長崎に行ったので、丸山に行ってみた。
5年ぶりだ。以前に行ったのは2008年で、売春防止法施行から50年、その遊郭の灯が消えた日のことをたぐるために行ったのだ。
江戸時代から、丸山には遊郭があった。鎖国時代に、唯一貿易の窓口になっていた長崎であったから、その繁栄はすさまじかった。
女性の出入りが禁止されていた出島にも、遊女たちは入ることが許されていた。
丸山から出島に向かう狭い坂道は、今も残されている。

5年前と丸山の様子は、大きくは変わっていない。
江戸時代から続いている料亭。そして遊郭だった建物も、アパートとなって残されていて、そのままだ。
5年前に訪ねて、遊郭があった頃のことを詳しく語ってくれた酒屋さんは、スーパーになっていた。
小さな変化だが、ちょっと哀しい。

丸山を歩いていると、独特な丸窓の家などもあり、遊郭の名残が見える。
梅園身代わり天満宮には、四角く石で囲まれた、梅塚というものがある。
掲げられた説明文によると、丸山の遊女や芸者衆が、生活に苦労がないことをお祈りして、自分が食した梅干しの種を、自分の身代わりとして入れていたのだという。

丸山は、かつて繁栄を誇った遊郭とは切っても切れない街なのだが、その時に取材した料亭の主人からは、「遊郭」という言葉を使わないでくれ、と言われた。「花街」くらいにしておいてほしい、というのだ。
女性が体を売っていた街、というのは体裁が悪い、ということだろう。

同じことは、京都の島原でも言われた。
島原では大店であったであろう遊郭の建物がそのまま残り、博物館となっている。
風情のある庭に面した大広間があり、そこで宴を行った後、遊女を伴ってそれぞれの部屋に行ったのであろうとうかがえる。
一つ一つの部屋も、天井や床の間の造りがすべて異なり、趣がある。

丸山で見ることのできた遊郭の建物は、大店ではなかったのだろう。
なんの工夫もない6畳間が連なり、遊女の悲哀が伝わってくる。
避妊具もなかった頃の遊女が悲惨であったことは、確かだろう。
相手が誰とも分からず妊娠してしまうこともあり、病に墜ちることもあった。

だが、売春を悪だと切って捨てる西欧社会にも、絶えず売春はあった。
切って捨てるのではなく、「遊郭」という文化に育て上げようとした日本人の知恵には、見るべきものがある。
負の面も見据えながら、「遊郭」という言葉は残しておくべきだと思う。

★写真は、丸山の遊郭だった建物

(FY)