70年代なかばの学生運動といえば、内ゲバの要素がつよくて「うちの息子ったらもう、学生運動に熱中して、困ったものよ」などという話が極めて深刻なものとなっていた。年に十数人の死者を出す内ゲバは、学生運動の牧歌的なよそおいを彼方に追いやってしまっていた。すでにヘルメットをかぶって集団で殴り合うのではなく、サラリーマン風のスーツを着た活動家が、ひそかに隠し持った鉄パイプで対立党派の活動家の頭部を狙う。そんな殺人事件が内ゲバの実態だったのだ。※立花隆の『中核VS革マル』参照。

◆「こんどはちゃんと逃げなさい」

大学の先輩には「いまや非(合法)・非(公然)の時代だ」と、よく言われたものだ。したがって、学生運動をしているなどということを、誰も家族にも話さないのがふつうだった。「ベ平連の運動ならいいけど、全学連はダメよ」などと、70年前後にはベ平連の街頭カンパには応じていたわたしの母親も、「内ゲバが怖いから、気をつけなさい」とよく言ったものだ。

が、そのじつ、わたしが18歳で学館闘争で逮捕されたときは「こんどはちゃんと逃げなさい」などと言っていた。もともとジャーナリスト志望だった人だから、息子が東京の大学(文学部)に進んだのが、自分の夢の実現でもあったのかもしれない。そんなわけだから、わたしが開港阻止闘争で逮捕されたときも、それほど愕かなかったようだ。息子逮捕の報を聴いて東京にきてからは、北九州にはない多様な交通機関をつかっての行動が楽しかったと述懐してくれたことがある。

とはいえ、一ヶ月ほど行方不明(横堀要塞にろう城)で、世間を愕かせた開港阻止闘争で逮捕されたのだから、わが家にとっては大変なことだったと思う。国家(政府)が農民を苛めるのは怪しからんと、父親も三里塚闘争には好意的だったが、しょせんは保守思想の戦中派である。共産主義運動を理解できるはずもない。わたしが家族を三里塚に誘うようなことは、最後までなかった。それには少しばかり、左翼運動への思想的なアプローチの方法が、わたしについては素直ではなかったのかもしれない。

◆「反スターリン主義=反官僚主義」というロマン

ある有名な女優のお兄さんで、70年闘争をくぐった人がアルバイト先の先輩で、よく口にしていたのが「革命運動は、正義というわけじゃないからね」だった。早稲田解放闘争(革マル派との内ゲバ)に参加して逮捕されたとき、父親に「正義の闘いなんだろう?」と問われて、言葉に詰まった時のことを語ってくれたのだった。「革命が起きたら、そこで死ぬべきだ」とも言っていた。革命後の権力に居座ることを、潔しとしない「反スターリン主義(反官僚主義)」を標榜していたのだと思う。わたしはそれにロマンを感じた。称賛もされるべきではない、われわれの死をかけた闘い。つぎのような吉本隆明の詩を、学生時代のわたしは好んだ。

わたしたちはわたしたちの死にかけて
愛するものたちとその星を
わたしたちのもとへかえさなければならない
その時についての予感が
わたしたちの徒労をわたしたちの祈りに
至らしめようとする
(架空な未来に祈る歌)

フレーズのうつくしい響きを、そのままに味わっていただければいいと思う。解説を加えるとしたら、死をかけて徒労のような闘争を行なうわれわれ。それはほとんど、架空の祈りに近いものであろう、ということになろうか。20歳前後だから、そんなロマンチシズムも心地よく感じられたものだ。それはたぶんに精神的には不健全であって、いわゆる人民大衆の正々堂々とした運動にはもって似つかぬものに感ぜられる。あるいは戦士の思想とでもいうべきだろうか。

◆母親を三里塚の現闘小屋に招いた先輩活動家がいた

そんな雰囲気であるから家族を三里塚に誘うなどということは、わたしについては思いも浮かばなかったが、いたのである。母親を三里塚の現闘小屋に招いた先輩活動家が。それを知ったのは、わりと最近のことだ。心臓の持病で亡くなられたので、往時の仲間が集まって偲ぶ会をひらいたときに、当時の現闘の人から聞かされた。その先輩は学生会中執の副委員長、政経学部の委員長を歴任した、いわばオモテの活動家で見栄えのする好男子だった。映画「仁義なき戦い」を好み、コワモテを標榜するところはあったが、もともと地方の優等生で、お坊ちゃんタイプ。どちらかといえば、体育会系の健康な若者だった。

元現闘の方の話を紹介しておこう「彼のお母さまが、新潟から来られたわけです。そんなことは、われわれにも初めてなので、大歓迎はしましたが。この汚い部屋に泊まってもらうのもどうかなと思い、染谷の婆さんの家にご案内しました。染谷の婆さんはわれわれの庇護役でもありますから、心地よく引き受けていただきまして、さいわいでした」

早世する生がい者の妹さんを同道していたのかどうかは記憶にないが、付き合っていた彼女をそこで紹介したはずだ(遠距離交際の果てに、結婚には至らず)。今にして思えば、本当に自分たちがやっていることを信じていたならば、彼のように家族を三里塚に誘うのだろうなぁと、自分の覚悟のなさが思い起こされる。(つづく)


◎[参考動画]40年目の三里塚(成田)闘争(Kousuke Souka2012年11月2日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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