『志位和夫委員長への手紙』(かもがわ出版)を出版した鈴木元が、日本共産党を除名処分となった。共産党京都府委員会の見解は以下の通りだ。

鈴木氏の一連の発言や行動は、党規約の「党内に派閥・分派はつくらない」(第3条4項)、「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない」(第5条2項)、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条5項)という規定を踏みにじる重大な規律違反です。

『シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)を出版して除名された松竹伸幸に続いて二人目である。

鈴木は立命館出身の生え抜きの共産党幹部、松下も一橋出身で元中央委員会常任である。いわば二人の幹部が相次いで志位体制を批判し、とりわけ党首公選制を主張したのは、共産党組織の根幹を問う事態と言えよう。


◎[参考動画]共産党「党首公選制」訴えた党員除名 今年2人目(2023年3月18日)


◎[参考動画]共産、現役党員を除名処分 党首公選要求は「規律違反」(2023年2月6日)

◆民主集中制の陥穽

ここ20年ほど、日本共産党は政治の右傾化および「民主主義勢力」の後退に危機感を抱き、労働運動・市民運動との幅広い共闘を模索してきた。総がかり行動などがその典型で、選挙においても市民団体を媒介に立憲民主党や社民、れいわ新選組などとの統一戦線(野党統一候補)を追求してきた。

そのいっぽうで、共産党との共闘が野党統一戦線の足かせになってきたのも事実で、ほかならぬ共産党議席の減少として結果してきた。その根幹に、共産党の労働組合におけるフラクション活動、共産党それ自体の閉鎖的な組織体質があることを、今回の「党内闘争」は顕著にしたといえよう。

自民党や民主党系の党内選挙を合議制とするならば、共産党の組織論は民主集中制である。民主集中制といえば民主的なイメージだが、そうではない。

もともとは、ツアーリ専制下(旧ロシア帝国)のロシア社会民主党(のちのボリシェビキ)が指導部を選ぶさいに、公然たる選挙は行なえない。非公然党独自の、同志的な信頼による「民主主義以上のあるもの」として、レーニン以下の指導部を選出してきたことによる。いわば弾圧下の臨時的な措置として、党首公選が否定されてきたのである。

したがって党指導部は偶像化され、その理論体系はレーニン主義、スターリン主義、あるいは中国における毛沢東思想、北朝鮮におけるチュチェ思想として規範化されてきたのである。


◎[参考動画]共産・志位委員長「いきなり外から攻撃を…」党員除名は妥当 朝日社説に“猛反論”も(2023年2月9日)

◆共産党の思想は独裁制である

レーニンは1922年のコミンテルン大会においても、分派の禁止を採択している。さらにスターリン体制下のコミンテルンは一国一共産党という原則を確立する。ここに、共産党以外は小ブル宗派であり、分派は裏切り・党に対する敵対行為とみなされてきたのである。

単一党という思想は、マルクスにさかのぼることもできる。マルクスが「共産党宣言」において、万国の労働者は団結せよと謳ったのは、労働者の団結が単一であり党もまた単一であるという意味である。この単一党の思想が、異論を排除する党の体質となり、分派活動の禁止となるのは過酷な国際階級闘争の中で必然性を持っていたともいえよう。

ボリシェビキ化テーゼのもと、わが日本共産党もスターリン流の党組織観を輸入し、福本和夫の「分離結晶論」として共産党の上からの党建設が定式化された。

スターリン批判以降、共産党独裁を批判して現れた新左翼運動においても、単一党の思想は払しょくされなかった。本通信でも連載した連合赤軍事件はまさに、銃による党建設、遅れた部分を党建設の思想のもとに「総括」を強要し、同志殺しという悲惨な結果をもたらした。これまた上からの党建設として、森恒夫・永田洋子独裁体制が、陰惨なリンチ事件を生じせしめたのである。

100人近くの犠牲者を出した、中核VS革マル、革マルVS社青同解放派、革労協の内内ゲバと、新左翼の泥沼の内ゲバも、この単一党思想によるものだった。

◆党組織の規範は、社会の将来像である

内ゲバで「反革命に処刑」を主張する党派が、革命後においても「死刑制度」を存置するのは明白であろう。それと同じく、分派の禁止や反党活動の禁止を謳う党派が、革命後の社会において異論の排除、思想表現の自由を抑圧するのは火を見るよりも明らかだ。ようするに、日本共産党が政権をとれば、中国共産党や朝鮮労働党(金王朝)のような社会になるのは間違いない。

いや、分派の禁止は党内のことであって、社会化されるわけではない、と共産党は反論するかもしれない。しかし、上にみてきた単一党の思想が根っこにある以上、共産党が社会の理想とされ、党員にあらざれば人間にあらずという、旧ソ連のような社会が到来するのは疑いない。なぜならば、共産主義は「科学的」であり、科学的な「真理」であるから、正しいものに純化するのに、そもそも「間違い」があろうはずがない。真理とは、かくも怖ろしいものなのだ。

だが、その科学的な真理は、党員の高齢化という生理学的な真理によって、根底から崩壊がはじまっているのだ。

◆老人とともに滅ぶ党

統一地方選の準備もあって、駅頭では共産党の情宣活動がさかんだ。その大半は老人である。わけあって、共産党の細胞(支部)会議を見る機会があった。近所のうわさ話や大衆運動のキーパーソンの人物評価など、茶話会のような会議に欠けているのは、党活動の根幹であるはずの、いわゆる政治討論だった。

この政治討論の欠落こそが、党首公選制の否定によって無風化された、下部党員たちの活力の低下なのである。活力をうしなった党に、若い世代が参加するはずもない。老人とともに滅びゆく党が、社会運動にとって共産主義の負の教訓となるのを見送るしかない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2023年4月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)