岡田有希子のヒット曲「くちびるNetwork」が、26年ぶりによみがえった。発売の3カ月後の1986年4月に、岡田はサンミュージックの屋上から投身自殺したのだ。13歳から18歳のメンバー10人のユニット「さんみゅ~(β)」(読み=サンミュー)がカバーして、8月4日にリリースされた。

岡田有希子の自殺は、今でも鮮烈な印象を残している。その前年に発表されたのは、死を暗示するかのような『哀しい予感』というシングル。そこに写っている、彼女の顔も哀しげだ。

『不幸なスター・有名人レコジャケ・厳選100人OTAKARAファイル』(鹿砦社)では、自殺、自殺未遂、殺人、夭逝、孤独死、急死、癌死、誘拐、拉致、失踪、転落、暴漢、災害、金銭被害、など不幸に見舞われたスターのレコードジャケットを集めている。

冒頭に登場しているのは、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説した後に割腹自殺した、三島由紀夫だ。おりしも現在、若松孝二監督の映画『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』が公開され評判になっている。本書にジャケットが収められているレコードは、その日の三島の演説を収めたものなのだ。

猟銃自殺した田宮次郎など、自殺したスターは16人もいる。
自殺未遂も、7人いる。
1983年、愛人の子どもの事で悩み首つりを試みたフランク永井は、発見した妻に助けられて一命を取り留めた。会話が不自由になるなどの後遺症が残った。シングルのA面が『妻を恋いうる唄』、B面が『黒い椅子』というのが、なんとも意味深だ。

自殺と誤認されたのが、ジョニー大倉。1987年、富山市のホテル7階のベランダから転落したのだ。実際は、ホテルのために筋トレの器具がなかったので、ベランダの手すりで懸垂していて手を滑らせたのだ。全治6カ月の重傷だった。

転落事故は他に、八代英太と河合奈保子がいる。どちらも舞台上のセリが降りているのに気づかず落ちてしまったのだ。
八代英太は脊髄を損傷、以後、車椅子生活を余儀なくされる。だが1977年参議院選挙で当選し、政治家に転身。自らの体験を活かし福祉政策の専門家として、議会で活躍する。
河合奈保子は、2カ月の療養の末に復帰、1981年から1986年まで、紅白歌合戦に6回連続出場し、その後一般人と結婚し、母となった。

レコードジャケットを眺めながら、それぞれのスターの生き様に思いを馳せてみるのも、意義深い一時だ。

(FY)