サッカーの元日本代表で、来季Jリーグ2部(J2)に降格する札幌のFW中山雅史(45)が4日に札幌市内で記者会見し、「今季限りで第一線を退く」と述べ、現役引退を表明した。
シーズンごとに得点力に磨きをかけ、98年には36得点で得点王と最優秀選手に。磐田の年間リーグ優勝3度に大きく貢献した。発言やパフォーマンスで、旺盛なサービス精神も発揮。同世代の三浦知良(現横浜C)とともに日本サッカーの人気と実力の向上に貢献した。

日本代表としては94年以降メンバーから外れることもあったが、98年W杯フランス大会アジア最終予選の途中で再び主力に。本大会のジャマイカ戦では、脚を骨折しながら日本のW杯初ゴールを決め、2002年W杯日韓大会にも背番号10で出場した。
「サッカーの魅力が凝縮されたような選手。泥臭くて力強いプレーでファンを魅了しました。磐田を離れてからも、執拗に身体を鍛え続けた。若手のお手本ですね」(スポーツジャーナリスト)

中山は決断に至った理由に両膝の故障を挙げ、「こうであってほしい、というプレーのレベルに体が反応してくれない。痛みを引きずりながらでは勝負するステージに立てない」と説明している。
「2002年に、急遽メンバーに入ったときは精神的な柱として呼ばれた。中山がベンチで声を出しているだけで若手はがんばれた。不思議な選手だと思うね」(サッカー協会関係者)

磐田時代にマークしたJ1通算157得点など、サッカー人生で挙げた数々のゴールについて、中山は「一つ一つが財産」と振り返った。今後については未定だが、指導者のライセンス取得も視野に入れているという。
「(体が)動けないとライセンスを取るのも難しいと聞いている。体を整えて、そういう場に立てるようにしたい」と話している。

「ドーハの悲劇」で同点弾を叩き込まれ、椅子から転げ落ちるシーンが印象的なファイター、ゴン中山がついにJリーグから去る。時代を背負った名選手だけに、これからに期待したい。

(鹿砦丸)