12月中旬郵便局によったら「このまま52円で使えるのは1月7日までですからご注意ください。それ以降は10円プラスの切手が要りますから」とカウンターで年賀状を販売している方が購入者に説明していた。「年賀状は数が多いですから、『企業努力』で安くさせて頂いております」と余分な説明も耳に入った。マニュアルにある説明文句なのだろうか。郵便局が「企業」になった(された)ことをまだ、首肯してうけいれられないわたしにとっては「なにが『企業努力』ですか?」と嫌味の一つもいいたくなるけれども、窓口で勤勉に業務をこなしている方に「郵政民営化」の罪は微塵もないわけで、文句を言いたいのであれば、総務省か、小泉元首相あたりにぶつけるのが筋だろう。

◆「平成30年」は早かった

その郵便局で「平成30年」と大きく書かれたポスターが目に入った。今年は昭和が終わってから30年目だと(誰でも知っていそうなこと)気づかされた。わたしにとって、この30年は早かった。4、5回転職し、2回裁判をして、両手に余る親戚、知人を看取り、ある小さなカジノでは1ドルが40万円に化けて、2千冊ほどの本を転居時に廃棄し、5000㏄エンジンのクライスラーでニューヨークからワシントンD.C.までハイウエーを走っていたらパトカーにスピード違反で追いかけられ(たけれども途中でUターンしてその時は煙に巻いた)のをはじめに、5か国で交通違反に引っ掛かり、3回ほど死にかけた。それでもお陰様で心身ともガタを実感しながらも、わたしは生きている。

◆島国の「少子高齢化」と地球規模の「人口爆発」

昨年12月23日の京都新聞では、2017年に生まれた新生児が統計を取りはじめた1899年以来最少だった2016年より約3万6千人少ない94万1千人とみられ、2年連続で100万人を割り込むことになった一方、17年の死亡者数は戦後最多の134万4千人(前年比約3万6千人増)で、死亡者数から出生数を引いた人口の自然減は過去最大の40万3千人(同約7万2千人増)と推計されることを報じられていた。この島国の人口は政府が予測していた速度よりもかなり速いスピードで減少を続けている。わたしの予想と現実が近づいてきた。

日本の人口推移(出典)2015年までは総務省「国勢調査」(年齢不詳人口を除く)、2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(出生中位・死亡中位推計)

他方地球全体でみると、国連によれば2017年の総人口は約76億人と推計され、2030年には86億人、2050年には98億人、2100年には112億人に達すると予想されている。

世界人口の推移(出典)内閣府が引用掲載している国連統計より

目の前では「少子高齢化」がますます顕著になっているけれども、地球規模では「人口爆発」が進行しているということだ。100億人がこの地球上で平和裏に暮らすことができるだろうか? 一部大量生産大量消費国では人口増が終わり、少子化に転じるかたわら、大量生産のために労働力や資源を供給する国では人口爆発が起きるのは、資本主義の宿命であり、これを解決しようとすれば冨の偏在を解消し、たとえば、われわれが使っているエネルギーを現在の半分以下にする、といった大規模変革がなされなければ状況は変わらない。

「少子高齢化」などじつは小さな問題だ。人口爆発の前では、平成が30年になろうが、年賀状に1月7日以降は10円切手を貼らないと送り返されてこようが、私が2回裁判をしようが、すべてが終焉に向かう。資本主義の基本「搾取」の対象が数的に爆発してしまい、一方AIやIPS細胞、東京五輪などと眠たいことをいっている勘違いした「進んだ文明」では、逆に決定的な労働市場不足が生じる。働く場所がなくなってしまうのだ。あるいは不可思議なことに労働力不足も生じよう。その兆候はすでに現れており、空前の好景気といわれる現在、失業率は低止まりしているがゼロにはならない。そして中小企業や運送業の人手不足は深刻だ。

現象としては、求職者と企業のアンマッチに見えるかもしれないが、そうではない。大資本は抱えている正社員の削減を図るべく「労働力」を「コスト」と計算しはじめている。資本主義は空間的、物質的に広がっていかないと維持できない(成長しないと破綻する)から貸借対照表には黒字を計上するために、「人間」を削るしか目下大資本には人口爆発に対抗する術が思い当たらないのだ。

そして文明的視点から断じてしまえば、そもそも「企業」という労働形態に「ヒト」のすべてが馴染むはずはないのだ。地球が静止しない動体であるように、国家や社会を生物と仮定すれば、この島国においては、圧倒的に欠乏している食料自給率を上昇させるべき(つまり第一次産業)仕事にこそ多くの若者が従事するのが自然である。

◆大言壮語をしている猶予は長くない

「国家100年の計」だとかなんだとか大言壮語できる牧歌的な時代は、既に終焉しているのであって、いまごろ月探査機を計画してもなんのメリットがあるというのか。そういう的外れで、自滅的な方向に無自覚な政権の下で暮らさざるをえないわれわれは、どうやって日々生活をすべきなのだろうか。どのようなことを「やめて」、なにを「なすべき」なのか。

わたしは2050年にこの島国の統治形態は崩壊すると考えていたが、2011年以降2030年その予想を繰り上げた。理由はご想像いただけよう。なにを「なすべき」か、「なさざるべき」か。あれこれ考える猶予はそう長くない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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