延長戦が採用されたオープントーナメントで全6ラウンドを戦った足立秀夫(左)(1983.1.7)

「5回戦から3回戦に短縮されたこと、どう思われますか?」

2004年4月、新日本キックボクシング協会もついに3回戦化された頃、ある役員からこんな質問を受けました。反対意見を幾つか述べさせて頂いた後、仲間内の某記者に話したところ、「改革直後は批判多くても、やがて順応しますよ、ボクシングだって世界戦が15回戦から12回戦になった時も何かと反論出たけど、それも収まってこれが当たり前になったし」という返答。改革というものは馴染んでしまえば解決したことになるのでしょうか。

◆90年代、K-1ブームに触発され導入された3回戦

来日後もあらゆるルールの下、試合をこなしたゴンナパー・ウィラサクレック。3回戦でも5回戦でも問題なし

1990年代前半にK-1が出現し、ヒジ打ち禁止、首相撲無しの3回戦が行われていきました。テレビ向きと言われたルールでラウンドの少なさ、1ラウンドからアグレッシブに展開し、凡戦になっても3ラウンドで終わる飽きない展開は、“お茶の間目線の競技”でした。

そのブームで、キックボクシング界にも恩恵が回って来ることは結構なことでしたが、やがて先駆者的立場であるはずのキックボクシングの各団体がその3回戦ルールを取り入れ出しました。メインイベンタークラスまでも3回戦が定着。アグレッシブさが増し、凝縮された展開に「短縮は正解」と喜ばれる反面、反対論者も多く居たことは確かでした。

古いキック関係者の中には、「キックボクシングはパンチ、キックで終わらない4ラウンドからの首相撲とヒザ蹴りを含めたスタミナ勝負の苦しさ激しさが増し、その流れをカットしてしまってはキックボクシングではない」という意見もありました。

ある団体では、ラウンドを短縮した理由に「ムエタイでは1~2ラウンドは様子見、3~4ラウンドに勝負を懸け、5ラウンドは流すだけ、といった中の、アグレッシブな3ラウンドを見せるのがコンセプト」という説明をされたことがありましたが、その3回戦によって引分け試合が多くなる事態もあり、初回から主導権支配し続けないとポイントで優ることは難しく、しかし3回戦になっても様子見は必要で、戦略が狂う選手も多かったと言われます。

「プロボクシングは最低4ラウンド見なければ選手の技量が量れない、だから新人でも4回戦なのではないか」とは某テレビ解説者のどこかのメディアでの説明がありました。

ボクシングが4ラウンドならば、キックは3ラウンド見なければ技量が量れないと思いますが、メインクラスでも3回戦では、そこからの展開が見られないのは惜しい気がします。

ところが近年、ムエタイの本場タイ国でも3回戦が増えているそうなのです。タイも日本同様にケーブルテレビなどや、デジタル放送の新しい放送局が急速に普及し、ムエタイも大事なコンテンツとなり、そこで視聴者目線の3回戦が流行り出したようです。しかし断然日本と違うのは、二大殿堂スタジアムや政府管轄下のタイ国ムエスポーツ協会認定試合は“公式5回戦”がブレずに行われており、さすがに国技と思わせるものですが、日本にはそんな法律も管轄する公的機関も無いので、私的団体の主催者都合のキックボクシングのままで、「本来の5回戦に戻さねばならない」と考えが及ぶ関係者も多いのです。

◆かつては7回戦も10回戦も存在した

日本人キックボクサーとして唯一10回戦フルラウンドを戦った千葉昌要(左)。しぶとい戦法が定評だった

7回戦フルラウンド戦ったのが葛城昇、延長戦を申し入れるほど闘志満々だった。画像はその後のもの(1986.3)

キックボクシングを世界的な競技に育て、ワールドチャンピオンカーニバルなるものを発案していた野口修氏は、1981年(昭和56年)1月にWKBA世界王座決定戦2試合を初開催し、そこでは世界戦としてグレードを上げ10回戦が行われました。

ウェルター級で富山勝治(目黒)vs ディーノ・ニューガルト戦、ジュニアウェルター級で千葉昌要(目黒)vs ハワード・ジャクソン(米国)戦を行ない、富山は1ラウンドに強烈なパンチを食らってダウンし、朦朧と9ラウンドまで粘るもこの回2分41秒KO負け。千葉は激しく打たれつつも善戦の判定負け。過去10ラウンドをフルに戦ったのは千葉昌要とハワード・ジャクソンだけだったことになります。
(補足ですが、1979年に藤原敏男がノンタイトル10回戦出場した記録は1R・KO勝利。他、プロ空手等では世界戦で2分制12回戦が存在)

その後、行われたWKBA世界戦では5回戦か7回戦で、1996年6月、新妻聡(目黒)がヘクター・ペーナ(米国)に挑み、6ラウンドKO負けでしたが、過去にも日本国内で7回戦は存在しました。

1982年1月4日に行なわれた日本プロキック連盟4階級王座決定戦は、それまでの5回戦を打ち破り、「チャンピオンは7回戦を戦えるスタミナを持っていなければならない」をコンセプトに7回戦制を実施も、いずれも5ラウンドまでにKOで決着する展開でした。

1983年に行われた1000万円争奪オープントーナメントの決勝戦(2試合)で7回戦で行われ、5ラウンドまでにKOで決着がつく、多くの7回戦がなぜか7ラウンドも要らないかのようなKO決着でしたが、その前年の5月に日本プロキック・フェザー級王座決定戦で、玉城荒二郎(横須賀中央)vs 葛城昇(北東京キング)戦だけが7回戦で引分け、唯一フルラウンド戦った試合でした。

以上の現実を考慮しつつも、「6回戦以上の長丁場は必要か」というラウンド短縮とは真逆の観点で考えると、これは戦った者に聞いて見るしかないですが、3回戦しか経験がない選手と7回戦制を経験した選手とでは意見が別れるでしょう。

典型的キックの申し子・立嶋篤史、5回戦で数々の話題を残した、かつての全日本フェザー級チャンピオン

「段階的なシステムとしては必要かもしれませんが、5回戦を超えるラウンドは戦略的にやり難い気がします」という7回戦経験者の意見と、「5回戦が妥当、新人は3回戦から勝ち上がって5回戦に昇格するシステムがあった方が目標を持ちやすく、これを超えるラウンドはムエタイでは行わないし、キックでも必要とは思えない」という1990年代に王座挑戦を経験した選手の意見がありました。王座決定戦での延長戦で6ラウンド目に入るパターンは最近でも行われるものの、公式戦で6ラウンド以上は、ここ20年は行われていません。

◆原点に返ろうとする5回戦は定着するか?

団体側やプロモーターが「3回戦でやっていく」と宣言すれば選手や若いジム会長はそれに従うしかありません。タイトルマッチだけは5回戦を崩さない団体は多いですが、ノンタイトル戦でも5回戦を希望する選手も増えており、メインクラスだけ5回戦を認める団体や興行も増えています。

こんな時代に「自分たちがやってきたキックボクシングの原点に返ってヒジ打ち有り5回戦を貫いていく」というコンセプトで始まったのが小野寺力氏が始めたイベント「KNOCK OUT」です。そして「ここに出るんだ」という目標を持ってリング上でマイクアピールする選手が増え、他団体興行でもアグレッシブに攻める試合が増えました。

一方でK-1の“ヒジ打ち禁止3回戦”の存続もあり、ビッグマッチ中心のイベント的には二つの柱が共存する現在です。今後“K-1とKNOCK OUT”のどちらの影響が現れるでしょうか。全国的に浸透しているのがかつてのブームK-1で、KNOCK OUTによるキックファンが増えている現在、群集の力は凄いもので、どちらかの意見の総合力が業界全体に導く結果となるでしょう。偏見な理想論ですが、“5回戦奪還”は馴染んでしまえば解決となるでしょう。

いずれも5回戦が当たり前の時代にキック人生を送った佐藤正男(左)、小野瀬邦英(中央)、渡辺信久代表(右)(1997.2.23)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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