長崎県新上五島町の中学3年生の生徒が自殺した事件で、生前に書いた「自殺」をテーマにした作文が公開された。検索すればすぐ出てくるので、興味のある方は目を通してほしい。

頭の良い生徒だっただろうことが文章からも感じ取れる。それ以上に、今の時代には珍しいくらいに純粋な人柄だったことも窺える。彼は中学生であるから、世のオジサンオバサンをうならせる文章では無いが、自身がいじめに遭いながら原因や理由を考え、文章に表わしている。プロのライターや一流の作家でも自身のことを書くのは労力が要るものだ。中学生でこれを書いたというのは、意を決するところがあったのだろう。

彼を純粋だと感じたのは「(いじめを)解決する方法はただ一つ、みんなが親友になることだ。そう、実はすごく簡単なはずなのだ」と書いていることだ。トップアーティストで世の中の酸いも甘いも知り尽くしたジョン・レノンが「War is over」と歌うぐらい純粋だ。子供から大人へと成長する過程で、あるいは世知辛い時代にいて子供の頃から知ってしまっている「汚い世の中」に真っ向から反発するものだ。

純粋な人ほど生きづらい世の中だ。ならばいっそのこと「この世は生まれた時から競争社会だ。生き抜くためには競争に勝てるようになれ」と教育した方が潔い。勿論「一つの競争に負けても別のフィールドで生きられることができる」ことが教えられるのが前提にあるのだが。受験という競争に失敗しても、就職という競争に失敗しても、出世という競争に失敗してもリカバリーできなくてはいけない。

それが困難であるから、汚い世の中と知りつつ皆懸命に生きなくてはならない。時には自分の手を汚しながらやっていくしかない。しかし純粋な心を持っていればこそ、そんな世の中に耐えられなくなってしまうだろう。自殺した彼は中学3年まで純粋な心を持ち続け、世の中との歪みに耐えきれなくなってしまった。そう考えられないだろうか。

「世の中は醜く汚いものだ」子供にこう教えていかなければならないとしたら、酷い世の中だ。だからといって、人類平等だの、勧善懲悪だのばかりを教えたところで、社会に出た時に世の矛盾とどう向き合わせたらいいのか。

(戸次義継)