「死刑執行後の雪冤」がなるかと注目される飯塚事件の再審請求審で、福岡地裁が4月26日、弁護側が求めていた筑波大学・本田克也教授の証人尋問を5月13日、6月26日の両日に行なうことを決めた。本田教授は、小1の女の子2人を殺害した犯人として処刑された久間三千年さん(享年70)と真犯人のDNA型が異なるという見解を示しているほか、有罪の決め手になった警察庁科警研のDNA鑑定で証拠写真が捏造された疑惑を明るみにする分析を行なっている。弁護団によると、この証人尋問で再審が開始される否かが決まる見通しという。

さて、このように再審請求審が山場を迎えた飯塚事件だが、実は今から19年前にも警察による証拠捏造疑惑が浮上していたことを読者はご存知だろうか?

事実関係から整理しておこう。この事件が起きたのは1992年2月だが、現場界隈ではその3年前の1988年12月にも松野愛子ちゃんという小1の女の子が行方不明になっていた。この愛子ちゃんは失踪する直前、久間さんの家に遊びに行っていたことから、久間さんはこの愛子ちゃんの事件でも警察から疑いの目を向けられていたのが、この愛子ちゃん事件の「重要物証」が飯塚事件の捜査の中で実に不可解な見つかり方をしたのである。

それは、久間さんが2人の女の子を殺害した容疑で起訴された6日後の1994年11月11日のこと。福岡県警はこの日、突如として愛子ちゃん宅近くの山林で大がかりな捜索を行なった。そして、捜索を始めて「わずか25分」で、この時点で失踪から6年も経つ愛子ちゃんのジャンパーとトレーナーを見つけてしまったのだ……。

この捜索はあまりに不自然だったためか、普段は警察発表に寄り添いがちなマスコミですら、すぐさま懐疑的な報じ方をした。たとえば、地元紙・西日本新聞は翌日朝刊の社会面に〈失跡から6年 25分で発見〉〈愛子ちゃんの衣服確認 狙い定め再捜索?〉〈急展開に残るなぞ〉などと「証拠捏造」の可能性を露骨に示唆する見出しを躍らせた。この記事の本文では、「(衣服は)とても六年前に捨てられたとは思えないほど傷みは少なかった」と疑問を投げかける関係者も登場。また、朝日新聞西部本社版の11月13日朝刊の記事によると、捜索に協力した消防団員も「六年たって警察から要請を受けた時は、正直、何で今と思った。さらに開始直後に衣類が見つかったと聞いてまた驚いた」と訝っていたという。

当時の報道によると、この「重要物証の劇的な発見」をうけ、福岡県警は久間さんと愛子ちゃん事件との関連を調べるようだと伝えられていた。しかし結局、この衣服の件はうやむやになり、愛子ちゃんは18年以上経つ今も行方がわからないままである。この衣服が本当に何らかの意図をもって捏造されたものならば、警察は愛子ちゃんの家族に対しても酷い仕打ちをしたというほかない。

(片岡健)

★写真は、飯塚事件の再審請求が行われている福岡地裁