6月28日に腎盂がんのため死去したタレント、小野ヤスシ(本名・泰=やすし)さん(享年72)の通夜が2日、東京・青山葬儀所で営まれ、ザ・ドリフターズ時代からの盟友、加藤茶(69)ら約1000人が参列。

「まちがいなく、コメディアンとしても音楽家としても人を惹きつけた。芸達者なタレントをなくした」(テレビ局スタッフ)

あまり知られていないが、小野さんは初代ドリフターズのメンバー。1964年に故いかりや長介さんとの確執が原因で脱退したが、「その原因はいまだに触れられていない。いかりやも著書で書いていないし、小野も語っていない。案外、このあたりに小野さんの個性があるかもしれない。つまり、口が堅く、男気があるのです」(古参俳優)

ある年代にとっては、テレビ「11PM」に愛川欽也がMCをやっている途中で出てくる、蝶ネクタイのオヤジだろう。
ある年代にとってはミュージシャン、ある年代にとってはおしゃれなコメディアンだ。世代を問わず、性格俳優としても記憶に残る。

また、芸人志望の者には、軽妙なトークには学ぶものがあったであろう。
小野さんは加藤とは50年来の親友で、今年3月に行われた加藤の結婚披露宴では司会を務めた。これが小野さんにとって最後の公の場となったようだ。小野さんは生前、エルビス・プレスリーに心酔。入院中の5月13日に「プレスリーやカントリーを流して送ってほしい」と家族に訴えており、会場には「好きにならずにいられない」などエルビスの名曲が流された。歌手のミッキー・カーチス(73)は遺影を前に、ハーモニカで「アメイジング・グレイス」の一節を演奏して別れを惜しんだ。

いかりや長介と喧嘩別れしてコミックバンド「ドンキーカルテット」を結成し、演芸ブームの追い風の中、人気を獲得した。

1970年、ブームも下火となり解散。するとソロ活動へ転身し、バラエティ番組を中心に司会やリポーターなどで活躍した。

いかりやとは疎遠となってしまったが、ほかのドリフターズのメンバーたちとは生涯、交流があった。

「天国で、仲直りしていかりやさんとコントをやっているかもしれませんね。晩年はいかりやさんとそんな話をしたとも聞きます」(テレビ局の古いプロデューサー)

また巨星が墜ちた。茶目っ気のある笑顔はもう見ることができない。ご冥福を祈る。

(ブランキ1号)