週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)のモノクログラビア特集〈「芸能人本」の世界〉に、鹿砦社社長・松岡利康が登場している。週刊現代に掲載予定がある、と聞いていたので、さっそく朝、近所のコンビで手にしてみると、巻頭カラーグラビアは「研究者としての天皇家」。天皇ヨイショの訳の分からない企画。続いて「目が喜ぶ『日本の美食』」。合併号用に編集部があらかじめ用意していた、時事性はない企画が並ぶ。ついで、「これが日本の『10年後』」と、良くも悪くも週刊現代らしい特集に続き、生誕100年「田中角栄の『予言』」と、松岡登場の前に「天皇」、「田中角栄」という「大物」が露払いをつとめる形になっている。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

〈暴露本出版社 鹿砦社社長が振り返る「戦いの歴史」〉には、ご覧の通り松岡のインタビューと写真が数点掲載されている。笑ってしまうのは〈暴露本の真実か、真実の暴露本か〉との大見出しを中央に掲げる、「95年、毎日新聞に出稿するための作成した全面広告。「品位がない」との理由でボツにされた」広告がここで日の目を見ていることだ。

「地震がなんだ、サリンがどうした!?」のコピーは「品位がない」と言われても仕方のない側面はあるだろう(笑)。そうだ、90年代の半ばから後半にかけて、私自身が「鹿砦社って何ものなんだろう。松岡利康ってどんな人物なのか」と斜めから見ていたことは事実であるし、あちこちの月刊誌や広告で目にする出版物の大方は、「ちょっとこれどうかな……」と近づきがたい感触を持っていた。

鹿砦社の「暴露本」路線が絶頂期を迎えるのも90年代中盤から後半だが、その後2005年には名誉毀損に名を借りた「言論弾圧」で松岡が神戸地検に逮捕され、会社存続の危機に直面させられる。それまで周りにいた人間が、次々去っていく中、入社後1年で松岡の不在中の切り盛りを任された、中川志大(現在『紙の爆弾』編集長)は「みんな、いなくなちゃうから、なんとなくこのままいた方がいいかなと思ったら、結構大変なことになりました」と飄々と当時を振り返るが、駆け出しでいきなり大きな危機を経験した中川はいまや業界で、押しも押されぬ、若手敏腕編集長として名前が知られている。

同インタビューの最後で、松岡は「ネタさえあれば、まだいくらでも暴露本を出しますよ」と意気軒高なコメントで結んでいる。が、「まだ」どころではない。現在進行形でまたしても「爆弾本」(暴露本)の編集に明け暮れているのが、松岡の姿である。今年も松岡にゴールデンウィークはないであろう。

それにしても縁は奇なものである。当時は面識もなく、「ちょっとどうかな……」と思っていた「鹿砦社」のコラムに、自分が寄稿することになろうとは20数年前には、想像もしなかった。また「鹿砦社」の硬派でありながらアナーキーな魅力が脈々と継続していることも知りはしなかった。

あるとき松岡に「どうして芸能暴露本をはじめたのですか」と聞いたことがある。「たまたまやってみたら、面白くなってやめられなくなったんですよ」と本当に楽しそうに笑いながら答えてくれた。正直なところ松岡は経営戦略的に「芸能暴露本」をはじめたのではなく、私への回答どおり「たまたま」はじめたのだろうと思う。彼が会社に勤務していた頃から発刊をはじめた季刊誌『季節』を目にすれば、出版界に足を踏み入れた動機がどのあたりにあるかは、容易に想像がつくし、それは「暴露本」路線とは、かなり距離のあるものだったように感じられる。

ともあれ、現在も芸能人写真集では不動の地位に君臨する「鹿砦社」。みずから「書かせて」もらっていながら不遜ではあるが「なんとも不思議な出版社」であることに間違いはあるまい。それゆえ今後試練があろうとも「鹿砦社の進撃」は、止まることなく続くであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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