台詞は少なくとも、重厚さで作品を支えた。登場する場面が短時間でも、全力を注いだ。
大滝秀治の演技が最初に目に焼きついたのは、おそらくテレビドラマ「北の国から」だっただろうと思う。事情があって富良野にやってきた田中邦衛と子供たちに、かすれた声で大滝は言う。「おまえ等は、逃げてきたんだ。それを忘れるな」と鋭い眼光ながらも、どこか温かみがある声をかける。

代表を務めた劇団民藝では、「ことし2月頃体調不良のため、6月の民藝公演を降板して入院加療中でした。7月初旬には間質性肺炎も併発しましたが、その 後病状も安定して退院、食欲もあり自宅療養しておりました。ご家族によれば、前夜も一緒に食卓を囲み好きなお酒も酌み交わしておりましたが、その日の午 後、静かに眠るようにお別れしたとのことです」とファクスで綴っている。

大滝氏については思い出がある。
雑誌の企画で「劇団に入りたい人向け」の情報ページの特集があり、劇団の顔たる俳優たちにインタビューする機会に恵まれたのだ。「民藝」は代表の大滝氏がインタビュー相手となった。
挨拶するなり、「私なんかで本当にいいのですか」と例のかすれた声で言った。当時の私はまだ20代で、大滝氏から見れば子供同然であるのに、だ。
謙虚にして低姿勢。生き様が演技に出る男。おこがましいが本物だったという。そして、一流の人はみな偉ぶらない。

お会いして以来、欠かさず年賀状を送ってくれた。気配りの人でもあった。
私といえば多忙な時代で、賀状を返せない年もあった。今、陳謝したいと思う。
大滝氏には、業種こそちがうが見習うべき点がたくさんあったと思う。
聞けば肺がんとの戦いは、壮絶だったようだ。

読書家として知られるが、最後に手に取ったのは赤塚不二夫さんの『これでいいのだ』となった。遺族は「まさに『これでいいのだ』と笑顔で穏やかに旅立ちま した」とコメントを発表した。

演技論を語りだしたら、止まらない。
映画の話は一晩中でもする。
バイプレイヤーとして超一流の地位を築いた大滝氏は、趣味は将棋だったようだ。
私には、理詰めで相手を追い込む姿が容易に想像できる。
考えこんだら、永遠に考え込むであろう真面目な性格は、死ぬ直前まで台本を抱えるという『死に様』に直結した。
大滝氏の映画をまとめて観賞したいものだ。残念至極ながら、平成の名バイプレイヤーが逝く。
合掌。

(TK)