再審開始決定に対する東京高検の異議申し立てについて、31日に東京高裁の決定が出る東電OL殺害事件。今では誰もが知っている有名な冤罪事件だが、15年前の事件発生当初は何よりも被害女性のプライバシーに世間の関心が集まっていた。
慶応大学を卒業し、東京電力に総合職として勤めるエリートOLだった被害女性。彼女は夜になると、渋谷区円山町界隈のホテル街の路上で客を引く売春婦という裏の顔を持っていた。事件発生当初、マスコミはそんな彼女のプライバシーを競って報じ、週刊誌の中には彼女の全裸写真を掲載したところもあったほどだった。

このような被害女性の尊厳を蹂躙する報道合戦には、当時から批判の声は多かった。人権意識なるものとは縁遠い筆者でさえ、さすがにこれはひどいだろうと思ったものだった。だが、この事件を冤罪事件として見つめ直して以来、被害女性のプライバシーを興味本位に書き立てたマスコミ報道を完全には否定し切れないとも思うようになった。

それというのも、再審請求人のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏については、再審開始の決定が出るよりはるか前から冤罪だとみている人が多かった。筆者もこの事件に冤罪の疑いがあると最初に聞いた時、「いかにもありそうだな」とすぐに思ったものだった。それはなぜだろうか? と考えると、やはり被害女性の裏の顔がマスコミで喧伝されていたからではないかと思わざるをえないのだ。

それもそうだろう。この事件では、被害女性の遺体発見現場である円山町のアパート室内で、ゴビンダ氏の毛髪や使用済みコンドームが見つかっている。仮に我々が被害女性のプライバシーを何も知らなければ、これらの物証は強力な有罪証拠だと思えたはずである。
しかし、我々はマスコミ報道により、被害女性が夜になるとホテル街の路上に立ち、売春をしていたことを知っていた。遺体発見現場のアパートが彼女の「夜の仕事場」であることや、ゴビンダ氏が彼女の「客」だったことも知っていた。だからこそ、現場アパートでゴビンダ氏の毛髪や使用済みコンドームが見つかったと聞いても、我々はさほど有力な有罪証拠とは思わなかった。それどころか、彼女を殺害したのはゴビンダ氏とは「別の客」であっても何らおかしくないと思えたのである。

こんな話をすると、「だから何だ?」「お前は被害者の人権を蹂躙する報道を擁護するつもりか?」「そもそも、マスコミは冤罪を告発するために被害女性のプライバシーを書き立てたわけではないだろう」という良識的な声がどこからか聞こえてくるようだ。そういう意見はもっともだ。しかし実際問題、冤罪事件を取材していると、誰かの無実を世に訴えるために他の誰かのプライバシーを侵害せざるをえないような選択を迫られるケースは少なくない。誰にも迷惑をかけずに正しいことだけを言えればいいが、そんなふうに綺麗にいかないのが現実なのである。

(片岡健)

★写真は、現場アパート