12月17日、東京で開催された2013ミス・インターナショナル世界大会に、前年度の優勝者である吉松育美さんの姿はなかった。たった一人の男の行為、そしてそれに翻弄されてしまった主催者の“決断”により、彼女の晴れ舞台は奪われてしまったのである。
通常、前年度のミスは世界大会のあらゆる行事へ参加し、次のミスへの戴冠までが任務となる。しかし、今年の世界大会に吉松さんの姿はなく、なぜか2008年度のミスがその任務にあたっていた。不思議に思っていたところ、ファンの皆さまへの報告とし、12月11日付けで彼女のブログとフェイスブックに驚くべき内容が投稿された。それによると彼女は、大手芸能事務所の役員だという男から、脅迫や嫌がらせ、ストーカー行為を受け、ミス・インターナショナルの協賛企業や、彼女の家族にまで被害が及んでいるという。
その後の会見などで明らかにされたのは、ミス・インターナショナルとなった際に、ある芸能事務所への所属を迫られたが、そこが反社会的勢力との繋がりがあると噂されていることから、吉松さんは“倫理的に”所属を拒否した。それが一連の被害の発端のようだ。

ミス・インターナショナルを主催するのは、国際文化協会という日本の団体だ。この国際文化協会はスキャンダルにしたくないとのことから、吉松さんへ活動の自粛を要請。一年間の任期を終え、次のミスへと引き継ぐ晴れの舞台を“体調不良”を理由として、休むよう指示をしたというのだ。
美と平和の親善大使を発掘し、国際交流を図る目的のあるミス・インターナショナルが、正義の声を上げるのではなく、大人しくしていることを指示したというのだから理解しがたい。世界的に発言権を持つはずの彼女に対して泣き寝入りを強要するとは、世界一となるべく女性を創出する立場でありながら、その存在意義を理解していない逃げ腰の決断だ。

これだけのスキャンダルをマスコミは完全に無視。報じたのは吉松さんがインタビューに応じた週刊文春と、単独メディア2~3社。そして吉松さんの地元の佐賀新聞ぐらいである。テレビでは一切取り上げられていない。インターネットに載せられた関連記事は次々と削除されている。すべては大手芸能事務所と男の圧力、またそれを危惧した対処によるものと思われる。吉松さんは司法記者クラブへの会見も開いたが、ほとんど報道されることはなかった。黙殺された彼女の訴えは、その後、日本外国特派員協会への会見に託された。すでにワシントンポストやボストンヘラルド、ABC、FOX、韓国やオーストラリアのメディアなど、海外では大きく報じられている。日本の情けない状況として伝わっていることだろう。これでは日本のマスコミに、言論の自由がないと隣国を批判し、特定秘密保護法反対など「国民の知る権利」に声を上げる資格があるとは思えない。

なぜ吉松さんがここまで勇気のある行動に出たのか……。それは脅迫被害に対する抵抗と芸能界の闇への告発はもちろんだが、本来ならば味方であるはずの国際文化協会の“逃げ腰の決断”が、より彼女を失望させたからに違いない。この件に関して吉松さんは、「たった一人の男性からも“女性”を守れない、いや、守ろうとしない現状は、まるでストーカー問題が後を絶たない現代社会そのものを映しだしているようにも思えます」と述べている。
そもそも国際文化協会も被害者なのだから、毅然とした態度でいて欲しかった。しかし協賛企業にまで手が及んでいたことが頭を悩ませたのだろう。国際文化協会自体が資金を持っている団体とは言えない。そこはスポンサー頼みなのは明らかだ。様々な大人の事情があるのは理解できる。しかし、何の落ち度もない若い女性を守ることすら出来ないのならば、世界各国から国を代表する若い女性を受け入れる、国際的な大会を開催する資格はないとは言えないか。
同じ世界三大ミスコンテストに数えられるミス・ユニバースは、ミスに輝いた瞬間からどこへ行くにもSPが付けられ、任期中に住むこととなるマンションには、裏導線が確保されている。ミス・ユニバースというだけで命が危険に晒されていることは想定の範囲内で、SPたちはミス・ユニバースを名前では呼ばずに、コードネームで呼び警護に当たる。毎年インドネシアへ訪問するのだが、保守的な宗教観からミス・ユニバースに対するデモが起こることもある。それでも毎年インドネシアの地を訪れているのは、セキュリティ対策が万全であるからこそ出来ることだ。ストーカーも立ち入る隙はない。
それに比べ、主催者が優勝者の晴れの舞台を奪わなければならない事態に陥るとは、国際平和と謳いながらも、平和ボケしている国際文化協会の危機管理の低さは否定できない。

ミス・インターナショナルのウェブサイトを覗いてみると、昨年の優勝者である吉松さんを紹介するページがメンテナンス中と表示されていた。バナー欄には、吉松さんのブログへのリンクがあったが、それも削除されている。まるで吉松さんの存在が無かったかのような状況だ。これもすべて圧力によるものなのか。
世界大会にて審査員を務めていたコシノジュンコ氏は、司会者からの審査基準に対しての問いに、「世界平和のために大きなビジョンを持つことが大事」と答えた。何だかとても虚しく聞こえた。まさに平和を取り戻すために闘っているのが吉松さんであるのに、会場に彼女の姿は無い。各国のミスたちの笑顔も、何だかすべてが偽りに映る。

ふと、こんな映画を思い出した。危険に晒されたミスコンテストを守るべく、FBI捜査官が出場者としてミスコンテストに潜入する「デンジャラス・ビューティー」という映画。コンテストの出場者たちは、皆一様に「大切なのはワールドピース(世界平和)」だとスピーチし、誰もが“模範解答”を口にする光景を滑稽に捉え、面白おかしく描いている。しかし、事件が起こり波乱の中でコンテストが幕を閉じると、心から「ワールドピース」を願うという感動のラストが訪れる。

平和という言葉はあまりにも大きな言葉で、簡単に口にしては逆に安っぽく聞こえてしまうのだが、痛みを知ることで、本当の意味での平和を理解できる。それを今、真から口にすることのできる吉松さんが最終の舞台に立てなかった。残念極まりない。
吉松さんの投稿は「私は自分の今ある運命を受け入れ、同じ悩みをもつ多くの女性のためにも、自分の問題をこのままにしておいてはいけないと思い、行動したいと思います」と締めくくられている。彼女の勇気ある行動は、世界一だからこその責任感から生まれた。
まさに“美と平和の親善大使”に相応しく、彼女を世界一とする国際文化協会の選出に間違いはなかった。しかし、この勇気ある素晴らしい女性に下した最後の決断は、大きな間違いであったことに気づいて欲しい。

吉松さんは、内閣府の少子化危機突破タスクフォース委員としても活動し、政府からの評価も得ている。何も日本の芸能界へ留まる必要などなく、この経験を糧に政界に進出したり活動の場を世界へ向けたりと、大きく羽ばたけばいい。何かに服従しなければならない場所にいるよりも、先導できる立場で活躍して欲しいものだ。
吉松さんはすでに刑事告訴・民事訴訟に踏み切っているという。証拠となるやり取りは録音されているということで、事実は明るみになるだろう。そして海外メディアから“Dark side”と報じられた芸能界の闇を打破するキッカケとなるか。まずはとにかく、吉松さんに一日も早く平穏な日々が訪れることを切に願っている。

(安海麻理子)