お喋りと高笑いがお得意の藤川清弘さん、反面、厳しい面構えにもなります

◆藤川さんの思惑の始まり!

郵便受けから薄っぺらい封書を見つけた私は早速開けてみました。切れたと思った縁は切れておらず、ワープロで打たれた文字は、字が下手だからという理由も書かれた、大胆さが表れている内容でした。

「私の事覚えておられますか、バンコックでレストラン、スーパーをしている、と言うよりは、していた藤川です。その節は色々とありがとうございました。
 戦勝会を盛大に行ないたいと、思っていたのに何も出来ず本当に残念です。御免なさい。
 私、10月10日にブアット(出家)し、現在、ペッブリー県のワットタムケーウで坊主の修業をしています。前にも話していたと思いますが、前に一度出家した時から、いつかもう一度出家して、今度は一生仏門で過ごそうと決心しておりました。本当は、もう少し金を貯めてからと思っていたのですが、ある人から、なぜ出家を考えている人が金にこだわるのか?、と聞かれ、自分自身に問いかけた結果、やはりこの人の言うとおりだと気付き、出家するならパンサー(安居期間)が良いと思い、和尚様に相談して急遽出家致しました。前回は、一つの経験として軽い気持ちで出家したのですが、今回は、一生を仏と共に過ごそうと決心しているので、お釈迦様の教えに従い、正式に離婚し、家も店も捨て、身軽な身体になって寺に入りました・・・。」(一部抜粋)2536年(仏暦/西暦1993年)10月17日付

アッシーの試合後、お店で客の居ないテーブルの椅子に座って煙草を吸いながら、遠くを見つめて何か考えているような姿を、バイクタクシーに乗って通過する時、見たことがありました。あの時、すでに再出家のことを考えていたのかもしれません。

それにしても決断の早いこと。レストランに隣接するM&Kというコンビニエンスストアーも藤川さんの経営店で、すべてを妻に権利を渡し、今後の幾らかの活動資金だけ持って、知り合いの弁護士の兄が比丘を務めるタムケーウ寺を紹介されて、この寺で出家されたようでした。

タムケーウ寺正門

タムケーウ寺後門、牛が飼われる広い敷地です

◆再会を目指して!

この人にはもう一度会わねばならない。「この出家姿を追うだけでもいい写真が撮れる」そう考えた私は、なるべく早いうちに藤川さんが居る寺を訪問することを計画。自分が出家するチャンスも今しかないだろう。仕事は元々たいしたこともしていないし、やるなら今やっておいた方がいいと考え、藤川さんと手紙のやりとりをして、翌年(1994年)3月、寺の様子見と前準備の為、短期予定でタイに渡りました。

藤川さんは、「前に言ったとおり、日本で体験できない良い人生の勉強になると思います。一度、寺に来て和尚さんに会ってみてください。いきなり来て突然の出家できる訳ではないので、出家の何ヶ月か前に顔合わせしておいた方がいいでしょう。出家するには親(身元引受人)がいないと出来ませんが、我々にはタイでは親がいないので私の親代わりになってくれた弁護士も紹介します」という返答。

出家は確定した訳ではないが、すべてはここからレールを敷かれた上を走ればそのまま出家に至るだけ。まだ「俺に出来るんかいな」と半信半疑ではありましたが。

タムケーウ寺和尚さん

◆風格ある黄衣姿の藤川さん

藤川さんの案内どおり、バンコクの南部行きのサイタイマイバスターミナルから青いエアコンツアーバスに乗って2時間。終点手前で降りるので、車掌さんに「タムケーウ寺に行きたいので最寄のバスターミナルに着いたら教えてください」と告げておいて、着いたところから軽四輪のソーンテーオ(トラックの荷台を長椅子に替えた乗り合いバス、軽四輪から大型車まで有り)に乗って5分で観光地ナコーン・キリーがある山の麓、タムケーウ寺に着きました。

広い境内に圧倒されるタイ仏教の格式の重み。本堂やサーラー(講堂や葬儀場)が並び、静かで神聖な空間を漂わせる中、クティ前にいた比丘に「藤川清弘という日本人比丘はいますか?」とタイ語にして尋ねるとすぐ理解してくれて、2階の窓に向かって「キヨサーン!」となかなか気さくなお坊さんで日本語で呼んでくれました。

窓から覗く藤川さん。「上がって来て!」と招かれ、クティ2階の藤川さんの部屋の前へ。部屋から出てきた藤川さんは、剃った頭にこげ茶色系の黄衣を纏い、俗人の頃とは全く違う風格ある姿に変身。私の「こんにちは、御無沙汰しています!」の挨拶には応えず、「どうぞ中に入って!」と部屋に招き入れてくれました。ここまでに充分タイ仏教寺の雰囲気に呑まれていた私でした。

何でも揃っていた藤川さんの部屋

部屋に入ると……!

藤川さんの部屋は4畳半よりやや広め、6畳は無いぐらい。そこにテレビはある、冷蔵庫はある、ワープロはある、私が送った立嶋篤史出場の試合ポスターは貼ってある、これがタイ仏教の比丘の部屋とは思えない神聖さを覆す近代設備の整った部屋。この日はホテルなども予約は取らず直接の訪問で、藤川さんから早速の「泊まっていけや!」の一言でこの狭い部屋での宿泊が決定。

そして、口から先に産まれてきたかのように捲くし立てて喋り始めた藤川さん。元々喋り好きだけあって普段話せぬ日本語を待ってたかのようにツバ飛ばしながらよう喋るし、よう笑う。周囲に丸聞こえの高笑いである。

かつてラーブリー県で出会った日本人比丘は口数少なく、堅い話しかしない真面目なお坊さんでした。そんな比丘イメージを崩してしまう藤川さんの黄衣を纏った今の姿。喋る相手ができたと言わんばかりの“泊まって行けや”誘いであったのは後々に分かることでした。

捲くし立てる話も一旦中断して、和尚さんのところへ連れて行かれ、和尚さんと初対面。タイ人のように上手くはない、ワイ(合掌)して御挨拶。

和尚さんはニコニコと「そうかそうか、よく来たな、遠慮なくゆっくりして行きなさい」とおおらかに温かく迎えてくれました。藤川さんが言う和尚さんの前評判は「ここの和尚は見栄っ張りでふんぞり返って偉そうに話すから見とき!」と言い、和尚としての立場もあると思いますが、そんな背伸びある雰囲気の和尚さんでありました。

「今度来た時、出家させて貰えますか?」と尋ねると「ダーイ(いいよ)!」と言ういとも簡単なお許し。先に話はついていることでしたが、和尚さんからの直接の承諾でまた確実さが一歩前進。

初期段階として、出家に向けて前準備が整っていきました。この後、神聖なる仏教寺のイメージが崩れる藤川さんの日課を見ていくことになりますが、その中身は真剣で、奥深い修行であることを徐々に実感していくのでした。

5ヶ月ぶりの再会(1994年3月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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