インターネットで角川春樹を調べると、悪い評判がたくさん出てくる。彼は出版業界の風雲児であったし、一時は「時代の寵児」とまで言われたが、その手法および大言壮語に批判が多く、また同族経営の会社内で父親や弟と確執があり、後に違法薬物の密輸によって刑務所に入れられてまでいる。これでは悪評も当然だ。

特に彼は、出版物を消耗品として扱ったことにより、文化財としての価値を貶めたと非難されている。記者会見で堂々と「本は、売れるものではなく、売るものです」と言ってのけ、映画やレコードと提携した販売いわゆる「メディアミックス」の路線をとって派手な宣伝を仕掛けた。

そして「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーとともに、映画の原作となった角川文庫が熱心な営業により書店に平積みされた。この文庫本を買うと、そこには映画の宣伝が印刷されている栞が挟まっていて、この栞を映画館の窓口で提示すれば入場料が割引になる、という卓越したアイディアであった。

しかし、古典が中心だった文庫本をエンターテイメント路線に変えてしまったことで、出版文化の質低下を招いたと批判されたし、映画化のほうは、宣伝にばかり金をかけていて完成度が低いと批判された。

そこへ不祥事を起こしたのだから、叩かれてもむしろ当然だった。この機を捉え便乗する形で非難する臆病者や卑怯者もいた。しかし、マスメディアを通じて喧伝される姿だけが角川春樹ではないという指摘もある。

これについて、作家の森村誠一およびジャーナリストの下里正樹が証言した事実は、あまり知られていないが、出版に携わる者がみんな知っておくべき重大な事実である。

この二人はかつて、731部隊を告発した『悪魔の飽食』を協力のうえで著して発表したが、一部に不適切な写真があったため、そこを修正して再発行となった。このさい、ミスに付け込まれてしまい、『諸君!』などの右翼雑誌から猛攻撃を受け、森村と下里の自宅に右翼団体の街宣車が押しかけて騒ぎ立て、危険があるとして警察が出動するほどだった。

これと同時に、版元の光文社にも右翼が押しかけた。これを恐れた光文社は、著者に無断で『悪魔の飽食』を絶版にしてしまったうえ、同社が発行する月刊誌『宝石』は、森村と合意していた経緯と事情の説明についての掲載を拒否した。

この仕打ちに怒った森村は、光文社と絶縁を宣言したうえ、『悪魔の飽食』の改訂版を発行する出版社を探したが、「火中の栗を拾う」も同然であるから断られてばかりだった。しかし角川書店が出版を決断した。このとき角川書店は重役会議を何度も開いて議論したが結論が出ず、そこで、同族経営の会社であるから社長に一任し、その決定に従うという結論となり、これをうけて角川春樹社長は、「政治的な圧力によって出版物が葬られるのを見過ごしては、出版人としての矜持にかかわる」と言って、出版を決断したのだった。

角川春樹は、大学生の時に右派の立場から全学連相手に大立ち回りした武勇伝があり、その後も政治的には右よりであったというのが、彼を知る人の共通の認識である。それにも関わらず、ということだ。そして『悪魔の飽食』は角川文庫として発行され、社長が弟に代わった後も続いている。

(井上 靜)