社会を騒がせた殺人事件の現場を訪ねると、事件から何年も経っているのに、惨劇をしのばせる形跡を目の当たりにすることが少なくない。2000年代初めに社会を震撼させる大量児童殺傷事件が起きた、大教大付属池田小学校(以下、大教大池田小)を訪ねた時もそうだった。

大教大付属池田小学校旧正門を入ったところにある「祈りと誓いの塔」。追悼式典では現役の生徒が鐘を鳴らす

学校の外壁には鉄線が張り巡らされている

◆児童8人が刺殺された

「死刑になりたかった」

犯人の男が凶行に及んだのは、そんな身勝手な動機からだった。2001年6月8日の朝、大阪府池田市の無職、宅間守(当時37)は、自宅マンションの近くにある大教大池田小に侵入し、出刃包丁で次々に児童8人を刺殺。他にも児童13人と教員2人を刺して傷害を負わせた。

現行犯逮捕された宅間は、大阪地裁であった裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」と言い放つなど不遜な態度に終始。2003年8月に死刑判決を宣告されると、弁護人が大阪高裁に行った控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。そして翌年9月、死刑の確定から1年に満たない異例の早さで、死刑を執行されたのだった。

◆外壁には鉄線、侵入者を威嚇するような防犯カメラ

校内に設置された防犯カメラ

私がそんな大事件の現場となった大教大池田小を初めて訪ねたのは、2015年6月7日のこと。その翌日は事件から14年の追悼式典が開かれるということで、旧正門を入ったところには、「祈りと誓いの塔」というモニュメントの周囲に参列者用のテントが張られ、パイプ椅子が並べられていた。

そんな大教大池田小で、私が目を奪われたのは、小学校らしからぬ厳重な防犯体制だった。学校の外壁は、部外者の侵入を困難にするために鉄線が張り巡らされ、校内にも侵入しようとする者を威嚇するかのように防犯カメラが設置されていたのである。

小学校というと、休日でも校門が開けられているような無防備なところも少なくない。しかし、この大教大池田小では、何年経っても学校関係者たちがあのような惨劇を2度と起こしてはならないという強い思いを持ち続けているのだろう。

今年の6月で、事件から17年。大教大池田小は今も毎月8日を「学校安全の日」と定め、避難訓練を実施するなどしているという。


◎[参考動画]クローズアップ現代+【傷ついても、きっと歩きだせる~附属池田小事件 15年目】6月8日 2011年度日本記者クラブ賞受賞(rudolph gunnel 2016年9月17日公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)