊藤死刑囚も筆者の知る限り、再審請求をしていない。再審請求さえしておけば、最高裁の判決内容から考えても、法務・検察官僚たちが死刑執行の対象に選びづらい死刑囚であるにもかかわらずに、だ。

当欄の1月5日付けの記事で書いた通り、現法務大臣の上川陽子氏は非常に死刑執行に積極的な人物だ。今はおそらく菅内閣最初の死刑執行を早く実現したくてたまらないはずである。それだけに、私はこの2人が心配で仕方ないのだが、万が一、この2人が死刑執行されるようなことがあれば、読者の方は「誤った死刑執行」だと受け止めて頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第15話では、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二死刑囚を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

天皇制はどこからやって来たのか〈23〉近世・近代の天皇たち ── 明治天皇はすり替えられた?

この表題はまことに荒唐無稽ながらも、明治政府の歴史観を左右する幕末ミステリーである。もしもそれが史実ならば、驚愕するような事実よりもさきに、われわれは明治維新という「革命」の内実を知ることになる。その内実が謀略であると。そして、南朝史観とよばれる維新政府の歴史観に、こんどは生々しく触れることになる。

仮説はこうである。幼い明治天皇(祐宮睦仁親王)が何者かに殺害され、その代わりに別の人物が皇位に就いたというのだ。その名は長州田布施出身の大室寅之祐、長州藩が秘匿していた南朝の末裔であるという。

最初にこの説をとなえたのは、鹿島昇(弁護士・歴史研究家)だった。その云うところをトレースしてみよう。

南朝・後醍醐天皇の皇統は、後村上天皇──長慶天皇──後亀山天皇の正系のほかに、尊良親王(東山天皇)から正良親王(松良天皇)にいたる傍系がある。正良親王の皇子のひとり、光良(みつなが)親王が南朝崩壊後に長州の麻郷に落ちのびたのが、大室天皇家であるという。室町時代の長州は守護大名の大内氏が支配するところで、南朝勢力が西日本に落ちのびるのは、懐良親王が九州を拠点とした例から考えて不思議ではない。

わたしは薩長両藩の主家が関ヶ原で没落した島津と毛利であり、明治維新は一面において268年の歳月をへて徳川打倒に燃える両家の意趣がえしであると考える。長州藩において、大室天皇家はその切り札だったのだろうか。

鹿島昇(弁護士・歴史研究家)によれば、幼い明治天皇(祐宮睦仁親王)が何者かに殺害され、その代わりに別の人物が皇位に就いたという。それが長州田布施出身の大室寅之祐(写真左)。長州藩が秘匿していた南朝の末裔であるという

◆将軍家茂・孝明天皇暗殺

鹿島昇は幕末の政治情勢から、暗殺者たちの動機を精緻に解読する。将軍徳川家茂と孝明天皇の死(1866年)がそのキーワードである。すなわち、皇女和宮の降嫁によって従兄弟となったふたりは、公武合体の体現者であった。ふたりは長州征伐の実行者であり、天皇のもとに徳川家を中心にした連合政権を構想していた。

この政権構想はしかし、尊皇攘夷と倒幕をねらう薩長連合にとって容れられるものではなかった。とくに京都から排除され、その勅命によって征討までされた長州藩にとって、ふたりは目の上のたんこぶだったのである。

たとえば「(和宮降嫁によって)尊攘派は肝心の天皇を幕府に奪われてしまった。すなわち、幕府が『玉をとった』のである」「薩長密約の際に家茂と孝明天皇の暗殺はすでに謀議されており、これに公武合体派から尊攘派に鞍替えした岩倉具視が荷担したのであろう」と、鹿島昇は解読する(「明治天皇は二人いた!!」『天皇の伝説』メディアワークス)。

それもまったくの推論というわけでもない。鹿島が謀殺の論拠とするのは、作家の山岡荘八が独自にしらべた事実である。すなわち、宮中からさし回された正体不明の医師が、風邪で伏せっていた徳川家茂に薬を処方したところ、それから三、四日目に亡くなったとする。

「将軍の胸のあたりに紫の斑点が出て、大変苦しがって、その蜷川という御小姓組番頭に、骨が折れるほどしがみついたまま息を引きとった」(山岡荘八「明治百年と日本人」『月刊ひろば』昭和43年11月号)というのだ。蜷川という御小姓頭は蜷川京都府知事の祖父にあたり、おそらく将軍家茂の死にぎわは事実なのであろう。
孝明天皇の最期もまた、謀殺めいたシーンに彩られている。

明治天皇の外祖父(生母の父親)中山忠能の『中山忠能日記』によると、やはり天皇は天然痘の潜伏期で、12月11日には「不眠・発熱・食欲不振・ウワ言の病状を経て」「十六日朝には顔に吹き出物が出始めた。だが、十七日から便通があり、食欲も起こり熱も下がり、典医も『まづ順当』と診断している」

快方に向かったというのだ。

「最後に二十三日から膿の吹き出しがおさまってかさぶたを結んで乾燥し、次第に熱が下がり、大体において全快に向かった。ところが病状は二十五日に至って急変し、激しい下痢と嘔吐の挙げ句、夜半に至り『御九穴より御脱血』」という最期であったという。

当時、宮中においても毒殺説が飛びかい、宮中勤仕の老女の「悪瘡発生の毒を献じ候」という手紙を、中山忠能は日記に紹介している。

これを裏づける説をとなえたのは、瀧川政次郎である。中国人医師の菅修次郎が夜半に呼び出され、目かくしをしたまま連れて行かれたという。そこで診療させられたのは、わき腹を刺された、ひん死の人物だった。じつは菅医師が連れて行かれたのは御所ではなく、堀河紀子(孝明天皇の愛妾)の広大な屋敷だったというものだ(「皇室の悲劇」)。

中山忠能が日記に書いた「御九穴より御脱血」というのは、刺し傷だったのだろうか。

この説を、作家の南条範夫は「孝明天皇暗殺の傍証」『人物往来』昭和33年7月号)において、母方の祖父・土肥一十郎の日記を読んだ記憶として書いている。

「白羽二重の寝衣や敷布団はもちろんのこと、半ばはねのけられ掛布団に至る迄、赤黒い血汐にべっとりと染まっている人は脇腹を鋭い刃物で深く刺され、もはや手の下しようもない程甚だしい出血に衰弱し切って、ただ最期の呻きを力弱くつづけているに過ぎない」

何ともなまなましい、暗殺現場に立ちあったかのような描写であることか。こうして、尊皇攘夷派・倒幕派にとって邪魔な存在だった将軍と天皇が暗殺されたのだ。その暗殺者たちは、みずからの政権を盤石なものにするために、つぎなる暗殺に手を染める。16歳の陸仁親王(明治天皇)暗殺である。

◆なぜ吉野朝時代なのか

陸仁親王(明治大帝)暗殺について、孝明天皇暗殺ほどの生々しい証言や伝聞があるわけではない。鹿島昇が「証言」と称するものは、ことごとく伝聞であり、亡くなられた人々が反論できない、したがって根拠のわからない「証言」なのである。誰がいつどこで、どうすり替えたのか、詳細がよくわからない。

いわく、昭和4年に三浦天皇(三浦芳堅=南朝傍系)が、元宮内大臣・田中光顕に獄秘伝の『三浦皇統系譜』を持参したとき、田中は「じつは明治天皇は孝明天皇の息子ではない」「明治天皇は、後醍醐天皇第十一番目の息子満良親王の御子孫」だと証言したという。

いわく、元宮中顧問官で学習院院長も務めた山口鋭之助が、大正9年に「明治天皇は北朝の孝明天皇の子ではない。山口県で生まれて維新のときに京都御所に入った」と言ったという。

いわく、岸信介元総理は元中政連幹事長だった鎌田正見に、いまの天皇家は明治天皇のときに新しくなった、と語ったという。

いわく、陸仁親王と明治天皇が別人であることは、鹿島昇自身が清華家の当主である廣橋興光から聞いたことがあるという。

いわく、中川宮(前出の東武皇帝・日光宮能久親王の兄)の孫娘である梨本宮家の李方子も、明治天皇は南朝の人だと証言したという。

いわく、鹿島昇の旧友・松重光雄は、中学生のときに担任の萩出身の教師から、明治天皇はすり替えられたと教えられたという。

ほかにも証言らしいものはあるが、もうここまでにしよう。鹿島昇の脳裡に根を張った推測・推論なのだ。もの言わぬ死者の証言よりも、われわれには問題にしなければならないことがある。なにゆえ明治政府が北朝の天皇をいただきながら、「吉野朝時代」などという歴史観で南朝を正統としたのか、である。そこにこそ、明治天皇がすり替えられたかどうかの「真相」が浮かび上がるはずだ。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

リング上でタトゥー露出はタブーか? キックボクシング界の入れ墨ルール

◆大晦日の井岡一翔の“タトゥー”をきっかけに

大晦日のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、井岡一翔の左腕と脇腹に見られた“タトゥー”について賛否両論の意見が交わされました(刺青、入れ墨、タトゥーは慣習的には示すものが違うかもしれませんが、ほぼ同じ意味らしいです)。

日本ボクシングコミッションルールの欠格事由に「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場できないというルールがありますが、ファンデーション等で隠すなど表面から一時的にも消す場合は出場許可される場合が多いようです。

入れ墨をドーランで隠す配慮ある石川直樹(2020年1月5日)
大月晴選手は胸に小さな☆マーク。可愛いもんである(2019年4月13日)

こういうルールがあること、賛否を議論されることは、それだけメジャーな競技である証明でもあり、更に細分化した部分で問題が起きているのが今回の入れ墨問題。その入れ墨はどこで線引きをするかは難しい問題でもあります。

以下、4つに分けると、

(1)どんな小さな入れ墨でもダメ。
(2)全身大部分の入れ墨や暴力団組員を表すもの、それを連想させるものでなければOK。
(3)身体の一部分で、デザイン化した絵柄、お守り的意味合いならOK。
(4)海外はOKなんだから日本も海外に合わせないと時代遅れ、どんな入れ墨もOK。

ルール的に(1)~(4)のどこで線引きするかとなると“ちょっとならOK”としたら、その線引きが難しくなります。

“大晦日の井岡一翔の場合まではOK”となる線引きするとしたら、その境界線で「井岡のより小さいのにダメなの?」や、「井岡のより大きくてガラ悪いのにOKになった!」といった損する選手、得する選手が出てくる僅差の判定に起こりがちの不可解感が生まれ、抗議殺到の可能性が高いでしょう。だから今は、従来通りのルールでいくしかないプロボクシング。それでも寛大に、ファンデーションで隠すならOKとされているのでしょう。

年代や育った環境にもよるので、意見が纏まらずに落としどころが難しい問題です。

一方で「ボクシングを健全な競技、スポーツとするのであれば、入れ墨は小さくてもダメ。“テレビに出る=世間一般への影響力”を考慮しなければならない。」という意見や、「日本では昔から“入れ墨=反社会勢力”という印象が強過ぎるせいで、未だに良くないという印象が根強く、ヒーロー的な選手が入れ墨を彫ると、それに憧れる子供が真似をする影響からダメ。」等の意見もあるのも事実。また、「皮膚移植して入れ墨を消してでもやりたいボクシング。」という選手も居た魅力あるスポーツでもあるのです。

JBCの入れ墨に関わるルールを変えたいなら、それなりの署名運動や嘆願書など諸々の手続きを取ればいいところ、井岡一翔の行動で問題提起の良いきっかけにはなったことでしょう。

弾正勝vsロッキー武蔵。昔のキックボクサーはサポーターで入れ墨を隠した(1985年3月16日)

◆キックボクシングでは入れ墨OK?

マイナー競技としての年月を経たキックボクシングは、創生期からルールが大雑把なため、テレビ局から対応を求められる以外は規制が緩い部分が多い。

昔のキックボクシングでは腕や太腿に入れ墨していた選手がサポーターを着けて試合出場していた選手がいました。腕や脚をダメージから保護してしまう不平等性があるのではないかという意見もありながら、細かいことの規制はありませんでした。

TBSテレビ放映時代の日本ヘビー級チャンピオン,ジミー・ジョンソン(横須賀中央)は横須賀米軍基地勤務からアメリカへ帰り、再び日本のリングに立った時は、腕から胸に厳つい入れ墨が大きく彫ってあったものでしたが、これも何も問題にならない昭和の時代でした。

現在も入れ墨がある選手が試合出場していますが、団体やフリーのプロモーター興行によってルールや出場条件はやや違いがあるようで、全身に近い彫りものでも隠さず出場したり、ある程度はファンデーションで隠す配慮をする選手やジムの意向、団体の規律がある興行も存在します。

もう入れ墨には慣れっ子になってしまった我々以下の世代。何といっても普段は一般人らしく礼儀正しく振舞う選手が多く、反社会勢力的存在ではないことは分かります。しかし、初めてキックボクシングを観たという一般人からは怖く見えるものということを考慮した方がいいかもしれません。

首にかけて阿涅塞と彫ってあるような字はイタリアのオリビア・ロベルト(2020年2月16日)
左腕も厳つい絵柄のオリビア・ロベルト。海外では珍しくない入れ墨である(2020年2月16日)

◆タイの国技・ムエタイでは

ムエタイが国技のタイ国では、昔からサックヤーン(タイ仏教が関連する伝統タトゥー)が普通にありますが、やはり一般的に中流以上のタイ人は入れ墨はしておらず、身体に彫るのはやはりチンピラ気質の輩や、ムエタイ選手、トレーナー、運転手、アーティスト、水商売系が多いようです。刑務所に服役する者は、やっぱり厳つい入れ墨が入ってる連中ばかりであるようです。

昔のムエタイジムでも、子供の頃に彫ったのだろうと思える、手の甲や腕にサックヤーンが入っていたのを何人も見たことがありますが、お守りとして彫る文化としては仕方無いものの、日本では教育現場で大問題となるでしょう。

タイのお坊さんも慣習的に入れ墨は多い(2003年3月15日ワット・ポムケーウ)

◆入れ墨問題の今後

キックボクシングは今後、統括する組織が出来上がる時代が来れば、入れ墨問題も提起されることでしょう。今でも「ボクシングが入れ墨ダメなんだからキックボクシングでもダメだろう」と思っている選手も居るらしい。

競技は別物でも、他競技にも影響を与える歴史と伝統あるプロボクシングは、あらゆるルールやシステムがキックボクシング界に真似されてきた経緯があり、お手本となる存在でもあるのです。今回の“井岡一翔のタトゥー問題”は物議を醸しながら何らかの進展は見られるはずで、他人事ながらそこはしっかり見守って、いずれキックボクシング界でも活かして欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

《NO NUKES voice》ふるさとを返せ 津島原発訴訟 ── 結審(下)『現代のディアスポラ』たちの闘い 民の声新聞 鈴木博喜

想像してみて欲しい。情報もロクに入って来ない中で「とにかく逃げろ」と言われた時の事を。放射線量も被曝線量も分からない。どこに逃げたら安全なのかも分からない。誰もが「きっと数日で戻れるだろう」と自宅を後にした。避難生活が10年に及ぶ事も、自宅へ続く道にバリケードが設置されて自由に立ち入れなくなる事も、頭に浮かばなかった。それが原発避難の現実だ。

立教大学教授の関礼子さん(環境社会学)は、専門家証人尋問の中で「原告は『土地に根ざして生きる権利』という、一般の人々が享受している権利を全て根こそぎ奪われた」と述べたが、津島の人々はふるさとを「喪失した」のでは無い。まさに「ある日突然、一方的に奪われた」のだ。何も知らされずに。

帰還困難区域に指定された津島地区は10年経ってもなお、自宅へ向かう道にバリケードが設置されている

原和良弁護士は7日の最終弁論で「津島の人々の境遇・想いは、現在に禍根を残す世界規模の問題と共通します」として、ふるさとを追われたユダヤ人について述べた。

「紀元前586年に起きた新バビロニアによるユダ王国の征服で、首都エルサレムに居住していたユダヤ人はふるさとを追われ、バビロンに捕囚されました。『ディアスポラ』という、ギリシャ語で『散らされた人』を意味する言葉の起源は、この『バビロン捕囚』にさかのぼります」

エルサレムの住民たちは突然、他国の征服で囚われの身となり、見知らぬ土地に散り散りバラバラに連行された。「ふるさとを追われたユダヤ人は、異なる言語や文化、伝統の中に放り出され、長い間、様々な差別や迫害に遭遇します」。それはまさに、放射性物質による〝征服〟で見知らぬ土地に散り散りバラバラに避難を強いられ、それまでと異なる生活環境の中で様々な差別や〝迫害〟に遭遇してきた津島の人々と重なる。

「原告らは『現代のディアスポラ』と言えるのです」

それだけ「迫害」された津島の人々が国や東電という巨大な壁に立ち向かうには、周囲の差別や偏見とも闘わねばならなかった。

白井劍弁護士は、原告たちが避難先で味わって来た悔しさを次のように表現した。

「原発被害者に対する偏見、誹謗中傷も根強いのです。この訴訟の原告の中にも、世間の偏見や誹謗中傷に傷付いた人はたくさんいます。ある女性原告は避難先で県営住宅に入居しました。自治会の清掃活動で、住民たちからこう言われました。『ここの御家賃は高いのよ。あなたたちは無料ですってねぇ』、『良いところに入れて良かったわねぇ』、『良いわねぇ、お金もらって』……」

決して少額では無い賠償金を得た人々への妬みには、その金の背景にある「被害」が抜け落ちてしまっているのだ。

絶対に起きないはずの原発で爆発事故が起き、津島の人々は平穏な暮らしを突然、奪われた。自宅は日に日に朽ちて行き、泣く泣く解体に踏み切った原告もいる。それらは全く無視され、避難先で新築の住まいを購入した、津島と違って近くにコンビニもスーパーもある便利な地域に暮らしている、など避難先での暮らしぶりを点でとらえられて傷つけられて来た。避難指示が出された区域からの避難者には精神的賠償として月額10万円が支払われた事から、運動会で走る子どもに「10万円が走っているぞ」と酷い野次が浴びせられた事もあった。

白井弁護士が例に挙げた女性原告は「なぜ悪い事をしているかのように中傷されなければならないのか」と憤りながらも口にする事など出来ず、ついに重いうつ病を患ってしまった。原告の三瓶春江さんは最終弁論で「差別や偏見のために、声をあげたくてもあげられない若者が大勢いる事を忘れないで」と訴えた。

「私の娘は裁判の中で、避難している人への差別や偏見のせいで津島出身である事を隠さなければならない哀しみ、自分が放射線被曝したかもしれない不安で結婚をためらってしまう胸の内を陳述しました。娘のほかにも、原発事故のせいで津島から離れ、つらく哀しい体験をした若者がたくさんいます。しかし、自分の体験や気持ちを素直に話す事が出来ません。避難した人に対する差別や偏見が今も消えないからです」

誰もが願う津島地区の復興。それには、原発事故前の状態に戻すのが大前提となる

避難先で生きて行くだけで精一杯の状況では、拳を振り上げて闘う事がどれだけ難しいか。白井弁護士は「権利主張の声をあげる事、裁判をする事はあまりにもハードルが高い」とした上で、「ひとつの地域の住民たちが、その地域の環境復元をメインに訴えた訴訟は『津島訴訟』だけ。加害者の責任で地域環境を復元しなければならない事を明確にするこの裁判は、原発被害者の歴史を変えようとする裁判です。四大公害裁判が公害被害者の歴史を変えたのと同じように」と、故・田尻宗昭さんの次の言葉を挙げた。

「誰か一人でも、必死になって球を投げ続ければ必ず歴史は変わる」

60年代後半、海上保安庁職員として工場排水などによる海洋汚染を摘発。70年代には東京都職員として土壌汚染問題に取り組んだ。「公害Gメン」と呼ばれるほど、環境問題と徹底して向き合った人物。白井弁護士は、津島の人々が「球を投げ続けた」5年余の、そしてこれからも続くであろう闘いを、次のように表現した。

「津島訴訟の原告たちは独りぼっちではありません。大勢の気心の知れた仲間たちが、力を合わせて連携して『必死になって球を投げ続けて』来ました。これからも、津島地区を自分たちの手に取り戻すまで、あきらめる事無く『必死になって球を投げ続ける』ことでしょう。この人たちが『必死になって球を投げ続ける』限り、必ず歴史は変わる。そう確信します」

2015年9月の提訴以来、口頭弁論期日は33回に上った。裁判所は原告たちが投げ続けた球をどのように返すのか。

「国や東電が私たちの津島を元通りの地域社会にしてくれるであれば、原発事故前と同じような生活が出来る状態に戻してくれるのであれば、お金は要りません」、「津島での元の生活に戻る事が出来るならゼニなんか一銭も要りません。ゼニ金の問題じゃ無いのです」と訴えてきた津島の人々の想いに応えるのか。

判決は半年後、7月30日に言い渡される。(了)

◎ふるさとを返せ 津島原発訴訟
結審(上)「原状回復」への強い想い 
結審(中) 津島の地を汚した者・東京電力の責任を問う
結審(下) 『現代のディアスポラ』たちの闘い

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
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器ではなかった菅義偉総理、退陣までのシナリオ コロナ・東京五輪・総選挙

◆衆院総選挙をどこに持ってくるのか

18日の国会再開をまえに、自民党内では総選挙の日程および政局の動きがかまびすしいという。

コロナ防疫の失敗(GoToの不手際)、桜を見る会の再審議、吉川元農水相をはじめとする鶏卵業者からの贈収賄疑獄という、政権が傷だらけになりかねない審議項目がならぶ。それに加えて、コロナ感染の爆発的な増加がオリンピックを風前の灯にするという、踏んだり蹴ったりの展開が予測されるからだ。


◎[参考動画]『緊急事態宣言』菅総理に聞く(ANN 2021年1月8日)

秋には任期満了をむかえる衆議院総選挙をどこに持ってくるのか、すでに「週刊ポスト」(1月15・22日号)では、自民党が40議席を減らして、過半数をギリギリでまもれるか、という政権維持の危険信号にちかい予測が立った。

「自民40議席減の惨敗となれば、菅首相は責任をとって総裁辞任と退陣は免れない」野上忠興(政治ジャーナリスト)というのは当然であろう。

総選挙の時期はいまのところ、5~6月は公明党が重視する都議選(投票は7月)があるので、その前か秋という観測が濃厚だ。コロナ感染の現状をみれば、10月の満期総選挙というのが現実的であろう。

そうすると、選挙前の菅退陣もありうる情勢ということになるのだ。今年全体の、内外にわたる政治スケジュールについては、別途に稿を起こす予定だが、菅おろしは意外に早いかもしれない。当面の政局を中心にまとめてみた。

◆都議選敗北でジリ貧に

今後の政局を左右するのは、おそらく自公の選挙協力であろう。

河井克行被告が議員辞職しないままの広島3区では、公明党が独自候補(斉藤鉄夫副代表)を立てている。自民党県連も独自の候補を立てることになれば、自公相打つ情勢が決定的だ。

しかも3区が宏池会の地盤であることから、公明党は「岸田(宏池会)会長が(自民党候補不出馬を)決定すべき。もしできないのなら、他の選挙区の岸田派候補は応援しない」と言明しているのだ。河井問題は県連と党本部の対立構造という矛盾であり、これが解消できない政権・党本部の求心力は低下する。

この自公対立は、東京都議選でも同じ構造になりつつある。すなわち、自民党都議団が小池知事に接近するいっぽう、都民ファーストの切り崩しに走るいっぽう、小池知事と公明党の急接近が顕在化しているのだ。

公明党は前回の選挙では都民ファーストと提携し、作年7月の都議補選ではみずからは擁立せず自民4候補を推薦した。いっぽうで小池氏との関係は良好で、次の都議選の選挙協力相手は「知事に対する姿勢次第だ」(会派幹部)と思わせぶりな態度を見せる。公明党は総選挙はともかく、参院と地方選挙は全員当選が至上命令なので、ここでの軋轢が自民の総敗北に帰結する可能性が高い。

選挙で勝てない総理ということにでもなれば、菅政権の命脈は早めに尽きると断言しておこう。

◆オリンピックの強硬開催で失敗

さて、菅政権にとって問題なのは東京オリンピックである。

スポーツは人々を鼓舞する。オリンピアは、とりわけ国民的な熱狂をもたらす。スポーツが嫌いな人でも、オリンピックに背を向ける人々でも、アスリートの努力に拍手するのは惜しまない。

だが、コロナ禍で失政をくり返し、その規模や構想において数々の失敗をかさねてきた五輪委員会やそれを後押しする政府に、国民がうんざりした気分をもっているのも現実である。アスリートの努力を惜しめばこそ、あるいは日常的にスポーツを愛するがゆえにこそ、安倍――菅政権のスポーツ利用主義、政治目的のオリンピック開催には疑義を呈する人も少なくはないのだ。

もしも、いまだ功罪不明のワクチンを頼りに、国際的な認知の展望がないオリンピック開催に踏み切った場合。それはおそらく無観客ないしは限定観客入場、テレビを主体とした開催になると思われるが、およそアリバイ的なものにしかならない。残されるのは、膨大な赤字と国民の空虚感だけではないだろうか。それは政権への侮蔑しか生まないはずだ。日本人選手と、わずかな招待選手だけの大会となったら、である。


◎[参考動画]『東京五輪』菅総理に聞く(ANN 2021年1月8日)

◆総選挙前の菅おろし

菅総理の「おろされ方」はどうなるのだろうか。

「私は菅氏は『平時の総理』であり、コロナ禍の非常時には不向きなのだと思います」と語るのは、政治アナリストの伊藤惇夫氏である。

「菅総理は『ブレない』ことを大事にしているようです。確かに官房長官時代から、どんな質問をされても答えはブレなかった。かつて菅さんから、『米軍普天間飛行場の辺野古移設が進まないのはなぜかわかりますか』と聞かれたことがあります。『わかりません』と言うと、『それは諦めたからです。私は諦めませんから移設を実現させます』と答えました」

「その姿勢は平時ならば良い結果を生むかもしれませんが、非常事態には、一つのことに固執するのではなく、柔軟に対応することのほうが大事です。Go To トラベルの休止判断の遅れなどは、まさに菅総理の悪い面が現れたのだと思います」

このあたりの評価は的確であると思う。官房長官として、政権の広報を事務的に行なうのであれば、頑固な立場でも何ら政治責任は問われなかった。

その意味では「粛々と」「お答えは差し引かせさせていただく」「その批判は当たらない」などという木で鼻をくくる答弁でも済ますことはできた。

だが、総理は政権と政策の総責任者なのである。質疑答弁が内容にふれるほど、活舌も悪くないようがなくなる、トホホ答弁に終始しているのは、その依怙地なまでの頑なさにあるのだ。

「菅政権を支えているのは二階派です。二階幹事長は菅政権の生みの親ですが、だからといって体を張って政権を守るとは思えません。二階さんは政局を見ながら変幻自在に動くタイプの政治家ですから」

そして伊藤氏は、党内にある菅おろしの筋書きを、かつての三木おろしになぞらえる。派閥の力ではなく、政局のキーパーソンが「裁定」をするという筋書きだ。その場合も総裁選挙という形式は踏むと思われるが、現在の自民党総裁選挙はかぎりなく「裁定」に近い。

「二人を見ていて思い出すのは、三木武夫・首相と椎名悦三郎・副総裁の関係です。田中内閣が金権批判で退陣した時、椎名は総裁選をせずに、いわゆる『椎名裁定』で三木を総理に指名します。ところがその後、三木の党改革や政治資金改革に対する反発から党内で『三木おろし』が起こると、椎名はそれに同調した。そして有名な、『生みの親だが育てると言ったことはない』という言葉を残しました。菅総理と二階幹事長は、なんとなく三木と椎名のような関係になる気がします」

実際の政治を周知するがゆえに、政権にやや批判的なスタンスをとる伊藤氏だけではない。保守系の論者からも菅おろしの現実性が指摘されている。

ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰する倉山満は、選挙の顔としての菅総理の問題点を指摘する。

「9月は、自民党総裁の任期切れだ。今の菅首相(自民党総裁でもある)は、安倍前総裁の任期を引き継いでいるだけだ。その時に支持率がどうなっているか? もし『選挙に勝てない総裁』と判断されたら、菅おろしの動きも見えてくる。その時の自民党は、10月の衆議院任期切れまでに新総理総裁に代え、その御祝儀相場で選挙をやって政権を維持する、と考える。日本の政治家の絶対の原則は『自分は落選したくない』だ。安倍前首相が長期政権を築けたのは、すべての国政選挙に勝ったからだ。つまり自分を当選させてくれる総理総裁だから、引きずり降ろすはずがない。そして安倍政権では、緩やかながらも景気回復をしていた。菅内閣で、景気回復の望みは薄い」(日刊SPA! 2021/01/11)

結局のところ、政治家とは選挙で勝てる人間なのである。安倍晋三元総理が、あれこれと批判を受けながら超長期政権を永らえたのも、選挙に勝てる総理だったからにほかならない。菅総理はすでに、国民的な人気という意味ではダメな総裁であることが判明した。国会答弁、記者会見は「トホホ」である。早めに退陣して、次期官房長官をめざすのが得策ではないか。


◎[参考動画]【役員会後】二階俊博 幹事長(自民党 2021年1月5日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他