《台風19号水害》燃やして良いのか? 福島の災害廃棄物 ── 公表されない放射能測定値 民の声新聞 鈴木博喜

「10・12水害」で50万トンを上回る災害廃棄物が生じた福島県。本宮市で生じた災害廃棄物で600Bq/kgを超えたために県外搬出が見送られていた事、新潟県五泉市での焼却処理のために運び出された廃棄物の測定結果も含めて県民に広く周知されていない事については「民の声新聞」2月16日号(リンク)で報じた。

その後も、少なからず汚染されている災害廃棄物が100Bq/kgを下回っているという理由で新潟県へ搬出され続けている事が、改めて情報公開制度で入手した文書で分かった。

◆受け入れ先自治体との調整が行われているものの結果が黒塗りされた開示文書

今月3日付で開示されたのは、2月と同じ「県外搬出調整中の市町村における災害廃棄物の放射能測定結果一覧」。

2月12日に開示された際には昨年12月に測定した本宮市内の2か所の仮置き場での測定結果のみが示され、開示時点で「受け入れ先との調整が進行中」(福島県一般廃棄物課)のものに関しては黒塗りになっていた。

今回は、それに加えて石川郡石川町(昨年12月2日測定)と伊達市(今年2月18日測定)に仮置きされた災害廃棄物の測定結果が開示された。今回も、受け入れ先自治体との調整が行われているものの結果は黒塗りされた。

福島県から開示された放射能測定結果一覧。県民には公開されていない

開示文書によると、石川町総合運動公園「クリスタルパーク」に仮置きされた災害廃棄物では、「紙くず」が最高で36・3Bq/kg、「木くず」は最高で27・1Bq/kgだった。

これらのうち90トンが3月11日から3月末まで、車で新潟県三条市の「清掃センター」に運ばれ、燃やされた。

また、伊達市「やながわ希望の森公園」の災害廃棄物は、「紙くず」で最高67・6Bq/kg、「木くず」では最高で23・0Bq/kg。このうち70トンが新潟県新発田市の「新発田広域クリーンセンター」で既に燃やされている(測定値は、いずれも放射性セシウム134、137の合算)。

◆「なぜそんな事を尋ねられるのか分からない」と当惑した口調の新潟県三条市環境課

福島県一般廃棄物課の担当者によると、災害廃棄物を県外で燃やすために搬出する場合、「目安」として「100Bq/kg」という基準を自主的に設けているという。「東日本大震災以降、他県も100Bq/kgを県外搬出の目安としていると聞いています。原子炉等規制法に基づくクリアランスレベルも参考にしていますが、あくまで『目安』です」(担当者)。今回の測定結果はいずれも100Bq/kgを下回るため、「問題無し」と判断されて新潟県で燃やされた。しかし、県外処理の具体的な中身や放射能測定結果も福島県は記者クラブには〝投げ込み〟するものの、ホームページなどでは周知していない。

それは受け入れ側でも同じ。新潟県三条市環境課に電話取材すると、「お互い様だから、困った時に災害廃棄物を受け入れるのは当たり前です。今回は石川町とまず3月末までの受け入れについて金額も含めて契約を交わし、4月以降も来年3月末まで受け入れる契約を再度、交わしました。災害廃棄物ですし、安全上問題は無いので、特に市民への周知も記者発表も行っていません」と担当者は答えた。

担当者は、明らかに「なぜそんな事を尋ねられるのか分からない」と当惑した口調だった。筆者が「せめて市民に周知する必要はあるのではないか」と何度も口にすると「検討させていただきます」と言って電話を切った。

水害で生じた災害廃棄物が仮置きされている「本宮運動公園」。量はかなり減ったが、背景には県外も含めて燃やしている現実もある

◆福島県の〝焼却主義〟に警鐘を鳴らす「ちくりん舎」

新潟だけでは無い。県外に運び出すものについては福島県が放射能測定するが、県内で処理されるものは測定すらされずに焼却炉で燃やされる。なぜ測らないのか。福島県の担当者は、こう説明する。

「水害に伴って生じた〝生活ごみ〟ですので、日ごろ福島県内で燃やされている一般ごみと(放射能汚染という意味では)何ら変わりません。少しずつ始まった家屋解体の廃棄物も同じです。県外に持ち出すからといって、本来は測る必要は無いのかもしれません。ただ、受け入れてくれる側(今回であれば新潟県の市や組合)から求められた時に備えて、搬出する側として自主的に測っているのです」

むしろ、福島県にとどまらず、広く測定を続けるべきなのではないか。そして、焼却前提での処理を続けて良いのだろうか。

放射能測定などを通じて原発事故後の福島をウォッチし続けている「NPO法人市民放射能監視センター・ちくりん舎」副理事長の青木一政さんは「焼却せず、コンクリートで囲まれたごみ処分場などで保管するしかありません。設置場所など実現に大変な問題があることは分かりますがこれが原発事故の現実です」と、福島県の〝焼却主義〟に警鐘を鳴らしている。

「汚染された廃棄物を焼却炉で燃やすと、排ガスとして出てくる細かい灰の粒子(飛灰)の放射性セシウムは、約200倍濃縮されることが一般的に知られています。県外搬出が見送られた192~662Bq/kgで単純計算すると、3万8400~13万2000Bq/kgと高濃度に濃縮されるのです。焼却炉にはバグフィルターが付いているので大丈夫だと言われますが、それでは粒径1ミクロン以下の微粒子を補足する事は出来ません。フィルターをすり抜けて焼却炉周辺に飛散する事が、私たちの『リネン吸着法』での測定でも明らかになっています。直近の私たちの調査では、リネン吸着法で捕捉した微粒子はほとんどが水に溶けない事も分かりました」

福島県は、原発事故後に環境省が設置した仮設焼却炉も使って処理する方針。市民団体からは「燃やさずコンクリートで囲まれた処分場で保管するべき」との声もあがっている(福島県の「災害廃棄物処理実行計画」より)

不溶性放射性微粒子については、「子ども脱被ばく裁判」で証人尋問を受けた河野益近さん(京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻の元教務職員)が「呼吸で肺に取り込んだ場合、体外に排出されにくく、長期間にわたって沈着する。しかも内部被曝の評価方法が確立されていない」などと危険性を訴えた。

青木さんも「災害ごみとはいえ、ほとんどのごみには残念ながらセシウムが含まれています。焼却灰を食べるわけではないから100Bq/kg以下ぐらいであれば問題ない、というのは大きな間違いです。焼却炉の煙突から漏れてくる放射能を含んだ細かい粒子を吸い込むことは危険です」と語る。

「新型コロナウイルスの感染拡大で、政府は経済と国民の生命を天秤にかけて大胆な拡大防止策を講じることを躊躇していますが、放射能ごみ問題も全く同じです。多くの人が声をあげることでしか政府の経済優先・人命軽視の政策を変える事は出来ません」と青木さん。しかし、福島県は水害で生じた災害廃棄物の焼却を続けている。しかも、原発事故後に環境省が県内に設置した仮設焼却炉も使い始めた。マスクで防護する必要があるのは、新型コロナウイルスだけでは無さそうだ。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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朝日新聞・阿久沢悦子記者は「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)と被害者M君に真摯に向き合え! 鹿砦社代表 松岡利康

去る4月18日朝日新聞夕刊に三里塚に住む女性・石井紀子さんの追悼記事が掲載されました。訃報記事をすべて目を通しているわけではありませんが、三里塚については、私の闘いの出発点の一つでもありますので、どうしても読んでしまいます。石井さんは私より一歳下の1952年生まれ、1971年法政大学に入学されました。70年安保闘争や学園闘争の波が引いた時期に大学に入った私たちの世代の大きな政治課題は三里塚闘争(第一次―第二次強制収容阻止闘争)と沖縄闘争(返還協定調印-批准阻止闘争)でした。

私が三里塚に関わり始めた1971年、天王山だった第二次強制収容阻止闘争を闘い、かの機動隊3人が亡くなった9・16にも現地にいました。その後、諸事情で三里塚を離れながらも、遠くから熱い眼差しで見てきました。こうしたことは、この「通信」でもたびたび述べています(最近では2月4日、同8日付け)。

聞くところによれば、石井さんは法政のノンセクトで学生運動に関わり、彼女が本格的に三里塚に入ったのはその後ということです。関西にいる私たちは、首都圏で集会やデモをやる時には法政大学のグループと連携することもたびたびありました。実際、法大に泊まらせてもらったこともありました(そこでバッタリ高校の同級生のHM君に会ったのを思い出します)。ノンセクトは組織動員できる党派と違い、どこもさほど人数も多くなく、一緒に部隊を組んだこともありました。三里塚で結婚し子どもを生み育て、土地に根づいて生きるということは、よほどの決意がなければできることではありません。時々報道されていましたので、知ってはいました。

記事の内容は石井さんの生き様について淡々と記述し、これ自体は特に問題ありません。熱っぽいものを感じる筆致ではありませんが……。三里塚を自らの生きた軌跡と重ね合わせる私と、取材対象としか見ない新聞記者との決定的な違いがあるように思います。まずは、三里塚の土地で生涯を全うされた石井紀子さんに頭(こうべ)を垂れて合掌。

朝日新聞4月18日夕刊

◆「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)で蠢いた阿久沢悦子記者の名を発見!

……とっ、記事の末尾に「阿久沢悦子」の署名が目に入りました。

去る4月1日の湖東記念病院冤罪事件の記事に、15年前の私の「名誉毀損」逮捕事件の官製スクープ記事を書いた平賀拓哉記者の名がありましたが、今度はリンチ事件に関係しつつも私たちの取材からひたすら逃げている記者の名があるとは……因果なものです。

このかん私たちはプリズン・コンサート500回を達成したPaix2(ぺぺ)の記念本編集作業に追われ、リンチ本続刊の作業が止まっていましたが、ようやくすべての原稿がそろい整理済みDTPに回しましたので、GW明けからはリンチ本第6弾の準備に取り掛かろうと思っていた矢先です。具体的には手の内は明かせませんが、今回も“隠し玉”があります。「弾はまだ残っとるぞ」ってなもんです。

◆リンチ被害者M君やわれわれを裏切った趙博を紹介

阿久沢悦子記者は、平賀拓哉記者同様、朝日新聞大阪本社社会部所属、リンチ事件で蠢動した時は、かの阪神支局に勤務していました。平賀記者はあたかも私たちの出版を理解しているかのように近づきましたが、阿久沢記者も、あたかも味方であるかのようにM君に接触し、M君もまだ私たちと知り合う前で孤立を強いられていた時期でしたので、藁をも掴む想いで阿久沢記者に対応したそうです。

また、これも味方のようにM君に近づいた趙博を引き合わせたのも阿久沢記者でした。趙博は言葉巧みにM君から、当時はまだ公になっていなかった多くの資料を入手しています。その後、急に掌を返したことはすでにリンチ本でも2度、記述し弾劾しています(第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』の「『浪速の歌う巨人』趙博の裏切り」、第4弾『カウンターと暴力の病理』の「われわれを裏切った“浪速の歌うユダ”趙博に気をつけろ!」参照)。資料を返却もしていません。まさにS(スパイ)行為です。趙博は、多くの運動に顔を出したり近づいていますが、用心されたほうがいいでしょう。直接掌を返されたM君や私たちが言うのですから間違いありません。趙博よ、恥を知れ!

◆われわれの取材から逃げ回る阿久沢記者

阿久沢記者には、本を出すたびにその本を付けて何度も質問状(あるいは取材依頼)を行い、遂には電話取材も行いましたが、拒否されました。リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』に報告していますので、ぜひご一読ください。

『真実と暴力の隠蔽』文中の阿久沢記者電話取材の様子
『真実と暴力の隠蔽』同上 続き

阿久沢記者について、彼女をよく知る関係者が証言してくれました。──

「阿久沢さんはいろいろとトラブルメーカーでかねてから会社から睨まれていました。阿久沢さんが引き起こしたトラブルは具体的には、2012年、当時の夫の不倫相手が阿久沢さんの職場まで直談判に来たこと(当時阿久沢さんは大阪本社社会部)。

橋下徹へ喧嘩を打ったツイッター

同じ年に阿久沢さんはTwitterで橋下徹大阪市長(当時)を誹謗中傷して逆襲され(会社に正式に抗議が来たそうです)謝罪、休職に追い込まれたこと。復職後、大阪本社社会部から阪神支局に転勤になりました。2017年、韓国に行って慰安婦像に『朝日新聞、阿久沢悦子』の名前で『謝罪文』をあちらに残してきたことが、いわゆる『ネット右翼』に見つかり騒ぎになったこと。この後阿久沢さんは静岡総局に転勤になりました」

かの橋下徹に喧嘩売るとは凄い! しかし、さすがに橋下、「ふざけんな出てこいとはどういうことですか? 記者ってそんなに偉いんですか?」といなされ、あえなく撃沈するとは、ヘタレやね。「朝日」の看板をバックにすれば、何も怖くないと勘違いされたのでしょうか!? 橋下徹のような稀代の三百代言を駆使する権力者に喧嘩売る時は、思いつきではなく全知全能、全身全霊、性根を入れてやらないと対峙できません。

◆因果はめぐるのか──

以前のこの「通信」でも記述しましたが、71年当時「全京都学生連合会」を結成し共闘、共に三里塚に現闘小屋を設置し活動していた京大「C(教養部)戦線」というグループにM君の父親がいました。これもなにかの因縁です。因果はめぐるのか──。

それはともかく、「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)に対して、なぜか朝日新聞は、メディアの責任を忘れ、頑なに取材を拒否してきました。もちろん報道もしません。まずは阿久沢さん、あなたの言葉を借りれば、「人間として怒りが抑えられません。ふざけんな。出て来い!」と言いたいですね。

さらにもう一つ申し述べておきたいと思います。阿久沢記者のFBでの石井紀子さん訃報記事について「いいね!」している人が多くいます。私の知っている方の名も少なからず目にしました。皆さんは、阿久沢記者のリンチ事件に対する、決して真摯とは言えない態度を知った上でのことでしょうか? 表面上の美辞麗句に騙されてはいけません。喝!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《殺人現場探訪28》現場のあちこちに残る事件の傷跡 ── 広島小1女児殺害事件

どんな殺人事件も例外なく悲劇的だが、とりわけ小さな子供の生命が奪われた殺人事件が地域社会に与えるダメージは大きい。2005年11月、広島市安芸区で起きた小1女児・木下あいりちゃん殺害事件もその1例だ。2015年に現場を訪ねたところ、事件発生から10年も経っているにも関わらず、現地のあちこちで生々しい事件の傷跡が散見された。

あいりちゃんのために作られたひまわり畑も荒れた感じになっていた

◆現地の小学生たちは大勢で集団下校

被害者の木下あいりちゃん(享年7)は被害に遭った当時、市立矢野西小学校に通う1年生だった。事件の日は下校途中に失踪し、空き地に置かれた段ボール箱から遺体となって見つかった。広島県警は捜査の結果、現場近くに住むペルー人の男、ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(30)を検挙。ヤギはあいりちゃんの身体にわいせつ行為をはたらいたうえ、首を絞めて殺害していたが、実はペルーでも幼女への性犯罪で2回刑事訴追され、日本に逃亡中だった。

悲劇を繰り返さないため、大勢で集団下校する地元の小学生たち

そんな事件について、マスコミは当初、あいりちゃんを匿名で報じ、性被害の報道も自粛していた。しかし、父親の要請に応じ、あいりちゃんのことを実名扱いにし、性被害の内容も詳細に報じるようになった。ヤギはその後、裁判で無期懲役刑が確定したが、事件は裁判中も大きく取り上げられ、長く社会の注目を集め続けたのだった。

筆者が2015年に現地を訪ねたところ、まず何より印象的だったのは、現地の小学生たちが大勢で集団下校をしていたことだ。道路のあちこちに大人たちが立ち、下校する子供たちを見守っている姿も見受けられた。公園の金網に「考えよう 尊い生命の大切さ」などと書かれたプレートもかけられており、同じ惨劇を2度と起こさせないため、地域をあげて、子供たちを守っている様子が窺えた。

◆遺体遺棄現場では、ボロボロになった供え物が・・・

そんな現地で、何より悲しい雰囲気を漂わせていたのは、あいりちゃんの遺体が入れられた段ボール箱が捨てられていた空き地だった。その場所には、事件の頃に供えられたとみられるカプセルトイやヌイグルミがボロボロに痛んだ状態になりながら、その場に残ったままになっていた。そばには、ドライフラワー化した花も放置されていた。地元の人も現場には心理的に近づきがたく、片付けがされないままになっているのだろう。

ひまわりの花が好きだったというあいりちゃん。事件後にその死を悼むために作られたひまわり畑も訪ねてみたが、ひまわりの木はどれもすっかり枯れていた。そばに置かれた大きなシートには、「ようこそ ひまわり畑へ」という文字と共に、ひまわりの花飾りをつけた可愛いウサギの絵が描かれていたが、このシートもかなり汚れて、物悲しい雰囲気になっていた。

小さな女の子が殺害されると、地域社会のあちこちに決して癒えない傷が残るのだ。

遺体遺棄現場に供えられたヌイグルミやカプセルトイはボロボロ状態で放置されていた

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「あの時と似ている……」 コロナ禍の今、福島の人たちが思い出す「原発事故」の記憶 民の声新聞 鈴木博喜

いまだ終息が見通せない新型コロナウイルスの感染拡大。39人の陽性者が確認されている福島県で、多くの人が口にする言葉がある。

「あの時と似ている」

あの時、とは未曽有の大震災と大津波、原発事故が起きた2011年の事だ。誰もが思い出す9年前。しかし、良く話を聴くと相違点も見えてくる。何が似ていて何が似ていないのか。

原発事故で放射性物質が拡散されて来年で10年。福島の保護者たちは、再び〝見えない敵〟からわが子を守らなければならなくなった(福島県立博物館で撮影)

◆原発事故でまき散らされた放射性物質と同じだね……

福島駅近くのラーメン店。日曜の昼下がりだというのに店内は閑散としていた。男性店主は店先で日向ぼっこをしている。周囲の居酒屋やカラオケ店は軒並み、休業中。店主は苦笑いを浮かべながら話した。

「福島は車社会だから、日曜日だからと言っても、もともと決して人通りが多いわけじゃ無い。でも、今はさらに人が歩いていなくてガラガラ。売り上げ? 4分の1に減ってしまったよ。緊急事態宣言が出されてから一気に人通りが減ったね」

男性店主は言う。「目に見えない物への恐ろしさという意味では原発事故でまき散らされた放射性物質と同じだね。でも、今回の方がより恐ろしい気がするなあ。放射線はすぐに健康状態に変化は現れないけれど、コロナは命にかかわるからね。有名人も亡くなったし……」

◆今年の高校1年生たちは、2011年に卒園式や入学式が出来なかった世代

県立高校の入学式が行われた今月8日、中通りのある高校では、新入生の母親が複雑な表情を浮かべていた。

「難しいですよね。今を大事にするべきかどうか……。学校に行かれないのはかわいそうだなという気もするし、通学する事で拡がってしまってはいけないし。もっと単純な事を言えば、娘が家で毎日ぐうたらしているのもどうかという想いもあります」

実は、今年の高校1年生たちは、2011年に卒園式や入学式が出来なかった世代。「だから余計に、高校の入学式くらいは予定通りにさせてあげたかったという想いがあるんですよ」と母親は言った。

「子どもによっては卒園式が無くなってしまったりしましたからね。うちの子は日程をずらしてやってもらいましたけど。まさか9年経ってこういう事になるなんて考えもしませんでした」。

◆「再び選択を迫られている親」のいら立ち

そして、あの時の「選択」に想いを馳せた。表情も口調も、それまでより一段と険しくなった。そこには「再び選択を迫られている親」のいら立ちのようなものが表れていた。

「逃げるのか残るのか。私たちは原発事故後に選択を迫られました。毎日、そればかりを考えながら生活をしていました。それで結果として中通りでの生活を選びました。あの時も様々な情報が流れて、子を持つ親の間でも意見が分かれて。食べ物に関しても、『検査しているのだから大丈夫』と思いたい自分がいる。あの頃のように、また子どもを学校に行かせるかどうかの選択を迫られるのですね。でも、学校はやっているのにうちの子だけ通わせないで家に居させるというのも……」

小学校の入学式では、ほとんどの新入生たちがマスク姿。被曝リスクも感染リスクも〝風評〟や〝大げさ〟では無い。出来る防護を各自がするしか無い(福島市内の小学校で撮影)

◆ウイルスにも放射性物質にも色が付いていたら良いのにね……

福島市内の理髪店で働く女性は「ウイルスにも放射性物質にも色が付いていたら良いのにね。真っ赤に見えるとかさ。そうすれば感染や被曝のリスクから遠ざかる事が出来るのに……」と苦笑した。

別の女性は「放射線は線量計で数値として可視化出来るからまだ良かった。線源から子どもを遠ざける事が出来ました。でも、ウイルスの存在は数値化出来ません。モニタリングポストでも分からない。だから余計に防ぎようが無くて怖いです」と表情を曇らせた。

同じようで違う〝目に見えない物への恐怖〟はいつまで続くのか。放射線防護への意識が高い人ほど新型コロナウイルスへの意識も高く、既に疲弊しているように映る。

◆10年目に繰り返される「子どもをどう守るのか?」

そんな苦悩をよそに、福島県が毎日のように発しているメッセージがある。感染者が新たに判明した際に開かれる記者会見。最近では、もはや早口での棒読みにすらなってしまっている言葉にこそ、内堀県政の方向性が透けて見える。

「県民の皆様にとっては不安や恐れの気持ちがあろうかと思いますが、原発事故による風評に苦しめられている福島県民だからこそ、新型コロナウイルスの陽性となった方やその関係者に対する差別や偏見は、なさらないよう切に願います」

もちろん、感染してしまった人への中傷や攻撃は許されるものでは無い。どれだけ用心していても感染してしまう事もあろう。しかし、それと「原発事故後の風評」とは全く異なる。

福島県の内堀雅雄知事は、〝風評〟の名の下に放射能汚染の現実から目を逸らし続け、「もはや問題無いのに」と避難者切り捨てを着々と進めている。それを混同するあたり、「群馬訴訟」の控訴審で、「低線量被ばくは放射線による健康被害が懸念されるレベルのものではないにもかかわらず、平成24年(2012年)1月以降の時期において居住に適さない危険な区域であるというに等しく、自主的避難等対象区域に居住する住民の心情を害し、ひいては我が国の国土に対する不当な評価となるものであって、容認できない」と避難指示区域外からの避難継続の相当性を否定してみせた国と同じだ。

子どもをどう守るのか。原発事故から10年目に突入した福島は、再びあの頃と同じ課題に直面している。そして、行政が子どもたちを積極的に守ろうとしているように見えないのもまた、あの時と同じだ。

県保健福祉部の幹部は「迅速で正確な情報発信に努めるので、県民の皆さんも正しく理解していただきたい」と話す。福島市保健所の担当者も「過剰に不安を抱かず、正しく恐れていただきたい」と市民に求める。これも、あの時と同じ。県や市町村、そしてアドバイザーと呼ばれる専門家が不安の鎮静化に力を注いでいるのも原発事故後の構図と重なる。そして、高校生たちが求める県立高校の休校は実現していない。

ある県議は「県政は狂ってるよ。内堀知事では県民は守られないと、そろそろ気付いて欲しい」と語気を強めた。「あの頃と同じ」とため息交じりに振り返るのは、これで終わりにしたい。

今なお進行形の放射能汚染。福島ではこれにコロナ禍が新たに加わった(二本松駅前で撮影)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
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私の内なるタイとムエタイ〈73〉タイで三日坊主!Part65 藤川さん、永眠!

◆別れの時

藤川さんが新大久保に住居を構えて直ぐ、新宿区の住民登録を済ませていた。日本で暮らせば付き纏ういろいろな問題がある中、生活費は支援者の施しだけで賄えているのか、タイ同様に御布施という生計の足しにしている活動はあっただろうが、確定申告はどうしているのか。更には「身分証明書代わりに免許証の再発行を出来んか?」と願い出ていたと思うが、タイで出家して既に免許証は失効しているから、結局これはダメだっただろう。

日本に住めば金銭的、老化進む先行き不透明な日々の中、癌を患ってしまった運命。入院生活を拒否したのは莫大な治療費が掛かることは確実で、御布施や支援の賄いでは追い付かない。周囲に迷惑を掛けるのを避けたかっただろう。それでも「痛いのだけは嫌だ、これだけは何とかして欲しい!」とお医者さんに懇願していた声は聴いたことがあった。

2010年2月24日の夜遅く、最近どうしているかなと、いつも覗いていた藤川さんの「オモロイ坊主を囲む会」のブログを開くと、衝撃が走った。

「藤川和尚、永眠!」

えっ、永眠!? しまった! これが悔いが残るというものか。もっと早く会いに行ってやればよかった。

「もう長ごうないんや!」の声が響く。

オモロイ坊主を囲む会の管理人に聞いてみると、「2月19日の夕方、体調は前々から悪いからその様子に大きな変化は無かったが、急に意識不明となって倒れて救急車で病院へ運ばれるも昏睡状態続き、24日未明に永眠。脳内出血だった!」という。まだ2月下旬の活動予定が残る中、支援者誰もがそんな急に逝くとは思わなかっただろう。

オモロイ坊主を囲む会のブログで衝撃が走った画面

◆藤川さんは御釈迦様のもとへ!

翌25日には火葬だけであったが、大勢の人が訪れたようだった。タイの寺に居た頃、藤川さんは「生前葬を済ませた!」とも聞いていたが、遺言で葬儀告別式は行わないとのことだった。

結局、私は仕事もあって行けなかったが、冥福を祈って送り出したいと想うところだった。

胃癌、帯状疱疹の悪化で、この一年はかなり辛い様子だったらしい。それでも高笑い響かせながら全国行脚を続けていたであろう藤川さん。 ミクシイで繋がった全国の友達は1000人近くになっていた。

遺骨は、後の4月4日に八王子にあるタイのお寺、ワッパー・プッタランシーへ納骨され、生前、藤川さんが言っていたとおりの希望で、御釈迦様(仏陀)が最後の旅となったインドの地域にあるガンジス河へ散骨の予定という。

これで御釈迦様のもとへ行くかのような話を藤川さんから聴いたことがあり、「骨はインドのガンジス河に流してくれるように孫(?)に頼んだ。親戚一同の反対に合って年長者の力に圧されないように公証役場で遺言も書いた!」と言っていたが、お孫さんにお願いしたのかは私の記憶が曖昧だが、法的にも有効な遺言を残したのも藤川さんらしい手回しであった。

◆道連れ!?

藤川さんが亡くなった後、一緒に寺で過ごした日々やラオスに向かった旅を想い出しては、黄衣を纏ってあんな冒険できたのも藤川さんのお陰だなあと想い返したり、時折、「お前の親はまだ居るんか、会いに行ってやれよ、来てくれるだけで嬉しいんやぞ、今のうちやぞ!」とはよく言われたことや、いろいろな触れ合いを想い返す日々が続いた3月20日の夕方、石川の私の実家から電話が入った。

「父ちゃん死んだぞ!」と言う母親の泣き声。

「藤川ジジィ、俺の親父を引っ張りやがった、この野郎!」と有り得ないこと怒っても仕方無いが、そんな因縁があるような気がしてならなかった。そこからはもう4年ほど会っていなかった親父のことで頭がいっぱい。私の親父は老衰。最終的には心不全によるものと思うが、母親も気付かぬ間に眠ったように楽に逝ったようだ。
藤川さんの納骨式や偲ぶ会も4月初旬に予定されていたが、私は仕事や実家のことでいっぱいになり、精神的にもそちらへ向かう余裕は無くなっていた。

これで藤川さんとこの世のお付き合いは完全に終わった。

京都の地上げ屋がバブルが弾ける前に、「このまま好景気が続く訳が無い。もう天井が見えとる。やがて不動産価格の下落が起きる!」と赤字に転じる前に全てを売り飛ばし、こんな好景気の恩恵に支えられた金儲けではなく、自分の本当の実力を試そうとタイで勝負しようと考え、新たなビジネスを始めたのが1991年春。その2年後にアナンさんのムエタイのジムの近くに開店した日本料理店で私との出会いから長い付き合いが始まったものだ。

リングサイドで試合を見つめる春原さん、選手からも記者としての評判は良かった(2003年10月13日撮影)

◆続く道連れ!?

藤川さんが北朝鮮に行く前辺りの頃、私の仕事の一つであった出版社のスポーツ部門が消えた為、ボクシング興行は滅多に行かなくなった。それでも別ルートで入った取材や、立ち見チケットを買っての観戦で後楽園ホールに行くと、リングサイドの春原俊樹さんとはカメラの話にもなるが、藤川さんの話になることがほとんどだった。そして会うこともほとんど無くなっていた2014年1月。春原さんが出版社を退社したという情報が入った。ボクシングビート(旧・ワールドボクシング)の記者を辞めたという。

安いながらも私と同じNikonD90程度のカメラを買って試合を撮ったり取材に向かったり、仕事熱心な人だったが、こんなボクシング好きな人が記者辞めるなんて、おかしいなとは思ったが、また藤川さんの想い出話でもしようか、また以前のようにタイ料理に誘ってみようかと思っていた矢先、3月30日午後、埼玉県内の入院先の病院で亡くなったという知らせが知人記者から入った。 春原さんは胃癌で療養中だったらしい。

そして「藤川さんよ、春原さんまで引っ張るのか!」という切ない想い。ちょっと強引なこじつけだが、深く関わった人が同じ胃癌で逝くのは不思議な因縁である。
春原さんが撮ってくれた私の得度式のフィルムと写真は永遠の宝物である。改めて感謝を述べたい。

後々の2017年に私が「タイで三日坊主!」を書く為に、当時のフィルムと写真を探し、日記を読み返し、記憶に残っている会話とテレビに映った冒険を参考にし、ここ2年あまりはずっと頭に藤川さんの声が聞こえてくるほどの存在があった。こんな風に藤川さんは多くの人々の心に今も生き続けているのだろう。散々振り回されたのに、もっと昼飯食わせに会いに行ってやればよかったと悔いが残る。もっと話を聞いておけばよかったと。

藤川さんの最後の誘いを無下にし、親父の最期を看取れぬまま、更に春原さんも最期の姿は見せたくなかっただろうと思うが、皆、最期の言葉無き別れとなった。

藤川さんが言っていた万物流転。「この世に在るあらゆるものは、絶え間なく変化して止まない。エベレストにしても富士山にしても少しずつ変化している。不変のものは何一つ無い。新しく生まれたものは必ず劣化して滅びていく。これが諸行無常や!」と言い続けた。これが現実。やれる時にやっておかないと時は流れ、万物は変化して取り戻せなくなるだけ。そんな諄かった藤川さんの話が何度も頭を過ぎる。本当に姿無き腐れ縁が今も続いているのである。

藤川さんにはミャンマーに連れて行って欲しかった。胃癌を患い、杖を突いて歩いている時点でそれは無理と思ったが、藤川さんが歩いた軌跡を、今後、機会があれば歩いてみたいと思うこの頃である。

毎度、異様な組み合わせの昼食会だった今は亡き二人

私が撮った藤川さんの日本で暮らす画像はあまり無いので、こちらのブログを御覧ください。

◎オモロイ坊主を囲む会 http://omoroibouzu.blog35.fc2.com/

◎[カテゴリーリンク]私の内なるタイとムエタイ──タイで三日坊主!

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

感染症と人類の歴史〈01〉パンデミックが変える社会 ── 新型コロナウイルスの世界的流行は、人類に何をもとめるのか? 横山茂彦

アルベール・カミュの『ペスト』が全世界で読まれているという(日本でも4月までに100万部の累計販売)。NHK(100分で読む名著)でも『ペスト』が紹介されたように、今回の新型コロナウイルスを機会に、人類と感染症の関係が捉え直されようとしているようだ。

カミュはペストを人間の逃れがたい不条理(運命)と措定したが、そこに人間社会が生き生きと描かれていることに気づかされる。じっさいに天変地異や疫病はつねに人間社会の在りようを浮かび上がらせ、社会システムの変容をもとめる。それは古代・中世においては宗教であり、近代においては戦争と革命。現代においては、社会インフラの変革ではないだろうか。

在宅テレワークはそのひとつであり、サラリーマンにとって慢性的な苦痛だった混雑通勤そのものが、いまや不合理なものとして見直されている。通勤用のスポーツ自転車が売れているという。サイクリストとしては、幹線道路の左端に刻印された自転車走行マークこそ、人類の未来への道であると宣言しておこう。

それはともかく、人類史はたびかさなる感染症との戦い、あるいは共存共栄の歴史であった。日本史に引き付けていえば、本欄「天皇制はどこからやって来たのか」で扱ってきた古代天皇制権力(奈良王朝)こそ、感染症(天然痘)による産物であった。

奈良・東大寺の大仏(盧舎那仏)

◆天然痘がもたらした、古代仏教国家

文献史料では「瘡いでてみまかる者、身焼かれ、打たれ、くだかるるが如し」(日本書紀)が天然痘の初出である。この「瘡いで」は「かさぶたができた」であり、腫物が「あばた」となる意である。死ぬ者には腫物ができて、高熱がその身を焼く。そしてのたうちまわり、最期は身を砕かれるのだ。

敏達帝(推古女帝の夫)の崩御は、この天然痘が原因だとされている。不比等の子・藤原の四兄弟=藤原武智麻呂(南家開祖)、藤原房前(北家開祖)、藤原宇合(藤原式家開祖)、藤原麻呂(藤原京家開祖)も天然痘に斃れている。この疫病の流行こそが、聖武帝による奈良の大仏(盧舎那仏)および国分寺・国分尼寺の建立へとつながるのだ。したがって古代仏教国家のモチーフは、仏教の修行・勧進による病魔の退散だったといえるだろう。

何度かの流行をかさね、やがて天然痘は誰でもかかる疾病となった。平安時代の女性(紫式部や清少納言)に「あばた」が散見され、源実朝、豊臣秀頼などの歴史上の有名人物の顔に「あばた」があったのは、もはや天然痘が免疫化をともなう国民的な病だったことの証しであろう。

天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)

種痘という免疫療法によって、人類が天然痘を克服するのは18世紀に至ってからであった。記憶にあるだろうか? ウイルスを付けたY字型の二又針で上腕を焼かれた記憶は、いまも鮮明だ。日本における根絶は1955年、世界では1977年のソマリア青年の発症記録が最後とされている。人間に感染する感染症で、人類が根絶できた唯一の例である。

いまや、共存するかのごとき各種のインフルエンザ、重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、急性呼吸器症候群(SARS-COVID-2)、マラリア、結核、AIDS、デング熱、水痘・帯状疱疹、単純疱疹、手足口病、等々。いずれもウイルスによる、細胞乗っ取り行為である。ウイルス自体は細胞を持たないことから、生物ではないとの医学者の見解もある。生きて(感染細胞を増殖させて)はいるが、生物の要件を充たさないとの否定的な知見であろう。変異細胞から新生物になるという点では、がん細胞も生き物ということになろうか。こちらは人類の変異・進化の要件でもあるという。ウイルスはいずれも、自然の中に生息していたものが、変異と環境変化で人間社会に入ってきたものだとされている。

17世紀欧州でペスト大流行の際、フランスの医師が考案したと言われる「くちばしマスク」と革手袋、長コート着用による感染防御服(1656年)

◆感染症で社会が壊れ、再生される

さて、ウイルス感染が人類の歴史を変えるというのが、じつは本稿の命題である。盗賊まがいの十字軍遠征がペスト(黒死病)をもたらし、教会権力の崩壊とともに宗教改革(マルチン・ルターら)の誘因となったのは史実である。

第一次大戦の終焉はロシア革命によってではなく、スペイン風邪(スペインは中立国であったために、情報統制がなかったので、情報の発信源としてスペイン風邪なる呼称が生まれた)の猛威によるものであった。一説には5000万人の死者、1億人という説もある。アメリカでは、パンデミックの初年に平均寿命が12歳になったという。近年の研究では、スペイン風邪はH1N1亜型インフルエンザウイルスによるものと判明している。

黒死病が宗教改革をもたらし、西欧における印刷技術や火薬の発明(じつは中国が源流)によって近世の扉がひらかれる。スペイン風邪によって戦争が終息し、戦間期革命をもたらす。それでは、今回の未曾有の感染力をもった新型コロナは、われわれにどんな変革をもたらすのであろうか。

さしあたり我々は、通勤をしない在宅ワークを手にしつつある。感染源である電車通勤の代わりに、自転車通勤という方法を手にしている。そして経済のまわし方も、ベーシックインカムという試みを現実のものにするかもしれない。未曾有の疫病パンデミックによって、従来型の資本主義と経済政策が行き詰ったとき、本気で取り組むべきテーマがそこにある。いっしょに考えていきましょう。(この連載は不定期掲載です。次回は疫病と侵略者など)


◎[参考動画]【今から100年前のスイス】2万5千人の死者を出したインフルエンザの大流行(SWI swissinfo.ch)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!〈後編〉尾崎美代子

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編NEWバージョン2

2019年5月27日、東京地裁で「布川国賠」で勝訴判決が下された。入廷する桜井さん

◆神様が俺に新しい苦しみを与えた

去年9月にガンとわかり、10月に医者に言われました。いきなり緩和ケアだと。何で痛くも辛くもないのに、そう言うのか!と。その後、直腸癌のステージ4で肝臓に転移していると言われました。肩から薬剤を2週間に一度入れると言われた。わたしは嫌だから「先生、何もしなかったらどれくらい生きれるの?」と聞いたら「1年だ」と。「薬入れたら何年?」と聞いたら「2年」と言われた。

なんだ変わらないじゃないかと思ってね、「じゃやりません」と言いました。すると先生が「凄いですね」という。「何が?」と聞くと、「桜井さんのように余命1年と言われ、生き生きと活動している人はいませんよ」と。私は「だってダメでもあと1年生きるんでしょ? その間に何があるかわからないじゃないですか」と言いました。

今、swingマサさんの紹介で食事療法をしています。魚、肉、小麦粉、乳製品、卵、化学調味料を一切食べない。これで治った人がいる。私も必ず治ります。いや、治してみせようと思ってね(拍手)。もし治ったら、医者なんかいらないじゃないいですか?(笑)

私は刑務所に29年間入った後、針の穴にラクダを通すくらい難しいという再審で無罪を勝った。美香さんに「桜井さんは私のヒーローです」なんて言って貰え、たくさんの人たちに希望を与えることができた。こんなつまんない男が……。で、今度は国賠裁判にも勝った。間違ったことはダメだと通った。今度がんに勝ったら俺どうなるんですか?(笑)。自分はがんになって辛いと思ってないです。新しいチャレンジを神様が俺に与えてくれた、新しい苦しみを用意してくれたと思って、今ワクワクしながら、毎日過ごしています。(「酒と泪と男と女」を熱唱)

西成の難波屋で毎月14日(矢島祥子さんの月命日)に行われる「夜明けのさっちゃんズ」ライブで歌う桜井さん

この後は、大阪でいつもピアノ伴奏してもらっているキョウちゃんの伴奏で刑務所で作った歌を何曲か歌います。刑務所で「孤独を知る時」という詞を作りました。「人は苦しみによって孤独を知るのであろうか。悲しみの深さが孤独を教えるのだろうか。僕は喜びの時、幸せな想いの時、一人きりの喜びと幸せの、その虚しさに孤独を知った」という詩です。   

千葉刑務所に入っている人は、罪を犯した人も無実でもみんな寂しいし、辛いは同じ。でも私は皆さんに支援してもらって「今日、佐藤さんのコンサートがあって、俺の歌が好評だったって」とか言っても、誰もわからない。「桜井さん頑張って」と言ってくれる人がいて、でもその喜びは誰にもわからない。幸せの時「よかったね」と分かり合える人がいることが、人間の本当の喜び。悲しみや辛さが孤独ではないと私は思いましたね。刑務所の中で、詩人だったでしょ、私(笑)。そんな中で「闇の中で」という歌を作りました。聞いてください。(「闇の中へ」を熱唱)

「親孝行したい時に親はなし」と良く言います。私は親父が1991年、お袋が1976年に亡くなりました。刑務所にいたので葬式に出れなかった。そのせいか、今でも2人が生きてる気がちょっとしている。人間って100%はないとそれで教わった。あの時、葬式に行って「亡くなったんだ」とケジメつけたかったができなかった。だから、今でも生きているんだという気持ちが少しあって、それはそれでいいと思ってます。人間どんなことでも100%はない。でもやっぱりもう一度親父とお袋に会いたかった。言いたいことは1つ。「産んでくれてありがとう。本当に幸せな人生だった」と伝えたかった……(涙)。あとは何もない。皆さん、もし親が生きていたら大事にしてくださいね。なんでもいい親孝行は、会いに行くだけでもいいから。(「鼻」を熱唱)

上映会&ライブのあとの親睦会で支援者と談笑する桜井さん

◆人の命ほど大事なものはない

自分は73歳になるとは思わなかった。人生はあっという間ですね。さっきの映画に出ていた杉山と弁護団長さんが亡くなったし、「この人も、この人も」と亡くなった人がいました。人間って本当に生きていればこそ、やり直しができる。人の命ほど大事なものはないと思っています。

善人とか悪人とか関係ない。誰でも一度きりの命だから、どんな悪人でも許して、国家は大事にしないといけない。日本という国がなぜダメかというと、悪い人は殺してもいいという人が沢山いるからです。犯罪者を隔離すればいいという考えは間違っています。覚醒剤で捕まった人を刑務所に入れても何にもならない。あの人達は心を病んでいるんだから。病人を直すところ作るべきなのに、ただ逮捕して刑務所に入れればいいという。昔から、臭いものに蓋すればいいというのが日本なんです。違うじゃないですか。間違った人を大事にする社会だったら……と思います。

残念ながら、才能の違いって世の中ある。頭のいい人も確かにいる。でも安倍さんみたいに頭の悪い人でも首相になれている(大爆笑)。はっきり言って彼は簡単な漢字も読めないでしょ。正直言ってバカが総理になったら駄目です。だから、今、こんな政治なんです。

今のコロナ対策は何ですか? マスクなんてあまりに役に立たない。コロナの菌は風邪のウイルス菌の何百分の1なんですよ。だからマスクを突き抜ける。それなのに学校を一斉に休めと。子供はまだ何でもないのに。親はどうするの? 台湾のように、学級で1人でも出たら学級閉鎖して、2人になったら学校閉鎖するとかしないと駄目。それだと安心して学校にいけるのに。ロクでもないですよ、日本は。

私はやっぱり大事にすべき命があると思っています。釜ヶ崎にいる皆さんだって、ずっとまともに働いてきた人達じゃないですか。たまたま運が悪いだけ、たまたま自分にぴったり合う才能に恵まれなかっただけじゃないですか。もしも優しさが才能だったら、釜ヶ崎の皆さんは、全員金大持ちになっているかもしれません。そうでしょ! 口だけペラペラしゃべる小泉進次郎みたいなのが、顔がいいだけでちやほやされる。本当に日本の人たちはアホが多すぎます(大爆笑)。

何でも他人事だし、何でもワーとみんなで一過性でやって、すぐ忘れる。でもそういう中で目覚めないと、この国は良くならない。やっぱり目覚めた人は声出しましょうよ。ノーと言いましょうよ。世の中を変えましょうよ。私はそう言いたい。余命1年ですけど(笑)。何度も言いますけど、私は命尽きるまで、声を上げ続けます。

◆自分の運命は自分が招く

私は余命1年と告げられて思いました。運というのは誰が決めると思いますか? 天命? そんなのありません。人間は自分の運は自分が招くんです。何かあった時に「これは天命だ」なんて思ってはだめ。何をするか、どう行動するか、自分の考え方なんです。今ここを出て右に行くか、左に行くかは、その人の生き方すべてです。それが自分の運を寄せる。ですから何か悪いことがあったら「これは天命だ」とか「自分の力ではどうにもならない」とか思ってはだめ。大切なのは自分の思考や行動を変えること。私は確信を持っています。なんか凄い話になっちゃたね(「会場から「教祖様みたい」と笑)。なんかそんな気がしてますよ。運を運命にするのは自分だと確信持っています。私はがんになって食事療法を選んだ。これで運を自分で運命にするんだと思ってます。さあ余命1年か10年か、面白いなあ(笑)。

楽しいじゃないですか。わたしの人生観は明るく楽しくです。人生は一度限り、今日は1日限りと思ったら、苦しいこと辛いことは誰にでもあるんですよ。でもどんな中でもいいことはあるんです。だったら、その楽しいこと嬉しいことを、自分で100%だと思えばいいんです。皆さんも辛いことの中から、嬉しいことを見つけてください。嬉しいことをどんどん自分に寄せていけば、きっといい人生があなたに来ますから。(完)

◎布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34875
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34881


◎[参考動画]布川事件 桜井昌司氏講演会(なにぬねノンちゃんねる2018/06/02)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

《滋賀医科大学附属病院問題》4・14大津地裁判決は世紀の不当判決! 田所敏夫

4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件の判決言い渡しが、14日大津地裁で15時からおこなわれた。

西岡前裁判長の転勤にともない、裁判長となった堀部亮一裁判長は「主文、原告らの請求をいずれも却下する」と飄々と短時間で判決言い渡しを終えた。退廷しようとする裁判官に向かい傍聴席から「ナンセンス!」の声が飛んだ。

この事件の期日には、これまで「患者会」のメンバーが裁判前に集合し、大津駅前で集会を行ったのち傍聴を埋めるのが常であったが、判決日は折からの「新型コロナウイルス」への配慮から、「患者会」は集会や傍聴の呼びかけをおこなわなかった。したがって本来であれば判決を裁判所の外で待ち受けていたであろう、約100名(毎回裁判期日には100人ほどの人が集まっていた)の姿はなく、静かな法廷のなかで冷酷無比な判決言い渡しの声が響いた。

判決言い渡し後、滋賀弁護士会館で記者会見がおこなわれた。当初は16時開始予定であったが、諸事情で開始が16時半過ぎへとずれこんだ。井戸謙一弁護団長が判決を解説した。

この日の判決を解説する井戸謙一弁護団長

「今回の判決は現実に起こった人権侵害を救済しなかった点で、不当な判決であると考えています。判決を30分ほどで読んだばかりで、弁護団としての見解は定まっていませんが、私の評価を申し上げさせていただきます。この事件は説明義務違反を理由とする損害賠償請求事件で、実際に施術しようとした成田医師が小線源治療の経験がなかった。そして同じ病院内で大ベテランである岡本医師の治療をうけることができる、と説明しなかった。説明義務違反が違法であると、その損害の賠償を求めた事件です。一般的に成田医師が小線源治療をしようとした患者に対して、同じ病院内で別のベテラン医師の治療を受けることができる。ということについて説明する義務があるかどうかということについて、裁判所の判断は『すべての患者に対して、一律に他の選択可能な治療として、岡本医師による小線源治療を説明しなければ、説明義務違反になるとはいえない。あくまで患者の意向、症状、適応などを踏まえ、個別に診療計画上の説明義務の存否を判断する』というのが判断です。一律に説明しなくともよい、個別の事情によっては説明する必要がある、そういう判断です。

なぜそういう判断になったのかについては、かなり細かい事実を認定し、かつああでもない、こうでもないといろんなことを検討しています。その中で『一律に他の選択可能な治療として説明の必要がない』を導いた理由としては、成田医師が行おうとした手術方法。これは成田医師と放射線科の河野医師がペアで行います。成田医師は小線源治療の経験がないとしても前立腺癌についてはベテラン医師である。河野医師は放射線医師として多数の症例を持っているということで、この二人が行おうとした治療は『大学病院での小線源治療の医療水準を満たしている』という判断をしています。彼ら行おうとしていた手術が、医療水準を満たしていたのかどうか、という問題提起を(原告は)していなかったのですが、裁判所は『医療水準を満たしている』と判断しています。

補助参加人として判決を傍聴した岡本圭生医師

一方で岡本医師による岡本メソッドは、『成田医師たちが行おうとしていた治療とは質的に異なる治療である』と述べています。岡本メソッドにについて被告側は、裁判の中でその評価を貶めて、誹謗しようとしてきたわけですが、それについて裁判所は採用していません。河野医師は小線源治療は『放射線医がしっかりしていればいいんだ。泌尿器科医が放射線医の指示通り針を刺すだけでよいので、泌尿器科医の役割は小さなものだ』との趣旨の証言をしましたが、それについても裁判所はその考え方を採用していません。

ただ成田医師が行おうとしていた治療と、岡本医師が実施していた治療は同一病院内の選択可能な治療、という位置づけになっており、ここの理屈がわかりません。『質的に違う』と言っているわけです。

そのあとに4名の原告の方の判断ですが、お二人の方は『岡本医師の治療を受けたい』ということで滋賀医大にかかられたかたです。しかし岡本医師にまわされないで、成田医師が治療をしようとしていたのですが、このお二人については『説明義務はあった』と認めています。ただそれでも請求が棄却されているのは、結果的に岡本医師の治療を受けることができた。これにはいろんな経緯があったわけですけども。結果的に岡本医師の治療を受けることができたのだから、損害はないでしょうという評価のようです。

あとのお二人については『法的な説明義務違反までは認められない』という判断です。ただ『道義的にはともかく』という言葉がついているので、医師の倫理上は説明すべきであったと、暗に裁判所としては言いたいようです。

非常に残念なのは、この判決の『説明義務』のとらえ方が非常に狭いことです。質的に異なる治療方法が同一病院内であるわけですから、説明して患者が選択する機会を与えるべきである。それが患者の自己決定権を保証する医師の責務であると考えます。裁判例でも説明義務の範囲は、どんどん拡張される流れにある中で、説明義務違反の範囲を非常に狭くとらえたのは、大変残念な判決だと思います。

もう一点は、説明義務違反を認めていながら、結果的に岡本医師の治療をうけることができたから、損害はないだろうという判断です。結果的に岡本医師の治療が受けられたといっても、岡本医師の問題提起があったから岡本医師の治療を受けることができた。それがなければ岡本医師の治療を受けることができなかった可能性が高いわけで、原告の精神的・心理的な苦痛が法的保護に値しない、ということです。しかしそれは、精神的損害のとらえ方を非常に狭く評価するものであって、この判断も承服しがたいものがあります。

判決全体としては、被告が一番力を入れていたのは『治療ユニット論』というもので、成田医師が行おうとしていた治療は、岡本医師をリーダーとするチーム医療、医療ユニットとして計画されていたのだから、成田医師が自分が未経験だと説明する義務はなかった。これが一番被告が力を入れていた主張です。しかし、それについて裁判所は、その主張は採用していません。岡本メソッドの評価を低からしめようとした主張にも、裁判所は乗っていません。ですから主な事実認定についてはこちらの主張が取り入れられています。成田医師が『小線源治療をあまりやる気がない』と発言した事実も取り上げられています。いろんなところでこちらの主張は取り上げられているのですが、結論として説明義務違反のとらえ方が狭く、かつ損害のとらえ方が狭い。請求棄却との判断になった。そのことにより中身的にはこちらの主張を取り入れたにしても、患者の人権救済の役割を果たさなかった。極めて残念です。」

ついで、この日法廷で判決を聞いたAさんが感想を述べた。

法廷で判決を聞いたAさん

「意外な判決だと感じました。この裁判で私は3つ課題があり社会に訴えたいと考えております。一つ目は(成田医師が)未経験であって施術しようとしたこと。私が知らないことをいいことに、モルモット扱いしているという点です。こういうことが許されてよいのか。これが説明義務違反です。医師の育て方に問題があるのではないか。二つ目はその事実を私が知ったのは、岡本先生の内部告発によってです。それによって救われました。しかし日本の社会ではまだ人権が守られない。権力の暴走を止められない。三つめは岡本医師が、職を賭して阻止してくれ、23人の手術をしてくれ、(仮処分勝利により)待機患者50数名の命を救ったことです。敬意と感謝の念に堪えません。ありがとうございました」

その後に、補助参加人としてこの日も判決を傍聴した岡本圭生医師からのコメントがあった。

わたしはこの裁判を提訴から判決まですべて傍聴してきた。この原稿も予定稿では原告勝利を前提としたものを準備していた。

14日大津地裁に早めに到着し、裁判長が変更になっている(転勤はあらかじめ告げられてはいたが)担当表を見て、嫌な予感が浮かんだ。法廷で「原告の請求を原告らの請求をいずれも却下する」との裁判長の声をきいたとき、思わず「えっつ!」と声を出してしまった。

井戸弁護士の解説にある通り原告側の主張が、かなり取り入れられているとはいえ、法廷での証言内容や態度を考えると被告たちには、主文にしか注意を向けないだろう。民事の裁判では法律家には理解できても、一般市民感覚では「訳の分からない」文章や判断が横行する。そういった判決や裁判官に当たるたびに、裁判所や司法への信頼は薄れ、司法への期待も希薄になる。そういった意味では、結果ゼロ回答の判決を出した、この裁判の合議体はわたしにとって、「また司法への信頼を限りなく低減した」裁判官たちであった。判決言い渡し後に法廷に響いた傍聴者の声に、私も同意する。

ナンセンス!

◎カテゴリーリンク《滋賀医科大学附属病院問題》

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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なぜ「土のう」? 住民感情理由に「汚染土」を伏せる福島市 民の声新聞 鈴木博喜

「土のう等を運搬しています」

工事現場でよく目にする看板。青字で大きく書かれた文言だけを目にして、ここで言う「土のう等」が何を指しているのか分かるだろうか? 「土のう等」に何が詰め込まれているのか、どこに運搬するのかを理解出来る人はどれだけいるだろうか。

看板には「収集・運搬業務」とも書かれており、発注者は「福島市輸送対策課」。そして請け負った業者名。原発事故後の動向に関心のある人ならともかく、これだけを見て、これが除染で生じた汚染土壌を掘り返し、仮置き場まで運んで再びさら地に戻す作業である事は伝わりにくい。

通常、どんな工事をしているのかを伝えるはずの看板が、本来伝えなければいけない要素を伏せている。これが福島市に設置されている看板だ。なぜ、こんな分かりにくい表現にしているのか。福島市環境再生推進室に取材すると、「住民感情に配慮している」と説明した。

「おっしゃる通り、ここで言う『土のう』は、除去土壌の入ったフレコンバッグを指しています。ひな形というか、現場に看板を立てる場合にはこういう表現で作って下さいよというマニュアルがあるのです。定期異動で職員が入れ替わってしまいましたが、どうして『土のう等』という表現になったのかというのを長く在籍している職員に確認しました。当時、かなりナーバスになっている市民の方がたくさんいらっしゃいましたので、決して隠すわけでは無いんですが、(汚染土壌の搬出をしている事を)直接的な表現で言ってしまう事に抵抗感のある方もいらっしゃったので、看板の表現を『土のう等』で統一させていただいたという経緯がありました」

福島市の担当者が言う「マニュアル」とは、発注者支援室連絡協議会名義で発行された「除去土壌等の収集・運搬業務 業務マニュアル(第2版)」。日付は「令和2年4月」になっている。この中で、看板の表現についても「土のう等」とカラーイラスト入りで明記されており、請け負った業者はマニュアルに従って看板を設置しているというわけだ。

除染で生じた汚染土の搬出を知らせる福島市の広報紙。ここでは「除去土壌」という表現を使っている
しかし、実際に現場に設置されている看板は「土のう等」。住民感情に配慮したという

一方で、同じ中通りの郡山市は(汚染土という表現を使っていないという点で物足りなさは残るものの)現場に設置される看板には「除去土壌等の搬出作業を行っています」と明記。事業名も「郡山市除去土壌等搬出作業等業務委託」で、発注者も「原子力災害総合対策課」。これなら、少なくとも原発事故後の除染で生じた汚染土壌を掘り返し、仮置き場まで運ぶ作業を行っている事は伝わる。いわき市も同様だ。しかし、福島市民はそのような直接的な表現を嫌うのだという。

「郡山など他市の状況は分かりませんが、福島市の場合は仮置き場を設置する時も、あまり公にしないで欲しいという声が対策委員会でもあって、なるべくそれに配慮して進めて来たという経緯がありました。協力していただく際の条件と言いますか、『自分の土地を仮置き場として提供しても良いけれど、周囲には(汚染土壌の仮置き場になっている事を)知られたくない』という地権者など地元の方々の感情もありました。その流れの中で、搬出に関してもあまり大っぴらにして欲しくないという声があったのです」(福島市環境再生推進室)

郡山市やいわき市は、看板でも「除去土壌等」という表現を使い、一目で伝わるようになっている

実は、これに非常に良く似たケースが福島市にはあった。2018年9月7日の市議会本会議。除染後の「フォローアップ除染」に関して、小熊省三市議が支所別のフォローアップ除染実施箇所数を質している。しかし、市環境部長の答弁はこうだった。

「フォローアップ除染の実施箇所ですが、市全体で48カ所となり、結果的に少ない数字となったところでございます。支所ごとの実施箇所数につきましては、地域除染等対策委員会の方から『該当する地区や地域の特定につながり、さらなる風評被害を生じさせるおそれがあるので、取り扱いには十分留意して欲しい』旨のご意見もいただいておりますことから、地域の実情に鑑み、公表は差し控えさせていただきますので、ご了承願います」 

これも全く同じ構図だ。住民が公にしないで欲しいと願っているから公表しない。小熊市議は当然ながら「私たちの住んでいる地域の放射線量がどんな状態なのか知りたいという、こういう市民の声があるのも事実」、「住民が知らないうちに被曝するという危険を避ける上でも必要」などと食い下がり、改めてフォローアップ除染の実施箇所数の提示を求めた。しかし、環境部長の姿勢は変わらなかった。

「先ほども答弁申し上げましたけれども、実施箇所が多い場合、まだ危険な箇所が地域に残っているといった印象を与えることも事実であります。それによってさらに放射線に対する住民の不安を助長させることも想定されていますので、その辺も含めて、先ほど答弁しましたとおり、公表のほうは差し控えさせていただきたいということでございます」

福島市は原発事故後、環境部の中に「除染推進室」を設置。除染に関わる業務を担ってきたが、2019年4月に「環境再生推進室」に改称した経緯がある。

原発事故前は当然、除染に関する部署など無かったため、2011年10月に「放射線総合対策課」が設置され、それが「除染企画課」、「除染推進課」(2013年4月)に変更。2014年4月からは「除染推進室」として業務にあたってきた。そしてとうとう、部署名から「放射線」や「除染」の文字が消えた。

「原発事故の風評払拭」を掲げる木幡浩市長(元復興庁福島復興局長)が2017年12月に就任した事も背景にはあるようだが、〝復興五輪〟に位置付けられた東京五輪を控え、野球・ソフトボールの試合開催自治体に「放射線」や「除染」の文字が残っていたら不都合なのだろう。

たかが「土のう等」。されど「土のう等」。汚染土壌の掘り出しや運搬を行っている現場の看板からも、10年目に突入した原発事故からの脱却を図りたい自治体の思惑が透けて見える。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!〈前編〉尾崎美代子

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。

3月15日大阪市内で開催された「桜井昌司SpecialDay」のポスター

◆どうせ刑務所に行くなら頑張ろうと

皆さん、こんにちは! 映画「ショージとタカオ」、久々に見ました。23年前にシャバに出てきて、ドラマチックな自分の人生を確認したところです。「桜井昌司でよかった。刑務所に行ってよかった」と改めて思っています(笑)。多分ひと様には経験できない人生を確実に歩みましたからね、間違いなく。人生というのは真面目に生きていても、いいことばかりあるわけでもない。でも一生懸命やらなければ何も味わえないと、自分で思いました。29年刑務所に入りましたが31歳で千葉刑務所に行く時、突然パッと「人生は一度限り、今日は一度限りだ」と思ったんです。

刑務所は働くところ、どうせ働くなら一生懸命に働こうと思った。シャバでまともに働いたことなかったから(笑)。毎日真面目に靴を作って、3年目に法務大臣賞を貰いました。音楽クラブに入ってトランペット吹いて、佐藤光政さんに指導して頂き作詞作曲するようになりました。29年の刑務所生活は何も無駄になっていなかったと確信持って言えるようになりました。

刑務所生活は大変ですよ。看守は煩いし、意地の悪い奴もいる。千葉刑務所に入っているのは、人を殺めた人がほとんど。ちょっと肩に触ったりするとニコッとして「肩触んないで。俺、肩触られると殺したくなっちゃうから」なんていう人もいる。怖いですよ。でも自分はそういう人でも仲間だと思って付き合ってました。

そういう日々から考えるとシャバに出てなんでも自由にやれることが素晴らしいと感じた。出てから23年経って私は幸せや楽しさを感じない日はない。毎日が楽しい。刑務所29年入って本当によかったと思っています。

質問あったらどうぞ。なんでも正直に「自白」しますから(笑)


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編 NEWバージョン1

質問 自白というのは、「私がやりました」というのですか?

桜井 そうです。出てきたとき「なんでやったと言ったの? やってないと言えば、警察が調べるじゃん」と良く言われた。でもそれは警察を知らない人。警察という職業は、捜査はするが真実を見抜くという職業ではない。あの人たち、一人一人は皆、真面目と思います。中にはどうしようもない警官もいるが。真面目な警官が、なぜ無実の人を犯人にしてしまうかというと、彼らはいつも人を疑うからです。警官が交番などで立ってますよね。何考えてるかというと、「何か悪いことしている奴はいないか」なんです。いつもいつも人を悪く見ている人間に、人の真実を見極める力はない。コイツは絶対やっているとしか思ってない。私が「やってない」というと「お前の言っていることは嘘だ」と必ずいう。そんな警察に朝から夜中まで「お前だ、お前だ」と言われる。

結婚している方、夫婦喧嘩したら、最後どう解決します?その喧嘩が解決せずにずっと続くようなもの。イジメにあっている方、そのいじめが毎日毎日続くと思ったらいいです。それを狭い部屋の中でやられると耐えられなくなってくる。人は信じてくれるから、本当のことが言える。「やってない」と言っても「いや、お前だ」「見た人がいる」とずっと言われる。そのいつ終わるかもしれない痛みに人間は負けてしまう。これは経験のない方にはわからないと思います。

警官たちは一旦疑いを持ったらなんでもやる。日本の警察組織は犯罪組織ですから。これは本当ですよ。一人一人はいい人かもしれないが……。経験しないとわからないこともあるが、本当に警察は悪いと思わないとダメです。

質問 無罪を勝ち取ったあと警察、検察、裁判官は桜井さんに謝りましたか?

桜井 僕たちが再審無罪になった時、検察は「無罪になったが、あれは裁判長が間違った」と記者会見で言いましたよ。映画で杉山(一緒に逮捕された杉山卓男さん。2015年死去)が「国賠は勝てない」と言ってましたね。日本の権力は間違いを認めない。だから杉山は国賠をやらないといったが、私はそう思わなかった。だって酷すぎるでしょ。無実の証拠を隠しておいて謝罪もなく「あいつの最初の自白が正しい」なんてダメでしょう。それで私は国賠やって、昨年勝ちました(大拍手)。

3月31日に再審無罪判決を勝ちとった西山美香さんもかけつけてくれた

税金で食ってる警察や検察が証拠を隠したりしたらダメです。でも私は警察、検察、裁判所も恨んでない。ただ、証拠を隠していたことが認められるようだと、今日会場にきている西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪被害者、3月31日日再審無罪判決を受けた)みたいに、やってないのに犯人にされてしまう人がまたでてくるから。検察が無実の証拠を隠したら、その責任を取らないとダメ。

真面目な警官が冤罪をいいとは思っているとは思わない。なぜ警官が嘘を言うかというと、嘘を言わないと警官でいられなくなるからです。組織として冤罪を作ったら、組織として有罪にしないとおかしいとなるから、嘘の証拠も作るし、裁判にで堂々と嘘が言える。もしそれが許されるとなったら、真面目な警官は嫌でしょう。私は真面目な警官を助けるためにも、嘘をついた警官は責任を問うべきと思います。証拠を隠したり、捏造した警官は責任取るという法律を作ってあげたい。

映画を久々に見て、23年前は私も本当に若かったですね。今、私は73歳になりました。私、年の取り方がわからなくて困っていたんですよ。29年も刑務所に入ってましたから(笑)。どうやってジジイになったらいいんだろうと。実は去年秋に癌が見つかり、食事療法で12キロくらい痩せました。それで今は「ああ、年寄りっぽくなったな」と思っています(笑)。

今日はまず「夜明けのさっちゃんズ」という、毎月西成の難波屋で14日前後にライブをやっていて、私も少し歌わせてもらっている皆さんの演奏で、2曲ほど歌わせてもらいます。

私、子供の頃から美空ひばりさんが好きでした。今日はシャバに出てきて初めて美空ひばりさんの「りんご追分」を歌います。「刑務所バージョン」で歌います。(「りんご追分」熱唱)

「夜明けのさっちゃんズ」の伴奏で歌う桜井さん
ピアノ(きゅうちゃん)とサックス(swing masaさん)の伴奏で歌う桜井さん

◆苦しみ、いつでも来い!

本当にお袋を思い出すとダメですね。親父の時はそうでもなかったが。お袋が死んだ時、悲しくて体の中を風が吹いて行きましたね。帰る故郷を失ってしまった。お袋が死んだ時、春風が吹いていたんです。「なんでお袋が死んだのに、春風が吹くんだって」。それが「記念日」という詩になりました。

刑務所の中で、私、詩人だったんですよ。刑務所の中では、例えば、寒さが見えるんです。寒い時、自分の体温と外から寒さが押し合いするのが見える。辛いですね。暑い時は暑いと眠りながら感じる。でも本当に辛いのは人の心です。看守の意地悪さとか仲間同士の諍い、それが本当に辛くって。でもそんな中で、私は国民救援会から「頑張りなさい」と支援していただいた。その人たちの心の優しさが嬉しい。辛い中で嬉しい。それで詩を作りました。

今はなかなか詩が作れない。奥さんは優しいし美人だし(笑)。いつも仲間たちと支えあって、好きな時に風呂入れて、好きなもの食べれて。そういう中で詩はわかない。だから私はいつもいうのです。「苦しみ、いつでも来い」と。幸せなんか価値がない、いや、幸せも大事だが、それだけでは詩とかは生み出さない。辛いことがあったら、それを乗り越えるから、人間はいろんな思いが出るのです。

もしも今、辛いことがある人は喜んでほしい。何かがあなたの中で生まれるでしょう。苦しいことに出会ったらラッキーと思ったらいいです。乗り越えたら、人生の中に絶対いいことがあると思ってます。でもなかなかそうこないです、苦しみって。わたしは23年間シャバで生きていて、苦しいことがなかなかない。でも毎日幸せだったら、つまんないでしょ? こんな人生。だから今、癌になって嬉しいんです。だってこれを乗り越えたら、なんかいいことあるじゃないですか。(後半に続く)


◎[参考動画]【アンコール上映】ドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』予告編

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他