最後の映画人が、巨星が墜ちた。新藤兼人監督が5月29日に旅立たれた。享年100歳。まずはご冥福を祈る。
映画というよりも、キネマという世界からスタートした新藤監督は、徹底して「自分が撮りたい作品」を追及した。
それでいて「頼まれた仕事は断らない」ことで知られる。また「近代映画協会」の設立者の1人であり、シナリオ作家育成などにも力を注いだ。
もはや映画にとって、なくてはならない重鎮だった。
エンターテイメント性が強い作品もあるが、人間と命というものにこだわった映画作家として、多くの社会的な題材も扱った。
放射能汚染を題材とした『第五福竜丸』、『さくら隊散る』、連続拳銃発砲事件の永山則夫を題材にした『裸の十九才』、家庭内暴力に材を取った『絞殺』、死と不能をテーマにした『性の起源』、老いをテーマとした『午後の遺言状』などは、見た者が考え込むような鋭い切り口で社会の問題点を描き出した。

日活芸術学院という、やや自由奔放すぎる環境で映画を目指していた私は、神保町の書店をまわり、名のある脚本家の脚本をかたっぱしから読んだ。とりわけ新藤兼人の脚本はむさぼった。
シナリオ作家をめざすなら、『傷だらけの山河』(原作:石川達三)や、『舞姫』などは抑えておくべきだろう。『けんかえれじい』『ハチ公物語』もお勧めだ。新藤監督を知らずして、映画を語ることなかれ。同時に、新藤監督の脚本を学ぶことなく、脚本を語ることなかれだ。
個人的見解を言うなら、作家などは脚本家の成れの果てだと思う。吐き気がするほど人間の執着を掘り下げないと、優れた脚本はかけない。
新藤監督の脚本は、透徹したまなざしで、人間を洞察した。それでいておもしろく、予期しない展開は、他の追随を許さない。テレビドラマ、演劇作品も含めると手がけた脚本は370本にもおよび、多くの賞を受賞している。黒澤明氏が書いた脚本を仮に「動」であり「映像表現へ挑戦の脚本」とするなら、新藤監督の脚本は「静」であり「映像表現の美に向かう脚本」だともいえる。
両者とも、脚本に書かれたセリフは鋭い。生命を高らかに謳歌しており、悪を鋭く切り刻む。

4月22日、新藤監督は東京都内で誕生会を迎えた。映画関係者100人以上の前に車いすで登場した新藤監督は「これが最後の言葉です。どうもありがとう。さようなら」と冗談めかしてあいさつし、会場を沸かせたが、本当に最後の言葉となってしまった。
松竹の大谷信義会長は「日本の映画界に、100歳の現役の映画人がいることはわれわれの誇りで喜びだ」と祝福。最新作「一枚のハガキ」(2011年公開)の受賞続きで疲れたという監督は、言葉は少ないものの時折表情を和らげた。
「新藤監督は生涯にわたって現役だった。現場に入ると、若々しくなった」(元助監督)
古きよき時代の映画監督が見直されている昨今。伊丹十三氏の生涯を描いたNHKのドラマも話題になっている。
今、人の心の機微を捉える映画人、とりわけ映画監督が、減っているのではないか。京都の太秦撮影所が、一時的に経営難になった(今は観光スポットとして復活)。時代劇が激減しているのも確かだが、『表現者としての監督』の劣化が関係しているのでないかとも思う。
数えたが、新藤監督の作品は14本見ていないものがある。まだまだ学ぶことがありそうだ。また、神保町に行って新藤監督の脚本を読み返そうとも思う。合唱。

(渋谷三七十)