師走に贈る〈超ド級〉衝撃本『カウンターと暴力の病理』12月8日発売!

 
12月8日発売『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』定価=本体1250円+税

11月16日大阪高裁でM君が野間易通を訴えた損害賠償請求訴訟の控訴審判決が言い渡され、双方の請求が棄却され判決が確定した。地裁判決により、M君が受け取る権利を得ていた賠償金は、野間が青林堂から受け取る予定だった債権を、M君弁護団が差し押さえるという電光石火のアクションで全額獲得。さすがにこの「本気度」には野間も驚いたようで、ツイッターに負け惜しみのようなことを書き込んでいたようだが、高裁における双方棄却により、M君の勝訴が確定した。

その後も野間はあれこれとM君にツイッターで絡んできて、挑発しているようである。であるのであれば仕方ない。取材班から野間を含め「M君リンチ事件」に直接、間接に関わったものたちに、「お歳暮」をお届けしよう。本年は対野間裁判のほかにも、事件当事者エル金、凡(いずれもツイッター名)、李信恵と現場に居合わせながら暴行を黙認し止めようとしなかった、伊藤大介、松本英一の5名を訴えた裁判が着々と進行し、いよいよ11日にはM君、エル金、凡、李信恵、伊藤大介の本人尋問が大阪地裁で行われる。

尋問の期日を意識したわけではなかったが、取材班から関係者一同、さらには一般の読者諸氏へ、丹精込めて編み上げた超ド級の衝撃をお届けしよう。熨斗(のし)には『カウンターと暴力の病理』と書いておいた。全国の書店やネット書店で12月8日発売だ。

◆『カウンターと暴力の病理』では絶対的な証拠を提示する

ここではごちゃごちゃとくどい説明はしない。だが『カウンターと暴力の病理』を紐解(ひもと)かれたら、いずれのお立場であれ、読者の大半が「腰を抜かす」であろうことを確信的に予告しておく。取材班はこれまで『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』の3冊を世に送り出してきた。各書は現在進行形の事件でもあるので、これまでの3冊は事件の本質を探りながらも続々と展開する新局面も取り込むことにより「中間報告」的な側面を持ちながら問題の“闇”を明らかにしようと努めた。

もちろん『カウンターと暴力の病理』の出版意図はその延長線上に位置する。だが、同時にこれまでの3冊を「叩きつけて」もいまだに「リンチはなかった」、「喧嘩はあったけど一方的な暴力じゃない」などと寝ぼけたことを言い続けている連中が依然残存している。

『カウンターと暴力の病理』で、取材班は絶対的な証拠を提示する。その内容は何か?「ある(あった)」ことを「ない(なかった)」というのはウソだ。いくら虚言を重ねても「M君リンチ事件」は「ある(あった)」ことをあらゆる読者に直接確認していただこうと思う。

◆「お歳暮」には『特別付録』を付けた

取材班は事件直後のM君の写真を見れば、一般的な感性を持っている人であれば顔をそむけたくなるか、「なんだ!この酷い怪我は!」と感じてもらえると考えていた。しかしその期待は甘かった。人間の感性の幅(厚顔無恥さ)は予想を超えていた。あの写真を見ても、まだM君をネットで、実社会で攻撃し続ける連中が後を絶たないことに、こちらが驚かされた。しかも上は国会議員、著名な知識人、大学教員、売り出し中の著名弁護士から下は「ネット荒らし」まで。「M君リンチ事件無かった派」は各層に相変わらず居座っている。

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

取材班は事実認定の議論は早晩決着をつけたい。よって「お歳暮」には『特別付録』を付けた。CDだ。勘の鋭い読者諸氏はもうお分かりだろう! そうだ! CDには「M君リンチ事件」の一部始終が収められている! 出版史上前例があるかどうかを多忙な取材班は調べていない。読者諸氏がCDを再生すれば「M君リンチ事件」」を追体験することになる! こんな衝撃はそうそうないだろう。

一般の読者諸氏には、まず本書を最終項まで読了していただいたうえでCDをお聞きになることをお勧めする(内容が極めて衝撃的なので、神経がデリケートな方はお聞きにならない方が良いかもしれない)。『カウンターと暴力の病理』はこれまで「M君リンチ事件」をご存知なかった方にも、事件当初からの出来事を振り返りながら、全体像とその問題点が理解いただけるよう構成されている。

そして、仮に『特別付録』のCDがなくとも『カウンターと暴力の病理』は充分衝撃に満ちた内容だ。おそらく常人では予想不可能な「新型爆弾」がいくつも詰め込んである。「新型爆弾」については順次お知らせしよう。ネットでの予約はもう始まっている。いかなるお立場の方(「M君リンチ事件」に全く無関心な方)にも、読了後の衝撃を取材班はお約束する。なお、第1弾、『ヘイトと暴力の連鎖』、第2弾『反差別と暴力の正体』、第3弾『人権と暴力の深層』までは各1万2000部だったが、今回の第4弾はCDを付けたこともあり、あえて3000部の限定販売にした。なので、残念ながら小さな書店の店頭には並ばないかもしれない。そのような場合には、アマゾンなどのネット書店、最寄りの本屋さんに注文されることをお勧めする。また、鹿砦社の注文カートでご予約いただければ確実だ。部数はわずか3000部だ。急ぎご予約を!(文中敬称略)

(鹿砦社特別取材班)

全国書店で12月8日発売開始『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

カウンターと暴力の病理
反差別、人権、そして大学院生リンチ事件

鹿砦社特別取材班=編著
A5判 総196ページ(本文192ページ+巻頭グラビア4ページ) 
[特別付録]リンチ(55分)の音声記録CD
定価:本体1250円+税 12月8日発売!

渾身の取材で世に問う!
「反差別」を謳い「人権」を守るとうそぶく「カウンター」による大学院生リンチ事件の<真実>と<裏側>を抉(えぐ)る!
1時間に及ぶ、おぞましいリンチの音声データが遂に明らかにされる! 
これでも「リンチはない」と強弁するのか!? 
リンチ事件、およびこの隠蔽に関わった者たちよ! 
潔く自らの非を認め真摯に反省せよ! 
この事件は、人間としてのありようを問う重大事なのだから――。

【内容】

私はなぜ「反差別」を謳う「カウンター」による「大学院生リンチ事件」の真相
究明に関わり、被害者M君を支援するのか

しばき隊リンチ事件の告発者! M君裁判の傍聴人にしてその仕掛け人!!
在特会&しばき隊ウォッチャーの手記

カウンター運動内で発生した「M君リンチ事件」の経過
続々と明らかになる衝撃の証拠! リンチの事実は歴然!

「M君リンチ事件」を引き起こした社会背景
精神科医・野田正彰さんに聞く

前田朗論文が提起した根源的な問題
「のりこえねっと」共同代表からの真っ当な指摘

リンチ事件に日和見主義的態度をとる鈴木邦男氏と義絶

われわれを裏切った〝浪花の歌うユダ〟趙博に気をつけろ!

「M君リンチ事件」加害者・李信恵被告による「鹿砦社はクソ」発言を糾すが、
誠意ある回答なく、やむなく提訴いたしました!

「M君リンチ事件」裁判の経過報告
10
鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性
11
大阪司法記者クラブ(と加盟社)、およびマスコミ人に問う!
報道人である前に人間であれ!
M君と鹿砦社の記者会見が五度も<排除>された!

全国書店で12月8日発売開始『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

私の内なるタイとムエタイ〈16〉タイで三日坊主Part.8 借金貧乏・出家の支度

1994年は例年にない暑い夏でした。昼間、エアコンの無いアパートに居ると、何もしなくてもジワーっと汗が出てきます。

「お前、どうせ仕事も無うて暇なんやろ !」 藤川さんが言った言葉が重く圧し掛かります。人生いちばん暇かと言えるほど、蒸し暑い部屋に居ること多い、確かに暇な時期でした。

やると言ったら後に引けない自分で言い出した出家への道。収入源が少ない中、生活は成り立っていたものの、最短でも3ヶ月留守にする資金は苦しいところ、いよいよ日時は迫り動き出さねばならない状況に切羽詰まっていきました。

◆資金調達

そんな状況の中、アパートを引き払う決断をし、これより13年前に上京した際、お世話になった近くにある母方お祖母ちゃんのアパートへ引っ越しさせて貰いました。

ここは三畳一間でトイレ共同の築40年以上の木造アパート。過去、引っ越す度に少しずつ広く綺麗になっていったのに、上京時に返ったボロアパート。木の窓枠は風が吹く度、ガラスがガタガタ震え、隙間風が入る幼いの頃の家のような古さ。三畳間には、上京後増えた荷物をギッシリ天井まで詰め、地震が来ても崩れないほどの密閉度。ここでは使わない冷蔵庫や洗濯機は暫く外に出させてもらい、何とかスペースを作って布団を敷き、手足を伸ばすことは困難ながら何とか眠れるスペース。

それはタイへ向かう1週間前に引っ越し、数日間は一緒にタイに行く友達のアパートに泊まり、タイ渡航へ備えました。まだ引っ越す前の六畳・三畳トイレ付き2Kのアパートは月43,000円。最大6ヶ月タイでの滞在可能性を考え、この家賃分を浮かせたことになります。

お祖母ちゃんにはタダで泊めて貰った上、旅費を少々借りる親の親不孝者。出家の話はせず、怪しい宗教が多い中では余計な心配は掛けられません。

藤川さんからの贈り物、『得度式次第』

更に横浜で住み込みで働いていたタイの友達2人に、これまた少々お金を借りる罪深いことを重ねてしまいました。

このタイ人たちは、私が以前、タイのルンピニースタジアムでの取材がスムーズに出来るよう手配してくれるなど、お世話になったことがあり、この内の一人は、ラオス国境の街、ノンカイから更に奥地に入った、ブンカーンという町にある実家へ連れていって貰ったことがある仲。「もし機会があったら俺がブンカーンまで行って家族に会って来るから」と約束。

と言うのも、このタイ人たちは、ビザ切れのまま不法就労し、早々に強制送還される訳にもいかない事情あっての横浜在住でした。このタイの友達にも出家の話はした上での借金。更に消費者金融アイフルにまで借りる始末。

何とだらしない旅立ちでしょう。方々に借金したことは誰にも言わず、「お金の無い奴は首の無いのと一緒や」と言っていた藤川さんにもまた煩いこと言われるのは間違いないので言っていません。後々考えれば、この頃には藤川さんは分かっていたのでしょうが……。

◆参考書

『得度式次第』の目次

藤川さんと手紙でやり取りしていた引っ越し前迄に「得度式次第」という本を送ってくれていて、「だいたいの流れだけ酌んでおけ」と言うもので、インドのパーリー語をローマ字表記され、日本語訳がありますが、これで得度式は万全といったものではなく、正に流れだけ酌んでおくだけ。

「経文は覚えなくてもいい」と言われてもある程度、言葉にするであろう経文を頭に入れる必要はあるものの、言うことは出来ても、相手の言うことが聞き取れない恐れがあり、成り行き任せで行くしかないと悟ったところでした。

これはバンコクの有名寺、ワット(寺)・パクナムで修行していたベテラン比丘の渋井修さんが藤川さんに授けた本で、それが私に回してくれたものでした。

藤川さんお勧めの本、『タイの僧院にて』

更に、藤川さんに勧められていた本が「タイの僧院にて」と言う青木保さんの著書で、早速本屋で購入して読むと、昭和40年代に、実際のタイでの出家体験記を書かれたもので、言葉ひとつひとつにその場の空気感が伝わってくる興味をそそる内容でした。

更にもうひとつ、出家に興味を導いていたもので、1989年(平成元年)4月末と5月頭に2週に渡りTBSで放映された新世界紀行の「アジア秘奥三国探検」がありました。放映当初から録画保存したものを何度も繰り返し再生して見るほど興味深い冒険で、剃髪と得度式の様子も映しだされた分りやすい内容でした。

この放送の趣旨は、この年から数えて93年前の明治29年(1896年)暮、僧侶に化けた岩本千綱、山本しん介の日本人二人が、タイのバンコクから舟でアユタヤに渡り、そこから歩いて東北部を北上、ラオスを通り、ベトナムのハノイまで約2000キロメートルを111日に及ぶ、密林大河横断の冒険旅行を、現代の若者二人が挑むという冒険の旅を追っていました。南洋諸国へ移民や経済進出を提唱する南進論が注目された明治20年代、全く事情の分かっていなかった空白地帯を、自らの目で見極めようと旅立った2人の日本人がそこで、不思議な遺跡や人々の暮らしを知ることになるのでした(名古屋章さんの番組ナレーションを引用)。

これも藤川さんのお勧め、”これ買うて読んで勉強しとけ”と言った『ブッダのことば』

「探検旅行のレポーター求む」という新聞広告を見た約2000人の応募の中から選ばれたのが、現代の若者、由井太さんと加山至さんでした。

明治の岩本千綱さんら2人は寺には行きましたが正式な得度はしておらず、ニセ坊主となって旅立ちましたが、現代では法律で罰せられます。そこで本物の比丘(僧侶)となる為、ワット・パクナムの渋井修さんを訪れ、正式に得度式を経て比丘となっています。

虎が出そうな山岳地帯を越え、ラオス国境のノンカイで還俗しましたが、その後もラオスへ渡ってゲリラが出そうな山岳地帯や地雷が残る道を越え、前例のない日本人によるラオスとベトナム間の陸地の国境越えを果たし、各地で93年前と変わらぬ昔のままの姿を見つめ、一部、車での移動や警備隊の同行はあるものの、無事ハノイに到着するドキュメンタリーでした。

これを見た私は「俺もやりたい」と思ったもので、藤川さんに「堀田さんも一度出家してみてください」と言われた直後から、この2人の冒険が頭を過って後押しとなった番組でした。出発前夜は狭い部屋で無理やりテレビとビデオデッキを繋ぎ、再度この番組を見て、仏門生活をやり遂げる決意をしていました。

◆仲間と旅立ち

日本を立ったのは10月15日、たまたまスケジュールが合ったタイで試合する友人であるキックボクサー・伊達秀騎(小国=当時)くんと京成上野駅改札で待ち合わせ、互いに目標を持って成田空港に向かいました。ここ数日間泊めてくれた仲間で、我々2人とも宿泊先は一緒で、以前からお世話になっているバンコクのゲオサムリットジムのアナン会長宅。

そこには同じ小国ジムの高津広行くんもタイでの試合を数戦出場の為、長期滞在中。彼らとはタイで何度も会っており、以前から出家の話は打ち明けられる仲でした。誰にも知られずにと言いながら自ら複数の友人には伝えている状況でしたが、俗人で7名までは止む得ないところ。

この3日後、伊達秀樹くんはノンカイで試合を控え、高津広行くんはこれより先に1試合終えており、私の得度式に参列する準備をしてくれて、更に翌月、試合を控えている身でした。

彼らも日本チャンピオン越え、ムエタイ最高峰を目指し辛い練習を続ける修行の日々。置かれた立場は違うも、修行に向かうのは緊張と不安が行き交う厳しいものと実感する頃でした。

そのノンカイの試合も我が身に気合いを入れる撮影レポートの仕事として、これを終えてから”得度式専門カメラマン”春原俊樹さんを迎え入れ、ペッブリー県の藤川さんが待つワット・タムケーウへ入門準備に掛かります。

借金貧乏旅行の私。この経験を期に今後の人生に役立てれば、”首の無い人間”にはならないだろう。借金返済と、また新たな広くて綺麗なグレード高い住宅物件目指し、本番迫る私でした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

CLIMAX 2017 日タイ超人対決、実現!

宮越慶二郎はローキックでけん制、更に上下の打ち分け狙って接近したいが、危険なヒジ打ちの気配を感じ、得意の距離が掴み難そう。テーパブットは9月の健太戦で日本人のリズムを掴んだか、第2ラウンドにテーパブットのすかさず放った左ヒジ打ちで眉間をカットされた宮越。傷口がパックリ開く状態から続行はされるも、2度のドクターチェック後、レフェリーストップとなる。

いつ止められてもおかしくない負傷を抱える状況の中、パンチでKO狙ってラッシュする宮越慶二郎
反撃及ばず、傷が悪化しレフェリーが止めた瞬間
ロープに詰めても逃がさない新人のパンチのラッシュが優っていく

伊藤紗弥はパンチが苦手と言うとおり、その手数は少ないが蹴りでは負けない足数と圧力で主導権を維持。ヒザ蹴りでヨーッジンが嫌そうな顔をする瞬間もあり、起死回生のバックハンドブローを放つヨーッジンだがクリーンヒットには至らず。元々ピン級(-45.359kg)のヨーッジンは46.1kgで計量をパスし、46.8kgの伊藤より軽めで、体格差で押された様子もありました。

6月に駿太が新人(=あらと)に僅差で判定勝利していますが、今回も駿太はロープ際に下がり、ムエタイ技(ヒジ・ヒザ中心)狙いか、そのシーンが多く、追う形の新人が好戦的に手数足数多く攻め、判定勝利で王座を獲得。これで日本を越え、世界を目指す段階へ行くか

駿太へ雪辱を果たすべく、積極的に蹴り続けた新人
新人もNJKFに続くWBCムエタイ日本王座を獲得し、更に上位を目指す

第1ラウンドに琢磨の右ストレート気味の攻勢で軽いダウンを喫した浅川でしたが、その後にポイントを巻き返す勢いは足りず、琢磨が判定勝利で王座獲得。

この日、いちばん圧倒して勝った印象が強いYETI達朗はパンチで真樹親太郎を圧倒。第1ラウンドから一気にたたみ掛け、3ノックダウンを奪ってノックアウト勝利。他団体同級チャンピオンを2戦連続で破った勢いは大きい。一旦NJKF王座を白神武央(拳之会)に奪われているが現在、白神が持つWBCムエタイ日本同級王座に、来年2月に雪辱戦となる挑戦が決定しているところで一層の弾みを付けた形。

このところ5連勝、力強さが増したYETI達朗のミドルキック
TETSUROが浅瀬石真司を圧倒していく中でのヒザ蹴りで突き放す
今年、NJKF王座に続き、WBCムエタイ日本王座も獲得した琢磨、右はトロフィーを持つ町田金子ジム会長

浅瀬石は第1ラウンドはローキックでペースを掴んでパンチに繋ぎ、このまま維持できればよかったが、第2ラウンドにヒジで左瞼を切られた後、不用意に右フックを貰ってダウン。主導権はTETSUROが握り、第3ラウンドにパンチで2度、第4ラウンドに1度のダウンを奪う圧倒の中、第5ラウンドも右ストレートでダウンを奪うとレフェリーが試合を止め、TETSUROが新チャンピオンとなる。

◎NJKF 2017.4th / 2017年11月26日(日)後楽園ホール17:00~
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆メインイベント 63.0kg契約 5回戦

WBCムエタイ・インターナショナル・ライト級チャンピオン.宮越慶二郎(拳粋会/62.9kg)
   VS
テーパブット・シット・オブン(元・BBTVスーパーフェザー級C/タイ/62.3kg)
勝者:テーパブット・シット・オブン / TKO 2R 1:56 / ヒジ打ちによる眉間の裂傷によるレフェリーストップ / 主審:竹村光一

◆WBCムエタイ女子世界ミニフライ級(47.627kg)王座決定戦 5回戦(2分制)

WMC女子世界ミニフライ級チャンピオン.伊藤紗弥(尚武会/46.8kg)
   VS
WPMF女子世界同級暫定チャンピオン.ヨーッジン・シット・ナムカブアン(タイ/46.1kg)
勝者:伊藤紗弥 / 判定3-0 / 主審:宮本和俊
副審:竹村49-47. 君塚50-46. 神谷50-46

◆第6代WBCムエタイ日本フェザー級王座決定戦 5回戦

1位.駿太(谷山/57.15kg)vs2位.新人(=あらと/E.S.G/56.8kg)
勝者:新人 / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:竹村48-49. 君塚47-49. 神谷47-49

◆第6代WBCムエタイ日本スーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.琢磨(東京町田金子/58.7kg)vs3位.浅川大立(ダイケン/58.85kg)
勝者:琢磨 / 判定2-0 / 主審:竹村光一
副審:中山49-47. 君塚47-47. 神谷48-46

激しい攻防の中、パンチの的確さが優った琢磨
両者懸命の打ち合いの中、二つ目のタイトル目指し、積極的に攻めた琢磨
北海道からやって来たTETSUROの王座獲得を祝福する左側の佐藤友則会長も未だ現役

◆70.0kg契約3回戦

NJKFスーパーウェルター級チャンピオン.YETI達朗(キング/69.7kg)
   VS
MA日本スーパーウェルター級チャンピオン.真樹親太郎(真樹・AICHI/69.9kg)
勝者:YETI達朗 / KO 1R 2:43 / 3ノックダウン
主審:宮本和俊

◆NJKFウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.浅瀬石真司(東京町田金子/66.35kg)
   VS
4位.TETSURO(GRABS/66.2kg)
勝者:TETSURO / TKO 5R 0:23 / レフェリーストップ
主審:君塚明

諦めない浅瀬石真司の反撃、パンチが交錯する両者
尚武会・今井勝義会長も伊藤紗弥と共に歩いて来た世界への道はまだ続く

◆65.0kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級1位.畠山隼人(E.S.G/64.3kg)
   VS
NJKFウェルター級3位.山崎遼太(OGUNI/65.0kg)
勝者:畠山隼人 /. 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:中山30-29. 竹村30-29. 宮本29-28

◆バンタム級3回戦

NJKFバンタム級7位.淳士(OGUNI/53.1 kg)
   VS
同級10位.古村匡平(立川KBA/53.1kg)
勝者:古村匡平 / KO 2R 2:01 / カウント中のタオル投入
主審:君塚明

◆フライ級3回戦

J-NETWORKスーパーフライ級9位.松岡宏宜(闘神塾/50.4kg)
   VS
NJKFフライ級6位.一航(新興ムエタイ/50.65kg)
勝者:一航 / TKO 2R 2:49 / カウント中のレフェリーストップ
主審:中山宏美

◆スーパーライト級3回戦

野津良太(E.S.G/63.3kg)vs木村弘志(OGUNI/63.25kg)
勝者:野津良太 / TKO 2R 2:16 / カウント中のレフェリーストップ
主審:神谷友和

蹴りの威力は伊藤紗弥が完全に優っていった
ラウンド進むごとに自信を増して攻め続けた伊藤紗弥

《取材戦記》

「CLIMAX 2017 日タイ超人対決、実現!」は今興行のタイトル。超人とは言い難いところ、テーパブットのヒジ打ちの脅威は見せ付けてくれたメインイベントでした。

伊藤紗弥はミニフライ級で、8月にWMCとこの日WBCムエタイの世界2団体を制し、残りはWPMFだけになりました。アトム級と言われる102ポンド(-46.266kg)は元々主要3団体世界王座には無い階級(ローカルタイトルは地域によって在り)なので、このミニフライ級が今後の適正階級となるでしょう。

二つ目の世界獲得、まだ18歳、日本女子のトップを行く笑顔が可愛い伊藤紗弥

ヨーッジン(Yord・Ying)は、ローマ字表記をそのまま読めば“ヨーディング”と呼んでも仕方ないところ、この選手を招聘した主催者がどう読むかで発表される表記になってしまう場合が多いでしょう。なるべくなら発音を聞いて英語表記を比べて見る方が正確になると思います。特にタイ人氏名は、なるべくならタイ語が読めると完璧。発音を聞かなくてもタイ文字だけで読めます。あとは日本語では末子音が無いと不自然な言葉になってしまうので、末子音を加えると“ヨードジング”となってしまいますが、これもタイ語的には正確とは言えない発音になってしまいますので、末子音を省いて“ヨーッジン”になります。このYはJ発音になる場合があるので、“ヨードイング”ではなく“ヨードジング”になります。“日本”をタイ語で“yiipun”と言いますが、“イープン”ではなく、“ジープン”と呼びます。タイ東北部やラオスに行くと“イープン”と呼びます。

この日のリングアナウンサー、コンタキンテ(今田景一)さんが“ヨージン”と呼びましたが、発音はともかく、正確なコールをするよう、ある専門家から教示があったと思われます。

WPMF世界ピン級暫定王座獲得時は“パヤックジン・シットモエサヤーム”になっていますが、リングネームなので、時折“ヨーッジン・シットナムカブアン”で出場もあるようです。

この日、他の興行でも全く別の国内タイトルマッチがあったと思いますが、それぞれが関係者と友人集めてやっているような興行で、来年以降、どう改善していくか、それぞれの団体が考えていかねばならない時代に突入していくでしょう。「KNOCK OUTイベントに世間の注目が集まるだけではいけない」と対抗策を考える既存の団体関係者も多いようです。

NJKFの年内最後の興行は12月3日(日)、岡山で拳之会主催興行が行なわれます。
2018年初回興行は、1月14日(日)誠至会興行が大阪市旭区民センターで行なわれ、2月25日(日)にはNJKF本興行が後楽園ホールで開催となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

しばき隊リベラルとネトウヨの相互ヘイトは〈階層〉が生んだ闘争なのか?

今まで記事の中で散々しばき隊関係者(有田芳生議員、中沢けい氏、北原みのり氏)を批判してきた。ただ、ここまでこきおろしてきた筆者も学生時代右派系のまとめサイトをかなり読んでいたので正直なところ人のことを言える立場ではない。その点自身が大幅に意見を変えているにもかかわらず、自身の「変節」に言及せずに今度は左の立場から彼らを批判し続けたことは不誠実であると感じた。深くお詫び申し上げたい。ただ、筆者自身右派系サイトを見ることはなくなったが、頭がよくなった気は全くしない。変わったことといえば、見ていたときより未来の選択肢が激減したぐらいである……

◆「ネットde真実」と揶揄された「国民が知らない反日の実態」

マックでポテトを食べながら「国民が知らない反日の実態」というサイトを通っていた大学のサークルの先輩から紹介されたことがある。民主党政権時代の頃だったミ批判、著名な保守思想家(エドマンド・バーク等)の紹介など内容は多岐に渡る。「国民が知らない反日の実態」は総計1千万を優に超えるアクセス数を誇るまとめサイトだ。今でも頻繁に更新している。安倍、麻生首相称賛から「反日」マスコ。相当膨大なコンテンツなので、全部見るのはよほど暇でない限り無理だと思われる。

筆者は暇な中流出身の学生(MARCHレベルの私大の出身)だったのでかなりの時間それを見るのに費すことができた。安倍と麻生は本当は凄かったのか(どちらも0年代に短期政権で終わっていたイメージが強かった)と興奮して見ていたのを覚えている。「ネットde真実」と揶揄されている姿そのものだ。ちなみに李信恵氏がチャンネル桜に出演しているのを見たこともある。

だから20~30代の若年層で自民党支持が多かったという調査結果を聞いても、個人的に全く違和感はない。特に大学生はアベノミクス効果で以前より大手企業への内定率が上がっているので歓迎する人が圧倒的に多いだろう。

渡瀬裕哉『トランプの黒幕』(祥伝社2017年)

◆「インテリンチ」という偏見

アメリカ共和党保守派とつながりがあり、トランプ当選を選挙前からデータに基づいて言い当てていた保守論客の渡瀬裕哉氏は「メディア関係者や学識者がクーラーの効いた執務室で民衆に対して行う言論的なハラスメント」を著書『トランプの黒幕』(祥伝社2017年)で「インテリンチ」と呼称している。渡瀬氏の持論や思想を全肯定はしないが、便利な用語だと思われる。

『トランプの黒幕』によるとトランプ支持の共和党支持者は民主党支持者よりも概してお金持ちであり、白人の大卒層に限っていえばヒラリー・クリントンよりもトランプに投票したのだという。そのことからトランプ支持者の「白人・低学歴・低所得・不満を抱えた男性ブルーカラー」という選挙前のリベラルなメディアが撒いたイメージは一面的で過剰なフレーム・アップであったと主張している。トランプに投票した人は思ったより「普通」もしくは「普通以上」の人たちだったのだ。

◆インテリ強者と愛国弱者

日本でも同様のことが言えると思う。在特会のメンバーを指して「非正規の労働者で、経済生活の不安定な人が多い」と安田浩一氏は以前指摘していた。しかし『日本型排外主義』という著書がある徳島大学の樋口直人准教授は、むしろ在特会参加者は大学卒業者が多く、雇用形態でも正社員が多いと指摘している。両者の取材対象にズレがあるという指摘もあるが、こちらも思ったより「普通」の人たちが在特会の活動に入っていたようだ。

五野井郁夫Twitterより

実際、2014年授業中に従軍慰安婦問題について扱った韓国映画「終わらない戦争」を上映した准教授にたいして、その内容を産経新聞に訴えるという事件があった。各方面に凄まじい萎縮効果を与えたが、これは広島大学という名門国立大学在学中の学生が起こした事件だった。

いわゆる「ネトウヨ」が社会的弱者であったほうが、リベラルな大手マスコミにとって彼らを自分たちとなんら関係のない異質な人たちとして切断することができて好都合だったのかもしれない。

◆遊離したリベラル・エリート

M君リンチ事件を見ても、しばき隊のメンバーやその周辺の支援者も大卒ないし社会的エリート(大学教授、ジャーナリスト、弁護士など)が相当数いる。いわゆる「ネトウヨ」に対する偏見をむき出しにしているものも少なくない。

安田浩一Twitterより

蔑視の対象はいわゆる「ネトウヨ」だけではない場合もある。ただ、しばき隊関係者ではない。個人的な体験になるが、某旧帝大の大学院を卒業し、いわゆる「アカヒ」(朝日新聞のこと)新聞に入社したインテリが入社前に「脱原発運動なんてクソ」と言っていたと同期入社の方がぼやいていた。意外に思われるかもしれないが、実際そういう人はいる。メディア自体正社員であれば給料の高いところが多いが、「アカヒ」新聞の給与やその他待遇は他のメディアを圧倒しており、自身の本来の政治的立ち位置は無視できるレベルのものだからだ。

リベラル・エリートが左右の運動家および一般市民にたいして蔑視感情を持ち続ける限り、潜在的な支持層が離れていく一方、自分たちと価値観や階層の近い成功した「リベラル保守」を求めて保守化を進めていくことになるだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

12月8日発売『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチの音声記録CD(55分)

マツダ社員寮殺人事件裁判──被害者にも加害者にもならない幸運を再認識

社会の耳目を集めるような殺人事件が起こるたび、インターネット上で被疑者に対する凄絶なバッシングが巻き起こるのが恒例だ。それはひとえに、世の中の多くの人たちは、自分が殺人事件の被害者になることは想像できても、加害者になることは想像できないからだろう。普通の人は通常、テレビや新聞を通してしか殺人事件の情報に接しないので、それも無理はないことだ。

だが、私はこれまで様々な殺人事件を取材してきて、自分や家族がいつ殺人事件の被害者になってもおかしくないと思うと同時に、自分がいつ殺人事件の加害者になってもおかしくないと思うようになった。生まれてから40数年に渡り、殺人事件の被害者にも加害者にもならずに生きてこられたのは、幸運なことではないかとさえ思う。

いま、広島地裁で行われているマツダ社員寮同僚殺人事件の上川傑被告(21)の裁判員裁判を傍聴し、そのことを再認識させられた。

◆相当な悪人物であるかのように叩かれた被告

事件は昨年(2016年)9月中旬、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの社員寮で起きた。寮内の非常階段の2階踊り場で、寮の7階で暮らす同社社員の菅野恭平さん(当時19)が頭から血を流し、倒れているのを同僚が発見。菅野さんはすでに死亡しており、広島県警は殺人の疑いで捜査を展開した。そしてほどなく検挙されたのが、同社社員の上川被告だった。

上川被告は菅野さんと同期入社で、やはり寮の7階で暮らしていた。逮捕当初の報道によると、事件当日、菅野さんを車に乗せ、寮の近くにあるコンビニや銀行、郵便局を回り、現金120万円を引き出させたうえ、寮に戻ってから消火器で殴るなどして殺害し、金を奪ったかのように伝えられていた。そして交際していた女性と事件後に宮島でデートしていたことが女性のSNSから判明したこともあり、インターネット上では相当な悪人物であるかのように叩かれていた。

そんな上川被告が強盗殺人の罪に問われた裁判員裁判は、11月14日から広島地裁で始まり、計4回の公判審理を経て同27日に結審。判決は12月6日に宣告される予定だが、検察側が主張した事件の構図はおおよそ事前に報道された通りの内容だった。一方、弁護側は、上川被告が菅野さんに暴行して死なせたことや金を盗んだことを認めつつ、殺意などを否定し、「強盗殺人罪は成立せず、傷害致死罪と窃盗罪が成立するにとどまる」と主張した。そのため、事実関係にはいくつもの争いがあった。

私はこの裁判の大半の審理を傍聴したが、判決の予想から書いておく。検察官の主張する強盗殺人罪はおそらく適用されないだろう。上川被告が強盗目的で犯行に及んだと考えるには、いくつもの疑問が存在するからだ。

事件があったマツダの社員寮

◆強盗殺人を否定するいくつかの疑問

疑問の第1は、上川被告と菅野さんは事件前、共に社員寮の7階で暮らしていたものの、ほとんど付き合いがなかったことである。事件前から2人の間に上下関係があったならともかく、菅野さんがある日突然、単なる同僚に過ぎない上川被告に現金120万円を引き出すことを命じられ、それに従うというのは不自然だ。

第2に、仮に上川被告が強盗目的で菅野さんを殺害するならば、寮に連れて帰ってから犯行に及ぶだろうか。そんなことをすれば、犯行が露呈するのが自明だ。上川被告が菅野さんを殺害して金を奪うなら、車でひと気のない場所に連れて行き、犯行に及ぶのが自然だろう。

第3に、上川被告は事件後、菅野さんから奪った多額の現金(上川被告の主張では、120万ではなく107万円)を自分の銀行口座に入金している。最初から強盗目的で菅野さんを殺害したなら、このようなアシがつくのが自明のことはしないだろう。

上川被告の主張によると、菅野さんを車に乗せ、コンビニや銀行、郵便局を回ったのは、事件当日、菅野さんから「お金をおろしたいんで、車を出してくれない?」と頼まれたからだったという。そして夜勤明けの眠い中、親しくもない菅野さんを車に乗せてコンビニや銀行、郵便局を回った。それにも関わらず、車の中に置いていた交際相手の写真を「上川くんならもっと彼女は可愛いかと思った」と言われて腹が立ち、寮に帰ってから暴行してしまったのだという。

これはあくまで上川被告の主張だが、客観的事実とよく整合していた。凶器の消火器もその場にあったものを使っており、その事実からも強盗の計画があったわけではないことが裏づけられていた。

上川被告の主張が仮にすべて事実だとしても、上川被告は消火器で暴行された菅野さんが倒れて動けなくなったあとでバッグの中の多額の現金を奪い、救急車も呼ばずに逃走しており、弁明の余地はない。上川被告の交際相手に関する菅野さんの発言が仮に事実だとしても、菅野さんに落ち度があったとは到底言えない。しかし、それでもやはり、検察官が主張するような強盗殺人罪の成立は難しいだろう。

先述したように上川被告は逮捕当初、相当な悪人物であるかのように叩かれていたが、法廷で本人を見た印象としては、坊主頭の真面目そうな若者だった。私の経験上、社会を騒がせた殺人事件の犯人と実際に会ってみると、どこにでもいそうな普通の人物であることがほとんどだが、上川被告もまたそうだったというわけだ。

実際のところ、上川被告は事件前にも同僚の車でコンビニに行った際、車内にあった5万円を盗んでおり、品行方正な人物だったとも言い難い。とはいえ、とくに暴力的な人間ではなかったという。公判中は常に苦渋の面持ちで、時折、涙を流していたが、本人も自分が人の生命を奪う事件を起こすなどとは、実際に事件を起こすまで夢にも思っていなかったろう。

私はそんな上川被告の様子を観察しながら、自分のこれまでの人生を振り返り、自分が何かの拍子に彼の立場になっていたとしても何らおかしくなかったように思えてならなかった。

上川被告の裁判が行われている広島地裁

◆殺意が否定されるかも微妙

一方、「傷害致死と窃盗」が成立するにとどまるという弁護側の主張が認められるかというと、それも難しいのではないかと私は予想している。

というのも、上川被告は消火器で菅野さんに暴行したことは認めつつ、「消火器で殴ったのではなく、消火器は手で持ったまま、床にうつ伏せで倒れた菅野さんの背中や後頭部に(重力に任せて)落としただけだった」と弁明し、弁護側はこの行為に殺意はなかったと主張している。しかし、仮に事実が上川被告の説明通りだとしても危険な行為であることに変わりはなく、裁判員たちも殺意の存在を否定しがたいだろう。

また、公判審理には菅野さんの両親が毎回、被害者参加制度を利用して出席していたが、論告求刑公判の際、両親が行った意見陳述は胸に迫るものだった。それもまた裁判官や裁判員の事実認定に影響を与える可能性は否めない。

菅野さんは子供の頃から車が好きで、とくにロータリーエンジンに強い興味を持っていたという。真面目な努力家で、高校卒業後にマツダに入社してからも上司や先輩に可愛がられていたという。母親はそんな菅野さんについて、「自慢の息子だった」「恭平の笑顔が好きだった」「恭平を返して欲しい」「恭平のいない人生は考えられない」などと泣きながら語った。

そして菅野さんの父親と母親が口をそろえたのは、上川被告に「死刑」を望むということだった。父親は「できれば被告人に消火器などで同じことをしてやりたい」と言い、母親も「同じ目に遭わせてやりたい。人の生命を奪っているのだから、生命で償ってもらいたい」と言った。我が子の生命を理不尽に奪われた両親としては、当然の感情だろう。

だが、検察官の求刑は無期懲役だった。つまり、検察官の主張通りに判決で事実関係が認定されても、死刑が宣告される可能性は無いに等しい。そして私の予想通りなら、強盗殺人罪は適用されないから、上川被告の量刑は有期刑になるだろう。

ひとくちに有期刑と言っても、殺意まで否定されて傷害致死罪と窃盗罪が適用されたら、おそらく量刑は懲役10年を上回ることはないだろう。菅野さんの両親の意見陳述を聞いた裁判官や裁判員たちがそのような選択をできるかというと私は疑問だ。

いずれにしろ、自分がいつ殺人事件の被害者や加害者になってもおかしくないし、そうならずに今日まで生きてこれたのは幸運だった。私にとって、そのことを再認識させられる事件だ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
鹿砦社新書創刊!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

京都大学立て看規制から見える社会の終焉

11月25日付けの朝日新聞によれば、京都市は京都大学に対して同大吉田キャンパスの立て看板が「京都市の景観を守る条例」に違反する旨の行政指導を行っているという。

11月25日付け朝日新聞

◆京大もいよいよ来るところまで来た

「京都市の景観を守る条例」を使うとは、また姑息な言い訳を探し出したものだ。「自由な学風」と言われた京都大学も「大学総右傾化」に漏れず、いよいよ学生自治の最終的破壊に取り掛かり始めた。

京大では昨年半日だけの「バリケードストライキ」が行われたが、それに関わった京大生は、まず無期停学になり、次いで「退学処分」になった。京大生、学外者を含めて、京大には氏名を明示して「京都大学敷地内への立ち入りを禁止の通告」と仰々しい貼り紙がある。この手の氏名まで特定しての「立ち入り禁止」のお触れは、明治大学で目にしたことがあるが、たった半日の「バリケードストライキ」で退学プラス敷地内立ち入り禁止処分を出すとは、京大もいよいよ来るところまで来たと言えよう。

現在の京大山極壽一総長は霊長類の研究者として知られており、総長就任の直前に元京大教授だった方にうかがったら「山極は本物のゴリラですわ」と好意的に評価されていた。どちらかといえば政治とはあまり縁がなく、純粋な研究者との印象が強かったようだ。

京大だけでなく、全国の大学で大学自治の喪失、「産学共同」の名のもとに大企業の学内侵入(あるいは招聘)はもう当たり前のように進行しているので、学生に「自治」や「権利」などと話をしてみても反応するのは100人に1人いるかいないか、というのが今日の状況だ。純粋な表情で無垢そうな体の細い若者たちは、全体におとなしく、声が小さく、選挙権を得ると自民党に投票する傾向がある。

そこにもってきて「京都市の景観を守る条例」を引き合いに出すとは、京大当局と京都市の連携がなに恥じることなく愚かな方向に邁進していることのあかしだ。京大当局の本音は「学生自治を完全に破壊しつくして、学外からの研究費獲得のためのより良い環境づくりを進めたい。そこで京都市さん、一肌脱いでもらえまへんやろうか」だ。京都市は「簡単なことどす。任しておくんなはれ」と「景観を守る条例」を引き合いに「京大はん、ちょっと立て看なんとなんとかなりまへんやろか?」と京都伝統のうち最も悪い部分を丸出しに「芝居」を打つ。

見え見えだ。京都に暫く住んでみれば行政と地域や市議会と企業などの関係で、京大―京都市で繰り広げられる「芝居」のようなことがしょっちゅう起こっていることは勘の鋭い人ならすぐにわかる。

◆IT化で進行する「本来の大学のありようの放棄」

京都は狭い盆地の中に多くの大学が集中し「大学のまち」と呼ばれることがあるほど学生が多い。近年観光旅行客の増加で影が薄くはなったが、京都市内の大学生人口比率は相当高く、学生が居ることを前提に成り立っている商売(主として賃貸マンション)も少なくない。一時は大学の郊外志向時代があり同志社大学や立命館大学などの私立大学は京都市外に広いキャンパスを求めたが、東京でも都心回帰が起こっているように、同志社は文系学部をすべて元の(今出川)キャンパスに戻したり、京都学園大学(名前は京都学園だが所在地は亀岡市だった)が念願の京都市入りを果たしたり市内への流入を目論む大学も少なくない。

それにしても大学の「景観」や美しさとは、立て看板一つない、貼り紙一つない、学生活動も低調で、入学したらすぐに「キャリア」という間違った英単語で指導される「就職活動に目が向けられる様子にあるのだろうか。新しく建てられた大学の教室にはLANケーブルの端子とコンセントが標準装備された机を目にする。当然パソコンの利用を前提としてのことだ。わたしにはあの設計が、「本来の大学のありようの放棄」に思えて仕方がない。講義中にパソコンを開かせる大学教員の神経がわからない。

講義中のパソコン使用は、工学や電子工学など一部の理系講義を除けば、わからない意味をインターネットで調べる「カンニング」の推奨であり、「考えること」、「調べること」を放棄させているのではないか。もっともパソコンを使わせなくても大教室でのマスプロ講義は昔から真剣な学問の対象とはなりえなかったけれども。そして「景観条例」は企業の宣伝を規制するために作られた条例ではなかったのか。

◆大学の主人公は「学生」から「カネ」へ

大学の主人公は「学生」であるはずだ。それがいつのころからか、学生の体だけは確かに学内にあるけれども、本質は「カネ」が主人公の位置を奪いとった。京大だけでなく、若者が手なずけられやすくなった時代を歓迎し、安堵している向きも経済界や与党を中心に多かろう。しかし、彼らは必ず高いツケを払わされる運命にある。いやこの社会全体が間もなくとてつもない負債の返済を迫られる。

未来があるはずの若者ならば、どんな状況であろうが「不満」や「不条理」を感じ取るのがヒト種の動物的な生理反応だ。そんなものに国境はない。若者が現状に安堵し、肯定し始めるのは、とりもなおさず社会の後退と終焉への思考なき暴走を意味するのではないか。それを期待し喜んでいる大学当局。例によって私の「考えすぎ」悪癖にすぎないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税
タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

《我が暴走10》マツダ工場暴走犯引寺利明が獄中手記で唯一絶賛した記者Sさん

「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)被害に遭い、恨んでいた」

そんな動機から2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場内で車を暴走させ、計12人を殺傷した同社の元期間工、引寺(ひきじ)利明(50)。当欄では、引寺が岡山刑務所で無期懲役刑に服する身となりながら、自分の罪を一切反省していないばかりか、マツダを侮辱する言動を繰り返していることをお伝えしてきた。

11月中旬、そんな引寺からまたしても当欄への掲載を希望する手記が私のもとに届いた。今回の手記を見ても、引寺の無反省な態度は相変わらずだが、殺人犯の実態を知る資料としての価値が認められる内容ではあった。そこで今回も当欄で紹介しよう。

◆警察もマスコミも徹底批判

〈今回の手記は、警察やマスコミへの批判や怒り、刑務所生活で思う事や感じた事などを、一方的に言わせてもらうでー。〉(〈〉内は引用。以下同じ)

そんな書き出しで始まる手記で、引寺が最初に言及したのは、あの広島県警広島中央署で起きた窃盗事件に関してだ。

〈まず広島県警の中央署で発生した窃盗事件に関してだが、事件発生当初は、警察庁長官が記者会見で「キッチリ捜査を尽くす」などとホザいていたが、事件発生から何ケ月も経った今においても、犯人はまだ逮捕されていない。こりゃあーどういう事やあーーー!!〉

同署が金庫に保管していた証拠品(詐欺事件の押収品)の現金8,572万円が盗まれたのは今年5月のこと。内部の犯行が確実視される中、いつまでも犯人が捕まらない事情について、引寺はこう推測する。

〈ワシが思うに、捜査をキッチリとすればするほど、現職の警察官が関与していた事実が浮き彫りになるけえー、いつまで経っても逮捕出来んのんじゃろーのー。犯人を逮捕したら公表せにゃーいけんけーのー〉

引寺から送られてきた便せん13枚の手記(1~2頁)

さらに引寺は警察のみならず、マスコミのこともこう批判する。

〈広島のマスコミもショボイよのー。もっとガンガン突っ込んだ取材せーや。本来なら、例え取材対象が警察や検察だろうが、スポンサーがらみの大企業だろうが、取材でつかんだ事実については、取材対象にとって都合の悪い内容だとしても、キッチリと世間に報道するのが、アンタらマスコミの仕事じゃろーが。それがジャーナリズムじゃないんかい。つまらん事やっとるけえー、世間からマスゴミゆーて叩かれて、笑われるんじゃろーが。わかっとんかあーーーーー!!(怒)〉

引寺は、広島のマスコミが警察に遠慮し、同署の窃盗事件で犯人が捕まらない事情を十分に追及できていないと思っているらしい。

◆「広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢をそのまま喰え!!」

このように警察とマスコミへの批判の言葉を並べ立てた引寺だが、一方で、ある記者のことを絶賛している。

〈ワシの手元には、日本テレビの記者であるSさんが書いた「殺人犯はそこにいる」という本がある。これまでにもう20回ぐらい読み返しているが、読む度に、真実を隠蔽してでも組織の対面を守ろうとする腐りきった警察や検察に対する怒りがこみ上げてくる〉

〈現場取材においては、「小さな声を聞け」というスタンスで取材しているSさんだからこそ、多数の捜査員を投入し、捜査権を振りかざして捜査している警察ですら、気付かずに見のがしてしまうような事件の影に埋もれていた事実をつかむ事が出来るんじゃろーのーー。広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢でも煎じて、いや、爪の垢をそのまま喰え!!そうすりゃーーーもうちーたーージャーナリズムを肝に命じた取材や報道が出来るようになるじゃろーて(笑)。〉

同上(3~4頁)
同上(5~6頁)

引寺がこのように絶賛する日本テレビの記者・Sさんの著書『殺人犯はそこにいる』は、警察やマスコミはアテにならないということが書かれた本だ。引寺は、自分がマツダの社員たちから集団ストーカー行為をされていた事実について、警察やマスコミに隠ぺいされたと考えているため、同書に感銘を受けたのだと思われる。

現時点で私のもとに届いている引寺の手記は、便せん13枚という分量だが、引寺は現在も獄中で続きを執筆中のようだ。ここには、現時点で届いている便せん13枚の手記を転載する形で紹介する。引寺から今後届く手記についても、公表する価値があると思えれば、適時、公表していきたい。

同上(7~8頁)
同上(9~10頁)
同上(11~12頁)
同上(13頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

「本書は私たちにとっての『遺言』、あるいは〈政治的遺言〉と言っても過言ではありません。そのつもりで、いつかは若い時の自らの行動や経験をまとめようと思い長年かけて書き綴ってきました」

2017年11月1日、『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』(編著者・松岡利康さん、垣沼真一さん)が鹿砦社より発刊。それにともない20日、出版記念懇親会が、100名超を集めた関西(11月12日。これは本書の底流となっている松岡さんの先輩の児童文学作家・芝田勝茂さんの講演会〔同志社大学学友会倶楽部主催〕ですが、これに間に合わせるために本書が刊行されたそうです)に続き、東京でも30名ほどを集めて開催された。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、本書について冒頭のように説明している。

「全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという〈革命的敗北主義〉」

巻頭では、ニューヨーク州立大学教授で元同志社大学学友会委員長・矢谷暢一郎さんによる特別寄稿が掲載されており、そこには「読みながら時々息詰まって先に進めないのは、レジスタンスのパリで生き残ったジャン・タルジューに似て、生き残った作者自身の悔恨と苦悩に満ちた〈遺書〉を後に続く世代に残すために書かなければならなかった作業を、現在形で読むことから来ている」と記されている。

集会の終盤で議論に応じる松岡利康さん。「僕はほとんどノンセクト暮らし。しかも僕らの頃は、赤軍色は薄れていた」

1972年生まれで、超氷河期・団塊ジュニア・第2次ベビーブーム世代などと呼ばれるところの私は、周囲の同世代や女性による60・70年安保(闘争)世代に対する批判的な声を耳にし続けてきた。だが、個人的には広くおつきあいさせていただくなか、彼らは一定の「役割」を果たしたが、権力によって意図的に追いつめられたと考えている。そして、彼らに惹かれながら、彼らの「自由を求める精神・思想・方法論」などのよいところを自分こそが引き継ぎたいと願っているのだ。また、そのような視点で、彼ら世代が手がける書籍を読んでもきた。

『遙かなる一九七〇年代─京都──学生運動解体期の物語と記憶』は、松岡さんや矢谷さんが語るように、当時の行動・経験・悔恨・苦悩が〈遺言〉として、ある種赤裸々に、率直に記されている。個人的には、事実や知識を得ていくことにもちろん関心はあり、意外なつながりを発見するなどして喜びを感じたりもするが、それ以上に「真実」、そこにいたったり振り返ったりした時の感覚・思考などに関心があるのだ。それは、自分に活動家だという意識があり、現在の運動の苦しさを打破する鍵を探しているからかもしれない。本書を読了し、それらが多く書かれていると思った私は、ぜひ、本書を50代以下や女性たちにも読んでほしいと願う。同世代、特に関西にいた人にとって、より興味深いものであろうことはいうまでもない。本書をもとに議論や振り返りが盛り上がるとさらによいだろう。

たとえば松岡さんは、比較思想史家・早稲田大学教授で元叛旗派の高橋順一さんいわく「奇妙な情熱」でもって、第3章「われわれの内なる〈一九七〇年代〉」で、「私たちの共通の想いは、闘わずして腐臭を放つより、最後の最後まで闘い抜いて解体しよう、ということだった。これは、私たちが最先頭で闘い抜くことで、仮に敗北することはあったにしても、全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという、まさに〈革命的敗北主義〉であった。特に、70年入学という、いわば“遅れてきた青年”であった私(たち)の世代は、68-69年を超える戦闘性を合言葉にした」と当時を振り返る。

さらに、「全学闘の後々の『変質』があったのであれば、それは突然に起きたのではなく、表面化はしなかったにせよ、私たちの世代、さらに69年の創成当時にまで遡って根があると思う」と反省の意を綴った。そして、なかにし礼さん作詞、加藤登紀子さん作曲『わが人生に悔いなし』より、「親にもらった体一つで 戦い続けた気持ちよさ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない」と記す。私の心には、〈革命的敗北主義〉の苦悩が届きつつも、羨望のさざ波が立つ。そのようなある種の爽快感を、現在の運動でもつことの困難を考えてしまう。

ちなみに、第4章「七〇年代初頭の京大学生運動──出来事と解釈 熊野寮に抱かれて」に、垣沼さんは、当時の背景として「民青はオルグする際は言葉としては近いうち革命でプロレタリア独裁を実現すると言っていたころだ」、「三派全学連から数年の実力闘争はかなりの国民から支持されていた。愛されていたと言ってもよい」と書いている。また、大学の生協の仕組みなども活動家の学生に対して「強力的」だった。改めて、時の流れを感じざるをえない。ただし、3章には、10年後の世代A君のメール文や、「最早、(75年前後の)大衆は70年代前半の大衆ではありませんでした」というメールも引用されており、これも興味深い。4章にも、京大総長岡本も「『ノンポリ』教養部生の発言には明らかに動揺している」などの記述もある。本当に、時代が変わる時だったのだろう。

また松岡さんは、寮母の砂野文枝さんに触れ、彼女の背景に戦時下の記憶をみる。このように、それぞれの時代を生きた人同士がつながり合い、何かが受け継がれていくのだろうと思う。

「真に闘ったかどうかということは、自分自身が一番よく知っている」

集会で革命に関する考え方と現在への影響などについて語る、評論家で叛旗派互助会の活動に継続的に参加している神津陽さん
Kさんが神奈川県に対して人事委裁決の取消しと損害賠償とを求めた行政訴訟事件の裁判の勝訴について報告する岡田寿彦さん
30年近くにわたる、たんぽぽ舎の反原発運動について説明し、「向こうも再稼働を思うようにできていない」と語る、柳田真さん

いっぽう、よど号メンバー、リッダ闘争関係者、連合赤軍関係者の特に現在については、個人的には松岡さんとも垣沼さんとも一部異なった印象・評価をもっている。万が一、よろしければ、ぜひ、直接交流してみていただきたい。事実を理解しないとの批判を受けるかもしれないが、自分なりの把握の仕方はある。この「過激な」活動の背景には、運動の歴史はあるものの、どう捉えるか、どこに線を引くかという考え方などに時代や個人によっての差が生まれるとは思う。いずれにせよ私は、自分への教訓としても、総括し、今日と明日とに生かしたいと考え行動する人々を信じる。その意味では、松岡さんも垣沼さんも立派な姿勢を示されたと思う。

さて、この運動衰退期を考える時、内ゲバのことを避けては通れない。松岡さんも垣沼さんも、これに真摯に向き合っている。ただし松岡さんは当時を全体的に振り返り、「闘うべき時に、真に闘ったかどうかということは、知る人は知っているだろうし、なによりも自分自身が一番よく知っているから、それでいいではないか、と最近思うようになってフッ切れた」という。

もちろん、連赤でもよくいわれることだが、運動や闘争にも実際には日常があり、そこには笑顔だってあった。本書にも、ほっとするようなエピソード、思わず笑ってしまうような「小咄(?)」なども盛りこまれている。また、松岡さんの「情念」を代弁するかのごとく、橋田淳さんの作品『夕日の部隊──しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま』が第2章として掲載されてもいる。さらに、垣沼さんは、三里塚で、「農家のおっかさんが我々が逃げていくとあっち行け、こっち来いと声をかけてくれるので皆目土地勘がないけれども何とか動けた」、留置所で「やくざの人から暇つぶしの遊びを教えてもらった」などとも記す。「納豆を食う会」などの、ある種バカバカしい運動も、もちろん批判的にではあるが取り上げている。私は晩年の川上徹さん(同時代社代表・編集者、元全日本学生自治会総連合中央執行委員長・元日本民主青年同盟中央常任委員)ともお付き合いをさせていただき、彼からは「人間とはいかなる存在かを書く」ということを学び、それを受け継ぐこととした。これらも含めて本書には、余すところなく、それがある。

『遙かなる一九七〇年代─京都』を読んで、ともに再び起ち上がろう!

他方、第4章に、垣沼さんは、当時が目に浮かぶような詳細な記録を残している。彼は、このもとになるような膨大なメモを記してきたのだろうか。自身の背景なども書かれており、90年代に学生だった私にも、親近感が湧く。

内ゲバの詳細を綴った個所は圧巻だ。たとえば、75年マル青同の岡山大学での事件においては、「『殺せ、殺せ』と叫びながら乱闘して、多くの人が負傷して、ゆっくりと動く車で轢死させている」とか、気絶するまで殴打する様子が描かれている。このような具体的な状況を知る機会は限られるだろう。しかし、これが殺人や連赤まで結びつくのは簡単なものだろうと思わざるをえない。

4章では特に、垣沼さんを支えてきた言葉が、現在のアクティビストである私たちへの「お告げ」となるかのように、綴られてもいる。たとえば、小説家で中国文学者・高橋和巳の『エコノミスト』(毎日新聞出版)連載より、「人民の代理者である党派は人民に対してだけは常に自らを開示し続けるべき義務をもつ。だから、どのような内部矛盾にもせよ、それを処理する場に、たった一人でもよいから、『大衆』を参加させておかなければならないはずなのである」という言葉を、高橋氏の体験に関する文章とともに引用している。また、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』7章より、「自由は、つねに、思想を異にするものの自由である」も記す。これはたしかに、デモのプラカードに用いたい。さらに、連赤総括で中上健次が「大衆の知恵と才覚」と語ったものこそが武器になるという。

私も、現在の運動については、過去のこと以上に批判的に考える。組織はほとんどが腐り、小さくても権力を握った人はそれを手放そうとせず、運動よりも自己実現・自己満足が優先されている。そして、そこでは議論などなされず、すでに一部の「小さな権力者」によって決められたものに、多くが従わされるだけだ。そのような場に幾度も居合わせては嫌気がさし、私は距離をおいてばかりいる。仲間や友人・知人にも、そのような人は多い。ただし、4章で垣沼さんが触れられているようなエコロジーに関する問題に携わる活動家も多く、もちろんよい運動だってあるし、試行錯誤を重ねている組織も個人も存在する。しかし、打破できぬ苦しさの中、希望も展望もみえず、たとえば私の所属する団体では「100年後」を考えることで現在の運動をどうにか継続することを試みるなどもしているのが現状だ。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、「当時の私たちの想いは『革命的敗北主義』で、たとえ今は孤立してでもたった一人になっても闘いを貫徹する、そしてこれは、一時的に敗北しても、必ず少なからず心ある大衆を捉え、この中から後に続く者が出る──私たちの敗北は『一時的』ではありませんでしたが、このように後の世代に多少なりとも影響を与え意義のあるものだったと考えています。〈敗北における勝利〉と私なりに総括しています」とも綴る。

現在のアクティビストが、本書を手に取ることで何かを得て、再び立ち上がる。またくじけても、何度でも立ち上がる。そのようにつながっていくために私はできることをするし、そのようになっていくことを願っているのだ。まずはぜひ、ご一読ください。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』『デジタル鹿砦社通信』ほかに寄稿・執筆。『紙の爆弾』12月号に「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」寄稿

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

KICK Insist7 強かった石川直樹は世界まで勝ちあがれるか!

幸太vs 石川直樹。石川の猛攻でスタミナ、バランス失い崩れる幸太
離れても組んでもヒザ蹴りで圧倒した石川直樹

5月14日のノンタイトル戦で幸太のパンチで苦戦し、調子付かせてしまった石川直樹は、今度は首相撲からヒザ蹴り地獄でねじ伏せる圧勝。

第1ラウンドは幸太のパンチが優勢。このまま引きずれば幸太のリズムで勝利を導きそうな中、第3ラウンドから石川は戦法を変え、得意の首相撲からヒザ蹴りにもっていくと流れが大きく変わり石川が優位に立つ。第4ラウンドはそのピッチを上げ、ヒザ蹴りの猛攻で2度のダウンを奪って圧倒のノックアウト。首を掴まれてのヒザ蹴りに為す術が無かった幸太はランキング戦から出直しとなる。

瀧澤博人は王座陥落後、この日の再起2戦目は引分けるも、技を酷使した好ファイトを展開。初回から長身を利した左ジャブと前蹴りけん制し、距離が縮まっても突き上げるようなヒザ蹴りを背の低いウィラポンレックの顔面を狙う。パンチ中心に多彩な蹴りとスピードを持つウィラポンレックとの距離の掴み合いでクリーンヒットは少ないが技の攻防が随所で観られた試合。

NJKFからやって来たNAOKIは7月2日にNJKFライト級王座奪取したばかりで、過去、梅野源治と引分けているヨーペットと対戦も攻略できず完敗。技の柔軟さ、蹴るタイミング、組めばヨーペットのバランスの良さでヒザ蹴りへの繋ぎも速いヨーペットが優りました。

◎KICK Insist.7 / 2017年11月19日ディファ有明15:30~20:05
主催:ビクトリージム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆メインイベント 日本フライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.石川直樹(治政館/50.6kg)vs 挑戦者1位.幸太(ビクトリー/50.8kg)
勝者:石川直樹 / KO 4R 2:28 / 10カウント / 主審:仲俊光

石川直樹初防衛。治政館ジム長江国政会長(左)と新日本キック伊原信一代表に囲まれての勝利のショット

◆56.0kg契約3回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/56.0kg)
   vs
ウィラポンレック・ギャットゴーンプン(元・タイ北部フライフ級C/タイ/54.8kg)
引分け / 0-1 / 主審:椎名利一
副審:桜井29-30. 仲29-29. 宮沢29-29

瀧澤博人vsウィラポンレック。至近距離からのヒザ蹴りが上手かった瀧澤博人、技が冴える試合が続く
引分けながらツーショットに収まるウィラポンレックと瀧澤博人

◆62.5kg契約3回戦

NJKFライト級チャンピオン.NAOKI(立川KBA/62.5kg)
   vs
ヨーペット・JSK(タイ/62.0kg)
勝者:ヨーペット・JSK / 判定0-3 / 主審:和田良覚
副審:椎名27-30. 仲29-30. 宮沢27-30

NAOKIvsヨーペット。ヨーペットのバランスいいハイキック

◆63.0kg契約3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/63.0kg)
   vs
夢センチャイジム(センチャイ/62.8kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定2-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 仲30-29. 和田30-29

永澤サムエル聖光が僅差ながら夢センチャイジムに勝利

◆68.5kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.2kg)
   vs
ピラポン・ギャットアノン(タイ/67.0kg)
勝者:政斗 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名30-29. 桜井29-28. 仲30-29

政斗がピラポンに判定勝利

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.1kg)
   vs
J-NETWORKミドル級10位.小原俊之(キングムエ/72.2kg)
勝者:小原俊之 / TKO 3R 2:51 / ハイキック / 主審:和田良覚

小原俊之が今野顕彰をハイキックで倒しTKO勝利
NJKFからやって来た村中克至、ハイキックでダウン奪って直闘に判定勝利
馬渡亮太がベテランの阿部泰彦に僅差の判定勝利

◆61.5kg契約3回戦

日本ライト級2位.直闘(治政館/61.35kg)
   vs
NJKFライト級2位.村中克至(ブリザード/61.0kg)
勝者:村中克至 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:仲28-29. 宮沢28-29. 和田28-29

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.阿部泰彦(JMN/54.8kg)
   vs
日本バンタム級4位.馬渡亮太(治政館/54.8kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定0-2 / 主審:椎名利一
副審:仲29-30. 和田29-30. 桜井29-29

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級7位.櫓木淳平(ビクトリー/56.8kg)
   vs
角チョンボン(CRAZY WOLF/56.3kg)
勝者:角チョンボン / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-29. 和田29-30. 桜井29-30

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.6kg)
   vs
高橋茂章(KIX/54.8 kg)
勝者:田中亮平 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:和田30-28. 宮沢30-28. 桜井30-28

角チョンボン、判定勝利(左)。田中亮平、判定勝利(右)

◆フェザー級3回戦

金子大樹(ビクトリー/57.0kg)vs 渡辺航巳(JMN/57.0kg)
勝者:渡辺航巳 / TKO 2R終了 / 金子の負傷による棄権
主審:椎名利一

◆フライ級3回戦

細田昇吾(ビクトリー/50.6kg)vs 平野翼(烈拳會/50.1kg)
勝者:細田昇吾 / TKO 2R 2:20 / 主審:仲俊光

渡辺航巳、TKO勝利(左)。細田昇吾、TKO勝利(右)

◆ミドル級2回戦

徳王(伊原/72.4kg)vs 都築頼秋(ダイケンスリーツリー/71.6kg)
勝者:都築頼秋 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

◆61.5kg契約2回戦

林瑞紀(治政館/61.5kg)vs 梅木裕介(トーエル/61.1kg)
勝者:林瑞紀 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

◆70.0kg契約2回戦

高橋デミアン(伊原/69.8kg)vs RYOTA(トーエル/69.9 kg)
引分け 0-1 (19-20. 19-19. 19-19)

《取材戦記》

最終試合の石川直樹の首相撲からガッチリ固めてのヒザ蹴り猛攻は、“ヒザ蹴り地獄”と言えるものでした。昨年10月23日、泰史をTKOに破り日本フライ級チャンピオンになった後、今年1月11日、ブンピタックにムエタイ技の壁に阻まれ完敗。5月14日には幸太と引分け、今回は真価を問われる初防衛戦を、メインイベントを飾るに相応しい圧倒のノックアウトとなって株を上げた石川直樹、まだ初防衛したばかりで、遠慮がちなマイクアピールの中、「防衛を重ねて世界を目指したい」と語りました。目指す“世界”もいろいろある訳で、険しい道となろうとも群集が認める最高峰を目指していって欲しいものです。

新日本キックボクシング協会にとっては最後のディファ有明となった今回の興行。老朽化もあるようですが、東京オリンピックの拡張工事に備え、来年6月末で閉鎖が決定しています。最終興行が何であるか分かりませんが、格闘技興行でなくても最後のイベントでディファ有明の最後を見届けたいものです。

リング上の勝者のクローズアップ撮影は主に、次回興行のポスター、パンフレットの対戦カード、各媒体での対戦者同士の並び写真等に使用する目的で撮られるもので、また単に勝者がデータ上で分かるように撮る場合もあるでしょう。せっかくファイティングポーズを撮ったのに、使わないのも勿体無いので選手の存在を活かし、勝者ポーズを載せられる範囲で用意してみました。微力ながら顔が売れてくれればと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

「人民新聞」編集長の即時保釈を求め、「人民新聞」弾圧を断固糾弾する!

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

11月21日大阪を本拠地とする「人民新聞」(1968年創刊、1976年「人民新聞」に名称変更)の編集長が逮捕された。「人民新聞」は本拠地を茨木市に移し、順調に新体制のスタートを切った矢先だった。編集長逮捕の経緯について、同社社員の園良太氏に電話でうかがった。

──── 今回の弾圧について状況を教えてください。

園  21日事務所に来たときは私とは別の人が先に来ていて警察に鍵を開けさせられて、その後に私が来ました。「職員なんだから中に入れろ」と警察とやりあっていましたが、「立ち合いは一人しか認めない」と警察は取り合わなかった。「何の根拠もないだろう」と抗議しましたが、ブロックされ続けました。一方中にいる人は電話も使えないし、外に連絡もできない。撮影や録音もできない状況に追い込まれました。ようやく中から外へ出てきたときに、その人もいろいろ連絡を取る必要があり、警察と交渉して立会い人を僕に交代させました(それから社の中に入りました)。

警察からは、撮影録音を禁じられ「それをやるなら追い出すぞ」と脅され「軟禁状態」におかれました(これまでの経験では家宅捜索の際写真撮影などはしていました)。警察はパソコンなど押収してゆきましたが、それに抗議をすると「オラオラオラ」と言いながら体を寄せていて「当たり公妨」みたいなことをやりたい放題でした(著者注:それに反抗すれば逮捕を狙っていた可能性が高い)。

もう一点大きかったのはマンションの入り口に検問を張っていて、関係者を入れさせないことと、住民にも一人一人職務質問をして住民をビビらせていたことです(人民新聞は住宅もあるマンションの1室だ)。同じ階段から入る人にまで嫌がらせをしていたことです。

──── 令状の内容は?

園  クレジットカードを他人に使わせることで銀行からクレジットカードをだまし取った詐欺容疑としか書かれてません。報道で「日本赤軍」とかなんとか流れていますが、こちらはまったく知らされていませんでした。

◆「共謀罪」の先取り

──── これを読んでいる方に主張したいことがあればよろしくお願いいたします。

園  第一にここで詐欺とされているものは、海外でバックパッカーなど旅行している人が、送金の受け取りなどに困難があるとき、友達間のクレジットカードを利用して「この口座に振り込んで欲しい、そうじゃないと自分はお金を引き出せないから」というような融通は、みな普通にやっているわけです。それを相手が岡本公三さんだから逮捕するのは、相手が「誰か」ということだけで普通なら全く問題にできないものを炙り出して逮捕するという、まさに「共謀罪」の先取りであり許せません。

次に岡本さんはイスラエルで酷い拷問を受けて精神もボロボロの状態で、言い渡された裁きも受けていまレバノンで暮らしているわけです。そこに生活費を送る人がいても何が問題なのかということです。イスラエルがどれほどの人殺しをこの間にやり続けているかという問題も片方にはあるわけです。ですから日本政府が本来手出しをできる問題ではない。それをこの程度のことで騒ぎ立てて捜査網を広げていくということが許されないことは、警察発表を垂れ流ししているメディアがまず自覚しなきゃいけない。「人民新聞弾圧」はまさにメディア弾圧ですから。垂れ流しとか実名報道をやめろと言いたいです。

そして今回「人民新聞」は茨木市に移転して関係者の多い地域に密着もし、世代交代も進め、いい意味で関係性が広まっていってたところなんですね。そこに対してマンションごと「職務質問」をかける形で20人以上の警察が押しかけてくるというのは、地域から「人民新聞」の新体制を孤立させる意図に基づいた弾圧です。そんなものには負けませんが、絶対にこんな弾圧は許されません。

4つ目は押収する必要のないものまで持っていって、今仕事ができない状態です。とんでもないメディア弾圧です。それからからこれはすごく申し訳ないのですが、読者名簿も持っていかれているわけです。それは容疑と何も関係なく個人情報の固まりです。それについては「とにかくすぐ返せ」、「押収したもので容疑と関係ないものはすぐ返せ」と要求しています。

◆明らかに過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた

園氏の話を要約すると逮捕された編集長氏のクレジットカードを利用してレバノン在住の岡本公三さんに生活費を送っていたことが「詐欺」にあたるとの理由で、今回の大掛かりな家宅捜査と逮捕がなされた模様だ。そして同社の入居するマンションの居住者にことさら「人民新聞」の悪印象を植え付けるために、過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた。

「人民新聞」は独自の視点から発信を続けて来たメディアであり、その存在は今日ますます貴重である。同社への不当かつ過剰な「家宅捜索」及び「編集長逮捕」弾圧は報道界、出版界に身を置くすべての人間にとって他人事ではない。鹿砦社は2005年に検察権力により不当弾圧を受け壊滅的な打撃を受けたが、その後奇跡的に復活した。しかし2017年の今日、時代は違う。園氏が指摘する通り「共謀罪」が成立し、安倍長期政権による治安維持に名を借りた「言論弾圧」や「思想弾圧」はますます、なりふり構わず勢いを増している。それらは大手マスコミでは報道されない。が故に多くの読者真実を知りようがない。

「人民新聞」への弾圧を私は強く糾弾する。「人民新聞」への弾圧は過去鹿砦社が踏み潰されそうになった権力による弾圧の異形であり、その危険性と悪質性はますます水位があがっている。大手マスコミにとっても無関係な問題ではない(しかし彼らがそう気づいてくれるのかどうかには悲観的にならざるをえない)

「人民新聞」編集長の即時保釈を求め、「人民新聞」に対する弾圧を断固糾弾する!

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」