この老人は、自分が敗訴した件をデタラメ裁判であると怒り、それから毎日のように霞ヶ関の裁判所前に居座ってハンドマイクで怒鳴り続けた。そして門前で何度も警備員と揉めては逮捕を繰り返し、ついに実刑判決を受け収監されたのだった。
もちろん、裁判が不公正であることは常識と言っていいし、それについて執拗に批判した者を「転び攻防」のようにして逮捕のうえ実刑というのは、報復的といわざるを得ないだろう。

しかし、自らが裁判の当事者となって裁判所に通っていた者たちの多くは、この老人が叫んできたことのほうがデタラメであることを知っている。この老人は、かつて当事者となった裁判の一二審が誤認判決であるとして上告したが、最高裁に門前払いされたと非難していたのだ。憲法違反でも、判例違反でも、採証法則違反でもない。はねられて当然だ。しかしこの老人は、その意味がまるで理解できなかった。
そのうえ、弁護士は頼りにならないから解任して自分で再審請求したと言うが、なんと「判例違反」だから再審請求したそうだ。それなら最高裁に上告するさいに持ち出すべきことだが、「俺はそんな判例があることを知らなかった。それで知ってから規定の期日内に再審請求した。だから再審開始されるべきだ。なのに、されなかったから裁判所の不正だ」と言う。

だいたい、判例違反は憲法違反と同様、該当するかは弁護士でさえ特にその分野を専門に研究している法学者に相談したり意見書を書いてもらったりしている。素人がにわかに発見できるものではない。しかも、出すべきときに出さず、出すべきでないときに出し、再審の理由となる「後から発見された証拠により明らかとなった事実」というのと「自分が判例に後から気づいた」というのが同じだと、身勝手な解釈をしていた。そのうえ、受理されたから直ちに再審開始されると思い込む。受付けられた後、どうするか決定されるものなのだが、その意味が彼には理解できない。
この他にも「間違った判決は憲法違反に決まっている」「事実誤認は公正な裁判を受ける権利を保障した憲法に違反しているから絶対に上告理由だ」「俺が敗訴したから公正でないので憲法違反だ」など迷言のオンパレードである。だから、この老人は死んで地獄に堕ちたら「地獄の沙汰は不公正だ」「閻魔大王はデタラメだ」と血の池や針の山で叫ぶだろうと皮肉られている。

そもそも、この老人は権力犯罪の被害に遭ったのではなく、借地を持ち主に無断で工事したため契約違反として契約解除されたことから裁判となって敗訴したというもの。それで、自分が敗訴したから裁判が不正だと言い、基礎的な手続きの段階で誤っていることに気づかないどころか、指摘されても受け容れない。
ところが、それを知らない人たちが持ち上げてしまう。たしかに司法は問題だらけ不正だらけで抗議が必要だが、このような滅茶苦茶な批判では無力どころか迷惑である。無知と独り善がりによる程度の低い批判が、単に威勢がいいだけで目立ち、しかもそれを持ち上げてしまう人がいては、しょせん司法批判をしているのはその程度の連中であるという悪宣伝になってしまい、不正をする司法官僚らを喜ばせるだけだ。
そのうえ、この老人は後に、権力を批判しているように見せながら、その裏では権力の手先になっていたことが判明した。これについては、また後に報告したい。

詳しくは、こちらのリンク先のサイトを参照。
http://www.ootakasyouji.com/
http://www.labornetjp.org/news/2012/0919shasin

(井上 静)