出入国管理法及び難民認定法改正で到来する新〈奴隷労働〉社会

政府及び内閣が先日閣議決定をした出入国管理法および難民認定法の改正にわたくしは再度反対の意を明らかにする。

勘違いされると困るが、わたしは海外からこの国にやって来る人を、「入国させることを困難にさせよう」と主張するのではない。むしろ、海外からこの国に渡航してこようとする方々のハードルは下げるべきであると考える(短期滞在を中心とする来日者にとっての抑圧がない在留資格に限定すれば)。

しかしながら、今般、政府がターゲットにしている方々は、そういった方々ではない。これまで表面上は在留資格にはなかった「期限付き単純労働者」を含む多彩な労働者を人口減で、労働力不足の日本に招き入れようとしている。

労働に携わるのであれば、日本人もしくは日本定住者同等の権利義務が保証され得る状況で労働に従事するという最低限の保障が得られるべきである。しかしその最低限保証は、まず間違いなく海外からの労働者には適用されない。

わたしは外国籍労働者の入国規制緩和に反対はしない。しかし、この度の入管法改正においては、そういった諸権利および入国される方々の待遇が保障され得ない可能性が極めて高いが故に、新たな「奴隷労働」の再来を想起し反対を明確にするものである。

◆無茶苦茶に好き勝手されている労働条件現実を直視すべき

外国人労働者受け入れをする論じる際に、前提として日本人(日本居住者)の労働条件が、使用者側により無茶苦茶に好き勝手されている現実を直視すべきであろう。労組もその過半数が「御用組合」に成り下がり、ろくろく賃上げ交渉や、労働者の権利確保に動きはしない。中には「憲法改正賛成」などと、馬鹿げた決議をする組合まで出てくるありさまだ。

おかしなことに、労組の要求ではなく、首相が経団連に「賃上げをしてくれ」と命じると、大企業は賃上げに応じる。日本人労働者の権利も守れない状態で、より立場の弱い外国人労働者が増加したら、その人たちがどのような仕打ちを受けるか、賢明な読者諸氏においては、想像に難くないであろう。

さらに、なぜわたしがそのような点を指摘するのかと言えば、これまでの在留資格で入国をし、労働に従事した方々のうち、研修生および留学などの在留資格を保持した方々は、極めて劣悪な労働環境で働くことを余儀なくされた。その問題の深刻さが正面から論じられることがなかったからである。だがわたしは経験からその実態を知っている。

そもそも留学などの在留資格を持ち来日し、労働に従事すること自体が、在留資格の本来の目的と在留資格の実態からかけ離れていることは勿論である。今般の大きな政策変更いぜんにも、実態としての「外国人頼み」の業種や商業は既に存在していた。しかしながら、「出入国管理法及び難民認定法」の表面上これまで日本は外国の単純労働力としての流入を頑なに拒んできたという歴史がある。

◆外国人労働者受け入れの条件で格段に不備が多い社会

この度の入管法改正は、一気に単純労働者の取り込み、および今後不足することが想定される職域に置いての外国人労働力労働者の容易な入国を認めるものであるが、その前に一度振り返ってみる必要がある。

外国人労働者でなくとも、日本人労働者は労働に対してそれに見合う対価を得ているであろうか。日本人労働者(正規雇用、非正規雇用を含む)が、このかん空前絶後の好況と言われながら、給与所得の向上は、労働組合の要求ではなく、専ら安倍首相が経団連に向け、給与を上げろというようなことに限り、それ以外の状況では上昇してこなかった事実。これらを俯瞰する時に、日本においては他の労働力受け入れを経験した諸国に比べ、格段に外国人労働力労働者受け入れの条件が不備であると断ぜざるを得ない。

それほど難しい話をしなくとも、少なくとも異文化の人々と一定程度の付き合いをしたひとであれば、今回の判断が如何に短絡的なものであるかご理解いただけるであろう。わたしは過去30年ほどのあいだに、日本の中で外国からこらえた方々数百人と接触してきた。東南アジア、欧米、中東、オセアニア、南米(アフリカ出身の方は少なかった)などの方々と接する中で、嫌でも「体感的」な交流からは逃げられなかった。

日本の社会は変化するし、海外からやってくる方々の母国の様子も変化する。だからわたしの経験は、断定的なものとしてしか語れはしない。けれども「価値観・生活様式の違いは予想をはるかに超える」。このことは断言できる。たとえばインドネシア、ベトナムのひとたちは、「穏やかだから介護や看護に向く」との短絡的な決めつけが聞かれる。そういうことを吹聴するひとたちの頭の中には、インドネシアには数百の民族が居住し、言語文化も多様であり、内戦まがいのいさかいが続いている、あるいはベトナムは米国に戦争で勝利した唯一の国であるとの認識などあるだろうか。

誤解されると困るので、わたしはいずれの国籍・民族の人々にもなんらの偏見を持たないことを明言しておく。ただし、世界には「勘違い」した国や民族が同居していることもまた事実である。

逆説的に論じれば、わたしは海外からの労働者が、日本人と同等に処遇されるのであればそれに反対するものではないが、当の日本人自体が本来獲得できる諸権利および賃金が獲得できない状況で蠢いている中で、それより前提の悪い中でやって来る外国人の方々が、まっとうな生活が送れるとは考え難い。今回の入管法改正策動は、高度成長期に日本が批判された「経済的海外進出」の21世紀版“経済的奴隷労働”の具現化に他ならない。


◎[参考動画]入国管理局が「庁」に格上げへ(ANNnewsCH 2018年7月24日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

老いの風景〈07〉猛暑と母の温度感覚

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆温度感覚が鈍ってきた

高齢者は室内でも熱中症になる危険性が高いと言われています。今年は、もともと大変な暑でしたが、母の温度感覚が鈍ってきたことを実感したお話です。

暑がりの民江さんが、今年はいつまでも暖かい肌着やベストを身に着けていました。私が持ち帰って洗濯して戻すと、また着ています。「いくらなんでも、もう必要ないでしょ」と何度言っても、また着ています。内緒で普段使わないタンスにしまい、代わりに薄手のブラウスを目につく場所に掛け、やっと夏らしい装いに変わりました。本人は何も言わないので、これでよかったかどうかわかりませんが、今年は少し強引に衣替えをさせてしまいました。

クーラーについては、年齢の割におおらかなのか、それほど暑さに弱いのか、1~2時間の外出ならつけたまま出かける生活を昨年までずっと続けていました。ところが、記録的な猛暑となった今年、7月になってもエアコンはいらないと言います。せめてもと思い、扇風機を物置から出してきて回しておくのですが、いつの間にか止めてあり、また私がつけて……の繰り返しです。「暑くない」と言い張ります。

ある日、民江さんの寝ている和室を覗くと、まだ布団が敷いたまま(民江さんは足腰が丈夫なので、今でも自分で布団の上げ下ろしをしています)でした。片付けようと近づくと、掛け布団は冬用の羽毛布団のまま、襟元はズクズクに濡れてペチャンコに、白いカバーは黄色く変色しツンと臭います。敷布団もずっしりと重たくなっています。大量の汗が染み込んだままの布団、今朝も肩まで布団をかぶって寝ていたようです。私は毎日数回電話をし、最低でも週に一度は来ています。ですが今日まで気が付かなかった。ああ! もっと早く気が付いてあげるべきだった。羽毛布団をクリーニングに出し、その他もさっぱり夏仕様に交換し、室内用布団干しを買って届けました。

こんなに汗をかいて……暑くて布団を剥ぐということをしなかったのでしょうか。そもそも暑さ自体を感じなかったのでしょうか。布団が汚れているという感覚はなかったのでしょうか。起きたら、たくさん汗をかいたことを忘れてしまうのでしょうか。寝る時に濡れた布団に触れても何も思わないのでしょうか。床に落ちている髪の毛は拾うのに、汚れた布団は目に入らないのでしょうか。それら全てによって……これが老いなのでしょうか。独り暮らしにいよいよ危険を感じました。

◆エアコンの設定温度を10度も下げる理由

室内で熱中症になってはいけないので、その日から必ずエアコンをつけるよう丁寧に説明しました。28度に設定し、温度のボタンは触らないように言いましたが、電話をすると「エアコいンつけてるよ」「18度より下がらないのね」「え?もっと上げるの?」「上げる?」「数字を大きくするの?」「三角の上のボタン?」「はい、28になりました」と。そして次の日もまた次の日も、18度より下がらないから始まって、同じ会話の繰り返しです。

本人はデイサービスに喜んで行っていますが、私としてはこれ以上回数を増やしたくないと思っていました。理由は、自分で考えて能動的に時間を過ごす日も必要だと思っていたからです。しかし、この一件で考えを改めることにしました。夏の間だけでも、デイサービスをもう一日増やすように早速お願いし、日曜日と通院日を除いて、週5日通うようになりました。

後日談です。毎日エアコンの設定温度について同じ話を繰り返すことに疲れてきた私は、「18度に下げると電気代もったいないよ」と言ってみました。すると「あら、せっかく点けるのに? 18度にしないともったいないと思ってた」と明確な返事が返ってきました。

そしてそれ以来、リモコンの設定温度は28度のままです。説明を繰り返す必要が一切なくなりました。本人の中では理由があって温度を下げていたことがわかったので、すっきりしたようでもあり、毎日の私の苦労は何だったのかと、別の謎が生まれました。民江さんに振り回される毎日です。そして、ああ、次は冬の装備です。

 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

今こそメッセージ・ソングが必要だ! 11・11中川五郎トーク&ライブ(於 京都・同志社大学)に150名余が結集!

 

11月11日、同志社大学良心館107号教室で、同志社学友会倶楽部主催、ミュージシャン中川五郎さんによるトーク&ライブ「しっかりしろよ、日本人。」が行われた。同志社大学学友会倶楽部は、学生時代に同志社大学で学友会(自治会)に関わっていたり、関心のあった方々による団体だ。中川さんは同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に合格するも、高校時代からフォークソングの世界では既に名をはせていたので、「同志社大学で鶴見俊輔さんからジャーナリズムを学ぼうと思いましたが、大学に入学したら、大学に行くよりも歌いに行くことの方が多くなって、結局やめてしまいました」とご本人が語られたように、同志社大学を中退されている。

11日は鹿砦社代表もメンバーである、同志社大学学友会倶楽部の面々が午前10時に集合し、会場設営やイベント告知のチラシを学内各所で配布した。この日は同志社大学の「ホームカミングデー」でもあり、キャンパスはOB・OGが多数訪れていた。このイベントは6回目で、私もここ数年お手伝いさせていただき、例年通りチラシを配った。中川さんは有名人でもあり、講演だけではなくライブも聞けるとあって、チラシを受け取った人の感触は良かった。

◆中川五郎さんとボブ・ディラン──つながりの片桐ユズルさん、中山容さん、中尾ハジメさん

会場設営を終え、中川さんが到着し、簡単な打ち合わせ後、一同は学生食堂で早い昼食をとった。中川さんの歌は何度も聞いているし、文章もかなり読んでいたけども、ご本人にお会いするのは初めてであったので、昼食を食べながら、お話をさせて頂いた。

中川さんがボブ・ディランに影響を受け、関連の著作や文章をたくさん書いておられるので、「片桐ユズルさんとはお親しいですか」とお尋ねしたところ、「はいはい、ずーっと親しくして、今でも仲良しですよ」と笑顔が浮かんだ。私が不勉強なだけで、実は中川さんにとって、片桐ユズルさんは英語やフォークソングの先生でもあったことを、ライブのなかで遅まきながら知ることになる。

「中山容さんは?」、「もちろん、仲良しでした」、「中尾ハジメさんもお知り合いですね」、「はいはい」というわけで、私がかつてお世話になった職場に在籍していた、個性的な教員たちはみんな極めて親しいかたばかりであることがわかった。

 

◆語りでもなく抒情的な「歌」だけでもなく

13時開始予定の広い教室には、12時を過ぎると早くも、聴衆が集まり始めた。13時をやや過ぎて、主催者挨拶のあと、さっそくトーク&ライブが始まった。中川さんは「僕はあんまりしゃべるのが得意じゃないので」と切り出したが、前後半に分かれた、前半の1時間余りはほとんどを語りに費やした。中川さんはフォークソングを単なる音楽の1ジャンルとしてではなく、語りでもなく抒情的な「歌」だけでもない、「新しい表現方法」だと感じたといい、それまで主流だった恋愛や風景、望郷をうたうだけではなく、「時代」や「その時に考えること」を伝える魅力を見い出した、と語った。

そして60年代終盤に突然火が付いた「関西フォーク」(この呼び名は「あんまり好きじゃない」と言われていた)は、路上や街角で「時代」を歌う「フォークゲリラ」として、社会現象化し、やがて、東京を中心とする関東にも広がってゆく。「新宿フォークゲリラ」は有名だが、あの発信地は大阪や京都だった。

ところが70年代に入ると、再び抒情的な歌を歌う「歌い手」と、それに気聞きほれる「聞き手」の関係が再現してくる。「お風呂屋さんの前で待っている」(笑)ようなフォークソングが再び主流となり、中川さんら「歌うものと聞くものが一体となり、そこから何かが動き出す」フォークソングは一見下火になる。しかし同時代性を歌うフォークソングは死滅したわけではなく、現に中川さんはこの日、同志社大学に「約40年ぶり」に戻ったにもかかわらず、会場には150名以上の聴衆が詰めかけた。

 

◆女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザ……

前半は高石ともやの作品としてヒットした『受験生ブルース』の原曲(『受験生ブルース』は中川さんがボブ・ディランの楽曲の替え歌として編み出したものを、高石ともやが「拝借」し、歌詞もメロディーもかなり作り変えて世に出ている)、新しいバージョンの日本語による「We shall overcome」など3曲を披露するにとどまった。その代わりに来場者は「日本におけるフォークソング史」を濃密に当事者から聞くことができる貴重な機会を得た。

休憩をはさんで後半は、一転して猛烈なライブとなった。時に現役同志社大学生(といっても20代の学生さんではないが)が奏でるマンドリンとのコラボレーションなどもあり、6曲を歌い上げた。

後半最初の曲紹介は「僕は、当時神戸の短大で先生をしていた片桐ユズルさんという人に社会のことや英語やべ平連のことやフォークを教わって、その片桐さんが書いた詩にメロディーをつけたのがこの曲です」で幕を開けたのが『普通の女の子に』だった。

そのあと女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザなどなど日本中、世界中の矛盾・問題をこれでもか、これでもかと歌い上げる。コード進行が奇抜なわけでも、テクニックに活路を求めてもいない(もちろんテクニックが最上級であることは言うまでもないが)、総体としての「表現」としてのフォークソングは、聴取を圧倒する。

 
ピーター・ノーマン(写真左)。白人ながらも金と銅の黒人選手二人の行動を支持し、同じ表彰台で「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR)」のバッジを着けた

◆圧巻の『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』

中でも圧巻は、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』だ。17分に及ぶこのメキシコオリンピック200m表彰式で米国籍黒人選手2名が拳を突き上げ、黒人公民権運動の象徴であるブラックパワー・サリュートを行い、差別に抵抗する意思を見せた有名な出来事を「ルポルタージュ」方式に歌い上げた楽曲は、1年間高校で「現代社会」を学ぶよりも、多くの真実を詳細に伝えるであろう、まさに「武器」だ。歌詞の内容は敢えてここでは明かさないから、興味をお持ちになった読者諸氏はぜひ、中川さんのCD購入をお勧めする。

ただ、残念ながら、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』はCD未収録だが、中川さんの公式サイトによれば、次のURLから視聴できる。https://youtu.be/6LFg1iU6hjo

中川さんの歌は「みんな」が主語にはならない。だから世界に疑問や、怒りをぶつける楽曲でも「みんなで○○しよう」とはならない。ほぼ主語は「ひとり」、「あなた」、「わたし」要するに「個人」だ。ここがともすると一時の恍惚間に陥りやすい、安易な楽曲との違いだろう。聞き手を震わせるが「みんなで○○しよう」という「逃げ」を許さないから、震えながらも聞き手は、おっとりしていられない。厳しくも優しい、精鋭的でありおおらかな享受することが貴重な世界だ。

この日会場を訪れた人は全員、満足していたに違いない。


◎[参考動画]ピーター・ノーマンを知ってるかい(kazuma kuga 2018/07/24公開)

中川五郎さんHP GORO NAKAGAWA FOLK SINGER 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

まだ居座る気なのか、ケバい金魚大臣の品性  政治を事業と勘ちがいしている片山さつき

 
片山さつき『日本経済を衰退から救う真実の議論』(2010年3月かんき出版)

国税への口利き疑惑いらい、政治資金にかんする疑惑がたてつづけに暴露されている片山さつき地方創生大臣。もはや憐憫すら感じさせる連日の国会答弁である。政治資金の収支報告書の訂正は、すでに500万円をこえている。なおかつ、自身が代表をつとめる自民党東京都参院比例区第25支部の政党交付金について、488万円の交付をうけておきながら、選挙関係費には288万円しか計上されていないという疑惑が加わった。200万円が行方不明なのである。

言うまでもなく、政党交付金は国民の税金である。カンパや寄附を原資とする政治資金とは、まったくもって性格がことなるものだ。まさに文字どおりの意味で「税金泥棒」を国会議員(当時)がはたらいたということになる。この人には、政治家とはカネが儲かる事業以外のものではないようだ。

◆私設秘書は雇用関係の有無ではない

いっぽう、国会では100万円の口利き疑惑にたいして、「南村税理士は私設秘書ではなく、南村氏と雇用関係を結んだことはない。わたくしの指示、命令関係にはなかった」と答弁することで、自身のかかわりを否定しようとしている。だが、南村氏は2016年2月まで私設秘書用の国会通行書およびバッヂを持っていたのである(100万円のやり取りがあったのは2015年7月)。そもそも雇用関係がないから秘書ではないという言い分は通らない。過去の政府答弁で、総務省は雇用関係がなくとも私設秘書たりうるとの見解をしめしているのだ。それはそうだろう。市民派の野党政治家に、学生ボランティアが私設秘書として国会内外の雑用をこなしている例は、筆者も何度か見聞している。

政策秘書をふくめた公設秘書3名で、国会および地元の作業をすべてこなせるほど、国会議員の仕事は少なくはない。数名の秘書でこと足りるほどの仕事量しかない国会議員は、ほとんど政治活動をしていないにひとしいのだ。したがって、ふた桁の私設秘書を使っているのがふつうである。そしてその多数が、支援企業の仕事を請け負う企業秘書(政治資金の獲得が目的で、議員事務所からの給与は出ない)であったり、手弁当のボランティア秘書なのだ。たとえ雇用関係がなくても秘書であるかぎり、今回のあっせん利得処罰法違反の要件は成立すると断言しておこう。

 
片山さつき『未病革命2030』(2015年12月日経BP社)

◆書籍広告看板で公職選挙法違反も

そして国会で明らかになったのが、片山さつき大臣の公職選挙法違反疑惑である。書籍の宣伝広告とはいえ、大きく「片山さつき」と描かれた看板を、選挙中も堂々と掲示していたのである。さらには、国会で「広告はこの一枚だけです」と答弁しておきながら、ほかに掲示されている書籍広告を暴露され「虚偽答弁」だと追及されるや、大臣は「あの本とは別のものでございます」などと開き直るありさまだ。憐憫を感じるのは、そんな片山さつき大臣の泥縄式の言い訳の哀れさにつきる。開き直れば開き直るほど、その金魚のようなケバい容貌(褒め言葉です)はひきつり、余裕を見せようとする笑みもこわばる。

ボロボロと収支書の未記載や金額の間違いが発見されるのは、じつは片山事務所の内部告発があるからだ。人は頭を下げてくるものだと思い込んでいる官僚出身らしく、つねに上から目線で他者を批判する悪癖は外からでもわかるが、事務所内においてはほとんど毎日がパワハラの連続だと言われている。秘書の出入り(退職)も激しいという。その意味では、片山さつき大臣の場合は身から出た錆というべきであろう。

◆いまや沈没寸前の第4次安倍丸

それにしても、第4次安倍内閣のボロボロぶりはどうだ。「東京オリンピック・パラリンピック」をまともに発音できず、汗まみれで答弁もおぼつかなかった桜田義孝五輪担当相。新聞赤旗によれば、茂木敏充経済再生大臣にもリラクゼーション教会からの政治献金を受けるいっぽうで、リラクゼーション業務を新産業として国に認定させた経緯があるのだという。まさに政治の私物化というほかない。さらには、平井卓也IT担当大臣が指定暴力団と関係のある建設会社から献金を受けていた問題も浮上してきた。ふつうなら安倍政権は政治とカネのなかに沈没するはずだが、それでもなお虚構の好景気を吹き込まれたわが国民は、その延命をゆるすのだろうか。ふたたび地方選挙から、政治の季節が訪れようとしている。


◎[参考動画]片山さつき氏 新たに収支報告書を訂正 野党が批判(ANNnewsCH 2018/11/08公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

老いの風景〈06〉要介護1でなお、変わらぬ個性

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆認知症を除けば、足腰丈夫な健康体

民江さん89歳は、すこぶる健康体で認知症を除いてこれといった大きな病気はありません。転んだことをきっかけに杖を勧められて使うようになりましたが、足腰は丈夫です。

ですからその右手に持った補助的な杖は、別の用途で使うことがあります。道端で弱った子猫を狙うカラスに向かって杖を振り回して追い払った時は『なんと勇ましい!』で済みましたが、指で示す代わりに杖の先で示してしまうのは困りものです。

外出中に何かの理由で杖を水平に持ち上げて教えてくれることが度々あります。スーパーで店員さんを呼び止めて「これ」とお茶のペットボトルの箱を杖で指し、ショッピングカートに積んでほしいと指示していることもありました。

病院で少し離れたところにスリッパを、杖を使って履きやすい位置に動かしていました。私がたまたま少し離れていたときは慌てて駆け寄り、周りの方々に頭を下げて謝ることになりますが、本人はシャキッと突っ立ったままです。「杖を持ち上げたり、杖で物を指したりしたら、危ないし失礼だからやらないでね。」と何度言ってもやめることはできないようです。

姿勢の良さは羨ましいほどです。父親に厳しく躾けられたと昔から誇らしそうに語っていた通り、今でも背筋はまっすぐ伸びています。最近特に慎重にゆっくりと歩きますので、胸を張ったその姿は悠然として貫録があります。

病院の待合室でもソファーにもたれかかることはなく、背筋を伸ばして顎を引き、手は膝の上に置いて凛として周りを見回しています。これなら杖は要らないんじゃないか(だって立ったまま「ヨイショ」と声を出して見事にズボンを履いていますし)と私なんかは思うのですが、「転ぶといけないから要る」と本人は頑なです。はいはい、どうぞ使ってください。

◆『してやったり』の目つきも口調も昔と一緒

性格としては、昔から誰にでも平気で話しかけるタイプでした。ベビーカーに座った赤ちゃんを見ると「あら、可愛い」と声を掛けますし、軒下で雨宿りをしている親子を車に乗せて家まで送ってあげたのは30年ほど前のことです。そして……犬のリードを外して散歩をさせている飼い主さん、橋の上で鳩に餌をあげているおじさん、駅の階段でしゃがみこんでいる高校生の集団、電車の中で足を広げてふんぞり返っている若いサラリーマン……などなど、見逃すことは決してありません。いつか反撃されるのではないかと家族はひやひやしていたものです。

そんなアグレッシブを絵にかいたような民江さんが、要介護1の認定を受け、身の回りのことが出来なくなり、自分から何か出来事を話してくれることがなくなってきたこの頃、急に思い出したように言いました。

「電車でね、若い男が足を広げて座ってるから注意してやったわ。」「えっ、いつ?」「昨日かなぁ、その前かなぁ」と。確かに二日前に久し振りに電車に乗って一人でお昼ご飯を食べに出かけています。急に昔のことが蘇ってきただけか単なる幻覚かとも考えられますが、この表情を見る限り、これは実際に今回起きたことなのではないか、目に飛び込んできたものが脳を叩き起こしたのではないかと感じました。

この『してやったり』の目つきも口調も昔と一緒です。89歳の杖をついた白髪のお婆さんが若者を叱りつけている姿を思い浮かべて、私は生まれて初めて心配よりも誇らしい気持ちが勝った瞬間でした。

認知症だからといって人間性まで変わることはないのでしょう。歳を重ねて我が強くなり家族は困ることがありますし、ぼんやりしているので一見弱々しくて心配になることもありますが、民江さんの個性は健在です。安心しました。いつまでも民江さんらしくいてください。病院の帰り道、今日も民江さんは後部座席からマナーの悪い運転手を狙ってるかと思うと面白くなりました。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号! 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
格闘道イベント「敬天愛人」本日11月11日(日)鹿児島アリーナにて開催!鹿砦社取締役・松岡朋彦も出場します! 九州、鹿児島近郊の方のご観戦をお願いいたします!

格闘道イベント「敬天愛人」HP https://ktaj.jp/

私の内なるタイとムエタイ〈47〉タイで三日坊主!Part.39 新たな選択

比丘として優秀、機械イジリも優秀、喧嘩技も併せ持つケーオさん

◆送られてきた贈り物

大きな旅も終え、埃溜まった部屋の掃除、郵便物の確認を済ませると、藤川さんにも幾らか届いていたものがあった様子。部屋に呼ばれて行くと、春原さんから1995年用のカレンダーが10部以上、幾つかの筒に入れられて届いていた。以前から藤川さんがねだっていた日本を象徴する富士山や金閣寺、桜満開など風景画のカレンダーである。

「ノンカイの寺にどれにする?、ウチの和尚にどれにする?」と言われて、「そんなこと勝手にしろ!」と思うところ、更に「ボケーッと見とらんと袋破れ!」と文句言う藤川ジジィ。

これは春原さんから藤川さんに送られた郵便物、私が手を付けるのも失礼と思い、それも珍しいものではないから放っておいただけ。ムッとしつつ何も言い返さなかったが、寺に帰った途端、笑顔減り、厳しい言葉に変わるのはなぜ? ノンカイに居た時のように朗らかになれんものかな、このクソジジィは!

何かと憂鬱になる元の寺生活。「ああ、ノンカイの寺に移りたい、雄大なメコン河の風景が見たくなってきた」本気でそう思えるようになってきた。

そんな翌日の12月26日、更に私に郵便物が渡される。再び春原さんからボクシングのカレンダー、お願いしていた得度式の写真を使っての1995年用年賀状。これはケーオさんが持って来てくれたが、どうやらもう少し早く届いていたのに忘れていたようだ。恐縮していたが、ポットから煙が出るのでまた修理をお願いしつつ、お互いに“マイペンライ”を繰り返す。

年賀状は日本の元旦から極力遅れないよう、出し日を気をつけなければならない。年賀印はあるが、エアメールで届いたものが年賀状扱いになるか分からない。年末に届かないよう気をつけるが、元旦に届くことは難しい。正月から私の坊主頭を見たら皆驚くだろうなあと思う。或いは「得体の知れない宗教に洗脳されたか」と避ける奴も居るだろう。どういう反響であれ楽しみな反応だ。

春原さんから贈られたボクシングカレンダーと雑誌付録のポスターを飾る

◆空腹の苦しさ

いつもの托鉢も再開後は、お菓子オバサンに「暫く見かけなかったけど、どうしたの?」と聞かれて「ビザ取得の為、ラオスに行っていました」と応えると「ああそうだったの!」と少々心配されていたのか、安心されたような様子。藤川さんはサッサと先に進むし、托鉢中に長話は出来ないのは以前と同じ。そんな声が私にだけ数軒掛かる。藤川さんに追いつくのがキツかった。

旅から戻ってからは凄くお腹が空いている。体調崩して食欲が無い頃の失った体力を回復させようとしているのだろう。ガツガツ食うのも恥ずかしいが、いつもより御代わりも増えた多めの食事が続いた。出家したばかりの頃、夕方はお腹が減って苦しかったなあと思い出す。境内の空地のゴミ拾いをやらされて、皆元気にせっせとやっているのに私だけヘロヘロだった。和尚さんに「ヒウマイ(腹減ったか)?」と聞かれたが、「すぐ慣れるよ」とも。実際にその後の夕方の空腹感は無くなっていった。

◆乾季の中の寒気!

この年末はノンカイなどの北部だけではなく、バンコクよりやや南に位置するペッブリーでも早朝、日本の秋深い頃と同じと思うほど寒い日があった。比丘には内衣となる右肩の無い黄色い毛糸のセーターが存在する。それを他の比丘も着ていたほどだったが、10時頃になると夏に戻り、暑くて脱ぐことになる。気温の高低差が大きいこの乾季とも寒気とも言える時期だった。

ノンカイに居た時、藤川さんが、「タイ北部やと黄衣の生地が厚いところもある」と言っていた。「更に2枚重ねが出来るように黄衣の上部に輪ゴムのように小さい紐の輪があるけど、これは単にこっちが上っていう目印かと思とったわ!」と笑わせたが、私も知らずにこれを目印に毎日纏っていた。

埃溜まった部屋の掃除と年末掃除に明け暮れる

◆再び寺の行事

12月28日の早朝、メーオから「今日は托鉢は行かなくていい」と言われる。そう言えば以前、藤川さんが「年末に学校へ向かう行事がある」と言っていた。車の荷台に乗せられて向かった先は中学校らしき校庭。すでに大勢の生徒が外で待っており、他の寺からも集まった大勢の比丘らは、運動会の観覧席のような一旦椅子がある席に座らされて、ミルクと揚げパンが配られた。

それを受け少々落ち着いていだが、どこからか読経が聞こえてきた。学校らしく校庭では伝達が聴こえ難く、こちらまで伝わらないのだ。と思っていると比丘や生徒達が一気に立ち上がり、集団托鉢が始まった。生徒らがドッと押し寄せて来て、サイバーツされる。それは神聖なるものとは言えない。我先にと頭陀袋やバーツに笑いながら雑談混じりに手を差し入れて来る。あっという間にバーツと頭陀袋はいっぱい。

すぐデックワットが受け取ってくれて次の頭陀袋を開くとまたすぐいっぱいになったところで終了。生徒は持参しやすい缶詰やスナック菓子ばかり。更に儀式は続くのかと思ったらそのまま撤収。車の荷台に導かれ帰って来る、何とも呆気ない終了だった。これはタイの文化を生徒らに再認識させるような学校行事の一環なのだろう。

◆比丘の中には裏の姿も

その日の午後、暇な時間にコップくんが寺のベンチに座っているのを見かけた。何か元気が無い様子。何となく聞いてみると、「1000バーツ盗まれた」と言う。部屋の鍵は掛けて無かったとも。こんな品の無い奴らが集まる下級の寺では、そんなことは起こり得る。誰でも入って来られるから部外者の可能性もあるが、タイ国内でも過去に比丘が犯す強盗、強姦が実際に起きているから信頼できるものではない。テーラワーダ仏教の汚点である。

この日はたまたま頼まれた撮影があって一眼レフカメラを持っていたら、元気復活したかのようにコップくんが慌てて「カメラ貸して!」と言って奪い取るようにして本堂の方へ向かって行った。何やらデックワットが寺に侵入して来た不審者を2人で暴行している。そんな姿を撮ろうとしたコップくん。上手くは撮れないだろうと思うが撮り方教えて任せてみた。

その後、ケーオさんが勢いよく走って来て、この侵入者に飛び蹴り、右廻し蹴り連打。そこはカメラを構えないコップくん。たまらず不審者は寺から逃げて行った。この不審者は本堂で何かやらかしたようだが、比丘が飛び蹴りとは・・・!こんな姿は在家信者さんには見せられない。真剣に修行に励む神聖な比丘と間逆に変貌する比丘も存在するのだ。

侵入者へ暴行するデックワット(コップくん撮影)

◆来年の計画!

来年の計画を練りながら日記を書く(セルフタイマー撮影)

12月30日の昼食時、藤川さんが「ネイトが1月25日頃、来ると言うとった。今は寺の行事が忙しくて来れんと!」とネイトさんから携帯電話に連絡があったようだ。

その頃、私は一緒にタイに来た時の伊達秀騎くんから、「1月29日にタイのチャンマイで試合が決まりました」という手紙を貰っていた。10月にノンカイでのムエタイで倒された相手との再戦だった。倒すか倒されるかの激闘をやってギャンブラーを盛り上げたからプロモーターから声が掛かったようだ。これもひとつの縁か、私の日課となっていた境内の落ち葉を掃きながら、これを期に本格的に還俗を考えてしまう。チェンマイに試合の撮影に行こうか。ネイトさんが来るのなら、それは比丘として待っていてやりたい。どう展開するか分からないが、来年の計画を練りながら過ごした年末だった。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

格闘道イベント「敬天愛人」11月11日(日)鹿児島アリーナにて開催!鹿砦社取締役・松岡朋彦も出場します! 九州、鹿児島近郊の方のご観戦をお願いいたします!

格闘道イベント「敬天愛人」HP https://ktaj.jp/

月刊『紙の爆弾』12月号! 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

《ブックレビュー》星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』 芸能人たちはどんな苦悩を抱えているのか?

 
星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』(10月26日発売)

著者の星野陽平氏は学生時代から知っている。といっても、わたしは星野氏よりもふた回りほど年上で、早稲田大学の学生サークルに請われて部室に出入りしていた関係でおそらく一方的に、そこに知己のあった氏を知ったということになる。

そのサークルからは、歌舞伎町やアジア系犯罪組織などの本を著し、編集プロダクションを立ち上げたO氏、『噂の真相』でデビューしたフリーライターのO・K氏、作品社の取締役編集者となったF氏、ほかにも業界紙記者や出版社の女性編集者など、いまにして思えば錚々たる人材を輩出したことになる。

当時すでに何冊かの著者があり、総合誌の編集者、出版プロデューサーだったわたしは、ひそかに彼らの「師」を任じていた。ちょうど『アウトロー・ジャパン』(太田出版)を立ち上げる直前のことだったが、星野氏についてはほとんどコンタクトがなく、のちに市場系の本を著したことで記憶が喚起された記憶がある。

鹿砦社から刊行された『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』は、版を重ねて準ベストセラーと呼ばれるにふさわしい内容を擁していた。アマゾンを見れば旧版・新版ともに、高評値のレビューがそれを裏付けている。その続編ともいうべき新刊が『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』(鹿砦社)である。

◆日本の芸能界の構造的な弱点 

上條英男氏の『BOSS』がプロデューサーの側からみた芸能界の歴史であれば、星野氏の芸能本はノンフィクションライターが膨大な資料を背景に書き上げた、芸能界のドキュメンタリーということになる。

前著とともに、堅実な作業の積みかさねがなさしめた仕事である。日本の芸能界の問題点は星野氏が強調するとおり、アメリカのショービジネスとの対比に明らかである。すなわち、日本では音楽事務所協会の「統一契約書」によって肖像権(パブリシティ権)や出演を選択する権利が、芸能事務所に帰属することになっている。そこで「奴隷契約」に縛られたタレントたちは独立をめざすのだ。それはしかし、タレントを食い扶持にしている事務所が許してくれない。

アメリカでは俳優の労働組合が1913年に設立され、劇場に対して何度もストライキを積み重ねることで労働条件の改善がはかられてきた。組合はユニオンショップであり、強力な発言権をもっている。しかもタレント・エージェンシー(芸能プロ)は反トラスト法の規制で、制作業務を行なうのを禁じられている。したがって、芸能プロが俳優や歌手を抱え込んで、番組制作まで仕切ることはできないのだ。単なる営業代理店ということになる。

◆このままでは、本格的なショービジネスは育たない

著者の調べによると、アメリカではタレントと芸能事務所(タレント・エージェンシー)の関係は対等であるという。そしてアメリカの芸能事務所は、そもそもタレントに投資をしないのだ。しばらく前にNHKで放送されていたアクターズ・スクールのような、アクティング・スタジオ(俳優養成学校)がタレントを育てる。タレント(俳優)志望者たちは、ここでスキルを磨きながらエージェントをさがす。ちょうど大リーグにおけるエージェント(代理人)をイメージすればいいのだろうか。エージェントはモデル、コマーシャル、演劇の三つに区分される。

とはいえ、演劇ジャンルでは高度な演技力がもとめられるために、ハリウッドでもエージェントを持てない俳優が多いのだという。そこでオーディションが大きな位置を占めてくる。日本でも大きなプロジェクト(予算規模の大きな映画など)ではオーディションが行なわれているが、実態は芸能事務所の力関係によるところが大きいと言う(独立系の俳優の話)。

じっさいに、筆者はVシネマの脚本を手がけた経験があるが、小さな芸能事務所の売り込みはすさまじい。ギャラの未払いも気にせずに、何の実権もない脚本家に売り込んでくる。それはしかし、ほとんど意味がなかった。キャスティングの大半は、配給元の東映やミュージアムに、箱書き(あらすじ)段階から握られていたのだから。

◆生々しいタレント稼業の実態

日米のタレントの境遇の違いは、そのままショービジネスの規模の違いに反映される。日本のように芸能事務所が「奴隷契約」でタレントを縛り、テレビ局と事務所間の力関係や政治力で配役が決まるという馴れ合いでは、真のアーティスト精神は生まれない。作品のために厳しい役づくりに取り組み、まさに「当たり役」という奇跡を演じるのは、タレント(才能)ではなく努力であろう。その努力を、日本の芸能界は必要としないのだ。

いっぽうで、独立して厳しい条件からでも再出発しようとするタレントを、テレビ局と芸能事務所が「干す」という行為に出る現実がある。本書はその意味では、芸能人の残酷物語の第二幕でもある。

もはや論じるよりも内容を列挙しておこう。本書のタイトルとは別ものである。安室奈美恵の独立騒動、江角マキコ独立後の「暴露報道」、ビートたけし独立事件の裏側、安西マリア失踪事件の真相、ちあきなおみの芸能界への失望、中森明菜の独立悲話、加勢大周の芸名騒動、ホリプロからの独立した石川さゆりの演歌力、松田聖子性悪女説は音事協の陰謀である、などなど。どうです、すぐにも読みたくなったでしょ?

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
編集者・著述業・Vシネマの脚本など。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社)など多数。

奴隷契約、独立妨害とトラブル、暴力団との関係とブラックな世界―著者は公正取引委員会で講演、その報告書で著者の意見を認め、芸能界独占禁止法違反を明記!芸能界の闇を照らす渾身の書!
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今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている森奈津子さんインタビュー〈6〉

多彩なエロス、SFから児童文学まで縦横無尽な世界観織りなす作家、森奈津子さん。ツイッター上ではM君支援を宣言してくださり、そのためか、しばき隊から現在も集中攻撃を受け続けている方でもある。大好評だった前回までのインタビュー記事に続き、特別取材班は再び森さんに電話でインタビュー。「表現の自由」をはじめ様々な問題についてご意見を伺った。今回はその最終回。

 
森奈津子さんのツイッターより

◆男性差別をする人はフェミニストとは呼べないし、集団でネットリンチしている人たちはリベラルと呼んではいけない

── 自由な言論を交わす人たちではなくて、独善的に高圧的な物言いをする人たちと言う意味に変わってしまいつつありそうな勢いです。

森  元来の定義からすると、男性差別をする人はフェミニストとは呼べないし、他の人を陰湿に叩いて集団でネットリンチしている人たちはリベラルではないですよね。本当はリベラルとは呼んではいけない人たちが、リベラルを名乗っていて、それに対する批判意見もあるけれども、いつの間にかリベラルというのは心の狭い人達だという認識が定着。彼ら、多様性多様性と口では言いつつも他人を叩いてばかりだというのに。

── 前回LGBTについて教えていただいたことで相当理解も深まりました。

森  ありがとうございます。

◆議論を重ねることで新しいことにも気付けます

── 特にLGBTという概念自体が限られたものであるという最後の森さんのご意見には、なるほどと頷かされるところが大でした。こういうダイアローグ(対話)の大切さですよね。お尋ねしたかった最後のことは、議論の大切さがもっと認識されてもいいのではないかということです。

森  議論を重ねることで新しいことにも気付けますし、考えが変わることもありますし、それは好ましいことではないかと私は思います。彼らはいきなり叩きリプで寄ってたかって潰そうとする、暴言を吐く、中傷する、デマを流す、嘘をつく。私や周りの人たちが「それは違うのではないですか」と、彼らの事実誤認であったり、デマであったり、悪意を含んだ解釈であったりを指摘しても、すっとぼけてまた別のネタでいちゃもんをつけてくるわけです。議論にならないのですよ。彼らのやりたいのは議論をして新しい考えに触れたり、どちらが正しいのか見極めようとするとか、そういうことではなく、異なる意見の人をとりあえず集団で叩いて潰すというそれだけなんですよね。相手にするだけ無駄だということは感じています。私は彼らがこういう人ですよということを広めるためにお相手しているだけで。

森奈津子さんを批判するツイッター事例1

◆私はLGBT当事者です

── 今や森さんが彼らのおかしさをPRする広報パーソンに就任された感もあります。

森  私はLGBT当事者です。LGBT差別反対と言っている人たちが、当事者を叩くというおもしろいサンプルを私は日々ゲットしているわけです。それはもう喜んで広めさせていただきますよね。彼らのやり口を皆さんに把握していただけるいい機会だと思いますし。

── インターネットから離れて、実社会を眺めた時に、彼らの様な傾向は、限定的だと考えてよさそうですか。あるいは実社会にもそれに似たような片鱗はあるとお考えですか。

森  これまで、LGBTの運動家と交流の機会はありましたが、あそこまで極端な人達は他にいないです。ですからどこかでまたトラブルになるなと感じています。

── ということは、ネット空間で限定的に行われている現象で、今まで森さんがご存知の方の中にはそういう言論傾向の人はいない。

森  あんなチンピラ運動家は見たことがないです。なのでリアルでもやらかすでしょうし、どこかでトラブルになるでしょう。で、私は自分の役目と考えて、「彼らがこういうことをしています」とツイッターで拡散しているわけですが。そこから何も学ばなかった、あるいは何も対処しなかった……仮にそんなLGBT運動家やイベント主催者がいたとして、その後にしばき隊界隈の人達がLGBTの運動の現場で何かをやらかすとしたら、もう、何もしてこなかったLGBT運動家が悪いと思います。

森奈津子さんを批判するツイッター事例2

◆LGBT運動家は「心の狭い嫌な奴」かのような言動を流布するしばき隊の人たち

── これだけ予防的に危険性を発信していただいているのに、それを無警戒に入れてしまうのであれば、そちらの団体の方にも負われるべき責めはあると。

森  危機管理ができないというのは、運動家として致命的だと思いますし、そういう脇の甘さというのは、しばき隊が介入してこなくても、どこかで出てしまうものだと思います。もし今後大きい問題が起きて現場が滅茶苦茶になったら、私や他の第三者がどうこうしてあげようという段階ではないですよね。彼らを受け入れるかどうか、受け入れるとしたらどのように受け入れるのかというのは、現場の運動家の人達の判断ですので。私がとやかく言うことではなく。

── でも森さんもその中のお一人でしょ。

森  私は運動の現場から離れていますので。もしそういう団体にまだ入っていましたら、団体の人たちやイベント主催者に「このような人達を受け入れていいのですか」と意見を申し上げていたところだと思いますけれど。今の私にはそこまでやってあげる義理はないというか。

── その代り発信は続けていらっしゃるということですね。

森  発信はします。そこから何か汲み取った人は行動していただければいいと思いますし、あれを見てもしばき隊の人達は大丈夫、一緒に戦えると思う人達は一緒に戦ってよろしいかと思いますよ。その後に何が起きるかは、私は見物しますし、ウォッチャーの人達も楽しくウォッチングするんじゃないでしょうかね。すでにしばき隊の人達のあれこれの言動で、LGBTの運動家というのは心の狭い嫌な奴だみたいな解釈が広まっていますし。ツイッターの方をちらちら見ていますと。

── 一部でね。

森  悪い印象が広まっていますね。そこで毅然とした態度が取れないのであれば、それはLGBTの運動家の責任ではないかと思いますね。そもそも、運動の現場の人達がしばき隊を受け入れるのなら、受け入れてそのまま続けてくださっても、私は何の損をするわけではないので、大いに結構でございますよというのが本音です。ただ、知っていることなので忠告はしますよということです。しばき隊は自分達に批判的な在日の人達をものすごく侮辱しているじゃないですか。あれを見て、私はこの人達は駄目だなと、当事者のためにならないなと前から感じていましたので。今の状況を危機的だと感じない活動家の方が多数であれば、それはそれでいいのではと思います。私の知ったことではないので。(了)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

《ブックレビュー》上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』     スターが発掘されるその瞬間 ヒットに賭けた男たちの記録

 
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』

西城秀樹をはじめ、日活ポルノ女優の田中真理、青春スター吉沢京子、安西マリア、カルメン・マキ、舘ひろし、浅田美代子、川島なお美など、多くのスターと歌手を発掘してきた上条英男の自伝が、この『BOSS』である。われわれも名前をよく知る芸能人たちの、素の顔がひもとかれる。そんな覗き見をする興味と共扼しながら、読みやすい語り口にも助けられて3時間ほどで読み通してしまった。著者の語り口をとおして、芸能界を身近に感じる本だと紹介しておこう。

◆発掘されるスターのカッコ悪さと神話化

この種の本、といっても類書がそれほど多いわけではないが、興味ぶかいのはスターが発掘されるその瞬間であろう。西城秀樹は広島の地元ですでにロック系、ジャズ系のバンドを経験していたことは知られているが、家出同然で東京(原宿)に出てきてからの話は初めて知った。

それなりにアーティスト志向だったはずの秀樹が、徹底的に田舎少年として紹介されている。著者が描写するところはすこぶるカッコ悪いが、真実なのかもしれない。とくに反対する両親に対して、秀樹の姉が説得したことはあまり知られていないのではないか。秀樹の姉は、某大物ヤクザの姐さんとして斯道界に知られるひとだ。秀樹の父親が、彼がブレークしてからは、自宅では芸能パパ的に振る舞ったことは書かれていない。

スターがブレークした後のマネージャーと事務所の軋轢は、読む者を不快にするほど型どおりの醜さである。それにしても、敏腕スカウト(マネージャー)への手切れ金が100万円とは情けなさすぎる。


◎[参考動画]西城秀樹「傷だらけのローラ」(1974年)

舘ひろしが硬派暴走族だったというのは、かなり盛られた話だというのが定説だが、チームに岩城滉一がいたのだから伝説が成立するのもやむをえないところだろう。いまはどうなのかは知らないが、かつての不良青年青少女は芸能界でブレークするのが、ツッパリの延長にあった。ツッパルぐらいでなければ、野心は実現できないというべきであろう。かの関東連合ですら、芸能界入りを展望していたという。

悪い出会いもあるところが、本書の圧巻である。吉沢京子の名前が出れば、いま還暦以上の読者諸賢にとっては、甘酸っぱい記憶がドーパミンを分泌させるのではないだろうか。その吉沢京子を二股をかけて傷つけたのが、当時は公然と付き合っていたはずの松平健だったという。なんと同棲状態だった松平の部屋で、吉沢は彼の浮気のベッドを目撃してしまうのだ。いまも清純派の吉沢の涙を思うだに、松平の卑劣は上條ならずとも怒りが納まらない。

その松平健は大地真央との離婚後に、再婚した松本友里をも自殺に追い込む。著者は「私が死ぬまでにどこかで公にしたかったので、まさに今は溜飲が下がる思いである」と、そのくだりを締めている。テレビドラマでの松平健の正義漢ぶりはしたがって、まったくの演技ということになる。人は見かけによらぬものだ。


◎[参考動画]吉沢京子 「恋をするとき」(1971年)

◆「芸能プロ」と書いて「芸能ゴロ」ではなかったのか

筆者のように、芸能界に明るくない者にとって、60年代から70年代の芸能プロの構造変化は、わかりやすかった。渡辺プロといえば「ナベプロ抜きに歌謡番組は成立しない」とまで言われた芸能王国だったが、その牙城を崩したのは「スター誕生」をはじめとするコンテスト系の公募イベントだった。

爾後、堀プロ、周防郁雄(バーニング)、田辺エージェンシー、オスカープロモーション、太田プロという具合に芸能プロが林立して覇を競い合う。ジャニー喜多川との掛け合いのような関係も興味ぶかい。外から描けば、「芸能ゴロ」と呼ばれることが多い面々だが、著者が内側から書くことによって素顔に触れられる気がした。


◎[参考動画]安西マリア「涙の太陽」(1973年)

ところで著者は77歳にして現役のマネージャーにして、スタジオで歌唱指導するプロデューサーである。ひとりの歌手にかける夢、売ってナンボのステージ興業(古いか)、裏切りや出し抜きがふつうの芸能界で、いまも歌い手にエンターテイメントを仮託する姿は清新でうつくしい。


◎[参考動画]Flower Travellin’ Band(ジョー山中)「Anywhere」(1970年)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
 編集者・著述業・Vシネマの脚本など。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社)など多数。

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』西城秀樹、ジョー山中、舘ひろし、小山ルミ、ゴールデン・ハーフ……。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」
本日発売!月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

「カウンター大学院生リンチ事件」に関わる〈原点〉について考える     鹿砦社代表・松岡利康

以下は対李信恵訴訟(第2訴訟。原告李信恵、被告株式会社鹿砦社)において、9月12日に提出した陳述書を、その後の展開を加味し一般用に平たく書き換えたものです。訴訟用の原告・被告という言葉も用いず「原告」を「李信恵さん」と表記し、また被害者も陳述書では本名を用いましたがここでは「M君」と表記しました。この文章は、私がなぜM君リンチ事件支援と真相究明に関わり持続して来たのかという〈原点〉を想起するために書き綴ったといってもいいでしょう。
 
はじめに

私は長年、兵庫県西宮市において「株式会社鹿砦社(ろくさいしゃ。以下当社と表記します)」という出版社を営んで来ている者です。創業は1969年(昭和44年)、1972年(昭和47年)に株式会社化し、1988年(昭和63年)に私が代表取締役に就任し現在に至っております。当社は現在、定期発行雑誌3点(月刊2点、季刊1点)はじめ毎年100点近い新刊雑誌・書籍を発行し、年間売上は直近の決算で約3億円、業界では中堅の位置にあります。東京に支社があります。

私は1951年(昭和26年)生まれ、今年で67歳になりました。本来なら現役を退いてもいい歳ですが、本件集団リンチ問題を知り、この2年半ほど、この問題の真相究明と被害者救済・支援に関わっています。

1 当社の出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記事はすべて事実であり、真に「名誉を毀損」され「精神的苦痛」を与えられたのはリンチ被害者のM君であり、李信恵さんの主張は失当です

本件訴訟は、「カウンター」と称される「反差別」運動の、李信恵さんら主要メンバーによる、その一員だった大学院生・M君への集団リンチ事件について、当社が出版した書籍と、当社のホームページ上に掲載している「デジタル鹿砦社通信」の記事に対して、これら書籍の販売差し止めと記事の削除、そしてこれらによって李信恵さんの「名誉を毀損」され「精神的苦痛」を与えたから賠償せよ、というものです。

李信恵さんが挙げている箇所を、あらためていちいちチェックしましたが、記事化されているものはすべて事実ですし、私は真実であると確信いたしました。もともとこれらの書籍や「デジタル鹿砦社通信」において記述する際には、事実関係については入念にチェックしており、万が一誤りなどがあった場合、指摘してもらえれば、いつでも訂正することは常々申し述べているところです。李信恵さん側からきちんとした具体的な誤りの指摘など、これまでありません。

さらには、本件訴訟の以前、このリンチ事件について取材を開始した頃に李信恵さんに電話取材を申し込んだところ拒絶されました。これはみずからが関与したとされるリンチ事件についての申し開きや反論・抗弁を拒否したものと私たちは認識しています。

また、当社の出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記述が李信恵さんの「名誉を毀損」し「精神的苦痛」を与えたという主張は、なにをかいわんやです。リンチの被害者のM君は、一方的に殴られ続けましたが、この暴力こそM君の「名誉を毀損」する最たるもので、この肉体的苦痛はもちろん「精神的苦痛」を李信恵さんはいかに思っているのでしょうか。さらに被害者M君は事件後も、李信恵さん、及び彼女の仲間らからネットリンチ、セカンドリンチを加えられることによってさらに「名誉を毀損」され、リンチの後遺症と悪夢に苦しみ、この「精神的苦痛」は、原告が与えられたとする「精神的苦痛」を遙かに上回るものです。

そして、当社が主にマスコミ出版関係者、ジャーナリスト、当社支援者、そしてリンチ事件とこの隠蔽に陰に陽に関係した人たちに献本送付したことに原告は「強い精神的苦痛を受けた」としていますが、当社では、本件に限らず月刊誌や書籍を発行するごとに、各方面にそれ相当の献本送付を行い、意見や批評、批判などを求めています。それが対象となった人に都合の良い記事もあるでしょうし逆もあるでしょう。献本送付は本件に限ったことではありません。献本行為を批判するのは、憲法21条で保障されている「表現の自由」を不当に制限する主張でしかありえません。当社に限らず出版社にとって、献本はごく当たり前であることをライターである李信恵さんが知らないはずはないでしょう。

よって、李信恵さんの主張は失当です。

2 私が本件リンチ事件を知った経緯と、被害者M君を支援する理由

ここで、被告とされた当社、及びこの代表である私が、この問題、つまり本件リンチ事件を知った経緯、被害者M君を支援する理由などを申し述べたいと思います。

一昨年(2016年)2月28日、偶然に時折当社主催の講演会などに参加していた知人から神戸大学大学院博士課程に学ぶM君が、李信恵さんら「反差別」を謳う「カウンター」、あるいは「しばき隊」と称するメンバー5人から受けた集団リンチ事件のことを知り大変驚きました。特にリンチ直後の被害者M君の顔写真とリンチの最中の録音データには声も出ませんでした。今回審理される裁判官含め血の通った人間の感覚を持つ者であればみな、そうではないでしょうか。

そのあまりにも酷い内容からM君への同情と本件リンチ事件への義憤により爾来M君への支援を行なっています。リンチ事件が起きた2014年師走から1年2カ月余り経っていましたが、それまでこのリンチ事件のことを知りませんでした。なぜか一般に報道されなかったからです。いわば“マスコミ・タブー”になっているようです。

そうしたことから、半殺し(M君がラクビーをやっていて頑強な体格でなければ、おそらく死んでいたでしょう)と言っても過言ではない被害を受けたM君への同情とリンチへの義憤により、被害者M君の正当な救済を求めると共に、リンチ事件の真相究明を開始することにいたしました。

まずは被害者M君への聴取と、彼が持ってきた主だった資料の解析です。何よりも驚いたのは、前記したリンチ事件直後の酷い顔写真と、リンチの最中の録音です。暴力団でもあるまいし、今の社会にまだこういう野蛮なことがあるのか――M君の話と資料には信憑性を感じ嘘はないと思いました。私は、この若い大学院生が必死に訴えることを信じることにしました。僭越ながら私も、それなりの年月を生き、また出版の世界でやって来て、何が真実か嘘かの区別ぐらい経験的動物的な勘で判ります。

私の生業は出版業ですので、その内容が公共性、公益性があるものと判断、世に問うことにし、取材に取材を重ね、その具体的成果として、これまで5冊の出版物にまとめ刊行し世に送り出しました。

これまでどれも発行直後から大きな反響を呼び、「こんな酷いリンチ事件があったのか」「言葉に出ない」等々の声が寄せられています。私もリンチ事件を知った直後に感じたことで当然です。

私は、私の呼びかけに共感してくれた人たちと、被害者M君が、李信恵さんら加害者5人によって受けたリンチ事件の内容と経緯を私たちなりに一所懸命に調査・取材し編集いたしました。李信恵さんには取材を拒絶され、加害者の周辺にも少なからず取材を試みましたが、なぜかほとんどの方が全くと言っていいほど答えてくれませんでした。そうした困難な取材の中でも、心ある多くの方々が情報提供などに協力してくださいました。

これまで刊行した5冊の本(本件訴訟で問題とされているのは、そのうちの4冊。5冊目は本件提訴の後に発行したので対象外)で、少なくとも事実関係の概要は明らかにし得たと、私たちは自信を持っています。

取材を開始して間もない第1弾書籍『ヘイトと暴力の連鎖』の頃はまだ事情に精通していないところもあり不十分だったかもしれませんが、第2弾、3弾と出す内に内容の密度も濃くなっていったと思います。特に第4弾、第5弾は外部(加害者周辺の人たちも含め)から高い評価を受けています。しかし、加害者やこの周辺の人たちからは、反論本の1冊もなく、具体的な反論どころかネット上で、ただ「デマ本」「クソ記事」といった悪罵が投げられるのみです。

加害者のひとり李信恵さんと本件訴訟代理人のひとり上瀧浩子弁護士は最近、共著で『黙らない女たち』という書籍を出版されましたが、リンチ事件についての謝罪や反省、あるいは上記5冊の本への言及や反論はありませんでした。「黙らない」でリンチに謝罪や反省の言葉を、また私たちの本への言及や反論を行ってください。
加害者らがあれこれ三百代言を弄し弁明しようとも、この5冊の本で示した内容を越えるものでない以上、社会的に説得力はないと思います。

3 M君への集団リンチ事件について私が思うこと

ところで、事件当日(正確には前日から)リンチに至るまでに、李信恵さん本人自ら供述しているように、あろうことか、キャバクラをはじめとして5軒の飲食店を回り、日本酒に換算して1升ほどの酒を飲み酩酊状態だったということです。全く理解できません。李信恵さん本人が言うのですから間違いないでしょう。

事件の詳細は5冊の本に譲るとして、私が特に申し述べたい概要を記載してみます。――

① これは集団リンチですから、関わった全員に連帯責任があることは言うまでもありません。李信恵さんだけが免れえることはありえません。

② その中でも中心的首謀的立場の李信恵さんの責任は他の誰よりも重いでしょう。首謀者は、他の4人の誰でもなく、あくまでも李信恵さんの他に考えられません。

③ M君が、呼び出されて李信恵さんらが待つワインバーに到着するや否や、李信恵さんは「なんやねん、お前! おら」と胸倉を摑み一発殴り(このことはエル金も認めています)、のち約1時間に及ぶリンチの口火を切りました。胸倉を摑んだことは一審判決でも認め、突然のことで混乱したM君が平手なのか拳骨なのかの記憶が曖昧なことで、遺憾ながら大阪地裁はM君の主張を信用できないとしました。

④ 主にエル金による連続的暴行を傍目に悠然とワインを飲んでいた神経が理解できません。

⑤ リンチの途中で、これは有名になっていますが、「まぁ、殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」と言い放っています。普通だったらリンチを止め介抱するのではないでしょうか。酩酊してまともな感覚が失せていたのかもしれませんが、一方的に殴り続けられているM君が死ぬことも想定していての言葉としか思えません。

⑥ 約1時間に及ぶリンチののち、師走の寒空の下に重傷を負ったM君を放置し立ち去っていますが、人間としての良心の欠片も見えません。

こうしたことだけを見ても李信恵さんの刑事、民事上の責任は免れません。

また、これだけの凄惨な集団リンチの現場に居合わせ関与していながら、李信恵さんは刑事、民事共に罪も責任も課せられてはいません。本件集団リンチ事件の中心にあったのが李信恵さんだと思慮されることを想起するに不可解と言う他ありません。かつて日本中を震撼させた、いわゆる「連合赤軍リンチ事件」において首謀者永田洋子は、みずから手を下さず輩下に殴らせ多数の死者を出し死刑判決を受けています。事件の規模は違いますが、リンチの現場の空気を支配し、誰が見ても中心人物、主犯と見なされる李信恵さんが、なんらの罪や責任を問われないのは到底理解できるものではありません。実際に殴られ血を流した被害者M君は尚更でしょう。

裁判所におかれましても、私たちがみずから足で回り額に汗して取材してまとめた、この5冊の本に記述された事実と内容も踏まえた審理をされることを強く望み、裁判所の良心を信じ妥当な判断が下されるものと信じています。

4 被害者M君が心身共に受けた傷を蔑ろにし開き直る、集団リンチの加害者で中心人物の李信恵さんの言動は許せません

被害者M君が心身共に受けた傷は、リンチ直後の顔写真に象徴されています。裁判官も、この写真をご覧になったら驚かれるでしょうし、逆に何も感じないとしたら、もはや人間ではないと断じます。人間として失格です。さらにリンチの最中の音声、聴くに耐えず、言葉を失います。ぜひお聴きください。

被害者M君は、リンチ以降、この悪夢に苦しみPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいるといいます。本人にしかわからない苦しみでしょうが、私たちにも一定程度は察することができます。しかし、あろうことか、これだけの傷を受けていながら未だ1円の治療費、慰謝料も受け取っていませんし、事件後も引き続きネットリンチ、セカンドリンチを受けてきました。酷い被害写真のコラージュまで作られ回されています。

また、李信恵さんは、いったんは「謝罪文」を寄越し(たとえ形式的、ヌエ的ではあれ)反省の意思を表わしていながら、突然それを覆し「リンチはなかった」「無実」と開き直り、これに異議を唱えると、後述しますように、「鹿砦社はクソ」とか誹謗中傷を行っています。これは私たちに対しだけでなく、李信恵さんに異議を唱える者すべてに対してです。

李信恵さんの、人間として到底考えられない言動に真摯な反省を求め、そして、これだけの酷いリンチと、その後の事件隠蔽やセカンドリンチ、ネットリンチを受けているM君の名誉回復がなされなければなりません。常識的に考えて、リンチ直後の写真やリンチの最中の録音を目の当たりにしたら、「リンチはなかった」とか、加害者で中心的首謀的立場にあった李信恵さんが「無実」とは考えられず、まともな人間としての感覚があるならば、非人間的で酷いと感じるはずです。そうではないでしょうか?

裁判所が「人権の砦」であり、裁判官も血の通った人間ならば、そうしたことは当然理解されるものと信じています。

5 李信恵さんによる相次いだ「鹿砦社はクソ」発言に対して、やむなく民事訴訟を起こしました

前述しましたように、李信恵さんら加害者らは、彼らと繋がる者たちと連携し、被害者M君や、彼を支援する人たちに対して、あらん限りの罵詈雑言、誹謗中傷を続けています。

例えば、M君の後輩の同大大学院生は母子家庭で、先輩が酷いリンチにあったということで支援していたところ、名前や住所をネット上にアップされたり執拗に攻撃され、お母様に累が及ぶことを懸念し表立った支援を差し控えたといいます。

また、四国で自動車販売会社を経営しM君支援を行っておられる合田夏樹社長に対しては、国会議員の宣伝カーで自宅まで押し掛けられたり、娘さんが東京の大学に進学し一人暮らしを始めたところ、近くのコンビニなどから住所を突き止め暴くぞと恐怖を与えたりしています。

さらに、やはりM君を支援する作家の森奈津子さんには、「森奈津子にネットでいやがらせして鬱病に追い込もう」とか「こんな奴は潰さんとダメだろ」とか「森奈津子さん大便垂れ流していますよ」とか、さらには、森さんは乳がんで片方の胸を摘出されていますが、「正気かどうかも保証されてない病人」と揶揄してみたり、とても「反差別」や「人権」を語る者がやることとは思えません。

M君を支援する当社に対しても、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」とか「鹿砦社、潰れたらええな」「下衆」「害悪」「ネトウヨ御用達」などと李信恵さんや彼女の仲間らはこぞって誹謗中傷を行ってきました。遺憾なことです。

あまりにエスカレートしつつあり、当社としても取引先に悪影響を与える具体的な懸念が生じたため、そうした誹謗中傷を抑止する目的もあって、株式会社鹿砦社を原告として李信恵さんに対して民事訴訟(大阪地裁第13民事部 平成29年(ワ)第9470号。第1訴訟と記します)を起こし損害賠償金300万円と謝罪を求め現在係争中です。本件第2訴訟は、本件原告の李信恵さんが当初上記第1訴訟の反訴として起こし、それを取り下げ、その後別訴として併合審理を求め提訴したものが却下されたものです。

さて、李信恵さんのツイッターの一部を引用してみましょう。――

2017年7月27日 「鹿砦社はクソですね。」

同年8月17日 「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」

同年8月23日 「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」

同日  「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」

同日  「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないな あ。あんなクソに、(以下略)」

同日  「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの  告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」

同月24日  「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」

李信恵さんの発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない、品性を欠く表現であることは一般常識です。李信恵さんは「クソ」という言葉を「論評」などと評価しているようですが、「クソ」だけを用いた「論評」など目にしたことがありません。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人たちの支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、当社に対する強い悪意を持ってなされたものであることが明瞭です。

しかも、2018年9月1日現在で1万3,818ものフォロワー数を持ち(ちなみに当社の「デジタル鹿砦社通信」ツイッター版は3分の1の3,412にすぎません)、マスメディアによって「反差別」運動における一定の社会的評価を得ている李信恵さんがかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、当社に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ません。

私や当社、あるいは当社関係者が、李信恵さんに対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行った事実などありませんし、また当社やこの関係者の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも李信恵さんの一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものです。当社に対する名誉毀損の程度は、マスメディアで持て囃される「差別と闘う旗手」によってもたらされた「お墨付き」の言葉として大きな影響力を持って拡散されました。甚だしく遺憾です。

6 李信恵さんはリンチ事件の中心人物として適正に刑事・民事責任を問われるべきです

考えてもみましょう、真に差別に反対し人権を守るという崇高な目的をなさんとするならば、まずは脚下照顧、率先垂範でみずからが犯した過ちを真摯に反省し、集団リンチ被害者のM君に心から謝罪することから始めるべきではないでしょうか。人間として当然です。それなしには、いくら「反差別」だとか「人権を守る」とか公言しても空語、空虚ですし、「反差別」を錦の御旗にすれば何をやっても許されると考えている節もあり遺憾です。

特に加害者のリーダー的存在の李信恵さんは、在特会らネット右翼に対する2件の差別事件訴訟の原告となり勝訴しマスメディアによって大々的に報道もされていますが、裏ではこのような集団リンチ事件に関わっているのです。在特会らネット右翼の差別行為を批判する前に、まずはみずからを律すべきではないでしょうか。

これだけの厳然たる事実が明らかになりながら、リンチ直後に出した「謝罪文」を覆し、未だに開き直っていることは驚きです。加害者で中心的首謀的立場の李信恵さんがまずなすべきことは、血の通った人間として被害者M君への真摯な謝罪ではないでしょうか。このためにも、李信恵さんの「不起訴」と、被害者M君が李信恵さんら加害者5人を大阪地裁に提訴し李信恵さんに責任を課さなかった民事訴訟判決は、一般人の感覚、世間の常識からは著しく乖離しています。刑事責任も民事責任も当然あるというのが一般人の感覚、世間の常識でしょう。M君は民事、刑事ともに判決・決定を不服として、民事については大阪高等裁判所に控訴しましたが、賠償金はアップしたものの内容に不満の残る判決でした(直ちに最高裁に上告しました)。また刑事については、大阪第四検察審査会に不起訴不当の申立てを行いましたが、遺憾ながら不起訴相当の議決でした。刑事、民事共に検察、検察審査会や裁判所の判断は、将来に禍根を残すことを強く懸念いたします。

7 安易に出版や販売の差止めを求めるべきではありません

李信恵さんは鹿砦社が出版した出版物に対し、販売の差止めを求めています。また、当社のホームページで日々展開している「デジタル鹿砦社通信」の一部記事の削除も求めています。

周知のように日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を高らかに謳っています。民主主義社会にとって「表現の自由」「言論・出版の自由」は必要不可欠なものです。万が一差止めがなされるのは、その出版物や表現物に高度の違法性があり、差止めなければ名誉毀損やプライバシー侵害等の被害が拡大するという強度の緊急性がなければならないことは言うまでもありません。

李信恵さんは、みずからにとって不都合な表現や言論、出版に対しては妨害したり隠蔽したりする傾向にあるようです。

「言論には言論で」という言葉があります。李信恵さんは、出版物の販売の差止めを求めたりするのではなく言論で対抗、反論すべきです。李信恵さんも、代理人のお二人の先生も著書を出されていますので、出版物を出せる環境にありますし、実際に出せると思います。李信恵さんらは出版物で堂々と反論することを強く望みます。

8「人間の尊厳」や「人権」に反するM君リンチ事件の〈真実〉を知れば、言葉に表わせないほど酷いと感じるでしょうし、裁判所の公平、公正な判断に期待いたします

ところで私事に渡りますが、私は、縁あって2015年4月から2年間にわたり関西大学で「人間の尊厳のために~人権と出版」というテーマで教壇に立たせていただきました。このリンチ事件と、その後の加害者李信恵さんらの言動、また被害者M君への不当な扱い(=ネットリンチやセカンドリンチ)は、まさに「人間の尊厳」も「人権」も蔑ろにしたものと断じます。

私は学生に「人間の尊厳」や「人権」を教える時、普段いくら机上で立派なことを言っても、「人間の尊厳」や「人権」に関わる現実に遭遇した場合、みずからが、いかに対処するかで、あなた方一人ひとりの人間性が問われると話しました。「人間の尊厳」や「人権」は、「死んだ教条」ではなく、まさに〈生きた現実〉だからです。

普段立派なことを言っている人たちが、このリンチ事件の現実から逃げ、語ることさえやめ、ほとんどが沈黙しています。こういう人を私は〈偽善者〉と言います。くだんの5冊の本に、リンチ事件(と、その後の隠蔽)に陰に陽に、大なり小なり、直接的間接的に関わっている人たちの名が挙げられ、質問状や取材依頼を再三送りましたが、全くと言っていいほどナシの礫(つぶて)です。その多くは、この国を代表するような、その分野で著名な人たちです。公人中の公人たる国会議員もいます。良心に恥じないのでしょうか?

私も偶然に、このリンチ事件に遭遇しましたが、学生に「人間の尊厳」や「人権」を話したのに、実際に「人間の尊厳」や「人権」を蔑ろにする事件を前にして、みずからが日和見主義的、傍観者的な態度を取ることは決して許されないものと考え、このリンチ事件の真相究明や、被害者M君の救済・支援に関わっています。

このように、「人間の尊厳」や「人権」について学生に教えた私にとっては、それが言葉の上でのことではなく、その内実を問う、まさに〈試金石〉だったのです。

おわりに

「反差別」を謳う「カウンター」といわれる運動内部で、その中心的なメンバーである李信恵さんらによって起こされた、M君に対する悲惨な集団リンチ事件について私の率直な意見を申し述べさせていただきました。

李信恵さんが今まずなすべきことは、みずからが関与した集団リンチ事件についての真摯な反省であり、かつ被害者M君への心からの謝罪であり、そう考えると、李信恵さんによる本件第2訴訟は、そうしたことが垣間見れず、まさに〈開き直り〉としか思えません。

李信恵さんらによる集団リンチ事件は、私たちが取材、調査、編集、出版した5冊の出版物で多くの方々に〈公知の事実〉として知られるに至っています。特に、第4弾『カウンターと暴力の病理』に付けられたリンチの最中の音声(CD)と巻頭グラビアのリンチ直後のM君の顔写真は強い衝撃を与え、多くの方々がM君に同情と救済の声を寄せてくださっています。

このように多くの方々が多大の関心を持って2つの対李信恵訴訟の審理の推移と結果に注目されています。多くの方々がリンチ事件の内容を知り注目しているのです。裁判所が公正、公平な判断をなされなかったら、リンチ事件を知る多くの人は「人権の砦」という看板に疑問を持ち信頼が揺らぐでしょう。

裁判所は、当然ながら軽々な審理を排し、公正、公平なご判断をなされるよう強く要望してやみません。

李信恵さんの請求は当然のことながら棄却となることを信じてやみません。

これまで申し述べた内容を盛り込み私の「陳述書」として提出させていただきます。

【追記】

9月12日の本件訴訟の準備手続きにおいて、私は急病で出席できませんでしたが、私方が準備したリンチ本5冊の提出が「邪魔」だとして拒絶されました。証拠資料の原本の提出が「邪魔」だとして拒絶されるなど聞いたことがありません。多くの元裁判官や弁護士の方々も首を傾げておられました。私も「おかしいな」と思っていたところ、この担当裁判官が、李信恵さんが訴えた在特会らに対する民事訴訟で李信恵さん勝訴の判決を下した裁判長だったことが判明しました。フェアではないですよね? 幸いに突然京都地裁に異動になりましたが、そのままこの訴訟の裁判長としてあり続けていたら、どのような結果になったかは言わずもがなでしょう(この件、11月2日付け「デジタル鹿砦社通信」参照)。なお、対李信恵第2訴訟(第24民事部)の次回弁論期日は11月14日(水)午前11時30分からです。

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