◆ワット・チェンウェーでの務め

ビザが下りるまでのビエンチャン滞在の中では、新しい出会いや問題が浮上していきました。

ブンミー和尚さんに「ニーモン(比丘を招く寄進)があるから9時30分までに帰って来なさい」と言われているのに10時15分になってしまう。

「ニーモンには行けないなあ」と藤川さんと話していたら、なんとブンミー和尚さんが車を待たせて我々を待っている。タイと同様に時間にゆとりのある国である。しかし、呼ばれたのは藤川さんだけ。車に乗せられ行ってしまった。後から思えば、この寺の年配者は病気がちなおじいさん比丘と、ブンミー和尚さんだけ。地上げ屋のような眼力ある藤川さんを連れて行けば、虎の威を借るように好都合かもしれない。

黄衣を洗ってくれたデックワット(寺小僧)の一人

他の比丘、ネーンも居らず、私はクティの踊り場で日記書きながら「これは昼飯は無いなあ」と飯抜き覚悟していたら、残っていた一人の“英語ネーン”が「昼飯だよ」と呼びに来てくれました。行って見ると私とこの英語ネーンと二人っきり。そしてヨーム(在家信者さん)3名ほどが食材を持って来ている様子で、英語ネーンが「お経唱えますよ」と言う。

私は「うわっ、ヤバイな!」と思うが、いつも朝食後に唱える「サッピティヨー」から始まる短いお経で簡単だった。終わるとヨームはワイ(合掌)をして帰って行く。こんなわずかな儀式でも重要な仏教徒の務めだから軽んじてはいけない。でもこれで昼飯は摂る事が出来た。

この昼時を終えると、藤川さんらが帰って来ました。何やら寄進された、お土産のような大きい包みを持って来た藤川さん。タバコだけ抜いて他はデックワットにあげていた。お菓子類がほとんどのようだ。

皆それぞれのニーモン先から帰って来て、今日のひと仕事終わったかのような昼下がりの午後、疲れた様子の藤川さんはクティの踊り場でゴザ敷いて寝てしまう。

『カメラマン』を見る英語修行中のネーン(少年僧)とチビくん

私は洗濯しようと黄衣を持って洗い場に行くと、デックワットのひとり、ガキデカ(イメージ的に付けたあだ名)くんが、「僕が洗います」と黄衣を持って行ってしまう。後に干して乾いた黄衣も持って来てくれて、何と気の利く奴らだろう。でもこれが普通のデックワットの役目なのだ。本当に我がタムケーウ寺と比較してしまう、この寺の優秀さ。

手が空いてしまったが、英語ネーンや最年少デックワットのチビくんは私と雑談になる。「日本の冬は寒いぞ」と雪の話をしていると、確か雪景色の絵柄があるはずの、持って来ていた『カメラマン』を見せてやる。カラー発色の光沢ある紙質の雑誌である。英語ネーンくんは「綺麗な本だ、印刷が凄い!」それだけで感動している様子。雛形あきこを見ると「この子、日本人なの? 綺麗な子だ!」と目がランランと輝くが、さすがに「幾らだ!」とは言わない。

私以外ほとんど差の無い年齢だが、左の兄さんだけ比丘で、他はネーン

ガキデカくんは私が持っていた安物の電池式髭剃り機(シェーバー)を、「それ見せてくれ」と言うから渡すと、スイッチ入って“ガガガガー”っと振動すると「うわあ~!!」とビックリして落としてしまう。何だ、こいつヒゲ剃り見たこと無いのか。タイのムエタイ選手や、お寺の比丘などはヒゲ剃り機そのものは持っていなくても、見たことぐらいはある奴らだ。このラオスというアジアの奥地には、昭和30年代の日本がある感じで懐かしい気持ちになれるところだった。

最年少チビくんもやたら寄って来るようになった。幼いから遊んで欲しいのだろう。学校には行って無さそうで、寺の周囲に友達が居るようには見えない。相撲を取るような、ムエタイの首相撲をやるような取っ組み合いをやると物凄く笑って喜ぶ。7歳ぐらいなのか、無邪気で可愛いものだ。比丘が取っ組み合いやっていいかは、本当はやっぱりダメだろう。タムケーウ寺のメーオくんはムエタイ経験があり、軽い取っ組み合いで上手い蹴りは見せていたが。

ブンミー和尚さんを中心にこの寺の比丘とネーン達

◆アメリカ青年、訪ねて来る!

夕方頃、別のネーンが私を呼びに来る。「お客さんだよ!」と。こんなラオスの寺に私にお客さんなんて、思い当たるのは奴しかいない。早速やって来たのだ、アメリカ青年が。

講堂に行くとネイトさんと再会、「ノンカイに渡ることで相談があります」と言う。

講堂では夕方の読経が始まるので、クティに移ってお喋り上手の藤川さんと会話が続きます。

ネイトさんはアメリカでラオス語を習い、高校2年の時、日本に来て、タイ留学生と出会い、「その発音は間違っているから直してやる」と言われて、そこからタイ語を習い始めたという。大学を含め7年間、日本に居る間に日本語とタイ語を完璧に覚えてしまったようだ。

藤川さんが「宗教とは何やと思う?」と問うと、ネイトさんは「お父さんが“自然だ”と応えたことがあります」と言う。更に「お父さんはインドに居たことがあるんです」と言うと、藤川さんは大きく理解したように「ほほ~う、だからやな!」と頷く。

アメリカ青年ネイトさんが訪ねて来て藤川さんと雑談

クティに集まったネーン達と写真に収まる藤川さんとネイトさん

話せば思いっきり笑うこと多い藤川さん

傍から聞いていると飽きて疲れる話になってきた。討論成り立つネイトさんに任せて私はこの場を去るが、ネイトさんが気にしていたのは「ノンカイに渡ったら本当に出家できるのか」という素朴な疑問。

「ノンカイに渡ったら、ミーチャイ・ター寺の和尚に紹介するから、この寺でもイサーンの寺でも好きなところで修行すればええ!」ともうネイトさんに惚れ込んだ様子の藤川さん。「ワシに任せとけ!」という藤川さんの太鼓判に安心した様子。

読経が終わった頃、「みんな集まって写真を撮ろう」と言うブンミー和尚さん。ネイトさんは英語ネーンに英会話の機会を与えると、とちりながら話してみるネーンくん。わずかな時間ながらよく頑張っていた。ブンミー和尚さんとも雑談を続けて、写真を撮り終えてから知人宅へ帰って行きました。

何となく集められた旅の我々と共に

ブンミー和尚さんとネイトさん、通訳もしてくれて助かった

◆ブンミー和尚の苦悩

私はブンミー和尚さんに「この寺の住所を書いて欲しい」とお願いすると、ラオス語と英語で書いてくれて、更に日本語で書かれた日本からの手紙を見せられました。その手紙はちょっと古く、「日本にもう2年あまり、私の弟が居るんだが、弟の嫁が私の手紙を弟に渡してくれないようだ。だから連絡が取れない」と言う。日本に帰ったら私に尋ねて行って見て来て欲しいのだろうか。住所は神奈川県の平塚だった。

後に藤川さんに話すと、「ブンミー和尚の弟さんは不法就労の類いやな、仕事やっても半年しか居れんはずや、それが2年も居るというのはビザ切れしかないやろ、尋ねていくのはかえって迷惑がられるぞ!」と言われる。まあ確かにそうだろう。今、ブンミー和尚さんの気休めにでもなればと思った次第だが。

◆合格発表へ!?

申請して2日後の午後、タイ領事館へビザの受取りに向かいます。ビザはパスポートに印字押されるだけなので、そのパスポートを返して貰うことになります。一人で行きたいところ、「行く時は起こせよ!」と言って昼寝している藤川さんを起こします。着いて来たがる、先に歩きたがる。「買い物もしたい」と言っていたが、寝かせたまま一人で行けばよかったかと思う。「俺って何で正直に従ってしまうのだろう」なんて悔やむこと数え切れない。

何かの受験合格発表でも見に行くような緊張感。たかがビザ。大丈夫ではあろうが、書類は万全だったか考えるとちょっと不安が残る。そしてこの先、ビエンチャンでまだまだ慌てる事態が発生していきます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』