2014年9月に福岡県警が特定危険指定暴力団「工藤会」の壊滅作戦に乗り出してからまもなく7年。4つの市民襲撃事件で殺人などの罪に問われた同会の総裁・野村悟被告と会長・田上不美夫被告に対する判決が8月24日、福岡地裁で宣告される。野村被告は死刑、田上被告は無期懲役を求刑されながら、ともに全事件で無罪を主張しており、どんな判決が出ようとも大きく報道されることだろう。

かくいう私は今年3月、福岡地裁で弁護側が最終弁論を行った野村、田上両被告の公判を傍聴した。それを聞く限り、捜査や検察側の有罪立証にはあまり報じられていない問題も色々あり、両被告の無罪主張も無下に否定できないように思えた。この場でそのことを少し紹介してみたい。

◆総裁は「隠居」、会長は「象徴」

野村、田上両被告が裁判で罪を問われている事件は、(1)1998年2月の元漁協組合長射殺事件、(2)2012年4月の福岡県警元警部銃撃事件、(3) 2013年1月の看護師刺傷事件、(4) 2014年5月の歯科医刺傷事件――の計4件。検察はすべての事件について、両被告の指示や了承のもと、工藤会の組員が実行した組織的な犯行だと主張しており、対する両被告はすべての事件について関与を否定する構図となっている。

もっとも、裁判では、少なくとも(2)(3)(4)の3件は工藤会の組員が実行したことに争いはない。したがって、同会の最高幹部である野村、田上両被告は道義的な責任を免れないだろう。ただ、両被告が刑事責任まで負わねばならないかはあくまで別の話だ。そして事実関係を見る限り、4つの事件で両被告から実行犯に対し、犯行の指示や了承が本当にあったかというと極めて微妙な印象なのだ。

まず疑問なのは、そもそも野村、田上両被告が事件当時、工藤会の組員らに重大な犯行を実行させるほどの権限を本当に有していたのか、ということだ。

というのも、野村、田上両被告の主張によると、工藤会では、総裁は「隠居」、会長は「象徴」という立場であり、会の運営は部下でつくる「執行部」が担っていたという。そして実際、両被告のこの主張を支持する証言も存在する。裁判に証人出廷した当時の工藤会幹部で、対立関係にあった別の幹部を殺害した罪により無期懲役刑に服する木村博受刑者が「(両被告は)口を出したりすることはなかった」と証言し、両被告の主張を裏づけているのである。

田上被告は福岡県警元警部の銃撃事件について、「元警察官を銃撃すれば、警察が全力を挙げて工藤会の壊滅に動くのはわかる。そんな愚かなことはしない」と主張していたが、この主張にも特段おかしなところはない。犯行を主導していたのは執行部であり、「隠居」や「象徴」という立場の両被告が執行部の犯行を止められなかったのが組織の内実だという可能性も充分にありえるように思われた。

野村、田上両被告の裁判が行われている福岡地裁

◆10年以上前に不起訴になった事件で改めて逮捕、起訴

1つ1つの事件に関する弁護側の主張を聞いていると、そもそも警察、検察の捜査に無理があったように思える点も散見された。

とくに1998年2月の漁協組合長射殺事件については、田上被告は2002年に一度、実行犯とされる3人と一緒に逮捕されながら不起訴になっている。それにもかかわらず、10年以上経ってから福岡県警が工藤会の壊滅作戦に着手した際、田上被告は同じ事件の容疑で改めて逮捕され、起訴されたのだ。

弁護側はそのような事実を指摘し、「検察官が起訴したこと自体が違法だ」と主張していたが、確かにこのような警察、検察のやり方は相手が工藤会だということで無理をした感が否めない。

誤解なきようにことわっておくが、工藤会が一般市民を襲撃する凶悪事件を繰り返していたことは確かで、私はそれを「なかった話」にしたいわけではない。そもそも、そんなことをしても私にメリットは何も無い。被告人が誰であろうと、事実は事実として正確に伝えたいと思うだけである。

ということで、今後も当欄では、この裁判について適時、取り上げていきたいと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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