札幌のSMクラブが摘発され、ステージで裸で緊縛されている男を捕まえてみれば、警察官だった。一見痛いニュースだが、警察官の不祥事一般として捉えていいのだろうか。
人間は様々な性的欲求を抱えている。人前で裸になりたいというのもよくある欲望だが、それを路上で行えば、「見たくない」という自由を侵害することになる。だがこの警察官は、その場を欲望発露として合意で集まっている客の前で行ったのだ。
様々なストレスにさらされる警察官が、そのような形で発散して再び明日からの職務に励むことは、むしろ正しいのではないか。

摘発されたのは、札幌市中央区南5条西のSMクラブ「クラブパティオ」。伝説の緊縛師、志摩紫光がやってきて本格的なSMショーを行ったり、客がメイクしてドラッグクイーンとしてステージに立ったり、夜ごとに様々なイベントが行われている。
風俗営業であるのに、深夜営業飲食店の営業許可しか受けていなかったのが、摘発の理由だ。

2月11日未明、北海道警札幌中央署の捜査員が踏み込んだ時に、ステージ上で裸で腰や腕などをロープで縛られていたのが、道警厚別署留置管理課の28歳の巡査長だった。
公然わいせつの容疑で、巡査長は逮捕された。店には当時男女16人の客がいた。本人は「裸でいたのは間違いない」と容疑を認め、北海道警は「警察職員が逮捕され、誠に申し訳ありません。事実関係を調査し、厳正に対処して参ります」とコメントしている。

公然わいせつとは、何か? 刑法第174条には「公然とわいせつな行為をした者は、6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」としか書かれておらず、わいせつが何かは定義されていない。
そのために法廷の内外で、今に至るまで決着の付かない議論が続いている。

路上や鉄道のホーム、車内などの公共の場で、男性が性器を露出する。そのような公然わいせつに対しては、取り締まるべきだ、ということで異論はないであろう。

古くから議論されてきたのが、ストリップ劇場でダンサーが裸になることだ。観客は彼女が裸になることに、合意というより期待して集まっている。それなのに、なぜ違法になるのかという問題だ。
1997年に亡くなった一条さゆりは、引退興行で逮捕されたとき、「ストリップは大衆娯楽、わいせつにはあたらない」として最高裁まで争った。だが懲役1カ月の判決を受け、和歌山刑務所で服役した。
この議論に決着の付かないまま、最近ではストリップへの摘発は少なくなっている。

変わって近年、摘発されるようになったのが、室内で男女がセックスする、乱交パーティやカップル喫茶だ。営利目的のものだけでなく、同好の士が集まった趣味の乱交パーティも摘発を受けている。

公然わいせつということでは、都内の路上などでヌードを撮影した写真家の篠山紀信氏が、09年に家宅捜査を受けている。大きな遮蔽板を立て、見張り役を置き、他者の目に触れないよう、細心の注意を払っての撮影だったにも関わらずである。

SMの世界は一部のマニアのものとして、長い間、警察からは放置されてきた。
「下手に逮捕したりすると、パトカーが汚れるから」という現場の警察官の声もあった。
人前で裸になって縛られたいというのは、確かに奇妙な欲求だ。
だが、時には愚かしいことを考え、したくなるのが、人間というもの。
他人の自由を侵害しない限り、それは自由なはずだ。
逮捕されたのが警察官だったという皮肉で、指弾されるべきは、自由の領域に踏み込んだ警察のほうではないだろうか。

(FY)