「飯塚事件はDNA鑑定だけで有罪、無罪が決まったわけではないので、DNA鑑定がどうなろうと有罪認定は揺るがない」。そんなデマがいまだに流布しているようである。

1992年に福岡県飯塚市の小1女児2人が殺害された通称「飯塚事件」。一貫して無実を訴えながら死刑判決を受け、2008年に処刑された久間三千年氏(享年70)については、冤罪の疑いが根強く指摘されてきた。あの足利事件同様、警察庁科警研による捜査導入初期の稚拙なDNA鑑定が有罪の決め手になっているためだ。去る3月31日、福岡地裁はこの事件の再審を認めない決定を出したが、弁護側は福岡高裁に即時抗告しており、死刑執行後としては初の再審無罪をまだまったく諦めていない状況だ。

ところが、福岡地裁の決定が出て以降、インターネット上では冒頭のようなデマを真に受けたような発言、冒頭のようなデマと同レベルの誤解に基づいた発言をしている人が散見された。しかもその中には、弁護士や著名ジャーナリストもいたから少々げんなりさせられた。ただ、そういう人たちの誤解をとくのは実は簡単だ。この事件のDNA鑑定の試料がどんなものだったのかを正確に説明すれば事足りるからである。それは以下の通りだ。

【1】 下半身が裸にされた状態で山道脇の草むらに遺棄されていた被害女児2人の遺体の膣内容物
【2】 同・膣周辺の付着物
【3】2人の遺体の周辺にあった木の枝に付着していた血痕ようのもの

ちなみに、女児らの遺体が発見された場所は、2人が登校中に行方不明になった場所あたりから28~36キロ離れており、2人の膣には人の指や爪が挿入された形跡も確認されている。こうした事実関係に照らし、試料【1】【2】【3】のDNAが仮に久間氏のものと型が一致せず、別人のものだったと判明した場合、それでもなお、有罪認定が揺るがないと本気で思える人はこの世にどれほど存在するだろうか?

要するに、冒頭のようなデマを真に受けている人の大半は、この事件のDNA鑑定の試料がどんなものかを知らない人なのだ。そうでなければ、普通はあんなデマを真に受けるはずがないからだ。

この事件はDNA鑑定以外の証拠もきわめて脆弱で、かつ胡散臭いのが現実だ。本稿のテーマではないので、今回はそのことへの言及は控えるが、冒頭のような言説がデマであることを理解できる人ならそのことも容易に理解できるはずである。この事件は捜査段階にDNA鑑定の試料がすべて消費されたため、弁護側が再鑑定をできずに苦戦している。しかし本来、DNAの再鑑定さえできれば、それだけで白黒が決定づけられる事件なのである。

筆者はこの事件の再審請求の行方を取材してきて、常々思っていたのだが、冒頭のようなデマが流布しているのは、ひとえにマスコミのせいである。マスコミはこの事件の再審の話題を報じる際、被害者や関係者に配慮しているのか、DNA鑑定の試料について、「被害女児などに付着した血液」「現場の血液」(朝日新聞デジタル2014年3月31日11時31分配信記事)などという曖昧な表現を続けてきた。一方で捜査機関側が発信する冒頭のようなデマを無批判に記事にしていたのだから(※)、デマが流布し続けるのも無理はない。

被害者への配慮も大切だが、そのために捜査機関や裁判所が「冤罪処刑」という大不祥事を隠蔽するのに手を貸してしていいわけがない。マスコミはこの事件のDNA鑑定の試料を正確に報じられないなら、せめて捜査機関が発信するデマの拡散をやめるべきである。

(片岡健)

★写真は、飯塚事件の再審請求の舞台になっている福岡高裁や地裁の庁舎。

※たとえば、朝日新聞デジタルは科警研による鑑定写真の改ざん疑惑が明るみになった際、福岡地検の佐藤洋志公判部長(現在は静岡地検次席検事)の以下のようなコメントを無批判に記事にしている。
「意図的(に改ざんした)という弁護側の主張は理解に苦しむ。この事件では、DNA型だけでなく総合的な証拠から有罪が確定している。無罪になるとは考えてない」(2012年10月26日配信記事より)