「憎らしいほど強かった」北の湖前理事長の協会葬に参列してきた!

北の湖前理事長の協会葬(大相撲協会が主催)が12月22日13時からおごそかに行われた。一般参加は14時からだが、すでに13時30分から長蛇の列。3人ずつ、順番に入るように係員に誘導される。

「憎らしいほど強い」と言われた北の湖がこれほど愛されていたのか、と思うほどの長蛇の列が駅のホームからでもわかるほどの混み具合だ。 葬儀に先立ち、関取衆や親方らが同国技館の正面入り口に整列して遺骨を出迎えた。祭壇には、りりしい表情をした遺影が飾られた。

「こんなに整理しにくいほど人が来るとは想像もしていなかったです。警備員を増やしておいてよかったです(警備員)」というていたらくだ。およそ2500人を超える一般葬列者は、年齢層では、50歳以上の老年がほとんどだ。

ややうららかな日ざしの中、50分ほど待つと、焼香の列がようやく動き始めた。午後2時すぎ、ようやく少しずつ葬儀会場に人を入れ始めると、中国人らしき観光客が騒ぎ始めた。大声でゲラゲラ笑い、冗談を連発しているようにも見え、すでに酔っている。

遠目で見ると、警備員が「静かにしろ」と声を張り上げている。よく見れば、男女全部で8人ほどの集団が、騒いでいるようだ。そのうち、数人の男女が奥のほうに連れて行かれた。

「大量に電気製品を買いに来たインバウンドですよ。ツアーの最後の日程で『人気力士、北の湖の葬儀』というイベントに物見遊山で来たのでしょう」と葬儀役員。
「こんなおごそかな雰囲気で、日本の国技なのに、どういう了見で葬儀にやってきたのだろう。ぶちこわしだ。早く追い出してほしかった」(参列者)

森喜朗元首相、亀井静香氏らの政治家、プロ野球では巨人の原辰徳前監督、ヤクルトの若松勉元監督、元中日の山崎武司氏らが参列。女優の中村玉緒、タレントの林家ぺー、元力士では北の富士、朝青龍、3代目若乃花の元横綱らも焼香し、お別れを偲んだ。

結局、集団でつまみ出された中国客インバウンドたちは、姿を消したが、「できれば来てほしくなった」(ファン)という声も。どこぞの中国旅行社がこのイベントを案内したのかは定かではないが、ああいう客を呼び込んでしまったのは『勇み足』というところだろう。そして、最近は大相撲に、中国人の客がやたらと多いが少なくとも、今年はルールを守っていただきたいものだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎紅白ガラパゴス、ここに極まれり──きゃりーぱみゅぱみゅが落選した理由
◎禁煙ファシズムに抗う劇場版「MOZU」の喫煙シーン
◎国勢調査の裏で跋扈する名簿屋ビジネス──芸能人の個人情報を高値で売買?
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

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『広河隆一 人間の戦場』──映像化で新たな力を宿した不屈の「戦闘宣言」

-『広河隆一 人間の戦場』(長谷川三郎監督)-

フォトジャーナリスト広河隆一氏を活写したドキュメンタリー映画『広河隆一 人間の戦場』(長谷川三郎監督)が12月19日に封切られた。20日新宿「K’s cinema」で上映後、広河氏と長谷川監督の舞台挨拶とトークショーが開かれた。

「ジャーナリストである前に自分は人間だ」
広河氏の活動を理解する根源的な精神は、この言葉の中に集約されているといっても過言ではあるまい。

「負けっぱなしですよ。でもこのままでおくものか、という気持ちもある」
広河氏の語り口は明瞭とは言い難いし概して口数は少ない。しかし彼が口を開くと、はっとさせられる「直撃弾」のような真っ直ぐな言葉が紡がれる。

広河隆一氏

現役のフォトジャーナリストがドキュメンタリー映画の主人公となる「人間の戦場」は2年間の製作期間を要し、パレスチナ、チェルノブイリ、福島、沖縄などで広河氏の取材や救援活動の様子を映し出す。国家や戦争・紛争により極小の個人、とりわけ「子供」が無残に「殺され」、「病まされる」現場を追う広河氏は「死体の写真しか撮れないほどジャーナリストにとって悔しいことはない」と語る。

◆ジャーナリストである前に自分は人間だ

「死体」や「凄惨な現場」のみを専ら被写体として探し回り、世界の紛争地帯の表面だけを追う「戦場カメラマン」が少なくないことを私は知っている。彼らにとって「戦争」や「悲劇」は商売上、絶対必要な舞台であるから、「死体を撮る」ことに悔しさを感じることはない。彼らは広河氏の「ジャーナリストである前に自分は人間だ」という言葉に痛撃を受け「人間の戦場」を最後まで心穏やかに鑑賞することはできはしない。

広河隆一氏と長谷川三郎監督の舞台挨拶(2015年12月20日新宿K's cinema)

広河氏の活動を少なからず知る私にとっても取材現場での彼の身のこなしや、被写体との距離の取り方、幾通りも理解が可能な「現場」への意味づけの視点など発見が多くあった。

◆救援活動の先駆者としての広河隆一

広河氏はまた、フォトジャーナリストでありながら、常人の想像を超える救援活動の先駆者でもある。大施設に発展を遂げたチェルノブイリ原発事故地の影響を受ける地域の子どもたち保養施設「希望」建設にといった想像を絶するプロジェクトを広河氏は幾つも手掛けた。

一方で個人への援助や継続的な友人関係も数えきれない。「人間の戦場」ではウクライナのナターシャさんが生き証人として登場する。広河氏を「お父さん」とまで呼ぶナターシャさんとの交際は彼女が11歳の時から始まり、甲状腺ガンを患い手術を受ける時にも広河氏は付き添ったという。

長谷川三郎監督

幸い健康を取り戻し、結婚をして2児の母になったナターシャさんは実に明るく、広河氏を含む撮影クルーを自宅に招き入れる。どれほどの打ち合わせをしても、絶対に作り出すことは出来ない「心からの笑顔」が広河氏とナターシャさんの関係の全てを物語る。

施設や設備の建設や設立、いわば「マクロ」(状況全体へ)の救援と同時に個々の人びととへの救援(「ミクロ」)と交際を続ける広河氏のエネルギーには圧倒されるばかりだ。全世界に何百人、否、何千人ものナターシャさんがいるのだろう。

◆映像化されることで違う力をもった広河隆一の仕事

上映後のトークショウで広河氏は幾分照れながら、当初撮影されることに戸惑いを感じていたことを告白する。しかし「自分の仕事が映像化されることによりまた違う力をもつようになった」成果を実感しているようだ。

広河隆一氏と長谷川三郎監督(2015年12月20日新宿K's cinema)

長谷川監督はこう語る。
「ドキュメンタリー作品はたくさん手掛けてきたが、ジャーナリストが取材している場所へカメラを向けていくというのはその場の人びとに大変なストレスをかける仕事で、相当に神経をつかった」

そうだろう。広河氏は撮影中も自分が「被写体」であることをしばしば忘れ、監督やカメラに向かって「私じゃなくてそちらを撮れ!」と何度も要請をしたという。骨の髄まで沁み込んだジャーナリストとしての感覚。撮影する側と撮影される側の神経をすり減らすような境界線のせめぎ合いが「人間の戦場」の醍醐味でもある。

映画終盤に広河氏が「新しいテーマ」に取り組み始めるシーンがある。彼はどんな切り口で「あの壮大」なテーマを切り取りだしてくれるだろうか。「人間の戦場」は「新しいテーマ」との激闘を始めた広河氏の改めての「戦闘宣言」なのかもしれない

『広河隆一 人間の戦場』は新宿「K’s cinema」、神奈川「シネマ・ジャック&ベティ―」、愛知「名古屋シネマテーク」、大阪「第七藝術劇場」、兵庫「神戸アートビレッジセンタ―、広島「横川シネマ」などで順次公開予定。詳細は「人間の戦場」公式HPをご参照頂きたい。
http://www.ningen-no-senjyo.com/


◎『広河隆一 人間の戦場』劇場予告編

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎福島原発被曝の現実から目をそらさない「DAYS JAPAN」と広河隆一氏の在野精神
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◎2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み
◎2015年再考(2)橋下ファシズム台頭の起源──TV×維新×虚言の愚劣な結託
◎2015年再考(3)湯川さん、後藤さん人質事件の惨事からこの国は何を学んだか?

自由な言論の場は1ミリも揺るがない!「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice』第6号!

スカパンク竹村哲チャンプのラストファイト!渋さ日本一のキック団体NKB大和魂

大和魂シリーズvol.5 / 2015年12月12日 / 後楽園ホール17:30~21:30
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆竹村哲 vs マサ・オオヤ──ラストファイトを勝利で飾ったSNAIL RAMP竹村哲!

メインイベント67.0kg契約5回戦
NKBウェルター級チャンピオン.竹村哲(ケーアクティブ/44歳/67.0kg) vs? 同級8位.マサ・オオヤ(八王子FSG/41歳/67.0kg)
勝者:竹村哲 / TKO 4R 2:18 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 前田仁

竹村は2002年に31歳でキックデビュー。同時に1995年結成のSNAIL RAMP(スネイルランプ)というスカパンク、メロディック・ハードコアのバンドでも活動中です。今年4月に元・全日本ライト級チャンピオン.爆椀・大月晴明に1ラウンドに左フックでブッ倒されるも、過去の対戦相手の中でも最強との試合はファンの記憶に残る好ファイトで価値を残しました。今回のラストファイトの相手は、過去に引分けていて自ら指名したマサ・オオヤ。対戦相手でありながら、40歳を超えた彼にも王座挑戦へ奮起して欲しい願いがありました。

スカパンク竹村哲チャンプのラストファイト!マサ・オオヤ戦

試合はスロースターター気味に徐々に詰める竹村ペース。第4ラウンドに入ってラッシュし、パンチ連打からヒザ蹴りで倒しました。

渡辺代表より労いの言葉で感涙!

「大怪我から手術とリハビリと3回も繰り返し、身体機能の低下から練習レベルが落ち、こんな姿をジムの後輩に見せて勘違いさせてはいけないと、現役引退を決意しました。自分のファイトスタイルは批判されることあるんですけど、渡辺代表からは、『それでいいんだ、それを貫けばいいんだ』といつも言ってくれました。」と試合後の引退式でコメント。

メインイベント最終試合後の長いセレモニーとなった引退式。かなり多くのファンが残って最後まで見守っていました。引退する選手を送るセレモニーとして、過去の対戦者、ジムメイト、連盟役員一人一人から御祝儀とメッセージが贈られた最後、渡辺代表の興行だけではない渋い声の御挨拶。昭和の旧・全日本キック世代(昭和44年~56年)を彷彿する存在だけあって“親父の威厳感”がありました。

ベイビーレイズJAPANが応援に駆けつけた!

しかし覚えてきたセリフを珍しく途中忘れた感じで「とりあえずお前はよく頑張ったな…。長い間御苦労さん」と苦笑いでいきなり自然な会話ぽく語りだし、前もって考えたセリフより温かみがありました。

竹村の挨拶中、運営係員のトランシーバーの通信音声が丸聞こえ、「引退式もいろいろあるなあ」と言ったり、「渡辺会長から貰った記念品の楯(写真入)、結構重いんすよ、けど遺影みたいで…」と笑わせた後、竹村はテンカウントゴングに送られました。

最後に記念撮影、音楽関係で友好関係あるベイビーレイズJAPANも応援に駆けつけていました。35分あまりのかなり長くなった引退式で、後楽園ホールから撤収作業を促されている状況の、31年に渡る渋い団体が竹村哲のキャラクターで皆がリズムを崩し、いちばん笑える引退式だったかもしれない、緊張感解れる締め括りとなりました。

連盟役員、各ジムオーナーと引退記念写真

◆高橋亮 vs 松永亮──高橋三兄弟で一番先にチャンピオンとなった次男・亮!

セミファイナル NKBバンタム級王座決定戦5回戦
1位.高橋亮(真門/53.5kg)vs 3位.松永亮(拳心館/53.0kg)
勝者:高橋亮 / TKO 4R 1:54 / 2度目のダウンでレフェリーストップ / 主審 川上伸

過去2勝している相手ではあったが、一発逆転の突進力を持つ松永だけに油断はならなかった。しかし、当て勘の良さと手足の長さを利しての伸びるパンチと蹴りは終始優位に進め、第1ラウンドに1度、第2ラウンドに2度ダウンを奪い、次第に松永から闘争心を削っていき、4ラウンドにも蹴りの連打で2度ダウン奪って圧倒して仕留めた。

三兄弟の中で一番先にチャンピオンとなった次男・亮。本人が語るように「これからがスタート、ここからが勝負」というようにチャンピオンとなってからは他団体チャンピオンと比較され、未知の強豪との対戦も回ってくる。まさにここからが亮にとっても、話題の三兄弟にとっても勝負の年でしょう。

高橋亮vs松永亮

◆2016年新春興行は2月7日後楽園ホールで開幕!

来年2月興行の主役たち、左から安田一平、折原陽子(11代目連盟マスコットガール)、石井修平、大和知也

新春興行は2月7日(日)後楽園ホール17:30開始で、竹村哲が返上した王座の、第13代NKBウエルター級王座決定戦、1位.石井修平(ケーアクティブ) vs 2位.安田一(SQUARE-UP)が行なわれます。ライト級で夜魔神(SQUARE-UP)に挑戦に敗れたあと、ウェルター級で竹村の後に続きたい石井修平と、夜魔神に続くSQUARE-UPジムからのチャンピオンを獲りたい安田一平の対戦です。

もうひとつの主要イベントはNKBライト級チャンピオン.大和知也(SQUARE-UP)が日本人相手8戦8勝(6KO)のWPMF世界スーパーライト級チャンピオン.ゴンナパー・ウィラサクレック(タイ)と対戦。今年の大和魂シリーズの主役でありながら苦戦が続いた大和知也の引き続く主役級大冒険となるカードです。この団体での久々の第一線級ムエタイボクサー登場に、それだけで驚きの感がありますが、興行運営3年目の小野瀬邦英体制の成果が年々上がってきている状況です。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎ボクサー転向物語(1)ボクシングからキックボクシングに転向した名選手たち
◎ボクサー転向物語(2)キックボクシングからボクシングに転向した名選手たち
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語

大人気!!村田らむ『禁断の現場に行ってきた!!』命がけ潜入体験ルポ!実録漫画60ページ&ルポ49本!ジャーナリズムの真髄がここにある!?

 

《脱法芸能48》吉松育美VS谷口元一裁判(8)反対尋問の異常な展開

吉松さんの反対尋問は、異常な展開になってきた。

角地山宗行弁護士 あなたはCBSラジオで被告(谷口氏)が何人もの女性を殺したと公に発言されていますね。具体的には何人ぐらいでしょう。

吉松育美 まず、私は断定していません。その情報はすべてインターネット上で伝聞したものであり、私が自ら谷口さんが人殺しだと言ったことは一度もありません。

角地山宗行弁護士 では、谷口さんが何人も人を殺したというふうに言われていることを……。

吉松育美 そのままインターネットに書いてある言葉を言いました。

日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(2013年12月16日公開)より

角地山宗行弁護士 あなたは被告が本当に人を殺したことがあると思っていますか?

吉松育美 それは本人に聞いてください。

角地山宗行弁護士 では、人を殺したと思っていないにも関わらず、被告を人殺しと言ったということですか?

吉松育美 インターネット上で今までの川田亜子さんの事件を調べてみると、そのようなことをネット上の新聞や週刊誌さまざまなところで見ることができます。

角地山宗行弁護士 ですが、インターネット上の情報というのは、虚偽と真実が入り混じっているということはご存じですか?

吉松育美 はい。

角地山宗行弁護士 にも関わらず、真実かどうかも分からないインターネット上の情報を信じてあなたは被告のことを人殺しであると……。

吉松育美 人殺しと言ったことはありません。

角地山宗行弁護士 被告が何人もの人を殺したと発言されています。

吉松育美 それは私が判断したことではありません。それはすべて他の第三者の人たちが言っている書いたものをそういうらしいという風に発言しています。

角地山宗行弁護士 あなたは他にもですね、多くの女性がパワハラ、セクハラ、ストーキング、精神的な虐待、恐喝、スキャンダルの脅しといった被告からの被害があると言ってますけど、その根拠もインターネット上の噂ということですか?

吉松育美 また、私の友人からも聞きました。

角地山宗行弁護士 ミス・インターナショナルという影響力のあるあなたが軽々しく被告が人殺しだとか、どうしたとか、そういったことを言ったことで被告が多くの被害を被ると想像しませんでしたか?

吉松育美 しませんでした。

角地山宗行弁護士 真実かは分からないけれどもあなたが被告を犯罪者とか、みんなが被告を犯罪者扱いするから、あなたも被告を犯罪者扱いしていいと思ったのですか?

吉松育美 違います。

角地山宗行弁護士 あなたは谷口さんを加害者、自分を被害者と仕立てあげて世間に公表して注目を浴びたかっただけではないのですか?

角地山宗行弁護士 違います。

角地山宗行弁護士 私からは以上です。

(続いて、被告代理人が角地山宗行弁護士から池田尚弘弁護士に交代する)

池田尚弘弁護士 被告代理人池田から質問します。まず、久光製薬との関係について質問します。先ほどあなたは中臣会長からCMを頼まれてドラフトができた2013年6月、90%ぐらい契約が成立していたという風におっしゃいましたね。契約の手順として会社が久光製薬と直接受けるのではなくて間に電通とか広告代理店が入るのはご存じですか?

吉松育美 はい。

池田尚弘弁護士 今回であれば久光製薬の間に電通が依頼を受け、その子会社であるホイッスルが間に入っているわけですね。おそらく電通やホイッスルは、誰をタレント、キャラクターとして採用するかとかいろいろ調べた上で決定するのですが、そういったCMの手続き、契約の手続きについてはご存じですか?

吉松育美 はい。

池田尚弘弁護士 今回、電通さん、ホイッスルさん、あと吉松さん、お話をされた2013年9月、甲13号証8ページ、98、電通の町田さんがこう言っています。「われわれタレントさんとの契約の時にですね、ブッキングする際に当然、芸能事務所の方とお話をすすめるわけですけど、吉松さん、正直IYグローバルさんというのがわれわれ普段、お付き合いがなくて分からなくて、で、分からない部分がたくさんあるので、事務所としてそれは大丈夫ですか? 僕ら広告代理人としてはキャスティング会社である立場の方にこれは調べてくださいよという風に依頼をしているんですよ……」。すなわち電通さんは、電通さんは吉松さんと取引をしたことがないので、この人を久光製薬のキャラクターとして採用していいか調べていたと、そういうことなんです。

吉松育美 いえ、以前にも電通さんとは私の会社でやりとりをしていたことがあります。

吉松育美さんの2015年11月24日付Facebookより

[補足解説]
ここで出てくる「ホイッスル」について調べてみたところ、電通の子会社・関連会社一覧には掲載されていなかった。ネットで調べてみてもホイッスルについての情報は極端に少ないが、バーニングプロダクション系の広告代理店として知られるプロシードの主要取引先一覧に名を連ねていた。

ホイッスルは2000年に設立され、2002年に電通の子会社である電通キャスティングアンドエンタテインメントと資本提携を結び、電通キャスティングアンドエンタテインメント内に営業所を置いている。

久光製薬のCM出演交渉では、当初、吉松さんの交渉相手は久光製薬だったが、途中からホイッスルが入ってきたという。契約書によれば、契約の当事者は吉松さんが代表を務めるIYグローバルと株式会社ホイッスルとなっている。ケイダッシュ案件ということでトラブルが起こることを恐れた電通が別働隊のような形で出してきたのがホイッスルだったのだろうか。(続く)

○吉松育美さん公式サイト=http://ikumiyoshimatsu.com
○吉松育美さんFacebook=https://www.facebook.com/yoshimatsuikumi
○吉松育美さんYouTube=http://www.youtube.com/user/yoshimatsuikumi

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

◎衝撃事実の連続弾!星野陽平の《脱法芸能》

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす!『芸能人はなぜ干されるのか?』

 

紅白ガラパゴス、ここに極まれり──きゃりーぱみゅぱみゅが落選した理由

11月26日に「第66回NHK紅白歌合戦」の出場歌手が決定した。

「けっこう、大物が落選していますが出場歌手に選ばれなかったきゃりーぱみゅぱみゅ(3年連続出場)は、女子会で仲がいいスタッフと連日、飲んだくれているようです。実はきゃりーが交際していた『SEIKAI NO OWARI』のボーカル、Fukaseと破局したために、NHK側が 『一緒に舞台にあげたくない』と配慮したと報道されているようですが、真相はちょっとちがいます。実は海外や20代の若者のほうがきゃりーは受けがよく、もはや平均視聴世代が四十代を超えているNHKの紅白に出しても、『誰だい、あれは』とお茶の間で困惑するのが目に見えるので、演出サイドからNGが出たそうです」(芸能ジャーナリスト)

第66回NHK紅白歌合戦HPより

とはいうものの、「ファッションモンスター」や「つけまつける」「にんじゃり ばんばん」など多数のヒット曲があるきゃりーよりも、外すべき歌手がいるのではないか、と多くのファンが思うところだろう。

「音楽性の側面から考えれば、きゃりーと、今回出場が決まった『Perfume』(08年から8回連続出場)は音楽プロデューサーがともに中田ヤスタカで、『同じテクノポップでサウンド的にかぶるということで、前から 『Perfume』サイドから、きゃりーとの同時出場には難色が示されていたが、今回は、Fukaseとの恋愛事情も絡み、落選となりました』(同)

きゃりーは、落選した週から仲がいいスタッフたちと連日「紅白を忘れる会」を 開き、高級カラオケクラブで熱唱を繰り返した。

「じつは、酒が深く入ってやけ食いしているのでスタッフたちが『少し丸くなって きた。太ってきたらまずいな。ファッションアイコンとしてスレンダーだから通用してきた部分もあるのに』とスタッフたちは心配を隠さない。

ロック歌手の内田裕也が12月2日、ツイッターで「きゃりーぱみゅぱみゅ、ももいろクローバーZ、海外でも通用するニューカルチャーがなんと紅白歌合戦落選。マジかよ!」と驚きながらも「NHK君、何を考えているんだ!」と物申して、ネットから多くの賛同を得た。

「まあ『ももいろクローバーZ』はともかく、きゃりーはヨーロッパやアメリカ、アジアでも集客実績がありますから。いかにNHKの視野が狭いかという証明でしょう。日本の名物歌番組のガラパゴス化、ここに極めけりという感じです」(放送作家)

だが立ち直りの兆しはある。

「勢力的にライブを行い、気持ちは切り替わりつつあります。ファンがツイッター などでさんざん元気づけましたから」(同)

さておき早くきゃりーには立ち直ってもらい、キュートな歌声の復活を待ちたいものだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎禁煙ファシズムに抗う劇場版「MOZU」の喫煙シーン
◎国勢調査の裏で跋扈する名簿屋ビジネス──芸能人の個人情報を高値で売買?
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

スクープ!武黒一郎=元東電フェローを直撃!『NO NUKES voice』総力の第6号!

 

2015年再考(3)湯川さん、後藤さん人質事件の惨事からこの国は何を学んだか?

今年2月1日の本コラムで「イスラム国人質『国策』疑惑―湯川さんは政府の捨て石だったのか」を書いた。イスラム国に「戦犯」(War Criminal)として囚われた湯川遥菜さんと「人質」(Hostage)とされ身柄を拘束された後藤健二さんが共に殺害されたのは1月31日だと推測される。イスラム国は「武器販売」を目的としていた湯川さんを2014年8月に拘束し「戦争犯罪人」として当初より処刑の意向を示したが、「人質」とされた後藤さんの身柄拘束は14年10月中旬と考えられ、身柄解放に関しては10億円の身代金がご家族に要求されている。

14年8月16日に湯川さんの身柄が拘束されていることを知った政府は、名ばかりの「現地対策本部」をヨルダン大使館内におく。国会で野党議員の「現地対策本部は具体的にどういう人員で何をしていたのか」の問いに、通常大使館駐在する人間の数と同等で「情報収集などにあたった」と岸田外相は答弁していたけれども、この時点で「現地対策本部」は何もしていなかったことが明らかになった。

2015年1月17日安倍首相はエジプトで、
(1)ここで私は再び、お約束します。日本政府は、中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援を、新たに実施いたします。
(2)エジプトが安定すれば、中東は大きく発展し、繁栄するでしょう。私は日本からご一緒いただいたビジネス・リーダーの皆様に、ぜひこの精神にたって、エジプトへの関わりを増やしていただきたいと願っています。 日本政府は、その下支えに力を惜しみません。 E-Just(イー・ジャスト)にとって便利で、有望な産業立地とも近いボルグ・エル・アラブ(Borg El-Arab)国際空港の拡張を、お手伝いします。電力網の整備とあわせ、3億6000万ドルの円借款を提供します。
(3)その目的のため、私が明日からしようとしていることをお聞き下さい。
まず私はアンマンで、激動する情勢の最前線に立つヨルダン政府に対し、変わらぬ支援を表明します。国王アブドゥッラー二世には、宗教間の融和に対するご努力に、心から敬意を表すつもりです。
(4)イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
などと述べた(文中の数字は筆者が挿入したものである)。

この演説を受けてISからの後藤さん解放の条件とされた身代金の金額が当初の10億円から20億円に引き上げられる。その直接原因となったのは(4)の安倍首相の言及である。身代金が20億へ引き上げられたのはここで対ISへ日本が20億円(2億ドル)支出すると公言したのにあわせてのことだ。そして副次的な要因として(3)も作用している。2014年9月11日にヨルダンを含む中東諸国の外相が米国のケリー国務長官と会談し「米国の軍事作戦に協力する」ことを約束していたからだ。ケリーと会談した国の中にはトルコも含まれるが当時トルコはまだ、ISと決定的な対決には至っておらず、日本の「対策本部」をヨルダンではなくなぜトルコにおかなかったのかと指摘する専門家も多かった。実際トルコ政府は英国人ジャーナリストなどが人質として捉えられた事件で仲介役を引き受け、解決した実績もあった。そして(1)、(2)のような「ばら撒きによる懐柔」政策も敵意を掻き立てた可能性は否定できない。


◎[参考動画]Japan condemns ISIS beheading of journalist Kenji Goto Headlines Today 2015/01/31 に公開

◆歴史の文脈が導く物語の一断面としての「テロ」「人質」事件

さて、早いもので湯川さん後藤さんの惨事からもうすぐ1年を迎える。あの惨事からこの島国の政府は何を学んだだろうか。答えは「皆無」だ。

報道機関は沈黙しているが後藤さんと実に似た状況で現在も身柄を拘束されている日本人ジャーナリストが少なくとも1人いる。その人は今年の6月頃ISではない組織に拘束されたが、日本政府は解放交渉を当初から放棄し、民間の有志が解放交渉にあたっている。消息筋によると後藤さんのケースのように緊急の危険性は少ないようだが、拘束も半年に及ぶことから早期の解決が望まれる。

この拘束事件については数か月前から解放交渉にあたっている方より情報を得たものの「解放交渉は事件が大っぴらになると向こう側が態度を硬化させる。だからできれば触れないで欲しい」との要請があり紹介するのを控えていた。が、既に関心のある方々の間ではある程度この事件が知られることになったので敢えて紹介をしておく。

「テロ」、「人質」事件はある日発作的に起こるものではない。それは可視、不可視な歴史の文脈が導く物語の一断面だ。現象のみを切り取りその残虐性や非人道性をあげつらっても物語は読み解けない。物語は牧歌的童話のような単純なストーリーから、誰が正義でどいつが悪人か読後まで謎が解けないミステリーもある。

世界は善悪2分法で解釈できるほど単純ではない。そもそも「善悪」など状況が判断を下す暫定・相対的なものだ。勇ましく「テロとの戦いに参加する」などと宣言することは、どんなストーリーが展開されているかわからない、しかも異国語で綴られた書物を手に取り、その完璧な読解を「可能だ」と宣言するようなものだ。私にはそんな蛮勇はない。


◎[参考動画]Calls for Japanese government to secure release of IS hostage News First 2015/01/30 に公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み
◎2015年再考(2)橋下ファシズム台頭の起源──TV×維新×虚言の愚劣な結託
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎《追悼》杉山卓男さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice』!話題の第6号!
『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン!

 

《脱法芸能47》吉松育美VS谷口元一裁判(7)角地山弁護士による反対尋問

吉松さんの反対尋問が続く。

◆まだ実際にはそういった脅迫等のようなことは行われていないんですね(角地山弁護士)

角地山宗行弁護士 甲17号証の5ページ上から2段落目ですね。テイラー(の発言として)「谷口が言っているのは、吉松を出したら、こういうの(スキャンダル)をマスコミに出すっていうわけ?」、松永(の発言で)「いや、そこまでは言ってないと思いますよ」という風に松永さんから先ほどあなたが発言したところによると、松永さんは谷口さんが国際文化協会に対して脅迫のようなことをしているとおっしゃっていますが、ここで松永さんは明確に否定しているんじゃないですか?

吉松育美 このあと、今、弁護士さんが拾った行の一番最後には「まだね」という表現をしていますし、また、他にも「今後、どのようなことが起こるか分からない」と(いう発言があります)、要は「この先、何が起きるか分からない」という恐怖、そして心配というのを、谷口さんが電話していることによって感じているわけです。ここではもちろん否定しています。というのは、私を目の前にしてそういうことを言えるわけがない。でも、国際文化協会としては「そこまでは言っていませんよ、まだね」という、今後、危険な行為が行われる可能性が高い、もしくは私が危険な行為になる、もしくは国際文化協会が運営するミス・インターナショナル大会に影響が出る恐れがあるというのを想定してこういう発言をしているんです。

角地山宗行弁護士 ですが、まだ実際にはそういった脅迫等のようなことは行われていないんですね。

日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

吉松育美 さっきも言いましたように……。

角地山宗行弁護士 いや、行われているか行われていないかを聞きたいんです。

吉松育美 「まだ」というのは……。

角地山宗行弁護士 もう、いいです。

角地山宗行弁護士 乙2号証3ページを示します。3ページの4段落目。「吉松さんの日本代表時点での発言に一部不誠実な対応があったことや(中略)自粛をしていただくことを決めました」という風に記載されています。ここで、あなたが国際文化協会に対して不誠実な対応をしたのではないですか?

吉松育美 ありません。

角地山宗行弁護士 あなたがとっていないと思ったとしても国際文化協会の方が不誠実な対応だと感じるようなことがあったんじゃないですか?

吉松育美 ありません。また、国際文化協会がそういうこ(不誠実な対応があった)と言うのであれば、その時点で私に注意が来るはずです。でも、今まで国際文化協会からは具体的に注意を受けたことはありません。

◆スキャンダルを探す目的というのはあなたの推測ではないですか?(角地山弁護士)

角地山宗行弁護士 次に行きます。あなたはあなたのスキャンダルを探す目的で谷口さんが探偵に調査を行なったと主張されていますね。甲33と34。これはあなたが提出した証拠ですね。あなたはこの証拠を西川先生が裁判所に提出したということをご存じですか? この証拠がテイラー氏に対する動産執行の資料として裁判所に提出されたことはご存じですか?

吉松育美 はい。

角地山宗行弁護士 甲33号証の調査対象には何と記載されていますか?

吉松育美 調査対象、氏名、マット・テイラー氏。

角地山宗行弁護士 次に調査事項のところには何と記載されていますか?

吉松育美 マット・テイラー氏の活動拠点確認。

角地山宗行弁護士 この行動調査報告書によると、調査対象はマット・テイラーとなっていまして、この資料が提出されたのは、動産執行の資料として提出されているんですけども、ということであれば、スキャンダルを探す目的というのはあなたの推測ではないですか?

吉松育美 先程も、おっしゃったように調査対象はあくまでマット・テイラーと書かれています。ですが、谷口さんは本当に純粋な気持ちでマット・テイラー氏だけの活動拠点を知りたいと思うのなら、この報告書の添付されている写真に私だけを写した写真を4枚も撮っています。それは写真の証拠を見ていただければ分かると思うのですが、写真のナンバー12、ナンバー11、そして、36、44番は、マット・テイラー氏だけではなく私だけをターゲットに写真の記録を残しています。また、この報告書の……。

角地山宗行弁護士 あ、もう結構です。

吉松育美 ……3ページ目を見ていただければ分かると思いますが、この探偵はマット・テイラー氏の隣にいる一女性(吉松育美と思われる人物がいる)と書かれています。つまり、その探偵は事前に谷口さんから吉松育美がいるという情報を……。

角地山宗行弁護士 もういいです。結構です。あなたはあなたのスキャンダルを探す目的で動産執行が行われたと主張していますね。

吉松育美 私のスキャンダルを探す目的で動産執行が行われたということではなく、探偵の方が私のスキャンダルを探す目的で……。

角地山宗行弁護士 ブログではそう書いてないですか?

吉松育美 ……。

角地山宗行弁護士 乙10号証(吉松育美オフィシャルブログ記事)を示します。あなたは動産執行について、下から3段落目、「しかし、テイラー氏との問題を理由にあげても不動産執行は法的にも不可能であることを知った彼は、次に動産執行という手を使って執行官に嘘を付き私の自宅を調べたのです」という風に記載されています。

吉松育美 これは事実だけを述べたものであって、決してこの一文が谷口さんが動産執行に動いたのは私のスキャンダル目的でという主張にはならないですね。これは事実をただ私が淡々と述べているだけです。

角地山宗行弁護士 ですが、この内容からすると、谷口さんはマット・テイラーだけでなく、あなたの自宅を調べるために動産執行を行なったように読めるんですけど。

吉松育美 それは読者によっては弁護士さんのようにそういう風な受け取り方をされる方もいるでしょうし、私のようにこれは淡々とまあ事実通り言っただけだと受け取る方もいるでしょうし。

◆被告の社会的評価を低下させようとしてストーカーと呼んだのですか?(角地山弁護士)

角地山宗行弁護士 次に、あなたは「ストーカーゼロ 被害者が守られる社会を」というキャンペーンを立ち上げています。では、ストーカー規制法についても結構、勉強されたのでしょうか?

吉松育美 はい、当時はしました。

角地山宗行弁護士 ストーカー規制法の対象が恋愛感情を充足する目的の行為に限定されることはご存じですか?

吉松育美 はい。警察には同じようなことを言われました。

角地山宗行弁護士 外国人記者クラブで記者会見をする前にあなたは被告がストーカーであるという被害届を警察に出しましたか?

吉松育美 はい、出しました。

角地山宗行弁護士 あなたは谷口氏があなたに対し恋愛感情を抱いていると思いましたか?

日本外国特派員協会での吉松育美さん記者会見(FCCJ公式チャンネル2013年12月16日公開)

吉松育美 それは谷口さん本人に聞いていただかないと。私が抱くことではないので、谷口さんに聞いてください。

角地山宗行弁護士 谷口さんはストーカー規制法のストーカーにあたりますか?

吉松育美 法律では分かりませんが……。

角地山宗行弁護士 そこまで。警察がこの件に関して捜査を開始しましたか?

吉松育美 受理してもらえませんでした。

角地山宗行弁護士 なぜ受理してもらえなかったのですか?

吉松育美 その当時は管轄が違うという別の理由をつけて受理できないと言われました。

角地山宗行弁護士 あなたと被告が恋愛関係にないのでストーカーにはならないというふうに説明されたのでは?

吉松育美 ストーカー規制法にはあたりません。法律にあたらないと言われました。

角地山宗行弁護士 あなたは記者会見で何回ぐらい被告のことをストーカーと呼びましたか?

吉松育美 覚えていません。

角地山宗行弁護士 覚えてないぐらい多数回言っているということですか? あなたは警察から被告がストーカーにあたらないと認識しながら、被告のことをストーカーと呼んだのですか?

吉松育美 ストーカー規制法には彼の行為は今の日本の法律ではあてはまりませんが、辞書でストーカー行為、ストーカーと見ると、それは他人が恐怖を感じるつきまといと出てきます。まさに彼のやった行為というのはストーカーにあてはまります。ただ、やった行為は今の日本の社会では法律にあてはまらないという弁護士さんと私の認識の違いがあるのかなと思います。

角地山宗行弁護士 警察から被告はストーカーにはあたらないと説明されながら、被告の社会的評価を低下させようとしてストーカーと呼んだのですか?

吉松育美 違います。私がこのようにやっているのは、谷口さん個人に対する怒り、もしくは憎しみからやっているのではありません。もしそのようにやっているのであれば仮処分の時点で私は谷口さんと和解をしています。でも、ここまで裁判所に来て闘っているのは、先程も言いましたように私のように、ストーカー規制法にあてはまらない、そして理不尽な理由で泣き寝入りをせざるを得ない多くの女性、被害者がたくさんいると知ったので私は発言をしたら声を聞いてくれる人たちがいる、その女性、被害者の思いを背負ってここまでやっているのです。(続く)

○吉松育美さん公式サイト=http://ikumiyoshimatsu.com
○吉松育美さんFacebook=https://www.facebook.com/yoshimatsuikumi?ref=hl
○吉松育美さんYouTube=http://www.youtube.com/user/yoshimatsuikumi

◎《脱法芸能41》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(1)
◎《脱法芸能42》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(2)
◎《脱法芸能43》「美の女王」吉松育美VSケイダッシュ谷口元一裁判(3)
◎《脱法芸能44》吉松育美VS谷口元一裁判(4)マット・テイラー氏とは何者か?
◎《脱法芸能45》吉松育美VS谷口元一裁判(5)『週刊新潮』記事と谷口氏の影響力
◎《脱法芸能46》吉松育美VS谷口元一裁判(6)角地山弁護士による反対尋問
◎《脱法芸能47》吉松育美VS谷口元一裁判(7)角地山弁護士による反対尋問

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす!『芸能人はなぜ干されるのか?』

鹿砦社大忘年会の宴!「前へ!前へ!」と走り続け、どんな議論も引き受ける!!

忘年会たけなわの季節だ。「いやいや1年間あれこれありましたが、ご苦労様でございました」と労い合うこの習慣、強制されるのでなければ私は嫌いではない。

実は鹿砦社も毎年関係者を集め忘年会を開いている。文字通りの「鹿砦社大忘年会」である。今年は12月14日東京、東京編集室近くの水道橋で行われ80余名が結集した。司会進行は例年通り『紙の爆弾』で鈴木邦男の対談をプロデュースしている椎野礼仁さん。松岡社長の挨拶、マッドアマノさんの乾杯の音頭で歓談が始まった。

2015年鹿砦社大忘年会「もっと前へ!前へ!」(揮毫=龍一郎さん)

『紙の爆弾』や『NO NUKES voice』への寄稿者や出版関連の社長さん、編集者、ライターらに交じって「プリズンコンサート」で有名なPaix2(ぺぺ)をはじめ、芸能関係者の姿も。敢えて名を秘すが「サプライズゲスト」の社会派お笑いコンビが登場するや、忘年会は一気にフィーバー! また、脱原発や救援活動など社会運動関係者の姿も多い。

◆『紙の爆弾』創刊10周年、「言論・出版弾圧」から復活10周年だった鹿砦社の2015年

Paix2(ペペ)のお二人からのご挨拶

しかしこの忘年会の特徴は、なんといっても鹿砦社が参加者を無料で招待することだ(今年もご馳走様でした、鹿砦社の皆さま)! こんな太っ腹で大丈夫なのだろうか、と参加者が気を遣っている様子が一向にないのがまた鹿砦社の招待客らしい(何を隠そう私自身もそうだけど)。鹿砦社が10年前の壊滅的打撃から回復の兆しが見えた頃から支援してくれた方々への1年に1度の恩返しの意味でこの「大忘年会は」始まったという。

今年は鹿砦社にとって、月刊『紙の爆弾』創刊10周年。まさに悪夢だった「言論・出版弾圧」から10周年の記念すべき年だった。東京と本社のある甲子園で各10周年の記念イベントが行われ、そこにも鹿砦社の再起を祝う多くの人びとが集まった。
名誉毀損での松岡社長逮捕・勾留という致命傷に近い「弾圧」を受けながら10年後にこの姿で復活どころか、弾圧前を超える勢いで走り続ける鹿砦社の姿を想像できた人は少なかっただろうし、それを実現した松岡社長や中川編集長をはじめとする鹿砦社の皆さんの奮闘は察して余りある。

◆雑誌の原点──様々な立場、意見の人びとを紹介し、議論を喚起する媒体

「前へ!前へ!」と走り続け、どんな議論も引き受ける!!

そんなメモリアルな年にふさわしいというべきか、「ちょっとした事件」が忘年会を前に起こっていた。脱原発雑誌『NO NUKES voice』第6号は「脱原発と反戦・反安保─世代を超えて」を特集したが、そこでは安保法制反対運動を担った方々の生の声に加えて松岡社長自身による8頁に及ぶ「解題 現代の学生運動──私の体験に照らして」が掲載された。「解題」を読んで私はこれは賛否両論の大きな議論に発展するに違いないと直感した。

その予感通り、「解題」を含め『NO NUKES voice』第6号は壮絶な大論議を巻き起こし、特にネット上では相当の議論が交錯した。「雑誌」は本来、様々な立場、意見の人びとを紹介し、議論を喚起するのが社会的に期待される役割だろう。その役割を果たせる雑誌が減少している証左を図らずも証明することとなったのが『NO NUKES voice』第6号が巻き起こした大論議である。初めて買った方が大いに共鳴し、30冊まとめて購入し、仲間に配布したという知らせもあったという。

発行元としては大いに歓迎すべき闊達な議論が沸き起こったのだけれども、かといって雑誌を世に出せば「はい、それでおしまいよ」というほど出版や社会運動の世界は優しい場所ではない。詳細は省くが、この間、友好関係にあった反原連(首都圏反原発連合)から突然の絶縁声明が出されたのだ。

『NO NUKES voice』第6号ではほとんど直接的な反原連批判がなされているわけでもなく、また松岡社長の反原連への入れ込みようは傍で見ていてもハラハラするほどで、資金支援も相当してきたそうだ。なのに……。この過程の中で「老害」「内政干渉」などと詰られ鹿砦社は多少なりとも傷を負ったことも事実ではある。しかし、そんなことは、かの「弾圧」の経験に比べればこれっぽっちのかすり傷ですらない。むしろ前を向かせてくれるエネルギーでしかないと私は思う。

「前を向く」、そして「走り続ける」。どんな議論でも引き受ける。厄介であっても結構。いやむしろ社会の欺瞞を暴き、誰もがそれに口を閉ざすのであれば、敢えて「火中の栗を拾う」のが鹿砦社の使命と言ったら言い過ぎか。「虎穴に入らざれば虎児を得ず」を実践し手に入れた貴重な「虎児」は脱原発だけにとどまらない大議論であり、今日の閉塞した言論状況への挑戦状ですらあったといえよう。

忘年会では長年脱原発に取り組む「たんぽぽ舎」の柳田真さん、またわざわざ仙台から駆けつけてくださった、同誌で連載されているFM放送のプロデューサー・納谷正基さんからのスピーチで前述の議論へのそれぞれの立場からの言及があった。不肖私もご指名を受けたので思うところを偽りなく述べた。皆が同じ意見、感想ではない。それでいいじゃないか。参加者には言論や社会運動における多様性の重要さを再度認識させられる、楽しくも考える場面もある貴重な時間となったのではないだろうか。

◆年に一度の大盤振る舞いの宴は怒涛の二次会へと!

松岡利康=鹿砦社社長

そうしたことなどを松岡社長に聞いてみた──。

「今年は昨年の2倍ほどの皆様にお集まりいただき嬉しかったですね。毎年これに合わせ頑張り、それなりの出費は見込んでいるのですが、今年は50万円余り掛かりました(苦笑)。年に一度の大盤振る舞いで、皆様方に喜んでいただき、また来年頑張っていただけるのであれば安いものです。田所さんも言われるように、今年は内憂外患、ちょっとシンドいことがなかったわけでもありませんが、10年前に逮捕され半年以上も勾留されて、10年前の今頃は神戸・六甲の山の上の”別荘”でのた打ち回っていたことを想起すると全然軽いものです。今年、情況を察して、こんなにお集まりいただいたんじゃないでしょうが、皆様方から叱咤激励賜り、私たちの気持ちを察していただいたことに感謝いたします」

しかし、反原連による絶縁声明については、「脱原発運動のために泥仕合はしたくないので今は敢えて何も語りません。ミサオさんらにも面子や意地があったのでしょうから、恨んだり憎んだりしてはいません」と語るのみだ。

それにしても多彩な業界からの80名の参集は並みでは味わえない「勢い」を感じさせられて余りある。

でもそれだけでは終わらないのが鹿砦社忘年会の恐ろしさだ。場所を四谷に移して、なんと2次会も希望者は無料でご招待! それだけじゃーないぞ。もう終わったから告白するけども、松岡社長の長年の”悪友”たる板坂剛氏が編集し上田治躬氏が撮影を担った「占」(うらな)≪嬢王様の時代≫の主人公である「占」さんが二次会には登場。松岡社長があの噂の「全裸タロット占い」のターゲットとなった。いいのか! 今時こんなことをしていて! 気の小さい私は万が一警察に踏み込まれたら……と気が気でなく会場の鍵を閉めてドアのノブを握り占めていた。

怖いものはないのか?と聞いてみたくなる図太さと怒涛の勢いを見せつけられた「鹿砦社大忘年会」であった。残念ながら読者の皆様へは事後報告しかできないが、来年もまた盛大な忘年会をご報告したい。
恐るべし、限界なしの鹿砦社である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み
◎2015年再考(2)橋下ファシズム台頭の起源──TV×維新×虚言の愚劣な結託
◎笑止千万「軽減税率」!議論すべきは消費税引き上げの「ぼったくり」税制だ!
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

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NEW JAPAN WARSⅡ──キック界随一のモテ男 、関根“gaia”朝之VS阿羅斗

キックボクシング界業界随一のモテ男が登場したのが、11月15日に後楽園ホールで行われた「NEW JAPAN WARSⅡ」(ニュージャパンキックボクシング連盟主催)だ。この日、登場するやいなや、女性ファンからの山のような紙テープが飛んできたのは、関根“gaia”朝之(OGUNI JIM)。4回戦に登場したNJKFフェザー級4位の関根は、同級1位の阿羅斗(E.S.G)を迎え撃つ。

「関根は、若いころに絶大な人気を集めた俳優、柴田恭兵似。甘くて渋いマスク で、急激に女性ファンを集めている。キック力も魅力だが、礼儀ただしいのも好感がもてますね」(格闘技ライター)

関根“gaia”朝之

両者の戦いは、お互いにパンチは出し合うものの、なかなかキックが出ない。
じ れったい展開に両陣営から「キック出せ、キックを」とリングサイドから激が飛ぶ。
「怖くない怖くない、蹴れ」
関根サイドからも声が飛ぶ。

2ラウンドに、関根は阿羅斗の右フックをよけきれず、鼻から血を流す苦戦だ。
女性 ファンから悲鳴と歓声が入り混じる。

「朝之さぁーん」「関根さん、ファイト」とラウンドが進むごとに、後楽園ホール に黄色い声援が満ちてくる。

試合巧者の阿羅斗は、長い脚を伸ばして的確にミドルを関根のボディにぶちこむ。関根が距離を詰めようとす ると、首相撲に持ち込むかクリンチで逃げられてしまう。阿羅斗はコツン、コツンとストレートを伸ばして関根の横頬を叩きつつも距離をとり、ローキックも確実に当ててポイントを稼いでいく。4ラウンドにてやや焦ったか、関根が大振りのフックをしたとき、カウンター気味に関根に入り、関根がぐらつくのが見えた。

関根VS阿羅斗(右)

「かなり接戦だが、距離がものをいった戦いだったね」(同)
惜しくも関根が判定負け。あらゆる観客の視線とマスコミの視線が喜ぶ阿羅斗を見つめた。

関根はリング上で観客に土下座したあと、観客席まで下りてきて丁寧に頭を下げてゆっくりと言った。
「応援してくださってありがとうございました。つぎも全力でがんばりますので、 応援のほうをよろしくお願いします」

この光景をファンのみならず、キックボクシングに興味がなくとも、たまたま誘 われてきていた客も多くの人が見ていた。
「好感がもてました。一気にファンになりましたよ」(OL)
「こんなに丁寧に選手が御礼を客席まで言いに来るなんて、感動した」(家事手伝い)

かくして、ぶっきらぼうでファンにあいさつすらもしない選手が増えてきた中で、 関根の礼儀正しさと、甘いマスクは多くの女性ファンをとりこむだろう。
まだウェルター級の王座決定戦も、WBCムエタイのインターナショナル王座決定戦もダブルで控えているのに、女性観客たちはとっとと関根の試合が終わると帰って行った。

「負けたとはいえ、関根のファンに対する姿勢は、学ぶものがある。彼を見習って キックの選手たちは謙虚になるべき。それが人気復興のカギとなるでしょう」(同)

果たして、関根はキックボクシングの救世主となるだろうか。その戦績とともに注目したい。

◎関根“gaia”朝之公式ブログ http://ameblo.jp/tomoyukisekine/

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎禁煙ファシズムに抗う劇場版「MOZU」の喫煙シーン
◎愛国的な韓国人や日本のネトウヨが卒倒しそうな韓国艦「テ・ジョヨン」の姿
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化
◎国勢調査の裏で跋扈する名簿屋ビジネス──芸能人の個人情報を高値で売買?

『NO NUKES voice』第6号!スクープ!武黒一郎=元東電フェローを直撃! 大注目の総力特集は「脱原発と反戦・反安保」!
唯一無二の特報記事を同時多発で怒涛のごとく!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』1月号!

 

ボクサー転向物語(2)キックボクシングからボクシングに転向した名選手たち

島三雄(目白=キック)は藤原敏男と並ぶ目白ジムの看板でしたが、長江国政(東洋パブリック→協同)とライバル的に全日本フェザー級王座を獲ったり獲られたりの後、1978年(昭和53年)にボクシングに転向しました。キックで100戦あまりの戦績でセンスあったものの、元々視力が弱く、長くは続けられませんでした。

1983.3.19 1.タイガー大久保vs丹代進

1983年(昭和58年)のキックが最も低迷した時期に活躍の場を求めてボクシング転向したのが、タイガー大久保(大久保貴史/目黒→北東京キング)。世間には情報が届きにくい時期のキックボクシングの画期的イベントの、前年に行われた1000万円争奪オープントーナメント52kg級に出場。勝者扱いを含む5戦を勝ち抜き優勝。その後、別ブロックの準決勝で去った松田利彦(士道館)にKOで敗れる波乱を起こすも、翌年、21歳でプロボクシング転向。ロイヤル川上ジムからデビューしましたが、キックで身についたアップライトスタイルからチェンジ出来ず大成はせず、単身アメリカへも渡りましたが、不利な条件が多く夢破れました。

2000.3.22.土屋ジョー

土屋ジョー(谷山→大橋)は1994年(平成6年)11月、21歳でデビューし、早くも1996年に全日本バンタム級王座奪取。数々のタイトルを獲得しつつ、2000年8月に大橋ジムからプロテストを受け、群を抜く経験値でプロテストは合格。伸び悩んだキックでの環境を変える転向でした。ボクシングでは4戦して2勝2敗。格闘技経験者の観戦によると、4戦目の敗戦は「アップライトスタイルで待ち構えているところにフットワークの速い相手にいきなり入られてストレートを打たれた感じで仰向けに倒れた」というキックスタイルでの癖は取れない感じのようでした。わずか1年あまりでボクシングを止め、キック復帰を果たし、2003年4月に再起戦を飾りました。

松田利彦(士道館)はキックで1978年(昭和53年)に18歳でデビュー。9連勝と活躍し、デビュー前からライバル視していたWKA世界フライ級チャンピオン.高橋宏(東金)に連勝を止められるも通算3戦して2勝1敗と差を離した後、一時的ボクシング転向という形でした。所属する士道館がIBF日本に加盟し、導かれるように1985年にボクシング転向、JBC管轄下ではない組織でしたが、1986年8月のデビュー戦で、IBF日本フライ級王座決定戦に出場、内田幹朗(大阪島田)をKOし王座奪取。1987年7月5日、韓国で崔漱煥の持つIBF世界ジュニアフライ級王座に挑戦するも4ラウンドKO負け。4戦目というキャリアの浅さが露呈されました。その後、キックに復帰し、第4代MA日本フライ級チャンピオンに就いています。キックとボクシング両方で日本チャンピオンになったという点では松田利彦が初、ただしIBF日本王座。JBC管轄下の日本王座とキックの日本チャンピオンになったという点では田中信一が初、ただし1996年以降のキック界はそれまでより一層乱立が進み、国内王座の価値も1995年以前とは違いました。

1983.2.5 松田利彦vs丹代進

最近の新しいところでは、2012年(平成24年)9月に元・NJKFフライ級チャンピオンの久保賢司(立川KBA→角海老宝石)のキックからボクシング転向がありました。23歳でB級プロテストに合格後、同年11月9日のデビュー戦で、同年4月、亀田興毅に挑戦したノルディ・マナカネ(インドネシア)に判定勝ちを収める話題を作りましたが、今年8月に判定負けし、8戦4勝(2KO)3敗1分の戦績を残し、戦前から語っていた引退を表明しています。

2007.5.13 久保賢司 デビュー第5戦目の頃

先週掲載の稲毛忠治選手は笹崎ジムからデビューし、6戦ほどやりましたが、視力が弱くライセンス更新ができなかった模様で、キックボクシング転向、千葉(=センバ)ジムからデビューしました。

ボクシングへの転向はプロライセンスを取得するところから始まり、B級またはC級スタートとなります。キックへの転向はプロモーター主体の団体によっては出世の早い場合もありますが、それぞれが新天地での一から再スタートとなり、限られた選手寿命の中で、大成するとは限らない危険な懸けに出る決心になると思われます。下手すれば回り道になり、再起の道も経たれる場合もあります。新人のうちに転向するケースは稲毛忠治(笹崎→千葉)のように開花する可能性がありますが、円熟期を迎えてからの転向は癖付いたスタイルや、“間合い”といった距離感の違いも修正は難しいのかもしれません。転向してよかったか悪かったかは、ファンや関係者が絶賛批判するより、本人に悔いが残らなければ良い人生経験になったのかもしれません。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎ボクサー転向物語(1)ボクシングからキックボクシングに転向した名選手たち
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語
◎大塚隼人が引退し、ムエタイ王者がリングに上がった11.15「Kick Insist 5」
◎キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル

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