名俳優・蟹江敬三が逝去した。享年69歳。蟹江氏とは、テレビ局のAD時代に仕事をした経験がある。まだ駆け出しのADだった僕に対して、さまざま教えてくださり、蟹江氏は優しかった。蟹江氏の役は代議士だったが、ディレクターに「髪の毛を短く切り、こざっぱりしてください」と言われて、衣装合わせのあとに、すぐに床屋に駆け込んでいた。とにかくマジメで、努力する姿を人に見せない。

テレビ局のADの仕事はとにかく煩雑で、弁当の手配から、役者をロケ地へ誘導する、台本に誤字がないかチェックする、持ち道具、小道具がちゃんとあるかどうか確かめるなどなど、とにかく忙しい。その中の仕事のひとつに「呼び込み」がある。照明やカメラなどがスタンバイしている状態で、「あと数分でスタンバイが終わる」という絶妙なタイミングで楽屋、もしくはロケバスで出番を待つ俳優をスタジオ、ロケ地なら撮影現場に連れてくるという仕事だ。

今思えば、本当にくだらないが「ADに呼ばれてもギリギリまで現場にいかない」のが大物の証し、という雰囲気があった。名前こそ出さないが、すでに撮影できる状態になっているのに、ADが呼び込んでも出てこなく、仕方なくディレクターが呼び込んだ、という役者も確かにいた。そうした現場だが、蟹江氏は、ADが呼び込む前に、自ら早めに現場に足を運んでスタンド・インしていた。

蜷川氏や石橋蓮司氏らと劇団を立ち上げた経緯でかなり苦労してきたのだろう。撮影スケジュールが詰まってくると、俳優とはいえ、スタッフのひとりとして、照明器具なども運んでいた場面も見たことがある。蟹江氏は自分が出ていないシーンも極力、撮影を見に来ていた。名前のある俳優はめったにそのようなことをしない。

「努力の人ですね。悪役のイメージが強くで、そこから脱却するのにかなり苦労したと思う。晩年は、若手を育成したいと何回もおっしゃられていました」(テレビ局関係者)
NHK「あまちゃん」では、破天荒に生きる漁師を演じたが、「いろいろな国にいったが、海外に行くのは故郷が最高だと確かめるため」という台詞が心に残っている。蟹江氏は生まれ変わっても多くのドラマや映画に出るだろう。多くの名シーンを残して、蟹江氏は旅立ってしまった。

(ハイセーヤスダ)