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《祝:阿米「敗戦処理」内閣発足》
(屁世26年9月6日付)

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屁世26年9月3日、阿米晋三首相は、対日戦勝記念日にタイミングをあわせて
「敗戦処理」内閣を発足させました。進駐軍の要請にこたえて、貞操の防波堤
として、勇気ある5人のご婦人も参加することになりました。また、大臣たち
の集合写真には写っていませんが、安晋会の理事として活躍した野口英昭さん
も沖縄安心大臣として入閣しています。
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 全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。 屁世滑稽新聞のお時間です。

 さて、きょうは、お目出たいニュースをお伝えしましょうね。
 天皇陛下が、玉音放送で、ポツダム宣言を全面的にうけいれて連合国に無条件降伏しますよと、国民のかたがたに説明されたのは、8月15日のことでしたよね。それから半月後の9月2日には、東京湾に停まっているアメリカ海軍の戦艦ミズーリの甲板上で、日本側の全権代表団が降伏文書に署名調印し、これでようやく戦争は終わったのでした。
 さてその翌日、9月3日のことですが、阿米総理ひきいる敗戦処理内閣が、さっそく発足いたしました。

 ニッポンのお住まいの、大きなお友だちの方々はほとんどご存じないかと思うのですが、この国が戦争を終えたのは、8月15日でなく、じつは9月2日でした。なぜなら8月15日は、天皇陛下が無条件降伏の決断を、世間におおやけにした日にすぎなかったからです。でも戦争は相手があって行なうものですから、一方的に「もうや~めた!」といっても、それで終わるものでもありません。戦争の終結をケンカ相手と文書を交わして約束する、という手続きが必要なわけです。それを実際に行なって、戦争が正式に終わったのが、1945(昭和20)年の9月2日だったのです。

 そういうわけで、ニッポンを負かした戦勝国では、日本が降伏文書に調印した9月2日か、その翌日を「対日戦勝記念日」としてお祝いしてきました。たとえば米国やフランスは、2005年9月2日に戦争終結60周年の記念行事を祝いました。ロシアは、第二次世界大戦の終結当時はソヴィエト連邦でしたが。日本の降伏文書調印をうけてその翌日に戦勝のお祝いをしたことから、9月3日を「対日戦勝記念日」と定めて長年、お祝いをしてきたのです。その後、ソ連が崩壊してロシアに変わり、2010年になって「9月2日を対日戦勝記念日にする」と改めています。やっぱり戦艦ミズーリ上の降伏文書調印が「対日戦勝」の決め手になっているわけです。
 第二次世界大戦が終わった当時、中国は「中華民国」でした。現在の「中華人民共和国」が生まれるのは、それから4年後のことです。さてその「中華民国」は、今や「台湾」に追いやられてしまいましたが、対日戦勝記念日はやっぱり9月3日と定め、この日から三日間は休日にしてきました。のちに生まれ、いまや東アジア大陸を広く支配している中華人民共和国、通称「中共」も、ことし2014年から9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定めてお祝いするようになりました。

 阿米晋三さんは、なにもこんな因縁めいた日に、新内閣を発足させる義理はなかったはずなのですが、きっと「米国に阿(おもね)る」動物的本能がはたらいたのでしょうね。みごとに「対日戦勝記念日」に合わせて、改造内閣をスタートさせたのです。いまだに隠然たる宗主国でありつづけているアメリカへの、恭順(きょうじゅん)と服従の証しを、態度でしめしたのでしょう。こういう愛犬をもてば、飼い主冥利に尽きますわね。

 おまけに、まあ阿米総理ときたらなんと気が利くおヒトなのでしょう! 進駐軍に心づくしの便宜をはかるために、ニッポン婦女子の貞操の防波堤となる覚悟を固めた勇気ある5人のご婦人を、内閣に参加させました。「努力」の「努」という字は、「おんなのマタにチカラ」と書きますよね。いまの日本に必要なのは、そういう意味の「努力」だということを、さすがに阿米総理はよくわかっておられるのね。

 戦艦ミズーリでの記念写真には写っておりませんでしたが、この新内閣には最年少の野口英昭さんが、沖縄安心担当大臣として参加しています。彼は阿米首相の後援組織「安晋会(あんしんかい)」の理事として活躍していた人物です。きっと命がけの執念で、沖縄を喰いものにするヤクザたちを、闇の彼方から成敗してくれるでしょう。そのご活躍に期待いたしましょう。

 きょうはこれでおしまい。
 また今度、お話しましょうね。
 では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

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