今日も、セウォル号の話題でワイドショーは沸騰している。
それは当然だろう。船長を筆頭に真っ先に逃げ出した乗組員の無責任のせいで、死者・行方不明者合わせて300人を越えるという大惨事。責任転嫁にいそしんで、なかなか謝罪しなかった、朴槿恵大統領……。

だが、2009年に三重県沖で横転したフェリーありあけ号の事故では、乗客7人と乗員21人は全員無事だった、という報道が併せて流れるようになると、この沸騰ぶりの底が見えるようになった。

今回の事故で「三流国家」だと自嘲するようになった韓国に比して、久々に、日本ではこんなことは起きない、日本は立派だと胸を張れる時がやってきたのだ。
チェルノブイリ原発が事故を起こしたときに、あれはロシアのオンボロ原発、日本の原発ではあんなことは起きないと見下していた自尊心が、福島第一原発の事故で吹き飛んだ。
その自尊心が、取り戻せるというわけだ。

確かに、周辺の地域を廃墟と化し、世界中に放射能をまき散らし、いまだに収束せずに汚染水を生み出している福島原発の事故でさえ、セウォル号の事故と比べるとまともに思える部分がある。
福島第一原発では、吉田所長以下の運転員たちが、逃げ出すこともなく命がけで事故に対処した。
首相は現場まで乗り込んでいる。それは逆に、非難されることにもなったわけだが……。

だが、すべてにおいて、日本はそれほど立派だったか。
鹿児島県の桜島の南麓の海岸沿いにある、東桜島小学校には、次のような石碑が建っている。
「科学を信じてはいけない、危険を察したら自分の判断で逃げるべきだ」
1913年に地震が頻発し、海岸には熱湯が噴き出して、桜島が噴火するのでは、と人々は心配した。村長が問い合わせた地元の気象台長は、噴火しないと答えた。
しかし、桜島は大噴火し、8つの集落が全滅し、百数十人の死傷者が出た。
この気象台長が責任を取ったという話は聞かない。

2011年3月11日は、どうだったのか。
地震発生3分後に気象庁が出した津波予測は、岩手県と福島県で3メートル、宮城県で6メートルだった。30分近くたって、3県とも10メートル以上と変更されたが、それは、すでに津波が海岸にやってきた頃だった。
それまでも、3メートルの津波が来るという予報で、実際には数センチの津波だったということが数多かった。
3月11日の、気象庁が直後に出した津波の観測情報も、大船度で20センチ、鮎川で50センチ、釜石で20センチというものだった。
結局それは、「それならたいした津波は来ない」「逃げなくても大丈夫だ」という安心情報になってしまったのだ。

死者はもはや語れない。だが、気象庁の最初の予報が違ったものだったら、助かった人々はもっと多かったはずなのだ。
気象庁が謝罪したとか、責任を取ったという話は聞かない。

セウォル号の事故を、対岸の火事と見るのではなく、他山の石とすべきだ。
ましてや自尊心を満足させるためにそれを眺めるのは、死者への冒涜と言えよう。

(深笛義也)