月刊『創』の編集長であり、創出版の代表である、篠田博之氏から、電話があった。
住所が変わってないかどうかの確認。パーティの案内状を送りたいからとのこと。
意外と、いいとこ、あるじゃないか。

『創』には、不快な思いをさせられたことがあった。
2008年のことだ。阪本順治監督『闇の子供たち』は、バンコク国際映画祭での上映が決まっていたが、直前になって上映禁止になった。映画はアジアにおける児童の人身売買をテーマにしたもので、子供たちを救うNGOボランティアを、宮崎あおいが熱演していた。
映画の舞台になっているのも、実際に撮影されたのも、タイだった。これが上映されるのは国辱だ、とタイ側は言うのだが、そう感じるのは、タイで児童の人身売買が行われているのが事実だからだ。

この問題を考えるイベントを行おうということになり、塩見孝也氏に頼まれ、私が実行委員になった。監督の阪本順治氏、原作者の梁石日氏、タイ現地での撮影を仕切った唐崎正臣氏を迎え、阿佐ヶ谷ロフトAでイベントは行われた。

これは『創』にも適したテーマであると思い、篠田氏に電話した。タイから来日していた唐崎氏のインタビューを提案すると、やろう、ということになった。
喫茶店で唐崎氏と待っていると、篠田氏が若い男性を伴って、約束の時刻より遅れてやって来た。
ICレコーダーのスイッチを入れ、唐崎氏へのインタビューを始めると、その若い男も録音ランプの点ったICレコーダーをテーブルに置いている。テープ起こしでもしてくれるのかなと思いながら、インタビューを続けた。

その後、篠田氏から原稿の打ち合わせはなかった。なんだ、あの若い男が書くのか、と思ったが、心から尊敬する阪本順治氏、梁石日氏に関する問題が誌面に載るのだったら、それでもいい、と思った。

しばらくして、篠田氏から電話があり、阪本監督の写真をくれ、と言う。「私の提案した企画を私の仕事にもしないで、写真だけくれとは、どういうことですか?」と質すと、「テープ起こしして整えるだけの程度の仕事をあなたに頼めない。この見返りは何かするから」などと言う。

インタビューを行い、写真まで提供したのだから、それだけのギャランティを払うのが普通だが、いつまで経っても、ギャラどころか何の見返りもない。あの若い男は『創』の編集者で、別にギャラを払う必要はないのでやらせたのだろう。
その後、別の雑誌の仕事で取材したい人物が『創』に過去に登場していたので、彼の連絡先を聞こうと篠田氏に電話した。そんなことさえも、きちんと最後まではしてくれない。

そんなこんなも月日が経って忘れていたが、パーティの案内という話だ。やっぱり、心底ひどい人間ではなかった、気にしていてくれたのだ。

案内状が届いた。「創出版30周年記念&雑誌ジャーナリズムを語る会」を如水会館というところで行うという。
ジャーナリズムが危機に瀕している、という案内の言葉、日時、会場がある。
会費1万円、とその後にあった。

30周年記念のパーティなのだから、それを支えてきた、デザイナーやカメラマン、イラストレーター、ライターをねぎらうものであって、招待が普通ではないだろうか。少なくとも、私が付き合っている出版社は、そうである。しかも私は、ギャラもなしで創出版に貢献しっぱなし、なのである。
社外の人間が発起人になって、赤字経営だがもり立ててあげよう、などという場合なら有料もありうるだろうが、案内状の差出人は篠田氏本人。よほど人望がないのだろう。

しかも案内状が届いたのが、5月27日で、出欠の返信を5月30日までに出せと言う。なんだ、そりゃ。人が集まらないから、アイツにも声をかけてやろう、ということだったのか。人を馬鹿にするにも、ほどがある。

ちなみに、『創』にずっと広告を出してきた、鹿砦社社長にも『紙の爆弾』編集長にも、案内状は来なかったという。
篠田氏のほうは、『紙の爆弾』主催の無料のパーティに遅れてやって来て、料理をバクバク食べていたという過去がある。

『創』で働いたことのある者に聞くと、給料は安く遅配も多い。そのくせ、意味もなく若くてルックスのいい女性を雇っていたとのこと。

なぜ、そんなにも、しみったれているのか。
悪銭身に付かず。東電マネーにしゃぶりついた者は、ただひたすら人間が卑しくなる、という見本だろう。
そんな人物を見たいという向きは、パーティに参加するのもいいのではないか。

(FY)